第71話 囚われのユリア
俺は目を閉じ、じっと魔力の気配を探った。
——ドミニクは、大広間のどこかにいる。
精神を研ぎ澄まし、この大広間の隅々にまで意識を張り巡らせる。
イリアスとジェスタは、無言のまま俺の様子を見守っていた。
——フッ。
空間がわずかに揺れ、裂け目が開く。
そこから無数の剣が一斉に飛び出した。至近距離からの奇襲——だが、迷いはない。俺は一歩踏み出し、その軌道を正確に見切って避けた。
裂け目はすぐに閉じる。
直後、背後から別の魔力の流れを感じた。
不意打ち——だが、今の俺には通じない。
鋭い剣撃が迫る中、俺は軽やかに身をかわし、振り返る。
だが、そこに裂け目はもう存在しなかった。
「だ、大丈夫……? ソウスケ」
「黙ってろ、イリアス」
遮ったのはジェスタの低い声だった。
「俺たちは部外者だ。ソウスケを信じろ。間違えねぇ。あいつはやる」
やがて、空間の一角に微細な魔力の流れを感じ取る。
まるで見えざる風が、ほんのわずかに渦を巻いたような感覚——
その気配は、俺のすぐ右手でぴたりと止まった。
——来る。
裂け目が開く。
——今だ。
「空間転移!」
俺は即座に座標を定め、裂け目の内部へと身を跳ばす。
転移先——虚空の中。
その中心に、ドミニクの姿があった。
彼は俺の出現に驚いたように目を見開き、その周囲には無数の剣が宙に浮いている。まるで、侵入者を拒むような結界だ。
「ア、アーヴィン様……!?」
その瞬間、浮遊していた剣が一斉に俺に殺到してきた。
俺は即座に再度の空間転移を発動。
次の座標は——ドミニクの至近、目の前だ。
視界が揺れ、距離がゼロになる。
ドミニクと、真正面から目が合った。
「……ドミニク、すまない」
その言葉と同時に、俺は長刀を突き出した。
刃が彼の胸を貫き、魔力が一気に流れ込む。
だが、次の瞬間。
ドミニクの手が俺の手首をガッチリと掴んだ。
——なに……?
「……あとは、任せましたぞ。アーヴィン様」
その声は、静かで、穏やかだった。
そして——微笑んでいた。あの頃と変わらぬ、あたたかな笑顔で。
「ドミニク——!」
俺の叫びが、大広間に響き渡った。
◇
空間が閉じる直前、俺はその内側から跳び出した。
「ソウスケ……」
イリアスが何か言いかけたが、その声は途切れた。
ジェスタがそっと首を横に振り、彼女の肩に手を添える。
俺は——ただ、涙を流していた。
それを止める気にもなれなかった。静かに、自然と頬を伝っていた。
「あの執事は……お前の、関係者か?」
ジェスタが低く問いかけてくる。
俺は、ゆっくりと頷いた。
「あの執事は、ドミニク・ケイン。カーティス家に仕えていた男だ。俺の——執事だった」
「……ってことは、お前……」
「そうだ。俺は貴族だ。アーヴィン・カーティス…… 辺境伯の令息にして、今はお尋ね者だ。
“ソウスケ”はもう一つの、名だ」
一瞬、沈黙が降りた。
だが俺は、逃げなかった。
すべてを、話した。
これまでのこと。
カサンドラにすべてを奪われた過去。
なぜ“ソウスケ”として生きてきたのか。
なぜ戦っているのか——そして、何を守ろうとしているのか。
二人は一言も口を挟まず、最後まで話を聞いてくれた。
「……ソウスケは、貴族だったんだ」
イリアスがぽつりとつぶやく。
だが俺は、肩をすくめて苦笑した。
「たいしたことじゃないさ。たまたま、そう生まれただけだ」
「じゃあ……、“友達”でいていいの?」
俺は、力強くうなずいた。
「もちろんさ。俺たちは——仲間だろ?」
「俺は最初から知ってたぜェ」
ジェスタがどこか誇らしげに胸を張る。
「あの長刀は、イレーナのものだろ? イレーナが辺境伯に嫁いだって噂は、俺も耳にしてた。
お前がそれを持ってる時点で、察してたさ」
俺は小さく息をつき、静かに言った。
「……イレーナは、カサンドラに殺されたと思う。証言を聞いた限りでは、な。
辺境伯一家は、みんな……カサンドラに、殺されたんだ」
本当はまだある。
——この身体の“前の主”、アーヴィン=カーティスもまた、カサンドラに殺されたのだ。
だが、それは胸の奥にしまったまま、言葉にはしなかった。
「な、なんだってぇ……?」
ジェスタが飛び上がるように叫んだ。
「ちくしょう……ぶっ殺してやる。イレーナの仇だ。
次の層にいるんだろ? カサンドラ。今すぐにでも叩き潰してやる!」
俺は黙って頷いた。
ジェスタは両手で指をバチバチと鳴らしながら、鼻息を荒くしている。
その姿を見て、俺は意を決した。
「……ジェスタ。いいか。この先は——俺だけで行きたい」
