第52話 森の奥
ついに、巡礼地に向かう日が来た。
朝のナフィル城は活気に満ち、馬のいななきや装備の音が、そこかしこに響いている。
俺は中庭で最終確認をしていたが、そこへ見慣れぬ“王女”が姿を現した。
「どう、似合う?」
ふわりと裾を翻しながら、ユリアがくるりと一回転してみせた。
その姿は髪型までミスティアと瓜二つ。
金の刺繍が施された青のドレスは、おそらく本人から直接借りたのだろう。
凛とした立ち姿も相まって、見れば見るほど本物に見えてくる。
「ああ、似合うよ。完璧だ」
「ふふ、そう? じゃあ巡礼地に着くまでは、王女になりきってみるわ」
ユリアが満足そうに微笑んだそのとき、どこからともなくジェスタ・ハイベルグが現れた。
「なんだよ。調子に乗って……まあ、馬子にも衣装ってやつだな」
「てーい!」
横にいたイリアスが、即座にジェスタの足を蹴り飛ばす。
「いってぇ! イリアス、何するんだ」
すぐさま、イリアスは俺の背後に隠れた。
「……しょうがないな」
俺は軽く肩をすくめて、ジェスタを見やる。
「今のはジェスタが悪い」
「はいはい、分かりましたよ……っと」
ジェスタは膝をさすりながらも、どこか楽しげに笑っていた。
そこへ、聖騎士の姿に身を包んだミスティアと、その側近ハウゼンが現れる。
「よろしくお願いします」
ミスティアが静かに頭を下げる。
「くれぐれも、殿下を守るように」
ハウゼンの厳しい視線が俺に突き刺さる。
「はい、分かっています」
そう答えると、ハウゼンは一瞥をくれてからジェスタに向き直った。
「……後で、作戦の再確認をさせてもらう」
「ああ。任せておけ」
ジェスタが頷くと、ハウゼンは硬い足音を響かせて去っていった。
残されたミスティアは、流れるような所作で馬にまたがる。無駄のない動きから、彼女がきちんと訓練を積んでいるのが分かった。
「よろしくお願いします、ソウスケ」
その一言に、ティアの覚悟がにじんでいた。
その澄んだ瞳を見て、俺も思う。——応えなくてはならない、と。
ここから先は、ただの旅ではない。
王族と魔族、信仰と政治——命のやり取りすら覚悟せねばならない。
一つの判断ミスが、取り返しのつかない結末を招く。
だからこそ——気を抜けない。
周囲を見渡せば、騎士たちは既に馬にまたがり、隊列を整えていた。
王女に扮したユリアも、侍女に手を引かれて馬車に乗り込もうとしている。あの気品、あの振る舞い……本物と見紛うほどだった。
城門の前には、ロアゼン・ナフィル侯爵が手を組み、静かに一団を見守っていた。その表情には、誇りと張りつめた緊張が同居している。
背後では兵士や侍女たちが整列し、無言のまま祈りを捧げていた。
そして——
ジェスタ・ハイベルグが、手綱を軽く引き、低く号令を発する。
「——巡礼団、出発する!」
その一声を合図に、馬たちが一斉に蹄を鳴らし始めた。
王女の乗る馬車を中心に、先頭にはジェスタ率いる先導隊、後方には俺とミスティア。
陽光が鎧に反射し、風が緊張を運んでいく。
——聖地を目指す、長い旅路の幕が、いま静かに上がった。
◇
森の中を突き進む一行
ミスティアと並んで馬を進めながら、俺は絶えず周囲に警戒を向けていた。
「不気味ですね……」
「そうだな。あまり隊列の外には出るな。対応が遅れる」
「……わかりました」
森が深くなるにつれて、木々が空を覆い隠し、視界はじわじわと薄暗くなっていく。
——そのときだった。
ヒュッ、と空を裂く音。 馬車の木枠に矢が突き刺さった。
「敵襲!」
ジェスタの鋭い声が響く。視線を走らせると、藪の奥に小さな影が見え隠れしていた。
ゴブリンだ—— それも普通の。
(ゴブリン……?)
違和感が拭えなかった。
テスタ・ラジーネが送り込んでくるのは、通常、遠隔操作された合成獣のはずだ。
この森にゴブリンが棲息しているのは事実だが、ただのゴブリンであるなら、彼女の“使い魔”とは矛盾している。
ならば——あのゴブリンたちは本当に“ただの”存在なのか?
