第67話 災禍の神域
王宮の一室。
薄明かりが差し込む窓辺で、イリアス・バッシュはゆっくりとまぶたを開けた。
「……ん」
耳に飛び込んできたのは、隣で豪快にいびきをかくジェスタの寝息だった。
窓の外は、もう朝焼けに染まり始めている。
夜は明けた——それなのに、何一つ解決していない。
(ディルクさんは……倒れたまま。ユリアさんは、まだ戻ってこない)
胸がぎゅっと締めつけられる。
これほどまでに世話になったクラネルト家が、無残に引き裂かれていく。
彼女にとって、それはまるで自分の家族が壊れていくような痛みだった。
(ボク、何もできなかった……!)
ぎゅっと拳を握る。
爪が手のひらに食い込む痛みすら、今は悔しさの証のように感じた。
「……ユリアさんは、どこにいるんだろう」
ぽつりと漏らした言葉が、静まり返った部屋に吸い込まれていく。
イリアスはじっとしていられず、部屋の中をうろうろと歩き始めた。
そのとき、ふと思い出す。
(そういえば……)
倒れたディルクを見下ろすソウスケの、あの目——
何かに気づいたような、確信めいた眼差しだった。
(ソウスケは……何か、気づいたような顔をしてた)
直感が告げていた。
ソウスケは、なにかを“知っている”。
その瞬間、イリアスは迷わなかった。
ベッドで眠るジェスタを一瞥し、そのまま部屋を飛び出していた。
——ユリアを見つけるために。
——そして、ソウスケが気づいた“何か”を知るために。
彼女の足は、すでに王都のとある宿屋を目指して走り出していた。
◇
王都の西、およそ十キロ。
“災禍の神域”──かつて魔族が支配していた忌まわしき地に、俺は一人、足を踏み入れた。
ここは本来、立ち入りが厳しく禁じられた区域だ。
高い塀にぐるりと囲まれ、内部の様子は外からは窺えない。
だが、長く続く平和のせいか、物々しい外観に反して警備は手薄だった。
兵士がときおり周回するだけで、緊張感はほとんどない。
「……王都が築かれる前は、この辺りまで魔族の勢力圏だったのか」
周囲の気配を慎重に探ったのち、俺は壁の一部を転移させて穴を開け、潜り込んでから、再び元に戻す。
塀の内側は、まるで別世界だった。
風に乗って、草木のざわめきが耳に届く。
崩れかけた石の柱。ひび割れた大理石の階段。 苔むした石畳。
かつて邪神を祀った神殿跡地は、今や時間に取り残された墓標のように、沈黙を湛えている。
一見、ただの瓦礫と、朽ちた祠の残骸が広がるだけの、忘れられた場所。
だが——
(ここだ。たしか、あのときも……)
俺は石段を上がり、広場の中央へと足を進める。
そこは、かつて祭壇が設けられていた場所。邪神への祈りが捧げられていた神域の核心だ。
過去にやったゲームの記憶を辿るように、俺は祭壇跡の中央に立ち、静かに右手を掲げる。
「……」
魔力を右手にこめた。
風が止み、空気がわずかに震えた。
足元の石に刻まれた紋様が淡く輝き、静寂を破るように光が走る。
そして──
地下へと続く封じられた入口が、ゆっくりとその口を開いた。
(間違いない。ゲームと同じだ)
だが、今回は“遊び”じゃない。
この先に、ユリアがいる。
そして——カサンドラが待っている。
俺は、わずかのためらいもなく、光差す階段を踏みしめた。
闇の深奥へ、静かに、そして確かに。
◇
「ジェスタ、起きてよ、ジェスタ!」
イリアスがジェスタの腹の上で跳ね回る。その振動と甲高い声に、ジェスタは呻きながら目を開けた。
「……なんだってんだ、イリアス……朝からうるせぇぞ……」
「大変だよ! ほんとに大変なの! これ、見て!」
イリアスは一通の手紙をジェスタの顔に押し付けた。
それはソウスケ宛に書かれた、カサンドラからの手紙だった。
ジェスタは寝ぼけ眼のまま手紙を掴み取り、目を走らせる。
そして次の瞬間、まるで雷に打たれたように飛び起きた。
「……災禍の神域、だと!? あそこにユリアがいるってのか……!」
「ねぇ、“災禍の神域”って、何?」
「魔族の聖地だよ。……今はもうガラクタしか残っちゃいねぇ場所だが、まさかダンジョンがあったなんて話、聞いたことねぇ……!」
「どこにあるの、その“災禍のなんとか”って」
「西だ。王都から十キロってとこだ……くそっ、こんなとこに行きやがって……。この手紙、どこにあった?」
