第54話 巡礼地
「ああ、なんて素敵。最高♡ はぁー、ゾクゾクするっ」
テスタ・ラジーネは目を見開いたあと、陶酔したように呟いた。
その顔には、無垢な少女の無邪気さと、底知れぬ狂気が奇妙に同居していた。
ロアゼン・ナフィル侯爵は、困惑と恐れを隠しきれなかった。
彼女は魔物と意識を繋ぎ、その視界を通じて戦場を覗くことができる。
だが、自分には何も見えない。ただ、テスタのその反応だけが、異様な熱を放っていた。
「テスタ様……戦いの結果は、どうなりました?」
おそるおそる尋ねる。
「戦いの結果? そんなの、どうでもいいのよ」
テスタはにっこりと笑った。
その瞳は、熱に浮かされたように潤み、夢見る乙女のような光を宿している。
「ああ……欲しい。あの子が、欲しいの」
「……は?」
言葉の意味を測りかねるロアゼンをよそに、テスタは夢心地で語り続けた。
「あの金髪の、かわいらしい坊や……。あの小さな体で、長刀を自在に操ってゴブリンを次々に薙ぎ払って……しかも、周囲に的確に指示を飛ばして、空間魔法で地形まで操って……被害を最小限に抑える冷静さ。あれはただの子供じゃないわ」
「その…… テスタ様。その子がどうこうより、まず“戦果”を——」
「うるさいわね! 結果なんてどうでもいいって言ってるでしょ!」
怒声一閃。
空間に走る魔力の余波に、ロアゼンは思わずたじろいだ。
「……し、失礼しました」
「……まあ、いいわ。結論から言えば、ミスティアは逃した。ゴブリンは全滅。
でもいいの。次は“本番”——山頂での決戦だもの」
テスタはつまらなそうに手をひらひらと振った。
「それよりも、私は最高の“実験体”を見つけたのよ」
「……ジェスタ・ハイベルグ、ですか?」
「違う違う、ちーがーう♪ あんなジジイ、興味ないわよ。私が目をつけたのは——あの坊や。名も知らない、聖騎士じゃない剣士」
聖騎士じゃない……剣士の少年?
ロアゼンは、思い出す。確かにいた。
聖騎士ではない少年が一人だけ。
何か特別な雰囲気を持っていたので、印象に残っている。
「……まさか、“あの少年”を?」
「そう、その子。スキルの才能も剣の腕も、正直ジェスタにだって引けを取らない。あの地獄で指揮を取り、冷静に戦況を動かしてた。頭の回転も早いし、魔力量も桁違い」
「それに……あのかわいらしい見た目。ああ、食べちゃいたい♡」
ロアゼンは息を呑んだ。
その少年に、そこまでの力があるとは……。
「ねえ、想像してみて? あの子を檻に入れて、ゆっくり、少しずつ壊していくの。腕から? 脚から? それとも……心から? ふふっ♡」
小さく身を震わせ、頬を紅潮させるテスタ。
その様は、まるで恋する少女のようだったが——
ロアゼンは黙して言葉を飲んだ。
この女は、遊び感覚で人間を壊す。
だが、より恐ろしいのは——それを“本気で楽しんでいる”ことだ。
「山頂では、今度こそミスティアを仕留めるわ。でも、他にも楽しみができちゃった。彼を絶対に生きてとらえるの。すぐに殺すなんてできない。せっかくだから……たっぷり味わって♡」
テスタは舌なめずりをした。
焔のゆらめく応接室に、不気味な沈黙が落ちる。
「見た目よりタフそうだから……どう壊してあげようかしら。 身体から? それとも、心? 仲間をキメラにして、“君が救えなかった”って見せつけたら……どんな顔をするかしら?」
静かな部屋に響く、甘く冷たい声。
テスタはひとり、微笑みを浮かべていた。
◇
なんとか、ゴブリンの強襲を乗り切った。
鍵となったのは、ユリアの固有スキル——聖域結界。
聖騎士が誰一人として欠けなかったのは、もはや奇跡と呼ぶべきだろう。
とはいえ、被害がなかったわけではない。
中でも、馬の損失は深刻だった。 爆発の巻き添えを食らい、半数近くが動けなくなってしまった。
急きょ、馬車の予備馬をつなぎ、全員が馬に乗るのは諦めることになった。
騎乗を許されたのは、王女ミスティアを中心とした限られた人数。
残りの者たちは、徒歩での行軍を余儀なくされた。
当然、ミスティアは馬に乗っている。
そして俺も、護衛という立場から、彼女の傍を守るために同じく騎乗していた。