何かが混ざっている。もしくは、別の意図が隠されている——そんな気がしてならなかった。
「ジェスタ、どうする?」
「突破する。囲まれる前に抜けるぞ」
ジェスタは即断し、矢をつがえて藪の奥へ。一本、また一本と、正確に敵の影を貫いていく。
聖騎士団の防具は堅牢だ。ゴブリンの粗末な武器では歯が立たない。
襲撃は散発的で、深追いする様子もなく、威嚇のように現れては消えていく。
やがて一行が落ち着きを取り戻した頃、俺はジェスタに声をかけた。
「……なんか、妙じゃないか? あのゴブリンたち」
「気づいてたか。ああ、いつもの奴らの動きとは違うな」
ジェスタも警戒を緩めていない。
森のこの辺りは、本来なら獰猛な魔物が支配しているエリアだ。ゴブリンが我が物顔で出てくる場所じゃない。
しかも、森が……静かすぎる。
「とにかく、今日はだいぶ遅くなってきた。ここで一度、野営を張る」
ジェスタの指示に、聖騎士たちが動き始める。だが、森の静けさが、逆に不気味さを際立たせていた——。
◇
焚き火の炎が、パチリと音を立ててはじけた。
「……何かがおかしい」
ジェスタの鋭い眼差しが、闇に沈む森の奥を射抜いていた。
「ゴブリンの気配だけが浮いている。他にいるはずの魔物の気配が……消えてる。それに……」
言葉を切ったジェスタの顔に、険しい陰りが差す。
「ゴブリンの距離の取り方が不自然すぎる。突っ込んでくるようでいて、ぎりぎり致命傷を避けてる。まるで、何かに——」
彼は黙り込み、焚き火の炎をじっと見つめる。
「……まるで、何かに操られてるみたいだ」
その言葉に、俺の思考が跳ねた。
操られている——。
もしかしたら、あのゴブリンたちは、すでに“死んで”いるのではないか?
テスタ・ラジーネの固有能力は、死体操作。となれば、奴が遠隔で死体を操っている可能性がある。同じ死体でも合成獣じゃなく、ただの死体を。
しかし…… 統率が取れている割に、攻撃はあくまで“脅し”の域を出ない。……奴の狙いは何だ?
「ジェスタ。もしまたゴブリンが来たら、一体でいい。捕まえることはできるか?」
「なんでだ?」
「できれば調べたい。動かしてる奴がいるなら、その痕跡を見つけられるかもしれない」
「……まあ、やれなくはない。ただし、追いすぎれば殿下の護衛が手薄になる」
「それなら、俺がやる。転移で一体だけ仕留める。だから、その間はミスティア殿下を頼む」
ジェスタは目を細めた。
「……お前、何を知ってる?」
「“死体を操る”固有スキルを持った魔族が敵にいる。そいつが奴らを動かしてるかもしれない」
「そんな話は聞いたことがないぞ」
無理もない。前回の魔王大戦、テスタ・ラジーネはまだ表に出ていなかったはずだ。
「テスタ・ラジーネ。ダークエルフの女だ。魔族の幹部で、死体操作を使う」
ジェスタは一瞬、言葉を失った。そして、低く問いかける。
「お前……なんでそんな奴のことまで知ってる?」
「……秘密だ」
「……なるほどな」
ジェスタは木の枝で灰をつつきながら、ぽつりと呟いた。
「ソウスケ。お前さ、前にも言ったよな。“抱え込みすぎる”って」
「別に……」
異世界から来た——などとは、とても言えるはずがなかった。
ジェスタは焚き火を見つめたまま、静かに語り出した。
「昔……俺たちの勇者パーティに、いたんだよ。お前に似た奴が」
「……誰のことだ?」
「そいつは、最後の戦いで……魔王に一人で挑んだ。俺たちを残して」
「……勇者レオン・ガードナー、か?」
「そうだ。奴は一人で魔王に挑み、そのまま、死んだ。魔王と差し違えてな」
焚き火の火が揺らめく。
「どうして1人で? みんなで戦ったんじゃなかったのか?」
「一度……俺たちは魔王に負けてる。全員で挑んで、なぶられた。……完膚なきまでにな」
ジェスタの声に、苦味が混じる。
「俺たちは打ちひしがれて、何もできなかった。そんな時、俺たちが寝ている間に、レオンは一人で立ち上がって……何も言わず、戦いに向かった」
「無謀だな」
「……そうだよ。でも、それが“勇者”ってやつなのかもしれない。命を代償に、成し遂げた」
しばし、焚き火の音だけが森に響いた。
「……でも、お前たちのせいじゃない。レオンが勝手に出て行ったんだろう?」
ジェスタは首を横に振った。
「違う」
「……何が違う?」
「俺たちは知ってた。レオンが出て行こうとしてたのを。でも……魔王が恐ろしくて、みんな寝たふりをしていた。誰もついて行けなかった。だから——」
ジェスタは拳を握りしめる。
「見殺しにしたのは、俺たちなんだ……」
俺は、何も言えなかった。
「……あの日、俺は死んだ。あそこで、“剣聖ジェスタ・ハイベルグ”は終わったんだ。今ここにいるのは、ただの亡霊さ。過去の記憶のなれの果ての」
焚き火の炎が揺れ、ジェスタの双剣を赤く照らす。
その背に纏う影が、森の闇とひとつになったように見えた。
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