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目覚めたら即バッドエンド!? 悪役令息に憑依したら、すでに死んでいた。  作者: おしどり将軍


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第62話 癒しのひととき

泣きじゃくるミスティアの頭に、そっと手を添える。


 細くて、柔らかなその髪を、ゆっくりと撫でた。


「……俺には、お前に“王になれ”なんて、言えない」


 その言葉を、ためらわずに口にする。


 たしかに——ミスティアが王にならなければ、ゼファルが王座に就く可能性は高い。

 その先にあるのは、俺が知る“バッドエンド”と、同じ未来かもしれない。


 ……けれど。


 それでも、俺は彼女を、運命の檻に無理やり押し込むことなんて、できなかった。


「嫌なら、逃げてもいい」


 それが、今の俺にできる唯一の答えだった。


 もし、この選択で物語が“バッドエンド”に向かうのなら——

 その時は、その時で抗えばいい。俺には、そのための知識がある。


「……逃げても、いいの?」


 ミスティアが涙に濡れた瞳で、俺を見上げる。

 俺は、はっきりとうなずいた。


「後のことは、なんとかする。だから……もう、一人で全部背負うな」


 ミスティアの頬に、ふっと安堵の笑みが浮かんだ。


 その表情を見届けてから、俺は村長に掛け合った。

 ミスティアを、この村でしばらく匿ってもらえないか、と。


 特別扱いは不要。ただの一人の村人として、できる仕事を任せてやってほしい。

 そう伝えると、村長は戸惑いながらも黙って考え込んだ。


 だが、その隣にいた村長の妻が、俺の言葉を聞き、にっこりと微笑んだ。


「うちの娘みたいなもんだと思えば、放っておけないさね。任せときな」


 その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 

 俺は、深く頭を下げた。



 ミスティアは、村長の家に身を寄せることになった。

 

 俺は、村の外れにある空き家を借り受けることにした。


 そして——


 ディルク・クラネルト伯爵宛てに、手紙を書く。


 内容はこうだ。


 〈ミスティア殿下は心身ともに衰弱しており、すぐに王都へ戻すことはできない。現在、安全な場所で療養中だ。

 回復次第、責任をもって王都へ送り届けるつもりだが、それまではこちらに任せてほしい〉


 筆を止め、ひとつ息をついた。

 嘘は書いていない。だが、すべてを正確に伝えているわけでもない。


 今のミスティアに、「王女として戻る」という選択は、あまりに酷だった。

 あの夜、彼女が流した涙は、もう限界だったことを何よりも雄弁に物語っていた。


 けれど、いつかまた——


 彼女自身の意志で立ち上がる日が来ると信じたい。そのためにも、今はただ、静かな時間が必要だった。


 そしてディルクなら、きっと俺の意図を汲み取り、うまく差配してくれるだろうという期待もあった。


 書き終えた手紙を丁寧に封じ、村人の一人に託す。王都への使者として、すぐに発たせた。


 ——これで、少しは時間が稼げればいいのだが


 とはいえ、猶予は長くない。時間をかけすぎれば、必ず捜索隊が差し向けられるだろう。

 

 だからこそ、そのわずかな猶予を、彼女の心を癒やすための時間に充てたいと願った。


 封をした手紙の感触が、まだ指先に残っている。

 

 その余韻を胸に抱えながら、俺はミスティアに会いに行った。

 


 扉をノックする前に、ギィ……と音を立てて、扉が開いた。


 出てきたのは、ミスティアだった。


 ——その姿に、思わず目を見張る。


 地味な色合いのワンピースに身を包み、かつて背中まであった金髪は、潔く短く切り揃えられていた。

 王女としての気品はそのままに、今は村の少女のような、素朴で柔らかな佇まいに変わっていた。


「びっくりした?」

 ミスティアが、少し照れたように笑う。


「ああ……正直、驚いたよ」


 両手に抱えた桶が、きらりと朝の光を反射した。


「一緒に、水汲みに行かない?」


 俺は黙って頷き、彼女の隣に立った。


 二人で連れ立って、村の裏手にある川へ向かう。

 朝露が残る草の匂いと、木々のざわめきが、どこか懐かしい安らぎをもたらしてくれる。


 ミスティアは、弾むような足取りで前を歩いていく。

 さっきまでの涙が嘘のように、軽やかで、楽しげだった。


 ふいに立ち止まり、くるりとこちらを振り返る。


「ねぇ聞いて。もう色んなお仕事をしてるの。料理のお手伝いもしたし、畑にも入ったのよ。こーんな大きなバッタも見つけちゃって、びっくりしちゃった」


 両手をいっぱいに広げて身振りを加えながら、屈託のない笑顔を浮かべる。

 その笑顔は、まるで陽の光みたいだった。


 俺は、ふと目を細める。


「……大変じゃないのか?」


「ううん、だいぶ慣れてきたよ。最初はちょっと戸惑ったけど……でも、今はすごく楽しいの。今まで、誰かに“やってもらう”ばかりだったから、自分でやるって新鮮だし……嬉しい」


