第70話 哀しみの、その先へ
「ずいぶんとボロボロじゃねぇか」
聞き慣れた声に、俺は顔を上げた。
そこには、双剣を手に持っているジェスタが立っていた。
戦場の真っ只中であるにも関わらず、まるで、ここが何かの遊び場みたいに、余裕の笑みを浮かべている。
「……余計なお世話だ」
俺は苦笑まじりに応じながら、長刀を杖代わりにして立ち上がる。
ジェスタはゆったりと肩を回しつつ、目を細めて敵陣を見据えた。
その鋭い視線が、エリザベータ、ハロルド、そしてドミニクへと順番に注がれる。
「こいつらが相手か。面倒くさそうなのが三人揃ってるな」
その後ろから、イリアスが駆けつけてきた。
緊張の色を顔に浮かべながら、剣を両手で握りしめている。
「だ、大丈夫……ソウスケ?」
「問題ない。すぐに戦える」
痛む身体を無理やり動かしながら、俺は二人に情報を伝えた。
「エリザベータは、血飛沫を媒介にした鞭を操る。間合いに入る際は注意しろ。
ハロルドは重力を操る固有スキルを持っている。しかも、あの重装備は魔力をほとんど通さない。
ドミニクは“次元書庫”を使って、空間に穴を作って身を隠したり、
そこから武器を飛ばしてくる。奇襲に警戒しろ」
ジェスタは肩をすくめて、双剣をくるくると回す。
「なるほどな。だったら……俺が全部やってやるぜ?」
相変わらずの無茶な言動に、思わず苦笑する。だが——
「いや。ここは分担する」
俺は即座に判断を下した。
「ジェスタ、エリザベータを頼む。
イリアスはハロルドと。俺はドミニクを追う」
短い指示に、二人は同時に頷く。
——反撃の狼煙が、今、上がる。
◇
ジェスタが真っ先に飛び出した。
双剣の刃が、硬質な風切り音とともに軌跡を描く。
エリザベータは口角を吊り上げ、右手の指先をジェスタに向ける。真紅の飛沫が空中で鞭へと変じ、ジェスタの胴を薙ぎ払おうと伸びた——が、次の瞬間には彼の姿がかき消えていた。
「遅ぇよ!」
一瞬で背後を取ったジェスタが双剣を振り下ろす。エリザベータは振り向きざま、鮮紅鞭を跳ね上げ、双剣を弾こうとする。
激しいぶつかり合い。ジェスタは左手に持っている剣で鞭を受け流し、右手の剣でエリザベータを切り裂こうとする。
剣が当たりそうになった瞬間、エリザベータは一気に跳躍し、両手を全てジェスタに向けて、全ての指から、鮮紅鞭を発射した。
10本の指から鞭状の血液が噴出し、生き物のようにうねって、さまざまな方向から、ジェスタを襲う。
「ちぃっ」
ジェスタは小さく舌打ちし、凄まじい勢いで両手を動かす。
双剣で次々と血鞭を弾き返し、まるで網のような攻撃を、滑るようなステップで回避していく。
そして、一瞬の隙を突くように跳び上がった。
雷鳴波
衝撃波が放たれ、エリザベータの身体を空中でとらえ、地面に叩きつけた。
「へっ。剣聖様に挑むなんて、十年早ぇんだよ」
ニヤリと笑い、ジェスタが一歩ずつ近づいていく。
その背中は余裕と殺気を両方まとっており、見ているこちらが息を飲むほどだった。
(……あれが“剣聖”の戦い方か)
唸るような気持ちで俺は長刀を握り直し、視線を別の方向へ向けた。
——イリアスは、どうしている?
視線を向けると、彼女はハロルドと激しく斬り結んでいた。
素早い動きで斬撃を繰り出し、隙を見ては踏み込む。だが、対するハロルドは重戦車のような重装備と体格をもって、それらを真正面から受け止めている。
「負けるもんか……!」
イリアスは懸命に立ち回っていた。
だが、あまりにも分が悪い。斬撃は鎧に弾かれ、逆に一撃でも受ければ即座に致命傷になりかねない。
(……大丈夫か? このまま任せて)
その瞬間だった。
「王威」
低く、重々しい声が響き、ハロルドの全身から重力が発せられた。
目に見えない力が空間を歪ませ、イリアスの動きが鈍る。地に足が貼りつき、体が沈むように膝をついた。
(まずい——!)
