第50話 歓迎会
巡礼団がナフィル城門へと到着したその瞬間、空に高らかなファンファーレが鳴り響いた。
城門前に整列した吹奏兵たちのラッパが、一斉に銀の音色を放ち、王女の来訪を盛大に祝福する。
ミスティア王女を先頭に、巡礼団一行はその歓迎を受けながら、悠然とナフィル城の門をくぐった。
陽光が白壁を照らし出す中庭――
その中心に立ち、巡礼団を出迎えたのは、恰幅の良い中年の男である。
セレシア侯爵、ロアゼン・ナフィル。
その顔にたたえられた笑みは温厚そのもので、王女への忠誠と歓迎の意が滲み出ていた。
「お久しぶりです、ミスティア王女。お待ちしておりました」
侯爵は柔らかな声音でそう言うと、彼女へと手を差し出した。
その手の甲に丁寧に口づけを落とす仕草は、貴族としての礼節と、長年の信頼を物語っている。
「私も、お目にかかれて光栄です、ロアゼン侯爵」
ミスティアは上品な笑みを浮かべながら、ゆっくりと手を引いた。
その所作には、王族としての誇りと、まだ十歳の少女らしいあどけなさが絶妙に共存していた。
彼女の背後には、老年の側近ハウゼン・バルツァーと、聖騎士団の騎士団長――ジェスタ・ハイベルグが控えている。
なお、今回の巡礼団には、クラネルト伯爵ディルクの姿はなかった。
かつては聖騎士として名を馳せた彼も、魔族大戦で受けた重傷の後遺症により、すでに剣を振るうことすら叶わない身である。
そのため、巡礼における聖騎士団の指揮権は、すべて若き剣聖ジェスタに託されていた。
「聖地巡礼の再開、誠におめでとうございます、王女殿下」
改めて侯爵が深々と頭を下げると、ミスティアも胸に手を添え、丁寧に一礼を返した。
「協力していただき、本当にありがとうございます。まだまだ王女としては力不足ですが……これからも、よろしくお願いいたします」
「もったいないお言葉です。今後も永きにわたり、ミスティア殿下を応援させていただきます」
その言葉に、ミスティアは目に見えて安堵の表情を浮かべ、小さく胸を撫で下ろした。
場の空気が和んだ、そのとき――
「ねえねえ、ソウスケ」
ひょっこりと横から顔を出してきたのは、ピンク色の短髪を揺らす少女、イリアスだった。
「なんだ、イリアス」
「さっきさ、ここに来る前に屋台がいっぱい並んでたよ。行こうよ。ユリアも!」
「これからたぶん歓迎会があるから、無理だと思うわ」
横から静かに答えたのは、銀の甲冑を纏った聖騎士――ユリア。
「ええー……」
不満げに頬を膨らませるイリアスを見て、ユリアはやれやれと肩をすくめながらも、やさしく諭す。
「でも、きっとご馳走が出るから。それまで我慢してなさい」
「……うん。分かった。待ってるよ」
元気なくうなずいたイリアスだったが、その瞳にはすでに料理への期待が満ちていた。
◇
巡礼団一行は、ナフィル城の大食堂に一堂に会していた。
高い天井には豪奢なシャンデリアが煌めき、長大な晩餐卓には王族を迎えるに相応しい銀器が並び、絢爛たる料理が次々と運ばれてくる。
香草をあしらった仔羊のロースト、黄金色に焼かれたタルト、果実とナッツの甘いワイン煮……
どれもこれもが、王都の宮廷にも劣らぬもてなしだった。
すでにジェスタは酔っ払っていた。
「ひゃ〜っ、ナフィルの酒はやっぱりうめぇなぁ! これ、持ち帰っていいか?」
上座から数席下がった場所で、頬を赤く染めながらグラスを振り回している。
やはりこの男は、どこに行っても変わらないらしい。
ミスティアは、正面の上座にてロアゼン侯爵の隣に座っていた。
侯爵の側には、その妻や娘らしき女性たち、そして領内の重鎮たちが並び、
ミスティアの側には、ハウゼン、ジェスタ、ユリアをはじめとした聖騎士団の主要メンバーが勢揃いしていた。
そして、俺とイリアスはというと――一番端っこの席に押しやられていた。
まあ、庶民出身で、一番下っ端と言えば下っ端なのだから、仕方ないといえば仕方ない。
