第45話 第3王女ミスティア・ハーヴェス
水浴びを終えてさっぱりした俺たちは、応接室に集まっていた。
テーブルには軽食が並び、イリアスはそれに手を出していいのか迷っている様子だ。ディルク・クラネルト伯爵は、満足そうに皆を見渡していた。
「集まっていただいたのは他でもない。第三王女ミスティア・ハーヴェス殿下が、今週末にここを訪問される。これは極秘だ。口外しないでほしい」
「ほう、なんのためだ?」
ジェスタが率直に問いかける。
「以前にも話したと思うが、我々クラネルト家は、ミスティア殿下を推戴している筆頭だ。伯爵家ではあるが、聖騎士団との結びつきも深い。我々の役目を果たす時が来た」
「……全然、話が見えねぇな」
「順を追って話そう。彼女がこのたび、聖地巡礼に出発される。その護衛として、我々が随行する」
——聖地巡礼?
ゲームでは、王立学校編に入ってから発生するイベントだったはず。今回も例によって、前倒しされている。
「本来なら、もっと後の予定だったのだが……」
ディルクはそこで言葉を切り、グラスの水を口に含む。
「聖地の復興が、予想よりも早く進んだらしい。治安も改善し、再建も完了間近。あとは“王族の巡礼”をもって、公式に開放される段階にある」
「それで……ミスティア様の巡礼が?」
「そう。巡礼とは名ばかりの政治的イベントだが、同時に、ミスティア殿下にとっては通過儀礼でもある。信心深い父王……いや、元・賢王の意志を汲んだものだ」
つまり、これは王族の序列争いにおける“実績”づくり。大事な一手だ。
「それで、俺たちが護衛に?」
「ジェスタ殿には聖騎士団長として、護衛全体の指揮をとっていただきたい」
「ふっ。俺がか。……まあ、いいだろう」
「従者としては、イリアスとユリア。そして——」
ディルクの視線が、俺に向けられる。
「ソウスケ君。君にもぜひ同行してもらいたい。ジェスタ殿に匹敵するその実力は、我々にとって大きな武器になる。それに、君はまだ世間に名が知られていない。だが、君はクラネルト家の切り札だ。この巡礼に……万が一があってはならない」
「ボクも行っていいの!? 勇者っぽい!」
イリアスはキラキラした目で興奮気味だ。事情は理解してないかもしれないが、やる気は十分だ。
俺はディルク伯爵の呼びかけに、どう答えるべきか迷った。
このイベントの問題、それは、確実に”魔族の襲撃を受ける”ということだ。
イリアス、ユリア、そして、ミスティア…… 将来の勇者パーティが3人も揃ってしまう。この面々を失うわけにはいかない。同行するのは、こちらとしても不可避。
問題は、どこで襲撃されるか。敵の戦力は? そして——
いまの戦力で、本当に勝てるのか?
「分かった。同行しよう。……だが、条件がある」
「なんだ?」
「ミスティア・ハーヴェス王女を聖騎士に偽装し、代わりに誰かを影武者として立てるべきだ」
「……どういうことだい? あの地域はもう治安が回復している。魔物の数も減っているし、魔族の勢力も後退しているはずだが」
ディルクが不思議そうに眉をひそめる。
だが、このイベントが危険であることを知っているのは、この中で俺だけだ。
「今が彼女にとって大事な時期なんだろう?」
「……そうだ。この巡礼は重要だ。魔王大戦から十年。聖地巡礼の再開は国としての悲願でもある。成功すれば、国民的な人気を獲得できる。だが、失敗すれば……」
「だからこそ、“万が一”があっては困る。影武者を立てて、そちらに護衛の目を集中させる。そうすれば、暗殺を狙っている連中の目を欺けるはずだ」
「……なるほど。第2王子側ゼファル・ハーヴェスは冷酷で、手段も選ばないと聞く。この機会に何か仕掛けてくる可能性は高い。……分かった。君の提案を採用しよう」
ディルクは頷き、ユリアへと目を向ける。
「ユリア」
「はい」
「聞いていたな。お前の使命はなんだ」
「ミスティア殿下を支えることです」
「そうだ。ならば、お前が殿下の盾になれ。王女になり変わるのだ」
「……承知しました、お父様」
「ジェスタ、表の護衛は任せる。イリアスはジェスタと行動を共にしろ。良い経験になるはずだ。そして——ソウスケ君」
「もちろん。俺は“本物”の護衛に回る。彼女には聖騎士の姿をしてもらう。それで敵の目は欺けるはずだ」
ディルクは頷きながら、ふっと笑った。
「……あとは、週末にいらっしゃるミスティア殿下が、この提案を気に入ってくれればいいのだがね」
◇
