16 高馬 Day2
「おじゃまします」
「・・・ただいま」
靴を隅に揃え、支倉さんに促されるまま進む。通されたリビングからは、甘いバニラのような匂いがした。支倉さんはカーテンを片手で閉めた。
「座ってて。飲み物取ってくるから待っててね」
先輩はそう言い、部屋から出て行ってしまった。困ったな。とりあえず下座に座って・・・いや俺来客だし上座に座るべきか?まぁいいや。適当に腰掛ける。いい椅子だなこれ。気を抜くと深く腰掛けそうになる。
どうしてか居心地が悪くて軽く周りを見回す。よく見る戸棚によくある本棚。結構お高そうな椅子にしっかりとした木のテーブル。ちっちゃな鉄っぽいゴミ箱と先輩とご友人の写真。普通の家って感じなのにどうしようもなくここにいたくない。
「ごめんね。お待たせ」
先輩が色々と持って部屋に入ってきた。
「ありがとうございます」
先輩が陶器の容器から紅茶を入れてくれた。先輩のコーヒーならよく飲むけど、紅茶は初めてだな。随分高そうな入れ物で、手が震えそうになる。てか実際震えてる。
「砂糖とかいる?」
「あ、じゃあお願いします。ミルクはいらないです」
角砂糖を3つ入れ、スプーンでくるくると混ぜられた。
「はい、どうぞ。ほんとはコーヒー淹れてあげたいんだけどさ、もしかしたら体に障っちゃうかもしれないし」
「や、支倉さんの紅茶、初めて飲むんで楽しみっすよ」
受け取ったコップを割らないように両手で持ち、ゆっくりと口元に近づける・・・
「あの、あんまり見られると飲みにくいです」
「え、あ、ごめんごめん」
気を取り直し、口を付ける。・・・何と言うか、濃い。そして甘い。
「どう?」
「甘くて、いいですね。なんてお茶ですか?」
「アッサムていうお茶っぱだよ」
支倉さんもコップに口を付ける。
「お菓子もあるから、好きに食べてね」
言われるがまま、さらに盛り付けてあるオレオをひとつ、手に取った。
「オレオ、好きだよね」
「よくご存知ですね。実は好きなんですよ」
「知ってるよ」
先輩もオレオを2つに剥がし、クリームのついていない方を食べた。
「高馬君、あーん」
言われるがまま口を開く。支倉さんはテーブルから身を乗り出し、俺の方に手を伸ばす。反射的に俺は支倉さんの手首を掴んだ。慌てて離す。
「?高馬君?」
「・・・びっくりしました?」
「ふふ、悪戯好きだね」
正直、なんで腕を掴んだのか、自分でもよくわからない。俺は誤魔化すように支倉さんの持っているオレオを食べた。
「おいしい?」
「はい。とっても」
先輩は嬉しそうに笑った。俺もつられて少し笑いそうになる。
「・・・紅茶ってさ、淹れるのに少しだけ時間がかかるの。私が学校から帰ってきたら、姉さんが紅茶を淹れてくれてたんだ」
先輩はいつもより落ち着いた声でそう言った。俺は何も言わず、カップの紅茶を全て流し込んだ。
「高馬君、私は君のことをあんまり知らないからさ、なんでも話してほしいな。時間もお茶もお茶菓子もある。君が望むならコーヒーもレッドブルもお酒もあるよ」
やけに明るい声でそう聞いてきた。
「話すって、例えば何をですか?」
「うーん、じゃあ、君の友達について教えてよ」
「友達、ですか。俺は顔が狭くて高校に2人しか友達がいないんですよ。小倉ってのと加藤ってのです」
「ふーん、男の子?」
「や、どっちも女です。あ、心配しないでくださいね、俺は先輩一筋ですから。小倉は幼馴染みなだけですし、加藤はレズなんで」
「個性的なんだね」
「まぁ、関わってて面白いですよ」
「ふーん。その加藤ってのは、どんな人?」
「うーん、どんな人ですかぁ・・・」