だが、当のイリアスはまるで気にしていなかった。
目を輝かせながら、テーブル上の料理に夢中になっている。
「すごいよこれ、ソウスケも食べてみる!」
目をきらきらさせながら、食べかけの骨付き肉を差し出してくる。
……さすがに、それをかじる気にはなれなかった。
一方その頃、上座では――
「おお、ユリア殿も大きくなられましたな。お父上はご健勝ですかな」
「ええ、父は元気です。もう剣は振れないので同行はしておりませんが、ロアゼン様にはよろしく頼むと言っておりました」
「ははは。あまり多くの兵を出すわけにはいきませんが、数名ほど、道に詳しい者を同行させましょう」
「ありがとうございます」
会話の輪が一段落したところで、ロアゼン侯爵はミスティアの方を向いた。
「ミスティア様、聖地の復興も着実に進んでおります。各地の神官たちも、殿下のご来訪を心待ちにしておりましょう」
「ええ。私も、皆さんに安心していただけるよう、精一杯努めるつもりです」
ミスティアとロアゼン侯爵は、礼儀正しく言葉を交わしていた。
彼女の声はよく通る澄んだ響きで、その言葉には張り詰めたような緊張がにじんでいる。
それでも、幼き王女は堂々と、王族としての務めを果たそうとしていた。
ふと、ミスティアは声をわずかに下げ、ロアゼンに尋ねる。
「……魔族の動きは、どうでしょうか?」
「最近はめっきり姿を見せておりませんな。こちらの方へは来ておりません。森の方までは分かりませんが、動きはほぼないと言ってよいでしょう」
「そうですか……でも油断できませんね。ゼファル兄上が魔族と通じているという噂もありますし」
「おお、なんと……嘆かわしい。王族が魔族と通じているなどとは……」
「魔物の方はどうですか? 森にはたくさんの魔物が生息していると聞きました」
「それも不思議なことに、最近は滅多に見ないそうです。おかげで猟師たちは狩りが楽になったと喜んでおりましたよ」
「……巡礼地に着くまで、無事にたどり着ければ良いのですが」
「大丈夫でしょう。ミスティア殿下には、イル=ファルマ様のご加護がございます。
危険を冒してまで巡礼に臨むお姿を、きっと天も見ておられます」
「……それならば、いいのですが」
ミスティアがそっと息をついたその瞬間、どこからともなく、
「よーし! そろそろ、ひと芸、披露するか!」
という、酔っぱらいの大声が響いた。
場の空気が一瞬だけ静まり返る。
皆の視線が一斉に向いた先には――
上座から数席下がった位置で、立ち上がったまま酒瓶を片手に構えるジェスタの姿があった。
「拙者、酒の神に捧げる舞、いざ、披露つかまつるっ!」
そう叫ぶと、ジェスタはなぜか脱ぎ始めた。
「ちょ、ジェスタ様!? 服、脱がないでください!」
慌てて止めに入るユリアの声も虚しく、ジェスタはすでに上半身裸。
それどころか、何か腰布のようなものを巻き付けはじめ――
「ふんぬっ、見よ、この“聖騎士式・酔拳舞”!」
彼は剣を持つ代わりに、ワインボトルを両手に構え、くるりと回って奇妙なステップを踏んだ。
本気で踊っている。しかも、思ったより体のキレがいい。
「お酒飲まなかったら、かっこいいのにね……」
「諦めろ」
イリアスと俺の席からは、裸で回転するジェスタがちょうどよく見える位置にあった。
ユリアは顔を真っ赤にして手で目を覆っているが、指の隙間からしっかり見ているあたり、内心は気になっているのかもしれない。
一方、ミスティアはというと――
「…………」
沈黙。
表情を保とうとしているが、頬がぴくぴくと引きつっている。
隣に座るロアゼン侯爵は苦笑を浮かべながら、そっとワインを口に含んだ。
「……たいへん愉快な方ですな、ジェスタ殿は」
「…………ええ、そうですね」
王女らしい返答だったが、その声はどこか遠かった。
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