第60話 怠惰の魔女 テスタ・ラジーネ
「……ミスティアを、どこに連れて行った?」
俺の声は、怒気を押し殺した低さだった。
だが相手は、まるでそれを楽しむかのように笑う。
「ふふっ、そんな怖い顔しちゃって。夜はまだまだ、これからよ? 焦っちゃダ〜メ♡」
甘ったるい声が、死人の口から漏れ出す。
俺は即座に、長刀を抜いた。
鞘走る音が、静寂を断ち切る。
と、その瞬間。
背後で“倒れていたはずの”衛兵が、ギギ……と軋む音と共に立ち上がった。
死体が動き始めた。
テスタ・ラジーネの固有能力、死体操作か。
この城は、すでにテスタ・ラジーネの“支配領域”だ。
城の人間はもしかしたら全員殺されて、操作されているのかもしれない。
(まずい……)
今、最優先すべきは——ミスティアの無事の確認だ。
……これは、完全に俺のミスだ。
皆が寝静まるのを待ち、動きだすタイミングを遅らせた自分の判断を、俺は心の底から悔いた。
「ねぇ、ソウスケくん……ちょっと、遊びましょ?」
“ロアゼン”が、突然喋り出した。
俺は無言で長刀を構える。
だが、“ロアゼン”は楽しげに両手を打ち鳴らす。
「そうだ、かくれんぼしようよ。ミスティアちゃんを見つけたら——あなたに返してあげる♡」
「ふざけるな……!」
「見つけられなかったら、どうなるか……ふふっ、楽しみにしててねぇ」
俺は即座に動き出す。
ミスティアを——必ず見つけ出す。それがどんな手段を使ってでも。
だが——
館の至る所に、血の匂いが充満していた。
倒れたまま動かない侍女。
壁にもたれたまま事切れた騎士。
赤黒い血が絨毯に滲み、じわじわと染み広がっていく。
(……全員、殺されたのか)
だが、それだけでは終わらなかった。
死体たちが、ギギ……と音を立てて立ち上がる。
首がありえない角度に曲がった騎士が、剣を引きずりながらこちらに向かってくる。
「——来い」
俺は長刀を抜き、斬り伏せる。
一体を倒せば、次の一体。
廊下の角から、血まみれのメイドが無言で飛びかかってくる。
舌のない口がぱくぱくと動き、肉がこすれるような呻き声を漏らしていた。
(このままじゃ、埒が明かない……!)
俺は”空間転移”も駆使しながら、屋敷中を奔走する。
応接室、厨房、寝室、貴族の私室——
一つ一つの扉を開け、ミスティアの姿を求めて駆ける。
……だが、いない。
まるでこの屋敷ごと、悪夢に呑み込まれたようだ。
そして——
静かすぎる空間に辿り着いた。
かつて礼拝堂だったらしい、円形の聖室。
人族の守護神イル=ファルマの像が、淡い月明かりの中に佇んでいる。
そしてその台座に——
「……ティア……?」
声が漏れた。
ミスティア・ハーヴェス。
彼女は、神像の前に磔にされていた。
両手と両足を、太い鉄釘で穿たれ、
まるで“聖なる生贄”のように、台座に打ちつけられていた。
白い礼服は血に染まり、赤黒く濡れている。
気を失った彼女の首は、力なく垂れ下がっていた。
「ティア——!」
俺は駆け寄ろうとする。
だが、そのとき——
神像の陰から、何者かが現れた。
「おめでとう♡ 大当たり〜〜〜♪」
甘ったるい声と共に現れたのは、褐色の肌のエルフの少女
—— テスタ・ラジーネだった。
◇
テスタ・ラジーネ——ダークエルフの女。
見た目は幼くとも、年齢は千年を超える異端の研究者。
かつてはエルフの村に住んでいたが、同族を実験体として弄んだことで追放された。
今では、魔族幹部としておぞましい研究に手を染めている。
固有スキルは〈死体操作〉。
そして、彼女は——7大罪スキル“怠惰”の継承者でもあった。
まだ……あのスキルに対抗できる術はない。このままでは勝てない。
「ティア。……目を覚ましてくれ」
祈るように呼びかけると、ミスティアのまぶたがわずかに開く。
「ソウスケ……? これは……痛い……っ」
動こうとして、彼女は呻いた。
手掌と足首には、太く錆びた鉄釘が深々と打ち込まれている。動けるはずもない。
「見つけたんだ。……ミスティアを、返してもらう」
「う〜ん、どうしよっかなぁ〜。でもさ、このまま終わっちゃうの、つまんなくない?」
テスタが口元に手を当て、悪戯っぽく笑う。
「ねぇ、ソウスケ。あの“ロアゼン”と戦って♡。勝てたら返してあげる♪」
