第48話 空間操作の可能性
聖地巡礼を控えた、一週間前のことだった。
俺はふと、ある仮説を思いついた。
——もしかして、“空間操作”ってのは、物体を転送する力じゃないんじゃないか?
そうじゃなくて、
物体が存在している“空間”そのものを、操作する力なんじゃないかと。
試しに、ソファに転がっていた枕の——片側だけを転移させてみた。
結果は、想像以上だった。
枕は、まるで鋭利な刃物でスパッと切り裂かれたように、二つに分かれていた。
これで、俺の仮説は確信へと変わった。
もし“物体”を転送しているだけなら、全体が丸ごと動くはずだ。
だが、実際に起きたのは違う。
枕の片側だけが、“空間ごと”別の場所に現れたのだ。
つまり、動かしているのは物体ではなく——
物体が存在する「空間」そのもの。
空間を“部分的に”操作すれば、そこにある物体も“部分的に”移動する。
……この力は、ただの転送なんかじゃない。
「空間操作」とはつまり——
空間を“編集する力”。
たとえるなら、あたかも——カット&ペーストのような操作だ。
では、このスキルを——敵に応用することはできないだろうか。
たとえば、敵の上半身と下半身で“別々の空間”に転移をかければ、実質的に両断することができるのではないか。
そう思って、俺は何度も試した。
……だが、結果はすべて失敗だった。
虫や小動物を使って検証してみたが、部分的にも、全体的にも、生き物は転移しなかった。
つまり、生物を対象にするには、俺自身が触れて、同じ空間にいる必要があるらしい。そうすれば、一緒に“空間ごと”移動できる。
だが——離れた場所にいる生き物を、空間ごと移動させることはできない。
まあ、今までも試してはみたが、うまくいかない。
理由は定かじゃない。
魔力が足りないのか。
この世界の生物が“魔力耐性”のようなものを持っているのか。
それとも……ゲームバランスを保つための“見えざる制約”なのか。
考えれば考えるほど、答えは出ない。
けれど——少なくとも現時点では、「非生物」にしか、このスキルの応用は通じないということだけは、はっきりした。
さらに、俺は考えた。
——この“空間操作”を、自分自身に応用できるとしたら?
つまり、自分がいる“空間”を空中に指定すれば——
理論上、空を飛べるんじゃないか?
これまで空中に転移したことはなかった。
いきなり高所で試すのも怖いので、まずは地上から数メートルの高さで実験してみた。
結果は、成功だった。
だが——
身体が一瞬、空中に転移したかと思えば、そのまま地面に落下した。
……これでは使いものにならない。
どうやら、空中に“転移”することはできても、そこに留まり続けることはできないらしい。
ならばと、今度は「空中に自分が止まっている」イメージを強く持ちながら、再び転移してみた。
——すると。
次の瞬間、俺は空に浮かんでいた。
足元には風が通り抜け、視界は一気に開ける。
まるで大地から跳ね上がったような高揚感が全身を駆け抜けた。
そして、風に揺られながらも、確かに——
俺は“空中に居続けていた”。
この状態を維持するには、絶えず魔力を消費しながら、
空中の一点に“自分の空間”を固定し続ける必要がある。
つまり、飛び続けるには、それなりの魔力が必要だ。
だが、魔力さえ保てば——
俺は空を浮遊し、空間ごと滑るように移動することで、
自在に空を飛ぶことができるようになった。
——なるほど。
「空間操作」とは、単なる転送ではない。
物体が存在する空間そのものの“位置情報”を操作する力。
この固有スキルには、まだまだ未知の可能性がある。
そして俺は今、ついに——
実質的な“飛行能力”を手に入れたのだ。
◇
午後から、クラネルト伯爵邸に立ち寄った。
夏の盛りは過ぎたとはいえ、日差しはまだ容赦がない。
例によって、中庭には木刀の音が響いている。ただ、今日はいつもと違う光景があった。
——ミスティア・ハーヴェスが、その稽古に加わっていたのだ。
彼女は皮の鎧に身を包み、盾を構え、木刀を握ってジェスタと対峙している。
その横では、イリアスとユリアが打ち合いをしていた。
「はっ……!」
ミスティアの気合のこもった声が響く。
短いスカートの裾を翻しながら、低く踏み込み、鋭く横薙ぎを繰り出す。
