第68話 ダンジョン攻略
扉は、重々しい音を立ててゆっくりと開かれた。
その瞬間——鉄と肉が混ざり合ったような、生臭い匂いが鼻を突く。腐った血肉が床に染みつき、空気には濃密な“死”の気配が充満していた。
「……これは、ひどいな」
湿った石の床。その先に広がるのは、ほのかに光が差し込む広間。
闇の奥からは、唸り声と殺気が入り混じった“気配”が伝わってくる。
数は——かなり多い。
俺は松明をそっと床に置き、長刀を抜いた。
刃が鞘を離れる音が、静寂を切り裂く。
緊張が、闇とともに肌を刺してくる。
そのとき——
「おかえりなさ〜い、ソウスケぇ♡ ……あ、違った。アーヴィンちゃん、だったかしら?」
舌足らずな、甘ったるい声が広間に響いた。
まるで恋人を出迎えるような調子で。
声の主は、最前列にいた“キメラ”の一体だった。
人間の頭部を無理やり魔物の身体に縫い付けられた異形。
笑っている——だがそれは、誰かの“顔”を使っている。
「ほんっとに来ちゃうなんて、バッカみたい♡ 一人で来るとか、どれだけ白馬の騎士気取りなのぉ? ユリアちゃん、無事だといいわねぇ?」
広間の奥、目を凝らすと——異様な姿が次々に浮かび上がる。
獣たちが蠢いていた。だが、どれも“人間の顔”を持っていた。
牛のように太く隆々とした四肢に、無理やり縫い付けられた人間の頭部。
その顔には苦痛の痕跡が残っており、生前の記憶すら滲んでいるようだった。
蜘蛛のような魔物。その背中には少女の顔が埋め込まれている。
空ろな瞳が、まるで操り人形のようにこちらを見つめていた。
オオカミ、馬、鳥……姿形はさまざまだが、すべてが人間の“頭部”を持っていた。
それは——死体の継ぎ接ぎで作られた、狂気の産物。
「……ふざけるな」
俺は怒りを押し殺すように呟き、刀を構えた。
「どれだけの人間を犠牲にした……!」
理不尽に踏みにじられた命への、純粋な憤りが胸に湧き上がる。
「あらぁ♡ せっかく、アーヴィンちゃんのために、いっぱい用意したのにぃ?」
テスタ・ラジーネの声は、どこまでも甘く、楽しげで……狂っていた。
「かわいそうって思うなら、ほら、とっとと捕まってちょうだい?
じゃないと、もっともっと犠牲者、増やしちゃうよ?」
「ふざけるな」
「……ぜーんぶ、あなたのせいだからね♡」
◇
そのあとは、ただひたすらに長刀を振るい、合成獣たちを蹂躙していった。
このフロアに、いったいどれほどの魔物がいるのか。
もはや、数を数えることすらやめていた。
斬って、斬って、斬り続ける。
床には死体の山が散乱し、血と臓物の臭気が空気を濁らせていく。
そんな中——
「あんなに人を殺されて憤っていたのに…… 何の躊躇もなく切っちゃうって、どういう心境? ……あなた、サイコパス?」
舌足らずな声が響く。だが、もう、相手にする気も起きなかった。
俺はただ、次の敵を探し、斬る。
怒りでも、憎しみでもない。そこに在るから、討つ。それだけだった。
やがて、最後の一体が沈黙する。
「あーあ。全滅しちゃった……残念。
でも、言っておくけど、第2層には行かない方がいいわよ?」
無視して、俺は黙々と階段を探す。
まともに相手をするつもりはない。
「きっと、心が壊れちゃうわね。ぜーんぶ、アーヴィンちゃんが悪いのよ?
