第78話 帰還
この女は——まずい。
——こんなに早い段階で、この女が登場するなんて、どう言うことだ。俺が早くに”傲慢”を獲得してしまったせいなのか……
状況は最悪だった。
彼女はゲーム世界終盤で、”傲慢”のスキルを獲得したアーヴィン・カーティスを贄に捧げ、魔王エビルダンテを復活させる。
もし、今、この場で俺が“魔王”にされてしまえば——
この世界には、それに抗える力は残されていない。
「……何しに来た」
俺は努めて冷静になろうとした。
「まぁ、冷たいわね。アーヴィン・カーティス」
レヴィア・アスフォーデルは、カサンドラの首を優しく抱きしめながら、こちらにゆっくりと微笑みかけてくる。
カサンドラを加勢するつもりなら、もっと早く現れていてもおかしくない。
なにしろ彼女は、“いつでも”“どこにでも”現れることができる存在だ。
——彼女の意図はいったい……
「挨拶に来たのよ。……“魔王の器”に、ね」
「……そう簡単に、なるつもりはない」
もし俺が“魔王”になってしまえば、すべてが終わる。
勇者パーティはまだ……この世界に“揃っていない”
だから——
俺は静かに指を振る。
——闇の手
闇がうねり、触手が再び出現。
意思を持つかのように、無数の腕が一斉にレヴィアに襲いかかる。
「ずいぶん殺気立ってるじゃない。でも、残念ね」
レヴィアは逃げる様子もなく、その場に突っ立ったまま笑っている。
触手がその身体を呑み込み、肉を裂き、骨を砕き——
激しい音を立てて、彼女の姿は掻き消えた——
——はずだった。
「どう? 少しは理解できたかしら?」
声が響いた先に、変わらぬ姿の彼女が、平然と立っていた。
「……やはり、お前は……」
「ふふっ、その顔。やっぱり知ってるのね?」
「……固有スキル《観測者》。そういうことか」
「正解♪」
彼女は指を軽く鳴らし、楽しげに笑う。
「この世界って、“観測”されるまではすべての未来が同時に存在してるの。
私はその中から、都合のいい“たったひとつ”を選ぶことができるのよ」
カサンドラの首に頬をすり寄せながら、愛おしそうに目を細める。
——レヴィア・アスフォーデル。
ゲーム内で唯一、“殺されることのない”存在。
なぜなら彼女は、物語の最終盤——“魔王復活”のイベントで、その命を捧げることが決まっている。
つまり、それまでは絶対に死なない。
どんな攻撃も、どんな策略も通じない。
彼女を殺すことができるのは、ゲームの“シナリオ”に組み込まれた“死”だけ。
だからこそ——
彼女の意図を知ることが、今の俺にできる唯一の選択だった。
もし、彼女が今ここで“魔王を復活させる”つもりなら——
すべてが、終わる。
「そんな怖い顔しないで。今すぐ復活させるつもりなんて、ないわよ」
レヴィアは穏やかな笑みを浮かべた。
「あなたの“傲慢”、まだレベル1でしょう?
それじゃあ、まだまだ足りないわ。もっともっと、育ってもらわなきゃ」
「……どういう意味だ」
「完璧な魔王様を作り上げるの。最強で、無敵で、絶望そのものの存在をね。
だって……あなたは“私の最推し”、エビルダンテ様の器なんですもの」
瞳が、狂気の輝きを帯びる。
「十年前は……未完成だった。だから今度こそ、“本気”でやらせてもらうわ」
「そう簡単に魔王にされる気はない。俺がレベルを上げなければ、成り立たないんだろう? だったら逃げ回るまでさ」
「ふふ……それは無理ね」
レヴィアの笑みが、冷たい光を帯びる。
「あなたにはたくさん戦ってもらうの。
“色欲”、“暴食”、“憤怒”、“強欲”、“怠惰”……そして最後に、“嫉妬”——」
「……!」
「これだけ踏み越えれば、あなたは“最強”になる。
そうしたら——美味しく、いただくわね」
「貴様……!」
「逃げたって無駄よ。あなたの大切な人たちが、次々に死んでいくだけ。
だから、どうか……抗って、苦しんで、もがいて、最強になって」
「レヴィアッ!」
「今から、6年6ヶ月、そして6日ののち、あなたをいただきに来るわ。魔王の器として——最高の仕上がりを、楽しみにしてるわね」
そう言い残し、レヴィア・アスフォーデルは闇へと溶けるように、姿がかき消える。
そして
——静寂が訪れた。
◇
「そ……ソウスケ……? 本当に、ソウスケなの……?」
振り向くと、ユリアとイリアスが立っていた。
だが——その目は、かつてのような安心や信頼ではなかった。
恐怖。
まるで、得体の知れない“何か”を見るような眼差しだった。
俺は、そっと傲慢のスキルを解除する。
背後に渦巻いていた闇の気配が、すうっと消えていく。
「……ああ。俺だよ。……すまない、怖がらせたな」
しばしの沈黙のあと、ユリアが笑った。
けれど——それは明らかに引きつった笑顔だった。
「ソウスケが……おかしくなっちゃったかと思った。……はは……」
その声には、どこか震えが混じっていた。
「これから全てを話すよ……。その前にジェスタを連れて帰ろう」
俺たちは、ジェスタの遺体を背負い、ゆっくりとダンジョンを後にした。
ヴァンピールだったドミニクの遺体はすでにチリと化していたが、
彼の象徴だった白手袋だけは、俺の手に残されていた。
その道すがら、俺は二人にすべてを語った。
——“傲慢”のスキルを得たこと。
——その力が、魔王復活の“器”としての資質に繋がっていること。
——レヴィア・アスフォーデルの狙いが、俺を完全な魔王に育て上げることにあること。
