第6話 初めての“稽古相手”
執事のドミニクは一歩前に出ると、無言で右手を水平に上げた。
「次元書庫」
その言葉と同時に、彼の右手が空間に溶け込むように消えた。
「何っ!?」
思わず声が漏れる。まるで幻でも見たような気分だった。
ドミニクは顔色一つ変えず、空間から何かを取り出す。それは銀のトレイに載った茶器のセットだった。
これが、スキルを使うということか。
「いったい……どんなスキルなんだ?」
「私のスキルは、空間内に独自のスペースを作り、そこに物を収納しておけるものです」
「便利そうだな。スキルを使うとき、何を意識してるんだ?」
「基本は“イメージ”です。魔術も身体強化も、まずは頭の中でそれを使う姿を思い描くことから始まります」
「イメージか……」
「鑑定の儀で、“空間に物を収納できる”と教わったので、何度も空間に“しまう”動作をイメージして練習しました」
ドミニクはうなずいた。
「どんな物でも入るのか?」
「理論上は、どんなに大きな物でも入るはずですが……想像できない物は扱えません。実用には限界があります」
「自分自身をその空間に入れることは……?」
問いかけると、ドミニクは少し暗い表情を見せた。
「可能…… ですね。あまりやりたくはないのですが」
少し様子がおかしいことが気になったが、そこは追求しないことにした。
「イメージやアイデアを膨らませれば、固有スキルは無限に近い使い方ができるようになります。だから、固有スキルを最大限に利用したかったら、さまざまなことを試す方が良いでしょう」
「なるほどな。ありがとう、参考になったよ」
そう言って部屋へ戻ろうとしたとき、ドミニクが呼び止めた。
「アーヴィン様」
振り返ると、彼は静かに言った。
「いつか……お話ししなければならないことがあります」
「母さんのことか?」
「はい」
「今じゃダメなのか?」
彼は無言で首を横に振った。
「……わかった。いつか教えてくれ」
それ以上は聞かず、俺はその場を後にした。
◇
ベッドに寝転びながら、ドミニクの言葉を反芻する。
母親の死。詳しい経緯は知らない。ドミニクが何かを隠しているのだとしたら、それはアーヴィン自身にも知らされていなかったことなのかもしれない。
(……考えても仕方ないか。今は教えられないって言ってたし)
それよりも、だ。
空間操作
ドミニクは“イメージが大切”だと言っていた。
あの長刀を握った時、両手に魔力を込めるイメージをしたら、急に力が湧いてきた。あの感覚は重要だ。
あの時は両手にしか魔力を込められなかったが、もし全身に魔力を行き渡らせられたら、身体能力は格段に向上するはずだ。
問題は、魔力の量だ。
まずは基礎体力の強化。そして、魔力を使う感覚を養う。それが最優先だ。
空間操作の応用は、そのあとでも遅くない。
——にしても、
“空間”を“操作”するって、どういうことなんだ?
モノや人を移動させる? それができるなら……それは戦場における圧倒的なアドバンテージになるのではないか。
(……いや、いくら頭で考えても答えは出ないな)
今日は疲れて頭が回らない。
「まあ、明日、明日だ」
◇
次の日から、俺は中庭でのトレーニングを日課にした。
まずは軽めの剣から素振りを始める。長刀に比べて持ちやすいが、なにぶん10歳の体だ。魔力を込めなければ思うように振れない。
剣の訓練だけではない。中庭を走り回り、ジャンプし、魔力だけではなく身体能力そのものも底上げしていく。足に魔力を込めて走る。跳ねる。その繰り返し。
不思議なことに、確実に成果が出ていた。ジャンプの高さが目に見えて上がり、動きも軽くなっていく。
さすが魔力のある世界だ。現実世界でこんな急成長はまずありえない。
数日後、いつものように剣を振っていると、庭師見習いのアレンが通りかかった。
「よう、アレン」
軽く声をかけたが、彼はそっけない態度で会釈し、すぐに通り過ぎようとする。
「ちょっと待ってくれ。俺の稽古に付き合ってくれないか?」
やはり、剣をただ振っているだけでは味気ない感じもあったし、何より対人戦を練習しないといざという時に役に立たない。うちの使用人で若い男は彼だけだった。
「それは仕事ですか? 急ぎの用がなければ失礼しますが」
「遊びじゃない。稽古の相手になってくれたら、ちゃんと給料も出すよ」
「僕は庭師としての修行があるので」
ピシャリと断られ、そのまま行ってしまった。
(……まあ、仕方ないか)
◇
それからも、俺は黙々と素振りを続けた。剣は徐々に軽く感じられるようになり、動きも洗練されていく。
アレンは毎日中庭を通りすぎる。時折こちらを気にしている様子はあるが、声をかけても素っ気ない返事だけで足を止めようとしなかった。
だがある日
背後に気配を感じて振り返ると、アレンが腕を組んで俺を見ていた。
「ただ振ってるだけじゃ意味がありませんな。全然なってない」
「剣術、教えてくれるのか?」
「我流だけど、それでも良ければ」
アレンは意外と剣術ができることが分かった。単に相手が欲しかったからアレンに声をかけたので、そんなに期待していなかったが、やはり、剣術がわかっている人と稽古をすると効率が段違いだった。
「脇はしっかり閉めないと。踏み込みと剣の振りがバラバラですよ」
やや、皮肉っぽい言い方ではあるけれど適切なだった。言われた通りに動いてみると、確かに剣の振りが安定してきた気がする。力任せではなく、理にかなった動き。そこに好感を持てた。
しかし、体力不足か、魔力切れか、すぐに息が上がってしまう。
「くっ、魔力切れか……」
「ふん、もう終わりですか」
アレンは俺を見下ろしながら、口元をわずかに吊り上げる。馬鹿にされているようで、でもどこか楽しそうでもあった。
「情けないですな。魔力がどうこう言う前に、まず基礎体力をつけてはどうですかね」
「連日でやれば誰だってバテる。まだ始めたばかりだしな」
「言い訳は見苦しいですよ、アーヴィン様」
口は悪いが、以前よりも打ち解けてきた気がする。何より、口数が増えた。
「お前こそ、嫌がっていた割には随分熱心じゃないか。意外と世話焼きなんだな」
「……は? 違いますよ。僕は仕事熱心なタチでね。それに、アーヴィン様が下手すぎて見ていられなかっただけですよ。誤って庭の木が折るんじゃないかと心配だったんで」
「まあ、それでも助かったよ。お前がいなきゃ、ただの自己流で無駄に振ってたかもしれない」
アレンは少し驚いた顔をした。
「……いえ、こちらこそ。……まあ、退屈しのぎにはなりました」
口調は素っ気なかったが、その目はどこか楽しそうだった。
「え?」
「いえ、何でもありません。まあせいぜい頑張ってください」
アレンはそう言って、道具を手にして立ち去ろうとする。
「なあ、明日も付き合ってくれるか?」
一歩、踏み出して声をかけた。
アレンは少しだけ立ち止まって、振り返らずに答えた。
「……暇があったら」
それだけ言って、彼はいつものように背筋を伸ばして歩き去っていった。
……悪くないな。
この世界で、初めて”仲間”ができた、そんな気がした。
お読みいただいてありがとうございます。
評価⭐️やブックマークしていただけると大変励みになります。
よろしくお願いいたします。