第42話 りんご飴
「こっち、こっちっ!」
下町の賑やかな通りを、イリアスと並んで歩く。
彼女は一直線に、目当ての“りんご飴屋”へ向かっていた。
けれど──彼女が通りに姿を現すだけで、あちこちから声が飛ぶ。
「おっ、イリアスじゃねぇか! 久しぶりだな」
「うん、ちょっと修行に出てたの」
「へえ、修行ぉ? 一体なんの?」
「強くなるためさっ」
にっこり笑って、まるでそれが当たり前かのように答える彼女。
嘘も飾り気もない、そのまっすぐな言葉に、相手も自然と笑顔になる。
やがて、屋台が並ぶ一角へたどり着いた。
焼き串の香ばしい匂いや、甘い菓子の香りが入り混じって鼻をくすぐる。
威勢のいい掛け声が、右から左から飛んでくる。
「……お祭りでもないのに、このにぎわいか」
イリアスは徐々に歩くペースを落とし、屋台の並ぶ通りをきょろきょろと見回す。
視線の先にある食べ物に、あっさりと釣られて進路を変えていく。
「おいおい、イリアス。目的はりんご飴だったんじゃないのか?」
「……あ、そっか。そうだった! ボク、りんご飴だった!」
はにかんだように笑いながら、あわてて方向転換。
そうして、ようやく一軒のりんご飴屋にたどり着いた。
「おじさーん! りんご飴ひとつ、ちょうだいっ!」
「おうよ。……って、おお、イリアスじゃねえか。元気にしてたか?」
「もちろんだよ!」
元気いっぱいに答えながらも、イリアスの視線はもう屋台のりんご飴に釘付けだった。
つやつやの飴がとろりとかかった、真っ赤なリンゴがずらりと並んでいる。
どれも似たように見えるのに、イリアスはまるで宝石を選ぶように、ひとつひとつをじっくりと見比べている。
「……これだっ!」
ようやく一本を選ぶと、イリアスは得意げに金貨一枚を屋台の親父に差し出した。
「おいおい、金貨一枚なんて出すなよ! 釣りがねえぞ。もっと細かいの、持ってねえのか?」
「うーん……」
ポケットをごそごそ探るも、さっきユリアにもらった金貨一枚しか持ってきていないらしい。
「いくらだ、親父さん」
「へい、銅貨10枚だよ」
「はいよ」
俺は小銭入れから銅貨を取り出し、親父に手渡す。
「えっ、いいの?」
「別に。……“無駄遣いするな”って、ユリアに言われてただろ」
「えへへ、ありがとう、ソウスケ!」
イリアスは嬉しそうにりんご飴を受け取り、そのままぱくりとかじるかと思いきや——
「うーん、まずは見て楽しむっ!」
光に透かして、じーっと見つめている。その目は、まるで世界の秘密がそこに詰まっているかのようだった。
「……食べないのか?」
「うん、もうちょっと眺める。こういうのって、食べる前がいちばん幸せなんだよ!」
「へんな理屈だな」
そう返しながらも、その幸せそうな顔を見ていると、ついこちらも肩の力が抜けてくる。
しばらくすると、イリアスがふと真面目な顔でこっちを見た。
「ねぇ、ソウスケ」
「ん?」
イリアスの透明感のある大きな碧い瞳が、じっと俺を見つめている。
風に揺れるピンク色の髪が頬にかかっている。少年というか少女というか、中性的な美しさみたいなものが、妙に印象的だった。
「りんご飴ってさ、上から食べる? それとも、下から?」
……なんだその質問。
俺は思わず吹き出しそうになって、頭をかいた。
「……まあ、普通は、上からじゃないか?」
「そっかー。ボクはね、真ん中からいきたい気分なんだけど、変かな?」
「変だよ」
「えーっ。でもいちばんおいしいところが、真ん中にある気がするんだもん!」
そう言って、笑顔のまま飴にかぶりつくイリアスを見て、俺は小さくため息をついた。
──こいつは、ほんとに世話が焼ける。
◇
そのあとも、イリアスは屋台を見てはあっちにふらふら、こっちにふらふら。
おかげで目的地の“実家”に向かっている気配はまるでない。
「ところで、お前、実家には何をしに行くんだったか、覚えてるか?」
「……あっ」
ピタリと動きが止まり、次の瞬間、顔をぱっと上げる。
「そうだった! 急がなきゃ!」
言うが早いか、イリアスは走り出した。けっこうな速さだ。
「おい、ちょっと待て──!」
声をかける間もなく、あっという間に人混みに紛れて見えなくなった。
──おいおい、どこに消えた。
