第5話 固有スキルを使いたい
固有スキル『空間操作』——。
この体の本来の持ち主、アーヴィンが使っていた能力だ。
原作では、物体を空間ごと転移させて敵の頭上に落としたり、攻撃を受けた瞬間、自分の体を瞬間的に転移させて回避する——そんな芸当を見せていた。
要するに、“空間をいじってモノを動かす”スキルらしい。
けれど、いざ自分で使おうとすると、どうすればいいのか全くわからない。
魔術って、どんな風に使えばいいんだ?
この世界の人間なら感覚で使えるものなのかもしれないが、俺にはそんなものは備わっていない。
「……瞬間移動」
試しにそう呟いてみたが、何も起きない。
じゃあ、と机に目を向けて「動け」と命じてみたが、微動だにしなかった。
……やっぱり、そう簡単にはいかないか。
固有スキルを使いこなすには、何かが足りないらしい。
仕方ない。ひとまず剣でも振って、体を慣らしてみるか。
この世界では、魔力で身体能力を高めるのが当たり前らしい。
それに、原作ではアーヴィンの魔力値は高かったはずだ。
なら、体を鍛えることで、逆に魔力操作の感覚がつかめるかもしれない。
固有スキルの発動は、それからでも遅くはない。こちとら初心者なんだ、焦ったって意味はない。
そう考えて、俺は屋敷の武器庫へと向かった。
◇
屋敷の裏手にある重々しい鉄扉を開けると、鼻をつくようなカビ臭さが漂ってきた。
しばらく使われた形跡はない。空気は湿り、薄暗い。
おそらく、前回の魔王大戦で使われた武器をそのまま保管しているのだろう。日々の護衛用の装備なら、こんな奥まった場所には置かないはずだ。もしかしたら、貴重な一品も眠っているかもしれない。
そんな期待を胸に、俺は奥へと足を踏み入れた。
防具立てに並ぶ鎧。壁に立てかけられた斧、槍や剣。中には使い道すらよく分からない、異様な形の武器もある。どれもこれも、時の止まった博物館のように静かだ。
そして——
その最奥で、ふと目に入った。
ガラスケースの中に納められた一本の長剣。
思わず息を呑む。存在感が段違いだった。
ケースの蓋を開けると、冷たい空気が指先に触れた。全長およそ1.5メートル、片刃の長剣。波打つ刃紋が鈍い銀の光を放っている。柄には精緻な装飾が施されており、使うための武器なのか、それとも儀礼用のものなのか判然としない。
それでも、惹かれるものがあった。
俺はそっと柄に手を伸ばした。ヒヤリとした皮の感触。
片手でそのまま持ち上げようとしたが——びくともしない。
くそ、重い。
両手で力を込めてみる。……やっぱり重い。
考えてみれば、アーヴィンの体はまだ10歳。鏡で見た時も、細くて華奢な印象だった。これほどの長剣を、普通の筋力で振り回せるわけがない。
けど、もしこれが持ち上がるとしたら——。
魔力を使っている証になるんじゃないか?
俺は目を閉じて、魔力を両腕に流し込む……そんな“気がする”ようなイメージを必死に描いた。
すると次の瞬間——
剣が、ふっと軽くなった気がした。
「……いける!」
そのまま一気に持ち上げる。しかし。
「うわっ」
今度は足腰にずしんと重みがのしかかり、バランスを崩して床に倒れ込んだ。
長剣はそのまま俺の上にのしかかり、身動きが取れない。
「……いてて……」
どうやら、腕だけでなく、下半身にも魔力の補助が必要だったようだ。あわてて魔力を送ろうとするが、何も起きない。
……もしかして、魔力切れか?
ジタバタと悪戦苦闘していると、不意に人影が近づき、軽々と長剣を取り上げた。
「大丈夫でございますか、アーヴィン様。まさか剣の下敷きになっておられるとは」
低く落ち着いた声が響く。見上げると、そこにいたのは——
執事、ドミニクだった。
◇
先ほど武器庫の鍵を借りていたので、心配になって様子を見に来てくれたのだろう。
ドミニクに剣を預け、二人で武器庫の外へと出た。
涼やかな風が頬を撫でる。俺は思わず、空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
湿り気を含んだ武器庫の空気と違い、外の風は心地よい。
「すまない、ドミニク」
「いえ、私もご一緒すべきでしたね。それにしても——この剣は……」
ドミニクの顔に、わずかに陰が落ちた。
「なかなか綺麗な剣だね」
俺が何気なく言うと、彼は少し間を置いて口を開いた。
「ええ。この剣は、アーヴィン様のお母上の剣でございます」
「……母さんの?」
思わず聞き返すと、ドミニクは静かに頷き、遠くの空を仰いだ。
「聖騎士イレーナ…… 勇者パーティの7人の一人であり、同じく勇者パーティの剣聖ジェスタ・ハイベルグ様と並び称されるほどの実力者です」
まじかよ……。
旧勇者パーティがゲーム本編に登場するのは、せいぜいエルフの女王セリアス=ルシャーナと、大聖女のノエル・メルクロフくらいだったはず。
他のメンバーは、ゲーム本編開始時点でほとんどが故人になっている。
剣聖ジェスタ・ハイベルグは、主人公イリアスの師匠として時折回想に登場していた。
先代勇者レオン・ガードナー、名前だけは出てくるが、作中の出番は一切ない。
それにしても……。
アーヴィンの母親が、先代勇者パーティの一員だったなんて。
……まさか、この世界には「本編で語られていない設定」まであるってことか?
なるほどね。
そうだ。魔力について、ちゃんと確認しておかなくちゃいけない。
「ドミニク、魔力の使い方について教えてくれないか?」
俺がそう言うと、ドミニクは少し驚いたように目を見開いた。けれど、すぐに穏やかな顔に戻り、ゆっくりとうなずいた。
「……まだ、魔力の習得には早いかと存じます。鑑定の儀までは、あと二年ございますから」
「鑑定の儀?」
ああ、そうだった。すっかり忘れていた。
この世界では、十二歳で「成人」と見なされる。そのときに行われるのが、「鑑定の儀」。自分の適性や属性、そして固有スキルが公式に明かされる、一種の通過儀礼だ。
そういえば、ゲームの主人公イリアス・バッシュの物語も、まさにこの鑑定の儀から始まったっけ。
そのあと王立学校への入学試験編に繋がり、本編での「学園生活」へとなだれ込むのが定番の流れだった。
それでは、鑑定の儀まで魔力習得を待つしかないのか?
いや、それでは遅すぎる。すでに身の回りに脅威がある以上、何も対応せずにいるわけにはいかない。
それに、そもそも固有スキルって、生まれつき持ってるものだ。
だったら、鑑定を待たずとも、もうすでに“ある”はずだ。
「でもさ。別に早く学んだっていいだろ? 貴族の家では、家庭教師を雇って訓練するところも多いと聞いた」
「たしかに、おっしゃる通りです。ですが——」
ドミニクは少し言い淀んでから、俺の目を見た。
「固有スキルが何か分かっていなければ、魔力の正しい使い方を学ぶのは難しいものです。……とはいえ、アーヴィン様のお気持ちも理解しました。とりあえず、私のスキルをお見せいたしましょう」
彼はそう言うと、一歩、俺の前に進み出た。