だが、ミスティアはそのことにどこか納得していない様子だった。
「……私が、馬に乗ってもいいのでしょうか?」
ぽつりと、馬の歩みに合わせるような小さな声が漏れた。
「……ティアが乗らなきゃ、意味がないだろ」
俺の言葉に、彼女は視線を落とし、小さく唇を噛んだ。
「ですが……明らかに戦力にならない私が、馬に乗っていても……」
その声音には、自嘲と罪悪感が滲んでいた。
「聖地巡礼を無事に終わらせるのが、最大の目的だ。
ティアが無事じゃなきゃ、作戦は失敗になる」
「それは、そうですが……」
返事は、どこか腑に落ちていない響きを含んでいた。
しばらく、会話の途切れたまま行軍が続く。
馬の足音だけが、静かに草を踏み鳴らしていた。
やがて、ミスティアが再び口を開いた。
「……私、ユリアさんみたいに、みんなの役に立ちたいんです」
その言葉には、心からの本音がにじんでいた。
「王族の使命と、聖騎士の使命は違う」
「でも……守られてばかりなのは、嫌なんです。ソウスケ、私……強くなれますか?」
馬上から見上げるようにして、ミスティアが俺を見つめていた。
その瞳には、迷いと、強い意志が同時に宿っていた。
……俺は一瞬、返答に迷った。
さっき、ユリアの固有スキルを“見抜いた”ことで、俺が何かを知っていると勘づかれているかもしれない。
誰も言葉にはしていないが、空気が——視線が、それを伝えてきていた。
——さて、どう答えるべきか。
ゲームの中で、彼女は“魔剣操作”という固有スキルを獲得する。
王族でありながら、勇者パーティの最前線に立ち、 魔力の効果を纏わせた一撃で敵を斬り伏せる、最強のアタッカーとして輝いていた。
だが、今の彼女はまだ、そこに至っていない。
未来を知る俺が、今ここでそれを明かしていいのか。
それとも、何も言わず、ただ信じて見守るべきか。
ほんの数秒の逡巡の末——
俺は口を開いた。
「大丈夫。固有スキルを獲得したら、最前線で戦えるようになるよ…… 保証する」
ミスティアは、ぱちりと瞬きをした。
意外そうに目を瞬かせ、数拍のあいだ、何かを探るように俺の顔を見ていた。
そして——ふわりと、花がほころぶような笑みを浮かべた。
「……はいっ!」
その一言には、迷いも不安もなかった。
彼女の胸の中に、確かに“何か”が芽生えたのだと、俺は感じた。
◇
周囲を警戒しながらの行軍は、予想以上に時間を食った。
地図上では、わずかな距離のはずだった。
だが、茂みに目を凝らし、一歩ごとに耳を澄ませる進軍は、想像以上に神経をすり減らす。
——にもかかわらず、敵の姿はどこにも現れなかった。
あれほど執拗に襲いかかってきたゴブリンたちは、まるで潮が引くように、忽然と姿を消していた。
不気味な沈黙。
張り詰めた空気だけが尾を引き、俺たちはひたすら無言で山道を進んだ。
そして、日が傾き始めた頃——ようやく、目的地が視界に入った。
聖地。その裾野に広がる、小さな集落。
山のふもとに寄り添うようにして、教会を中心とした石造りの町並みが静かに佇んでいる。
夕日に照らされた白壁の家々は、オレンジ色に染まり、まるで一枚の絵画のようだった。
視線を上げると、長い石段の先——
再建された大聖堂が、山頂に厳かにそびえていた。
——あそこが、巡礼の儀式の舞台だ。
懐かしささえ覚える、静謐な光景。
この地は、かつて魔王軍に蹂躙された聖域。
そして今また、戦火に包まれようとしている。
こちらの戦力は、あまりに心許ない。
しかも——あのゴブリンの自爆攻撃。
あんなもの、ゲームでは見たことがなかった。
気を緩めれば、命を落とす。
「それではここで、私たちは失礼します」
ミスティアが馬を降り、静かに頭を下げた。 ハウゼン以下、親衛隊三名もそれに続く。
彼らは、巡礼の儀式に先駆けて、教会で準備に入ることになっていた。
俺たちは王国軍の簡易宿舎に身を預け、しばしの休息を取る。 束の間とはいえ、体と心を整えておかなければならない。
——明日、必ず訪れるであろう“地獄”に、立ち向かうために。
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