だがジェスタは、その一撃を紙一重でかわした。
返す刀で木刀を軽く振り、ミスティアの盾に一撃を浴びせる。
「うっ……!」
彼女は咄嗟に受け止めたものの、衝撃に全身を揺らし、一瞬体勢を崩しかけた。
しかし、すぐに踏みとどまり、ふたたび鋭い目で前を睨む。
その頬には汗が流れていたが、瞳の奥は燃えていた。
(……気合い十分、ってところか)
普段は淑やかな王女の仮面をつけていた彼女の、そんな熱のこもった姿に、俺は思わず見入った。
一方で、イリアスとユリアは木刀を打ち合わせながら、笑みを浮かべている。
「ボクの必殺剣、いっけーっ!」
「まだまだね、イリアス。そんなんじゃ敵を倒せないわよ!」
まるで姉妹のようにじゃれ合う二人——だが、その動きは油断なく、真剣そのものだった。
俺が木陰でその様子を見ていると、背後から声がかかった。
「……ソウスケ殿だな。お手合わせ願いたい」
振り向くと、そこに立っていたのはこの間の作戦会議でミスティアの側近と紹介された初老の男、ハウゼン・バルツァーだった。
「本当にお前が、ジェスタ殿と渡り合うほどの力を持っているとは、にわかには信じがたい」
「それで、力を見せてみろ……というわけか」
「言葉など飾りにすぎん。剣こそが、真実を語る」
そう言って、彼は無言で木刀を差し出してきた。
「なるほど。ならば、勝負といこうか」
俺は木刀を受け取り、向かい合う。二人同時に、中段の構え。
静かに、間合いが詰まっていく。
互いの剣先が、触れ合いそうな距離。
——気づけば、中庭の他の音が消えていた。
イリアスも、ユリアも、ミスティアも。
誰一人声を出さず、稽古の手を止めて、俺たちの方を見ている。
「儂は元・王国騎士団長。剣は……まだ衰えちゃおらんぞ」
ハウゼンは静かに言った。
だがその眼光には、若者と渡り合う気概と、老いてなお衰えぬ気迫が宿っていた。
(……なるほど、試してくるわけだな)
木刀を握り直し、俺も静かに呼吸を整える。
——そして、ついに。
剣先が、ぴたりと一致した瞬間——
ハウゼンが動き、地を蹴った。
思った以上に、鋭い攻撃だった。
老練とも言える足捌き。無骨なまでに実直な剣筋。
それらは、長年の研鑽によって叩き上げられた、“職人の剣”。
一つ一つの打ち込みに無駄がなく、重く、そして絶え間がない。
まさに、元・王国騎士団長の看板に偽りなし——か。
——だが、それだけだ。
剣聖ジェスタ・ハイベルグと日々打ち合っている俺にとって、
その攻撃は——遅すぎた。
すべてが、見える。
すべてが、届かない。
「どうしたのかな、ソウスケ殿? さっきから逃げてばかりではないか」
「別に。ただ当たらないだけだろ」
「負け惜しみを……たかが子供の分際で儂に逆らうなど、笑止千万!」
「いいのか。返しても」
「何を——ぐはっ!」
一閃。
俺がわずかに剣を返した、その瞬間。
ハウゼンの身体が宙を舞い、数メートル先まで吹き飛んだ。
乾いた衝撃音とともに、背中から地面に叩きつけられる。
「な、何が……っ」
地に伏したまま、彼が呆然と呟く。
俺は木刀を肩に担ぎ、静かに告げた。
「特に何もしてない。ただ、剣を返しただけだ」
沈黙。
中庭を包む空気が、ぴたりと止まった。
目撃していた全員が、声を失っている。
「ばかな……儂は、騎士団長まで登り詰めた男だ。これは……何かの間違いだ……!」
震える手で地を押し、ハウゼンは立ち上がる。
そして、しゃにむに剣を振るった。
だが、その剣は、もはや技ではなかった。
ただの、力任せの打ち下ろし。
「いくらやっても無駄だ」
「くっ……ならば、《加速剣撃》!」
ハウゼンの体が、弾けるように加速した。
残像すら残す速度。
嵐のような剣の連撃が、俺に襲いかかる。
——だが、やはり遅い。
俺は、そのすべてを木刀で捌いた。
一撃も受けず、ただ静かに、流れるように。
そして、最後に。
「——終わりだ」
軽く、一突き。
胴を正確に打ち抜かれたハウゼンの身体が、もんどり打って吹き飛ぶ。
背後の木に激突し、そのまま崩れ落ちた。
……動かない。
俺は静かに息をつき、ユリアの方を振り返る。
「手当をしてあげてくれ」
そう言い残し、木刀を収めて、ゆっくりと休憩所へと歩き出した。
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