「……は? どういう意味だ、それ」
「ユリアが解放される条件が、俺一人で来ることになってる。
もしお前たちがついて来たら、ユリアがどうなるか……わからない」
「んなもん、こっちの動きなんてバレバレだろ! 今さら駆け引きなんて通じるかよ!」
ジェスタが怒りをあらわにする。
「さっさとやられる前に、ぶっ潰すしかねぇだろうが!」
「そうだよ、ボクも行きたい。ユリアは、ボクたちの仲間だよ!」
イリアスの声にも、強い決意がにじんでいた。
だが、俺は静かに言った。
「……ジェスタ」
「なんだよ」
「お前、カサンドラとは相性が悪い。……殺されるかもしれない」
それはゲームの知識だった。
ここでイベントが発生する可能性は高い。
そして、俺はもう……目の前で、仲間が死ぬのを見たくなかった。
だから、突き放すように言った。
“お前は来るべきじゃない”と。
だが——
「ふざけんなよ、この野郎」
ジェスタが怒鳴り、俺の首元をガシッと掴んだ。
「剣聖様を、舐めんじゃねぇぞ」
「……どうしても、来る気か?」
「どうしてもだ」
ジェスタは拳を握りしめ、遠い過去を見つめるように言った。
「前にも言ったろ。……俺は、勇者を見捨てたあの日から、もう死んでるようなもんだ。
だから、今さら死ぬのなんか——怖くねぇんだよ」
その目には、迷いはなかった。
俺は——黙って、ジェスタの顔を見つめた。
「分かった。行こう」
◇
俺たちは無言のまま、階段を降りていく。
その先に広がっていたのは、第三層——
暗黒の祭壇と、禍々しい破壊神ゾラス=ダインの巨像がそびえ立つ空間だった。
その背後には、かつて世界を支配した魔族の王たちの墓標が、ずらりと並んでいる。
だが——カサンドラの姿は、ない。
ただ、祭壇の上に、まるで生贄のように白衣をまとったユリアが横たえられていた。
「ユリアッ!」
イリアスが叫び、駆け出そうとする。
「待て、イリアス!」
俺は咄嗟に手を伸ばし、彼女を制した。
「ユリアが無事かどうか、まずは確認しないと……最悪の可能性もある」
——ヴァンピール化。
もし彼女も、ドミニクたちと同じく“堕ちている”のだとしたら…… その時は……
「でも……どうして、すぐに助けないの?」
イリアスの瞳が揺れる。
そのとき、ジェスタが低く口を開いた。
「お前は、まだ分かってないな、イリアス。
こういう時に、焦りは命取りになる」
そう言って、俺の方を見る。
「ユリアの確認、頼む。……ソウスケ、いや、アーヴィンか」
「どっちの名前でも構わない。気にするな」
俺は短く応じ、ユリアのもとへと慎重に歩を進めた。
彼女の顔は青白かったが、呼吸は穏やかで——生きている。
ゆっくりと近づき、首筋に視線を落とす。
……吸血痕は、ない。
俺は少しほっとした。
そのとき、ユリアが突然、息を大きく吸い込んだ。
「……ソウスケ? ここは……どこ?」
その声を聞いて、俺は胸を撫で下ろす。
「カサンドラに連れ去られたんだ。俺たちは、ユリアを助けに来た。カサンドラはどこに?」
ユリアはゆっくりと身を起こし、俺のそばに近づいてきた。
「……わからない。気がついたら、ここにいたの」
その様子は少し朦朧としていたが、正気に見えた。
俺は安心し、背後にいる二人へ向けて声をかける。
「大丈夫だ、ユリアは——」
その瞬間。
背中に、鋭い痛みが走った。
「……がっ!」
振り向くと、ユリアが虚ろな目でナイフを握り、俺の背に突き立てていた。
「ユ……リア……?」
口から血が溢れ、膝が崩れ落ちる。
ユリアは感情のない表情で、さらに刃を振り上げ——俺に振り下ろそうとしていた。
「やめろっ!」
ジェスタが飛び込み、ユリアの腹に一撃を叩き込む。
ユリアは意識を失い、その場に崩れ落ちた。
「……ユリア……」
イリアスが息を呑む。誰もが、言葉を失っていた。
「……七大罪スキル……《色欲》……カサンドラの仕業だ……」
背中の焼けつく痛みに堪えながら、俺がそう言うと、ジェスタが拳を強く握りしめた。
「くそっ。ヤツはどこだ」
その時、大広間の空気が変わった。膨大な魔力による圧力があたりを塗り替えた。
大広間に、突如として、妖艶な声が響く。
「あらあら。大勢で来たのね。やっぱり油断ならない男だわ、アーヴィン・カーティス」
姿を現したのは、黒の礼装を纏い、魔性の微笑を浮かべる女。
魔族の幹部、《色欲》の魔女——
カサンドラ・ドラクレアだった。
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