——そして、彼女に対抗するには、かつてのように“勇者パーティ”が必要だということ。
イリアスが“勇者”であり、
ユリアが、そのパーティの仲間となる“運命”にあることも——すべて。
二人は、黙って聞いていた。
疑いもせず、否定もせず、ただまっすぐに。
そして、話し終えた俺に、イリアスが小さく頷いた。
「……分かったよ、ソウスケ。
ボクたち、もっともっと強くなる。
魔王になんて、絶対に負けないパーティになる」
ユリアも、俯いたまま拳を握りしめた。
「私も……頑張る。もう……誰も失いたくないから」
そうして、沈黙の中、地上の光が見えはじめる。
「ジェスタの葬式が終わったら……」
俺は、ふたりの前で、静かに言い放つ。
「——俺は、“辺境伯”になる。やつらに……対抗するために」
それは俺の中での覚悟が決まった瞬間だった。
◇
葬儀は粛々と執り行われた。
火葬の煙が、青空へゆっくりと昇っていく。
参列者たちは無言で頭を垂れ、それぞれの想いを胸に、ジェスタの冥福を祈っていた。
……皆が、涙した。
イリアスは、棺の前で拳を握りしめながら、
「……ボク、もっと強くなるからね」と、かすれた声で呟いていた。
ユリアは、人目をはばからず、頬を濡らしていた。
嗚咽を堪えながらも、最後までジェスタのそばを離れなかった。
そして葬儀の終わり、別れのときが来た。
「ここで、いったんお別れだ。……イリアス、ユリア」
俺がそう言うと、ふたりは寂しげに顔を上げる。
そのとき、背後から足音がして、ディルク・クラネルト伯爵が前に出てきた。
「アーヴィン・カーティス君。……君が“辺境伯”を継ぐなら、私たちは最大限、君を支援しよう」
「……よろしくお願いします」
短いが、強い言葉で応えた。
イリアスが、少し笑って言った。
「ソウスケ……いや、アーヴィン。またね。
きっと、すぐ会える気がするよ」
ユリアは、袖で涙を拭いながら、言葉を絞り出す。
「……助けてくれて、ありがとう。
私、あなたにまだ……言えてないこと、たくさんあるの。
また……会えるよね?」
俺は、小さく頷いた。
言葉はなかった。ただ、深く胸に染みるものがあった。
そして——
仲間たちに、静かに別れを告げた。
◇
俺は、すぐにデミエス邸へと向かった。
フローラ・デミエス。
彼女には、伝えなければならないことが——山ほどある。
正面玄関で名を告げると、すぐに応接室へ通された。
深く沈み込む革張りのソファに腰を下ろし、ただ静かに待つ。
時計の針の音が、やけに大きく、耳につく。
やがて、足音が近づく。
扉がゆっくりと開き——フローラが姿を現した。
その顔には、怒りの色がはっきりと浮かんでいた。
だが、それだけではなかった。
こわばった表情の奥に、言葉では言い表せない想いが渦巻いている。
心配。不安。寂しさ。——焦がれるような、想い。
張りつめた糸のように、今にもぷつりと切れそうな、その瞳。
それでも彼女は、何も言わず、ただ静かに歩み寄ってくる。
けれど、その一歩一歩が、抑えきれない感情を引きずっていた。
俺は、立ち上がることすらできなかった。
彼女に与えてきた痛みや、苦しみ。
その重みを、今さらながら思い知った。
それでも——思い切って、口を開いた。
「……フローラ。話したいことが、たくさんある」
彼女は、ぴたりと足を止めた。
わずかに俯きながら、声を震わせる。
「他に……他に何か……言うことはないの?」
「他に……?」
「…………おかえりなさい、アーヴィン」
「——ただいま」
その瞬間だった。
フローラは、張りつめていた感情の糸が切れたように駆け寄り、
俺の胸に飛び込んできた。
抑えていた想いが、決壊するように。
肩を震わせ、涙を堪えながら、
まるで、もう二度と離さないとでも言うように——俺にしがみついた。
その小さな背を、ようやく、俺はそっと抱きしめ返した。
◇
その後、クラネルト家とデミエス家の強力な後押しもあり、
俺は正式に——辺境伯の座を継承することとなった。
エルザ・カーティスが、魔族幹部カサンドラであったこと。
ハロルド辺境伯がヴァンピールと化し、彼女の傀儡となっていたこと。
そして——俺が、その二人を討ったこと。
ステファノが忽然と姿を消し、いまだ行方が知れないこと。
これらはすべて、王家と貴族たちの間で密かに処理され、
真実が公にされることはなかった。
あくまでも「家督争いの混乱が収束した」という名目のもと、
王国には、仮初めの平穏が訪れることになる。
けれど——
レヴィア・アスフォーデルは言った。
「六年後に、魔王を復活させる」と。
残された時間は、あと六年。
それまでに、俺は“すべて”を整えなければならない。
勇者パーティを完成させ、彼女たちを真に“最強”へと導くこと。
どれほど俺自身が強くなろうと、
魔王に“された”時点で、すべては詰む。
だからこそ、俺は決めた。
その舞台を、王立学校に定めると。
物語の——いや、ゲームの進行通りに。
勇者が仲間を集め、力を蓄え、魔王に立ち向かうための——“理想の育成環境”。
たとえその結末が、
魔王となった俺自身を——
彼女たちが討つ未来であったとしても。
俺は、やり遂げなければならない。
運命を超えるために。
——アーヴィン・カーティスとしての物語は、
まだ、終わらない。
これで、第一部は完結になります。
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