第74話 ジェスタの一撃
ジェスタの双剣が斧を弾き飛ばし、ガシャリと重い音を立てて床に転がった。
だが、ミイラは怯まない。
片腕を失おうが、武器を落とそうが——その歩みを止めることはない。
まるで、死してなお命じられた命令だけを追い続ける人形のように。
「ったく、ゾンビってのは……いつも面倒だな」
ジェスタが肩を回し、気怠げに双剣を構え直す。
その刃先が、残る三体のミイラに向けられる。
「下がってろ、ソウスケ。お前はまだ回復途中だろ。……イリアス、一緒にやるぞ」
「……すまん」
「ま、世話になってる分は返しておかないとな」
軽口を叩きながらも、ジェスタの声に焦りはない。
苦笑とともに地を蹴り、銀の双剣が疾風のように舞う。
イリアスも即座に対応し、側面から支援に回った。
彼女の鋭い突きが、ミイラの膝や肩を断ち、動きを鈍らせる。
——そしてついに、三体のミイラは床に崩れ落ちた。
イリアスは肩で息をつきながら、周囲を確認する。
ジェスタの分身は、そのまま紅霧の向こう、カサンドラの元へと戻っていった。
◇
だが、同じ頃。
本体であるジェスタは、追い詰められていた。
カサンドラが、分身の数が減った隙を突き、苛烈な攻勢をかけていたのだ。
戦局のバランスが崩れたその瞬間から、ジェスタは守勢に回らざるを得なくなる。
服は裂け、身体には無数の切創が走る。
血が滲み、呼吸は荒く、双剣を握る手にも震えが走っていた。
そして——《分身》の術式は限界を迎える。
血霧に包まれた戦場に、残ったのはただ一人。
ジェスタの本体だけだった。
イリアスは、拳を握りしめたまま、その様子を遠巻きに見つめていた。
霧の中に飛び込むには、自分の力ではあまりに危険すぎる。
戦いたい気持ちを抑え、彼女は歯を食いしばり、立ち尽くしていた。
(……よく自制しているな、イリアス)
俺は、ジェスタの姿を見据える。
その顔には、いつもの笑みは消えていた。
(……来るかもしれない)
俺の中で、確信が芽生え始める。
——ジェスタが、最後の切り札を使う気でいる。
七大美徳スキル、《忍耐》。
戦いの中で受けた全てのダメージを蓄積し、それを数倍の威力で“跳ね返す”——
極限まで耐え抜く者にしか使えない、まさに逆境を覆すためのスキル。
さらに。
ジェスタには、もう一つの“絶対”がある。
固有スキル、《天理必裁斬》。
それは、一撃限りの”必中・不可避”。
どれほど硬くても、速くても、防御も回避も無意味。
その斬撃は、確実に標的を貫く。
そして今、敵は——カサンドラただ一人。
ミイラはすべて倒された。
ジェスタトドメを刺すべき相手は、目前にいる。
そろそろ、ジェスタのダメージも限界ギリギリになっている。
だが逆に言えば——この一瞬こそ、すべてをひっくり返す最後の機会。
「——《忍耐》」
低く、絞るような声が、血の霧の中に響いた。
次の瞬間。
ジェスタの双眸が、澄んだ青に染まる。
《忍耐》——発動。
◇
凄まじい魔力が、ジェスタの周囲から立ち上る。
圧を受けて空間が歪み、地面がピシリと音を立てた。
「カサンドラ。覚悟はできたか」
ジェスタの声は、静かで、冷たい。
「覚悟……? ふふ、笑わせるわ」
カサンドラが唇を歪める。
「そのスキル、錆びついていないといいけど」
「錆びついてるかどうか——見せてやるよ」
「ふん。魔王様の前から尻尾を巻いて逃げた男のくせに、生意気ね」
「……何だと」
ジェスタの目が細められ、わずかに殺気が宿る。
「ジェスタ、挑発に乗るな!」
俺が叫んだその瞬間、カサンドラの視線がこちらに向いた。
「こいつを片付けたら、次はお前よ」
その瞳には、悪意と快楽がないまぜになった色が浮かぶ。
「今度こそ、確実に殺してやるわ」
「……相手を間違えてるんじゃねぇか」
ジェスタが一歩、前へ出る。
「お前、俺を舐めすぎだぜ」
双剣が構えられる。
その刃には、ジェスタの魔力が注ぎ込まれ、蒼白い光を帯び始めた。
——あの剣が心臓を貫けば、たとえ真祖といえど、再生はできない。
紅霧の障壁さえも、この《忍耐》の魔力をまとった刃の前に打ち払われるだろう。
(……これで決まる)
ジェスタが、紅霧の中へと一瞬のうちに飛び込んだ。
血の壁が、カサンドラの前に立ちはだかる。
だが——
(……笑った?)
一瞬、カサンドラの唇が、不気味に吊り上がった気がした。
「ジェスタ、気をつけろ——!」
叫んだが、ジェスタの動きは止まらない。
双剣が、血の壁を真っ二つに斬り裂き、蒼光の刃が、標的の元へと突き進む。
カサンドラが、わずかに目を見開いた。
《天理必裁斬》
右の剣が、彼女の白い首を跳ね飛ばし、左の剣は一直線に心臓を貫通した。
「……死にやがれッ!」
怒声とともに、魔力が一気に注ぎ込まれる。
カサンドラの身体が、びくりと痙攣した。
静寂——
(……決まったのか?)
俺は息を呑んだ。
だが。
彼女の身体は、崩れない。
「……なんだ……?」
ジェスタの周囲に、再び血の霧が湧き始める。
「ジェスタ、下がれ——!」
叫ぶより早く、霧がうねり、形を変え——
無数の血の錐が、四方からジェスタの身体を貫いた。
「ジェスタッ!」
イリアスが飛び出しかける。
だがそのとき——
「イリアス……来るなっ!」
ジェスタが、振り返りざまに叫んだ。
その表情は、痛みよりも、“守る者”のそれだった。
血煙が立ちのぼり、斬り落とされたはずの首から、カサンドラの顔が再び現れる。
再生。完全な復活だった。
「これで、あとはアーヴィン……お前だけね」
俺の視線が、ジェスタの双剣に移る。
血に濡れた刃は、確かに心臓を貫いたはず——だが。
(……血霧の障壁に包んで、魔力の流れを遮断した……?)
刀身はベッタリと血で包み込まれていた。魔力を帯びた血の膜が絶縁体のようにジェスタの魔力を封じている。
確かに心臓は貫かれていた。
だが、ジェスタの魔力が十分に流れ込まなければ、
再生能力を持つ魔族にとって、”死”は確定しない。
ジェスタの脚が、ふらりと崩れる。
「……ちっ……くしょう……」
力なく地に膝をつき、静かに、その場に崩れ落ちた。
「……ジェスタ……」
イリアスが、名を呼ぶ。 だが返事はなく、血霧の向こうに、ただ静寂だけが残った。
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