第73話 不死の王たち
五体のミイラが、軋む音を響かせながら、ゆっくりとこちらへ歩みを進めてくる。
歴代の魔族の王——その名に違わぬ巨躯ばかり。いずれも常人の倍はあろう体躯を持ち、包帯の隙間からは乾いた骨と黒ずんだ肉が露出している。
一歩ごとに、石床が悲鳴を上げる。ひびが広がり、空気は重く淀んでいった。
彼らの手には、巨大な斧や剣。
錆び付きながらもなお禍々しく光り、その一撃がどれほどの破壊をもたらすか——想像に難くない。
思わず息を呑んだ、その瞬間。
イリアスが、迷いなく俺の前に躍り出た。
「……来い」
低く呟き、剣を構える。
その瞳は、迷いの欠片もなく真っ直ぐに死者の軍勢を見据えていた。
次の瞬間、五体のミイラが口を開いた。
骨の髄まで侵食するような、腐臭を帯びた瘴気が、一斉に吐き出される。
それは霧のように広がり、戦場の空気を黒く濁していった。
「きゃあははは。アーヴィンちゃんも戦わないと……死んじゃうよぉ?」
甲高い声が飛ぶ。
耳にこびりつくような甘ったるさ。テスタ・ラジーネだ。
さすがに、これはやらないといけないか——
俺は背中の痛みに歯を食いしばり、なんとか立ち上がった。
だが——
「ぐっ……!」
喉の奥から、焼け付くような熱い血を吐き出した。
肺はまだ修復しきっていない。呼吸のたびに、引き裂くような痛みが胸を引き裂く。
それでも、ここで倒れてはいられない。
倒れたら、イリアスも、ジェスタも、ユリアも……全てが終わる。
「あらぁ……ずいぶん痛々しいじゃない」
テスタの声が、どこからともなく聞こえてきた。
耳の奥にまとわりつくような、甘ったるい声音。
「でもねぇ、必死で立ち上がる可愛い子ってぇ……すっごくそそるのよぉ?
あ〜、食べちゃいたいなぁ」
舌足らずな囁きが、背筋をなぞるように這い上がる。
ゾクリと、寒気が走った。
「ソウスケ、ボクに任せて!」
イリアスが叫び、俺の前へと飛び出す。
「……イリアス、すまない。だが、今はサポートに回ってくれ」
荒く息を整えながら、俺は言った。
「でも、ボクだって戦える!」
「分かってる。だが、お前は“速い”。奴らの注意を引ける。撹乱してくれ。
隙を見て、俺が一体ずつ仕留める」
ほんの一瞬、イリアスの瞳に迷いが浮かぶ。
だが、すぐに意志が灯り、彼女は頷いた。
「……分かった」
剣を構え直し、戦う覚悟をその瞳に宿す。
俺はジェスタの方へ視線を向ける。
《分身》で分裂した影が、紅霧の中でカサンドラと激突していた。
剣閃と血霧が絡み合い、激しい攻防が続いている。
——今は、頼れない。
「行くぞ、イリアス。ここで食い止める」
もう一度、深く息を吸い込む。
肺の奥が焼けつくように痛む——だが、それでも踏み出す。
瘴気の向こうで、五体のミイラがじわじわと距離を詰めてきていた。
◇
五体のミイラの間を、イリアスが縫うように駆け抜けていく。
轟音が響くたび、振り下ろされる巨大な斧や剣が床を破壊し、石片と土埃を撒き散らした。
だが、どれも彼女を捉えられない。
イリアスの俊敏さに翻弄され、ミイラたちはわずかに動きを乱す。
そのうちの何体かが、戸惑うように進行方向を見失い——
やがて、五体の陣形がわずかに崩れ、距離を取り始めた。
チャンスだ。
俺は孤立しかけた一体に狙いを定める。
「——《空間転移》」
次の瞬間、視界が歪む。
俺の身体は一瞬でミイラの足元へと転移していた。
「はああっ!」
振り抜くは、長刀。
鈍く重い感触とともに、干からびた巨躯の足を斬り裂く。
バランスを崩したミイラが、ぐらりと傾き——
巨体が俺の頭上へと崩れ落ちてくる。
「——っ!」
瞬間、転がるように横へ逃げた。
肩をかすめる衝撃。だが致命傷ではない。
ミイラの巨体が、床を砕きながら倒れる。
その動きにつられて、周囲のミイラたちがこちらに気を引かれた。
——あと四体。
視線の端、イリアスのすぐ上で、巨体が動いた。
大斧を振りかぶったミイラが、真上から叩きつけるように刃を振り下ろす。
「イリアスッ!」
轟音。
イリアスは咄嗟に剣で受けたものの、凄まじい衝撃に耐えきれず、足元の床が陥没する。
「くっ……!」
俺は迷わず叫んだ。
「《空間転移》!」
視界が一瞬歪み、空間がねじれる。
転移した先は、大斧を握ったミイラの真横——
「はああっ!」
迷いなく、両腕を狙って斬り裂く。
刃が骨を断ち、腐肉を裂いた。
ミイラの両手がぶらりと脱落し、大斧とともに床へ落ちた。
イリアスが顔を上げる。
その目は驚きと安堵に満ちていた。
俺は無言で頷くと、すぐに次の標的へ視線を移した。
「ソウスケ、ありが——!」
イリアスの声が途中で途切れた。
その顔に浮かぶのは、驚愕と恐怖。
——!
咄嗟に振り返る。
背後から、巨大な大剣が唸りを上げて振り下ろされていた。
「くっ!」
反射的に長刀を構えたが——
凄まじい衝撃が全身を貫き、壁まで吹き飛ばされた。
「がはっ……!」
背中を石壁に叩きつけられ、視界が一瞬白く染まる。
手足が痺れ、呼吸するたびに肺が焼けるように痛む。
立ち上がれない。
「ソウスケっ!」
イリアスが叫ぶ。駆け寄ろうとする。
だが——
「……ッ!」
残ったミイラのうち三体が、ぞろりとこちらへと歩みを進めてくる。
その眼には、俺しか映っていない。
イリアスが剣を振るう。何度も、何度も。
だが乾ききった肉を裂いても、彼女の一撃では止められない。
肉が落ちようと、骨が砕けようと、ミイラは前進をやめない。
「くっ……なんで、ボクの攻撃が……!」
ミイラたちは、完全に俺を標的にしている。
イリアスの攻撃には微塵も反応しない。
——テスタ・ラジーネの操作か。
瘴気が濃くなり、戦場の空気が腐った泥のように粘ついていく。
(まずい……動けない……このままじゃ——)
目の前に立つミイラが、大斧をゆっくりと振り上げる。
巨大な刃が、殺意を込めて頭上に迫る——
——終わる。
その瞬間。
「随分、苦戦してるじゃねぇか」
地を裂くような声とともに、銀の閃光が駆け抜けた。
「っ……!」
双剣が、交差するように振り抜かれ、ミイラの大斧を弾き飛ばす。
瘴気を裂く一閃。その中心に、ひとりの男が立っていた。
「ジェスタ……!」
現れたのは、戦場の向こう側でカサンドラと戦っていたはずのジェスタの《分身》。
「さっさと片付けようぜ」
振り返りざま、彼はニヤリと笑った。
「こっちに分身を割く余裕なんてあるのか?」
「はっ。剣聖様を舐めんなよ」
自信に満ちたその一言が、戦場の空気を一変させた。
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