「ロアゼン……? 叔父様……? え……どうして……」
その名を聞いた途端、空間が歪み、空気がひやりと凍りついた。
ゆらり、と。
”ロアゼン”が姿を現した。
その顔は無表情。眼は焦点が合わず、口元にはわずかに血の泡。
だが、立っている。まるで意思を持っているかのように。
「さあ♡ 思いっきりトドメを刺しちゃって? もう死んでるけど〜♪」
「叔父様っ、叔父様……!」
ミスティアが痛みに堪えながら身をよじる。
だが、傷口が開いて、さらに血があふれ出す。
「なんてことを……こんな、ひどい……信じられない……!」
「ひどくなんかないって〜♡ このおじさん、ミスティアちゃんを裏切ったんだよぉ?」
「……うそ。嘘よ……!」
「あ〜〜〜あ、かわいそ♡ こいつ、借金で首が回らなくなってたところを、ゼファル王子くんに“助けてもらった”の。つまり、お金のためにミスティアちゃんを差し出したのよぉ〜♪」
「違う……そんなの、嘘です……! 叔父様は、私にそんなことを……!」
「ふふっ、あんたも相当お花畑だねぇ。ゼファルくんって、実の兄でしょ? 母親違うけどさ。その兄に刺客送られて、殺されそうになって……それでも信じるなんて、あははっ、純粋って怖〜い♡」
「黙れ、テスタ・ラジーネ」
俺は低く、怒りを抑えるように声を絞り出した。
「戦えばいいんだな。ロアゼンを倒せば、ティアを返すんだな」
「ソウスケ……」
ミスティアが、苦しげに俺の名を呼ぶ。
「そうそう♡ やっちゃえやっちゃえ♪ その刀で、ぐっさぁーって♡」
俺は長刀を握り直した。
だが——次の瞬間、俺が飛び込んだのは、ロアゼンではない。
一直線に、神像の陰にいたテスタ・ラジーネに向かって突っ込む。
「……あら? こっち来ちゃうの? も〜、イケズ♡」
瞬時に間合いに入る。あとは撫で切るだけ——そう思った、そのとき。
テスタ・ラジーネの両目が、赤く濁った。
「”怠惰”」
次の瞬間、全身が鈍くなった。いや、ゆっくりとは動いている。だが、その動きはまるで水中に沈んだかのように重く、遅い。
目の前で、テスタ・ラジーネが嘲笑う。
「きゃーははっ。引っかかった、引っかかった。ざーんねんでした〜♡」
意識は正常だ。だが、身体の動きが極端に遅くなっている。世界が引き伸ばされたような感覚。
——これが、”怠惰”のスキル。
テスタを中心とした半径十メートル以内に存在する“他者”の時間の流れを極端に鈍化させる、大罪の力。
テスタは悠然と歩み寄り、ぺたぺたと俺の頬を撫でてくる。
「いや〜ん、とってもスベスベ♡ 気持ちいい〜……さぁ、何からやろうかな〜?」
懐からナイフを取り出すと、その刃を俺の喉元にそっと当ててきた。ひやりと冷たい感触が、妙に生々しい。
「ふふふ、動けないのって怖いでしょ〜? でも、それがイイの♡ 怯えた顔を見るのが、いっちばん楽しいんだから♡」
不気味な甘声に、刃の冷たさが重なる。
「安心してね。死なせないから。ちゃんと、生きたまま……バラバラにするだけだから♡」
テスタ・ラジーネは舌なめずりをしながら、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
……だが、まだだ。まだ終わっていない。
意識さえあれば、スキルは使える。
俺は、心の奥底で強く念じた。
——空間転移
空間が軋みを上げ、世界がたわむ。
次の瞬間、俺の姿はテスタの目の前から掻き消えた。
「……へ?」
聖像の前。磔にされたミスティアの元へ、俺は瞬間転移した。
その身体は血に濡れ、意識は朦朧としていたが——俺の手が触れたとたん、彼女はかすかに反応した。
——空間転移
彼女の身体ごと、怠惰の効果範囲の外へ跳んだ。
「待ってよっ! なんでっ!? ねぇっ!? やだ、置いてかないでよぉっ!!」
テスタ・ラジーネの絶叫が、背後で木霊した。
「ティア。俺に、捕まれ!」
振り返ることなく、俺はミスティアを強く抱き寄せる。
「空間飛翔!」
空間を裂いて、夜空を駆ける。
月光の下、風を切って飛翔する。少女をその腕に抱えたまま、聖堂から——怠惰の魔女から——逃げ切った。
俺の胸の中、ミスティアが顔をうずめ、かすかな声で呟く。
「ありがとう……ソウスケ……」
その小さな声が、確かに——俺の耳に届いた。