……私たちに逆らうから」
挑発も、哀れな呪詛にしか聞こえなかった。
◇
さらに階を下り、地下第二層へと足を踏み入れる。
ここでは、もはや松明すら不要だった。
壁に等間隔で並ぶ魔燈が、淡く冷たい光を放ち、空間全体を静かに照らしている。
腐臭に満ちていた先ほどの層とは打って変わり、この階層を支配するのは——異様な“静寂”。
音がない。風すらも、止まっている。
空気が、息をひそめるように張り詰めていた。
石造りの回廊を進むたび、靴音だけが乾いたように反響する。
まるでこの空間そのものが、侵入者の気配を吸い込み、押し殺しているかのように。
やがて——
大広間へと通じる重厚な石の扉が、目の前に姿を現した。
俺は躊躇なく手をかける。
ゴウン……と鈍い音を響かせ、扉が軋みを上げて開かれた。
そして——
“それ”は、そこにいた。
「アーヴィン様……お久しゅうございます」
静かに響いたその声は、どこまでも丁寧で、どこまでも異質だった。
荘厳なホールの中央。
仄かに揺れる燭台の光の下に、三つの影が並び立つ。
一体は、鋼鉄の鎧に身を包んだ壮健な騎士。
一体は、黒衣のローブを纏った痩身の女。
そして——漆黒の燕尾服に白手袋をつけた、老執事の姿。
息を呑む。
「……ドミニク?」
ハロルド、エリザベータ、そしてドミニク。
見慣れたはずの顔が、そこにある。だが、その瞳には、もう何の感情も灯っていなかった。
「きゃあはは♡ どう? 傑作でしょ? エリザベータとハロルドはね、たっくさんの死体から丁寧に組み合わせたの。再現性バッチリ! 見た目も、能力も♡」
テスタ・ラジーネの甘ったるい声が響く。だがもう、俺の耳には届かない。
エリザベータも、ハロルドも、確かに強敵だ。だが、それは所詮つくられた偽物。問題は、そこじゃない。
目の前にいるのは、あの忠義の執事——ドミニクだった。
彼が……どうなってしまったのか。そればかりが胸を締めつける。
以前と寸分違わぬ姿。背筋を伸ばし、丁寧に佇むその姿に、かすかな微笑すら浮かんでいた。
だが、どうしても拭えない違和感が、胸を冷たく締め付ける。
「ドミニク……お前……」
問いかけると、彼は静かに、首元の襟を下げた。
そこにあったのは、鋭く抉られた“痕”。
牙の跡だ。
はっきりと刻まれた、吸血の証——ヴァンピールへの変異を示す烙印だった。
ぞわりと背筋が粟立ち、心が軋みをあげる。
「私はもう、あなたの僕ではありません。エルザ様……いえ、カサンドラ様に忠誠を誓わされました」
その声は、あまりにも静かで、あまりにも残酷だった。
過去の忠誠も、誇りも、信頼も——すべてが踏みにじられたのだ。
俺の中で、なにかが崩れ落ちる音がした。
「……すまない」
焼けつく喉から、かろうじて絞り出す。
謝らずにはいられなかった。
全て——俺の、ミスだ。
「もう私は、カサンドラ様の命令でしか動けません。ですから……どうか、私を倒してください。私はもう、あなたの知っているドミニクではありません」
その言葉とともに、ドミニクの瞳がぐるりと回り、白目を剥いた。
理性が消え、感情が抜け落ち、命令だけをなぞる獣と化す。
「アーヴィン……あなたはここで死ぬのです。最後まで、私には届かなかったことを悔いて。
ここは、あなたの墓場です」
カサンドラの声が高らかに響く。
俺の中で、静かに、だが確実に——
怒りが、沸き上がる。
胸の奥底でくすぶっていた火が、燃え広がる。
それは、ただの怒りじゃない。
踏みにじられた絆への慟哭。
人を弄び、魂を奪い、忠誠を裏切らせた者への——
赦さぬという決意。
「……カサンドラ」
その名を、噛み殺すように呟く。
「必ず倒す。
絶対にな。
お前の喉元に——この刃を突き立ててやる」
怒りを押し込み、俺はゆっくりとイレーナの長刀を構えた。
その刃が、怒りを映すように、微かに震える。
——静かに。
——だが、確実に。
戦いの幕が、切って落とされた。
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