第63話 王女の帰還
村の夏祭り——それは、夏の終わりに行われる、村人たちのささやかな祝祭だった。
収穫の時期を前にして、神に祈りを捧げ、無事を願う。
村の者たちが一年でいちばん楽しみにしている、短くも賑やかな夜。
広場へと続く道には、ぽつぽつと赤い提灯が灯されていた。
その柔らかな光が、夕暮れの空気の中に浮かんでいる。
行き交う子どもたちの声が、夜の帳に跳ねるように響いていた。
その喧騒に耳を傾けながら歩いていると、ふと、胸の奥に懐かしい感覚がよみがえった。
……そういえば、昔にも、こんな夜があった気がする。
そこはかとなく、元の世界の夏祭りを思い出していた。
隣には、ミスティアが歩いている。
普段の作業着ではなく、村の娘たちが特別な日に着る晴れ着姿。
もちろん、王女がまとうような豪奢な衣装ではない。
けれどそれでも、彼女の魅力を、驚くほど自然に引き立てていた。
「ねぇ、ソウスケ。楽しみだね」
ミスティアが、にこりと笑う。
「ああ。ティアは……とても楽しそうだな」
「もちろん」
その声には、飾らない喜びがにじんでいた。
村の広場には、あちこちに手作りの屋台が立ち並んでいた。
揚げ菓子や果実酒、焼き魚に甘い団子。素朴な香りが風に乗って漂ってくる。
広場の中央では、民族楽器のようなものが打ち鳴らされ、笛と太鼓、手拍子が響く。
村人たちは手を取り合い、輪になって踊っていた。
「ねぇ、一緒に踊ろうよ」
「……踊り方なんて、知らないんだが」
「いいからっ!」
ミスティアは勢いよく俺の手を取ると、そのまま輪の中へと引き込んだ。
俺はよく分からないまま、周囲の動きに合わせて身体を揺らした。
——ただ、それだけのことなのに。
彼女の笑顔を見ていると、不思議と胸が温かくなっていく。
「ねぇ、ソウスケ」
「ん、なんだ」
「私、この村の人たちが大好き。ずっとここに住んでいたいくらい」
「……そうだな。ずっと居られると、いいな」
「ソウスケは、庶民の出なんでしょ?」
その言葉に、ほんの少しだけ胸が痛んだ。
「王女じゃない、ただのミスティアになって、一生懸命働いて、それから、普通の人と結婚して、子どもを産んで、おばあちゃんになって……
特別じゃない、ただの“誰か”になりたいの」
俺は、何か声をかけようとしたが、言葉が浮かばなかった。
いつの間にかミスティアは踊るのをやめていて、まっすぐ俺の方を見つめていた。
「ソウスケって、いつも……遠くの方を見てる感じがする」
「え、そうなのか?」
「うん。なんていうか……ずっと遠くの理想を追いかけてるみたい。でもね、できれば、もっと身近な人のことも見てほしい。だって、寂しいから……」
「……そんなつもりは、ないんだがな」
その時、広場の一角で、村人が大きな声を上げた。
「人形劇が始まるぞー!」
子どもたちが歓声を上げ、一斉に即席の舞台へと駆けていく。
ミスティアも笑顔で俺の手を取り、そちらへと引っ張っていった。
やがて騒ぎがおさまると、村人たちが手製の人形を操り、劇が始まった。
演目は——魔王を倒すため、勇者パーティが集い、戦いへと赴く物語。
舞台には、勇者レオン・ガードナーをはじめ、
剣聖ジェスタ・ハイベルグ、大聖女ノエル・メルクロフ、
そして、光の剣姫イレーナ・カーティスの人形が並ぶ。
「ほら、ジェスタも出てるよ」
ミスティアが小声で囁いてくる。
「……本当は、あんなに格好良くないけどな」
「そうかしら? 聖騎士を率いてた時は、結構サマになってたと思うけど」
「……男を見る目がないな」
そう言いながらも、どこか微笑ましくて、俺たちは並んで人形劇を見守った。
クライマックスは、勇者と魔王との一騎討ち。
激戦の末、相打ちとなり——勇者は、命を落とす。
舞台の上で、残された仲間たちがその死を悼む場面。
そこに漂う静けさと余韻に、観客の誰もが息を呑んでいた。
驚いたことに、村の人々の中には、そっと涙を拭っている者もいた。
——もう、十年も前の出来事なのに。
そんな様子を見ていた俺の隣に、いつの間にか村長が立っていた。
「ミスティア様、ソウスケ様。我々は毎年、感謝の気持ちを忘れないのです。
勇者様の死が、この村を救ってくださった。そして、あの方々の戦いがあったからこそ、今の私たちがあると信じております」
「……そうですか」
ミスティアが、そっとうなずいた。
◇
祭りの輪を離れ、俺とミスティアは少し離れた場所から、燃え上がる篝火を眺めていた。
ミスティアは、黙ったまま動かない。