俺が咄嗟にイリアスの方へ駆け出そうとした、その瞬間。
——空間が、裂けた。
「行かせませんぞ、アーヴィン様」
現れたのはドミニク。
宙に開いた穴から次元の狭間を抜けて現れ、こちらの進路を塞ぐように立ちはだかる。
(くそっ……狙ってたな)
振り向きざま、俺は叫んだ。
「ジェスタ! イリアスが危ない!」
ジェスタが鋭く視線を向ける。
その刹那——。
「分身!」
イリアスが叫び、もう一人の“自分”がハロルドの側面へと現れる。
分身の奇襲が、重装の隙間に打ち込まれた。ハロルドの体勢が崩れ、スキルの効果が途切れる。
解放されたイリアスが跳ねるように後退し、再び剣を構え直す。
(……助かったな)
胸をなで下ろす間もなく、俺はドミニクに意識を戻した。
——やはり、決着をつけるしかないか。
彼と過ごした日々が、脳裏に次々とよみがえる。
丁寧に淹れてくれた紅茶の香り。
主従の垣根を越えて交わした、ささやかな談笑。
辺境伯領をカサンドラに奪われたと打ち明けた夜——
無力さに打ちひしがれる俺に、彼はただ静かに、背中を支えてくれた。
あの頃のドミニクは、心強い“味方”だった。
カサンドラを討つという同じ目標のもと、数え切れぬ困難を共に越えてきた。
この世界に来てから、たった一人——心の底から信頼できる存在だった。
……だからこそ。
——殺したくは、ない。
だが、もう俺の声は届かない。
ヴァンピールに堕ちた今の彼は、自らの意思を奪われた操り人形だ。
魂ごと蹂躙されながら、生かされている。
それは、どれほどの地獄だろう。
慣れ親しんだ辺境伯領。忠義を捧げたハロルド。敬愛していたイレーネ。
カサンドラはそのすべてを——容赦なく奪っていった。
そして今や、ドミニク自身までも……。
そのとき、かすかに——
かつて聞いた、あの声が胸の奥で響いた。
『ですから……どうか、私を倒してください。私はもう、あなたの知っているドミニクではありません』
胸を締めつけるような、その言葉が重く、深く染み込む。
俺は、ギリギリと歯を噛み締めた。
「……楽にしてやる、ドミニク。今すぐに――」
その瞬間だった。
虚空の裂け目の奥で、彼が——ドミニクが、ふっと微笑んだ気がした。
——そして、叫び声が響いた。
「ぎゃあぁぁぁぁーッ!」
振り返ると、エリザベータの胸をジェスタの双剣が貫いていた。
彼の瞳が、淡い青の光を宿している。
刀身に満ちた魔力が、エリザベータの身体に注ぎ込まれた。
彼女はびくりと震えたかと思うと、次の瞬間には——その動きを止め、ゆっくりと、灰となって崩れていった。
視線を、今度はハロルドへ向ける。
そこでも、もう一人のジェスタが戦っていた。——分身。
重装の隙間を的確に見極め、容赦のない斬撃を叩き込む。
鎧の継ぎ目を裂き、手足を切断し、再生の隙も与えず深々と刃を突き刺す。
魔力が注ぎ込まれ、ハロルドの巨躯もまた、静かに崩れ落ちた。
……残るは、あと一人。
虚空を見渡すが、ドミニクの姿は見えない。
だが、間違いなく——どこかでこちらを見ている。
「俺がやろうか?」
ジェスタが肩越しに声をかけてきた。
だが、俺は静かに首を振った。
「……俺がやらないといけない。これは、俺の責任だ。全部の、けじめをつける」
一拍置いて、言葉を継ぐ。
「それに——お前じゃ、負けないにしても“倒せない”」
ジェスタは目を細め、口元に皮肉めいた笑みを浮かべる。
「……ほう。じゃあ見せてもらおうか。あの《次元書庫》を、どう攻略するつもりか」
俺は頷き、静かに長刀を構え直す。
「——すぐに決着をつける」
地面に片足を引き、重心を落とす。
長刀を振りかぶり、殺気を研ぎ澄ます。
心はすでに定まっている。
過去への想いも、後悔も——すべて、この刃で断ち切る。
お前を——俺の手で、終わらせる。
「俺は……先に進むぞ、ドミニク」
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