「ソウスケの宿の部屋。朝、様子を見に行ったら、彼もう出発してて……手紙がベッドの上に置いてあったの」
ジェスタは眉間に深い皺を刻んだ。
「なんてこった……。一人で行きやがったのか、あいつ。あれだけ“何でも一人で抱えるな”って、言ってきたのによ……!」
「でも……手紙には、“一人で来い”って、書いてあるよ?」
「そんなもん、奴らの罠に決まってんだよ! わざわざ名指しで呼び出すなんて……殺る気満々じゃねぇか!」
拳を握りしめるジェスタ。その目に、怒りと焦りが混じっていた。
「ソウスケを死なせるわけにはいかねぇ……! 今度こそ、俺が……剣聖の意地にかけて、絶対に助ける!」
「ボクも行くよ、ジェスタ!」
「お前はダメだ。子供が危ない橋を渡っちゃ——」
「だったら、ジェスタだって同じだよ! 一人で突っ走るの、やめようよ。……ボクたち、仲間なんだから!」
イリアスはまっすぐにジェスタを見つめた。
その目に、恐れも迷いもなかった。
「ソウスケだって、ユリアだって……みんな“ジェスタの仲間”だよ。ボクだって、その一人だ。仲間を助けたい。そのためなら、ボクは何だってやってみせる」
ジェスタは言葉を失い、しばしイリアスを見つめ返す。
やがて、肩をすくめてため息をついた。
「……ちくしょう、お前には勝てねぇな。ついて来い、イリアス」
「やった!」
「でもな、イリアス。戦場に行ったら、もう子ども扱いはできねぇ。その覚悟、最後まで持てるか?」
「うん、分かってるよ。ボクたちは、絶対に負けない。……ソウスケも、ユリアも、絶対に助け出すんだ!」
◇
薄暗い通路の先から、かすかな風が吹き抜けてくる。
どこかで空気が流れている……ダンジョン内部は、まだ“生きて”いる。
石造りの壁に、松明の炎がゆらりと影を落とす。湿気を帯びた石の匂いが鼻を刺し、足音すらも重く響いた。
このダンジョンは、全3層。最下層には、魔族の神ゾラス=ダインの神像と祭壇、そして歴代魔族の王の墓所がある。
ゲーム本編では、カサンドラとの最終決戦の舞台として用意された場所だ。
ヴァンピール3体を前座として倒し、その後にカサンドラとの死闘が始まる——
本来なら、勇者パーティ全員が揃い、共に挑むクライマックスイベントの一つだった。
だが、今ここにいるのは、俺一人。
七大美徳スキルを持つ人間は、ここにはいない。
圧倒的に不利な条件。
……ただし、ゲームと違う点もある。
前座であるヴァンピール二体は、すでに倒している。
問題はここからだ。
ゲームの進行と現実の状況が、何もかも異なりすぎている。
もはや、ゲーム知識はあまり役に立たない。
——いや、カサンドラの能力を知っているだけでも、まだマシか。
俺は左手にはめたイレーナの指輪に視線を落とした。
これだけが、今の俺に残された切り札。
カサンドラはヴァンパイアの真祖。他の魔族幹部とは違い、“不死”の存在だ。
完全に滅ぼすには、聖なる魔力を直接、心臓に流し込むしかない。
イレーナが指輪に託した聖なる魔力を、長刀へと流し込み——
その刃で心臓を貫く。
……勝ち筋は、それしかない。
(ジェスタを呼んだ方がよかったか……)
ジェスタは七大美徳スキル“忍耐”の持ち主。
彼の攻撃には、聖なる魔力が宿っている。
彼が一撃でカサンドラの心臓を突けば、指輪など使わずとも勝てたかもしれない。
だが、手紙には「一人で来い」とあった。
命令に従わなければ、ユリアの命はない——そう匂わせる内容だった。
もちろん、敵の言葉を信じたところで保証などない。
だが、もしこちらが勝手な動きをして、ユリアの命が絶たれたとしたら……
その時、自分を許せる自信はない。
それに、ジェスタは……
もしかすると、カサンドラと戦えば、殺されてしまうかもしれない。
——ゲーム序盤のイベントで、彼は命を落とす。
主人公イリアスはその死を知り、“師の仇”としてカサンドラに立ち向かう決意をする重要なイベントだ。
だが、そんな展開は——正直、見たくない。
俺は、できるだけ全員が生き残るようにゲームを進める主義だからだ。
静かに息を吐き、階段を下りきる。
——第一層。
目の前に、重厚な扉がそびえていた。
何が待ち構えているのかは、もう分からない。
「……来い」
覚悟を込めて、扉を押し開いた。
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