 その瞳は、まっすぐに俺を見つめていた。

 そこにあるのは、誇らしさと、ほんの少しの照れ。それでも揺るぎない、自分の足で立とうとする意志だった。



 それから三日が経った。


 夏は、もう終わりかけている。


 ディルクからの返信も届いた。


 聖騎士たちは、ジェスタ、ユリア、イリアスと共に無事に帰還したらしい。

 巡礼の一件は、すでに王都で大きな騒ぎとなっていた。

 そして、いまだ行方知れずの王女——ミスティアの存在も。


 現在、巡礼地を中心に大規模な捜索が始まっているという。

 だが、その捜索は難航を極めていた。


 テスタ・ラジーネが作り出した“悪夢の森”は、想像以上に広範囲に及んでいた。

 

 王女がその森で犠牲になっていないかを確認しなくてはいけない——そのために、捜索は遅れと混乱を孕みながら進められていた。


 ……だが、それもいずれ終わる。


 やがて探索は一巡し、捜索の手は外縁部へと広がっていく。

 そうなれば、この村にも、間違いなく調査の目が向けられるだろう。


 ——もう、時間は残されていない。


 ティアは、日に日に元気を取り戻している。


 すっかり村人たちとも打ち解け、朝は畑仕事、昼は川で洗濯、夜には囲炉裏の前で子どもたちに昔話を語っていた。


 ……あの王女が、だ。


 まるで最初から、ここに暮らしてきたかのような自然さで、村の中に溶け込んでいた。

 その姿は、どこまでも穏やかで、どこまでも——眩しかった。


 けれど、その穏やかな日々が終わりを告げる時も、遠くはない。


 俺は、悩んでいた。


 ティアをこのまま連れ出し、捜索の手を逃れて旅に出るか。

 それとも、彼女を王都へと送り返すべきか。


 ……どちらも、安易には選べなかった。


 考えがまとまらないまま、俺は村長の家へと足を向けた。


「ソウスケー。こっちこっち!」


 明るい声に顔を上げると、ミスティアが手を振っていた。

 その隣には、村娘が二人。俺の姿を見ると、照れくさそうにミスティアの影に隠れる。


 ミスティアは満面の笑みを浮かべながら、彼女たちの背を軽く押した。


「ソウスケと話がしたいって言うから、呼んだのに。ほら、怖くないから。ね、マイヤ、ユーリア。勇気出して、ほら」


 もじもじとしながら、二人の少女が前に出る。


「あ、あの……ソウスケ様。今晩、村のお祭りがあるんですけど……」


「とっても楽しいんですよ! よろしかったら……一緒に行きませんかっ」


 護衛役という名目で村に滞在しているせいか、村人たちはいまだに俺に遠慮している節があった。

 それでも、この子たちは勇気を出して誘いに来たのだろう。


「分かった。夜になったら広場に行けばいいんだな」


「やったー!」


 マイヤとユーリアは顔を見合わせ、手を取り合って駆けていった。


 その背中を、ミスティアは目を細めて見送る。


「随分、馴染んだみたいだな」


 本来なら彼女の方がずっと高貴な身分のはずだが、今はすっかり“友達”の輪の中にいた。


「ふふふ、可愛いでしょう? どっちか紹介してあげようか?」


 ミスティアは、少し上目遣いでこちらの様子をうかがう。


「いや、結構だ。でも、祭りには付き合うよ。一応、護衛だからな」


「そう。どうもありがとうございます」


「どういたしまして」


 くすっと笑ったミスティアは、踵を返して去っていった。


 ……どうにかして、この村に居させてやる方法はないのか。


 何度考えても、答えは出なかった。


 王都に戻りたくないのなら、逃亡の道しかない。

 だが、それではせっかく馴染んできたこの生活を、また壊すことになる。


 戻るにしろ、逃げるにしろ——

 彼女にとっては、どちらも苦しい道だ。


 ふと、頬を風が撫でていった。

 夏とは違う、少し冷たく、澄んだ風。


 季節は、静かに——けれど、確かに移ろっていた。


 この、かけがえのない時間さえ。

 永遠ではないのだと、風は静かに告げていた。

お読みいただいてありがとうございます。


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