ついに週末になった。
未来の勇者パーティの1人、7大美徳スキル”純潔”の持ち主、第3王女ミスティア・ハーヴェスが伯爵邸を訪問する日。
ネームドキャラに会うという体験は、何度あっても少し緊張するものだ。
俺はイリアス、ユリア、ジェスタとともに、クラネルト伯爵邸の中庭で王女の到着を待っていた。
全員、晩餐会用に着飾っている。俺とイリアスの服もクラネルト家で用意してもらったもので、俺のは少し古い式典用の詰襟、イリアスはどこか少年貴族風の燕尾服姿だった。
「……うわ、緊張してきたかも」
「どうしたユリア」
「だって、王女様だよ。あああ、私の一推しのミスティア殿下に会えるのよ……!」
珍しくユリアがそわそわしている。
「ふーん。ボクもちょっとワクワクしてる! 王女様って、どんな人かな!」
イリアスがぴょんぴょん跳ねる。少年貴族風の燕尾服が、躍動感とともに揺れていた。
その服で飛び跳ねるのは、やめてくれ。
そんな他愛ないやりとりをしていると、門番の声が響いた。
「——ミスティア・ハーヴェス殿下、御到着です!」
その場の空気が、ぴんと張りつめる。
門がゆっくりと開き、一台の上等な馬車が静かに中庭へと入ってきた。
そして、扉が開く。
まず先に侍女が降り、続いて——
陽光に輝く金髪が、ふわりと風に揺れた。
コバルトブルーの瞳が、まっすぐにこちらを見据えている。
まるで、陽だまりの中に降り立った女神のようだった。
腰下まで流れる長い金髪が、歩くたびに光を反射し、周囲の空気さえ華やがせる。
年齢は10歳前後。だが、その佇まい、身のこなし、すべてに“王族の気品”が宿っていた。
——これが、ミスティア・ハーヴェス。
「お初にお目にかかります。ミスティア・ハーヴェスと申します。本日はご招待いただき、まことにありがとうございます」
完璧な礼節。声色も、所作も、貴族礼儀の教本そのもののような少女だった。
ディルクが早速前に来て、さっとひざまずいて臣下の礼をとった。
「きゃああ……! なんて優雅で、気品が高いの……! ああ、私、ついに、ミスティア殿下に仕えることができるのね……!」
横でユリアが崩れ落ちそうになっている。
「なんか……本当にお姫様みたい」
イリアスが驚きのあまりポカンと口を開けている。
「何バカなこと言ってるのよ。本物よ、本物に決まっているじゃないの」
ユリアが興奮気味に言い返す。
「なんか……全身が輝いてる気がする……」
「ふふふ、そうでしょう、そうでしょう」
「お前ら、ぼけっとしてないで挨拶しろ、挨拶」
ジェスタもいつもの飲んだくれのような姿からは想像できないようなビシッとした格好になっている。
彼は颯爽とミスティアの前に行くと膝を折ってさっと手を差し伸べた。
「まるで、騎士みたいだな」
少し皮肉混じりに俺は言った。
それにしても……
まさに“王女”の理想像をそのまま具現化したような少女だった。
その視線がふとこちらに向けられ、にっこりと微笑んでいる。
——まあ、見た目は完璧だな。さすが、RPG「Throne of the Abyss」の中でも人気をフローラと二分するくらいの美しさ。
見かけによらず、勇者パーティ内では魔剣士になり大刀を振り回すことになるのだが、
そのギャップもまた、人気の理由のひとつだった。
だが、今目の前にいる彼女は、そんな気配を一切感じさせない。
ゲーム内では庶民である主人公イリアスに恋して、駆け落ちしようとするような情熱的な一面もあったが——
今はジェスタが相手をしている。ジェスタは手慣れた感じで談笑をしている。どこか、うっとりとした目でジェスタを見ているような気がするが。
「何、あれ、私のミスティア殿下に……馴れ馴れしい」
ユリアが怒っている。
「なんか師匠、鼻の下伸ばしていない?」
イリアスが楽しげに笑う。
「あの、飲んだくれの正体、後でバラしてやらなきゃ」
——おいおいやめてあげろよ。今はシラフなんだし。
「そろそろ、挨拶に行こうじゃないか。ユリア、イリアス、お前たちからだ」
ディルクがにこやかに声をかけながら、ふたりの背中を軽く押す。
「ソウスケ君も、頼むよ」
「了解です」
面子は揃った。第3王女ミスティア・ハーヴェスの、いや、今後の王位継承における重要なイベント”聖地巡礼”についての会議がこれから始まろうとしていた。
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