少し、思い出したくないような記憶もあるね。殴られたこととか。なぜだか今日の出来事なのに、妙に過去に感じる。年のせいかな。
「んーと、確かヨーロッパのどっかからの転校生なんですよ。だからすげー頭がいいですね。アイツ思ったこと全部言うタイプだから付き合ってて面白いんですよ」
「へぇー、写真とかある?」
「や、俺写真撮らないんで持ってないですね。インスタやってるって言ってましたし、調べてみたら出てくるかもっすよ」
「あれ、高馬君はインスタやってないの?」
「はい。俺みたいな陰キャはそういうキラキラしたツールにしり込みしちゃうんですよ」
「はははっ、高馬君はそのままでいてよ」
「うーん、馬鹿にしてますね」
「あら、バレちゃった。それで、その、小倉って子は?」
「小倉は・・・」
アイツは何だろうな。よく絡んできてうっとおしいけど、憎めないんだよなぁ。
「うーん腐れ縁ってのが1番正しい気がしますね。小、中、高とずっと一緒なんです。流石にクラスは一緒にはなりませんけど」
「あれ、君中学受験したって前言ってなかったっけ」
「あ、はい」
「ふーん、その小倉って子の写真はある?」
「や、ごめんなさい、俺写真撮らないんですよ」
「あら、残念」
「高校って、一緒の特進コース?」
「はい。あいつは頭がいいですから、確か学年トップですよ。加藤も3位です。それに比べて俺は」
「ふふふっ。でも高馬君、頭いいよね?」
「俺なんて全然っすよ。小倉にこの前数B教えてもらってたんですけど、教え方がめちゃくちゃ上手いんですよね。多分いい母親になるんじゃあないかなーってその時思いましたね」
「私がバイトで色々教えたとき、すぐに覚えてたし、君は頭がいいよ。大丈夫」
「うぅ、優しさが染みるっす」
小倉の突き放すような言い方とは大違い。とは言えなかった。
「でも先輩も教えるのが上手いですよね」
「やめてよ照れ臭いなぁ」
「や、もし先輩以外が俺の教育係だったら辞めてたかもしれないですよ」
「とか言ってどうせ君は続けてたよきっと」
「ま、仮定の話なんてしませんけどね」
そう言ってオレオをもう1つ手に取った。食べるわけでもなく少し弄ぶ。・・・家庭の話もこれ以上したくない。母親は俺に何を残したんだっけ。俺は、誰をあんなにも拒絶していたんだ?思い出せない。俺の残念な脳みそは働いてくれない。
「君の初恋の相手ってもしかして、小倉さん?」
「や、どうなんでしょうね。俺はアイツのこと、どうとも思ってないですよ。アイツも俺のこと、多分馬鹿で可哀想な奴くらいにしか思ってないですよ」
言っておいて少しだけ傷付いた。面倒くさい野郎だ。
「あはは、小倉さんってひどい子だね」
「や、そんなこと・・・割とそうっすね」
・・・手に持ってたオレオが潰れた。何してんだか。口の中に投げ入れた。
「まぁ、小倉は俺が居なくても勝手に幸せになれるタイプですからね」
言っててなんとなく嘘だと思った。嘘だと思いたかっただけかもしれないけど。
「大丈夫だよ。小倉さんもきっと幸せになれるよ。君と同じくらいね」
カーテンの隙間からの光が不気味なほど明るい。
「私は君のおかげで幸せなんだから」
「ははっ照れますね」
・・・なんの因果があるのかよくわからなかった。でもそれを聞ける雰囲気ではなかった。
「小倉さんは、私と君が付き合ってるのは知ってる?」
「や、彼女がいるって言ってあるだけで、支倉さんだとは言ってないです」
「へー」
支倉さんはカーテンを閉めなおした。薄暗い部屋。時計の音。空気清浄機の音。唾を飲み込んだ音すら響きそうだ。
「じゃあ、今日は忘れない日にしないとね」