その真剣な横顔を見つめながら、俺は彼女が何を考えているのか読み取れずにいた。
「……ソウスケは、未来が見えるの?」
ぽつりと、彼女が尋ねた。
「未来は……見えないよ」
「でも、前に言ってた。私が固有スキルを得たら、最前線で戦えるようになるって」
「ああ、そうだな」
「……私、イレーナ様みたいに戦えるかな?」
その問いに、俺は静かにうなずく。
「ティアの固有スキルは《魔剣操作》だ」
「……魔剣操作?」
「剣に魔力を流し込み、さまざまな効果を付与して攻撃できるスキルだ。これを使ってみろ」
そう言って、俺はイレーナの長刀を彼女に手渡した。
ミスティアが剣を構えた瞬間——彼女の魔力が伝わり、刀身に光が宿る。
「これは……」
「炎をイメージしてみろ」
「あっ——」
その一言で、刀身がゆらりと赤熱し、まるで炎を纏ったように燃え始めた。
「その剣は特別製で、魔力の伝導効率が高い。
だから、そういった武器を使えば、ティアは自在に魔力を込めた攻撃ができる」
ミスティアは目を見開いたまま、しばらくその炎の剣を見つめていた。
「……どうして、そんなことまで知ってるの?」
「——これから六年後、魔王が復活する」
「……うそ……」
震える声が、炎の音にかき消されそうになった。
「そのとき、勇者パーティが再結成される。
ティアは、その一員として戦うことになるはずだ」
しばらく沈黙が落ちる。
「じゃあ……ソウスケは?」
「俺は、勇者パーティには入れない。でも——その戦いを支えることはできる。
だから俺は、その準備をしておかなくちゃならない」
ミスティアは、燃える剣を見つめたまま、何かを飲み込むように息をついた。
そして——決意を宿した目で、こちらを見た。
「ソウスケ……」
「……どうした?」
「私、王都に帰るわ」
◇
翌朝。俺たちは王都へ向けて旅立つことになった。
村長とその妻、そして友達になったマイヤとユーリア。
皆と、抱き合って泣きながらの別れになった。
粗末ではあるが、特別に馬車を用意してもらい、俺たちは何度も礼を言って村を後にした。
道中、ミスティアは一言も喋らなかった。
俺も口を開かなかった。
ただ、馬車の軋む音だけが、静かな森の中に響いていた。
王都に着いたのは、夜もすっかり更けた頃だった。
馬車から降りたミスティアが、ふとこちらを振り返る。
「……最後に、わがまま言ってもいいかしら?」
「いいよ」
「空から、王都を見たいの」
「わかった」
俺は彼女を抱き上げ、空間飛翔を発動した。
ゆるやかに夜空を昇っていく。
眼下には、灯のともった家々が、点々と浮かんでいた。
夜の風はひんやりと冷たく、ミスティアは俺にぎゅっとしがみついた。
「……あの明かり、一つ一つに、人が暮らしているのね」
「ああ、そうだな」
「村の人たちみたいに……家族がいて、それぞれに幸せがある。
あの灯りが、ずっと消えなければいいのに」
ミスティアの瞳は、まっすぐ夜景を見つめていた。
「でも、魔王が現れたら……それがめちゃくちゃになる。一番に狙われるのは、魔族との境界に近い人たち。あの大好きな村の人たちも、きっと巻き込まれる」
彼女の言葉には、強い意志が宿っていた。
「だから……私は戦う。勇者パーティに入って、守りたい。誰も失いたくない」
その横顔に、ためらいはなかった。
「それだけじゃない。私は許せないの。
魔族と手を結んでまで王位を奪おうとするゼファル兄様を。
その野望が、魔王復活の引き金になるかもしれないなんて——」
彼女は、ぎゅっと拳を握りしめた。
「王位は渡せない。危険を承知で暴走する人に、この国を任せるわけにはいかない」
俺は、黙って彼女を見つめていた。
やがて、王宮が近づいてくる。
彼女の私室のバルコニーが見えたところで、そっと着地した。
「ここでいいわ」
ミスティアが小さくうなずく。
「ありがとう、ソウスケ。……もう大丈夫。覚悟は決めたから」
「何かあったら、助けに行くよ。必ず」
「……うん。ありがとう」
そのとき、ミスティアはふと俺を見上げた。
「ねえ……最後に、甘えてもいい?」
「……ああ」
彼女はそっと頭をこちらに向けた。
俺は静かに手を伸ばし、その髪を優しく撫でる。
ミスティアは、子どものように目を細めて——それから、微笑んだ。
「さよなら、ソウスケ。……ありがとう」
彼女はもう、涙を流さなかった。
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