急に視界から消えたことで、俺はやや焦りを覚える。
立ち止まって、耳を澄ませた。屋台の呼び声、笑い声、喧騒。
その中に、どこか遠くから──
「こらっ、弱いものいじめしちゃダメじゃないか」
——イリアスの声がかすかに聞こえた気がした。
俺はその方向へ駆け出した。
◇
そこには体のゴツい、明らかに堅気に見えないサングラスの男二人が、老人を威圧していた。イリアスは男二人と老人の間に入って、庇っているように見える。
俺はスッと長刀を抜いて、近づいた。
「いったい、お前たち、何をしている」
男二人は、俺の方を見ると、ギョッとした顔をした後退りをした。
「おおお、お前、何、刀抜いているんだ」
「そうだ、そうだ。俺たちは別に何もしてねぇぞ」
少し拍子抜けしたので、俺は刀を納めた。
「見たぞ。さっきこのお爺さんを揺さぶって、金を出せって脅してただろ。弱い者いじめなんて──ボクが許さない!」
「いや、この爺さん、俺たちに金を借りているんだが。それを返せって言って何が悪い」
「そうだ、そうだ」
「そんなわけ、あるかっ」
イリアスが背中の剣を出そうとしている。
「まあ、イリアス待て。爺さん、本当に金を借りているのか?」
「え、ええ、そのぅ」
爺さんは口篭っている。
「じゃが、わしは金貨1枚分しか借りておらん。こいつら、半年で金貨5枚言うてきて、わしの店を寄越せって言っておるのじゃ」
「……半年で十倍か。強盗と変わらないな」
俺がジロリと見た。
「お、おう。だが、別にどれくらい金利を上げるかなんて、こっちの都合だ」
「そうだ、そうだ。こっちだって慈善事業しているわけじゃないんだ。店を取られたくないなら、とっとと金をよこせ」
……金利のシステムについては、ちょっとこっちの事情は分からないが、流石に取り過ぎなような気がする。
「金利は規制されてないのか?」
「書類にサインしてしまえば、こっちのものよ」
男の一人は書類を懐から出して、ヒラヒラさせている。
(つまり、書類にサインさせれば、法なんて形だけってことか。……どこの世界も、悪党のやることは変わらない)
「それ以外に証拠はあるのか?」
「あるわけねぇだろ。こいつがすべてだ」
男の一人が、懐から書類を抜き出し、誇らしげにヒラヒラと掲げる。
「──じゃあ、これが無くなってしまえば、証拠はないんだな」
スッと指を鳴らすように、“空間転移”を発動。男の手から紙束がふっと消え、次の瞬間には俺の手元に現れていた。
「なっ……!」
紙束を確認もせず、俺はその場でビリビリと引き裂いた。
「ああっ!? な、何しやがるっ!」
「ふざけんじゃねえぞ、このガキ!」
二人が同時に飛びかかってくる──が。
「てぇーいっ!!」
踏み込んだイリアスが、勢いよく飛び蹴りを叩き込む。
ゴツい男の一人が、横に並ぶ屋台ごと吹っ飛んだ。
唖然としていたもう一人には、俺が背後から刀の切っ先を突きつける。
「──証拠はもうないぞ。これ以上やるのか?」
「ひ、引き下がる! 引き下がるって……!」
「──いいか、金利は帳消し。それで手を引け」
「……わ、分かったよ」
男たちが大人しくうなずいたのを確認して、俺は刀を納めた。
「お爺さん。これで問題は片付いた。金利は帳消しだ」
「よかったねっ!」
イリアスがにっこりと笑い、老人の傍に寄る。
しかし、老人の顔には晴れない影が落ちていた。
「すまんのう……。じゃが、婆さんが病気で寝たきりでな、わしが世話もせんといかんのじゃ…… もう金など残っておらん。利子がなくとも、元金が払えん……」
その言葉に、さすがの俺も黙り込む。
だが──
「じゃあ、ボクが払う」
イリアスが一歩前に出て、躊躇なく金貨一枚を取り出した。
目を見開いた俺が振り返るより早く、その金貨はサングラス男の手の中に収まっていた。
「ねえ。もうこれ以上、お爺さんをいじめないって約束してね」
「あ、ああ……分かったよ……」
男たちは気圧されるように背を向け、そのまますごすごと路地裏へと消えていった。
「ふう……これで、よしっ」
イリアスは胸を張って満足げに言った。
「なあ、いいのか?」
俺はイリアスに確認した。
「うん、でも……勇者だったら、きっと同じことすると思うからっ!」
なるほど、イリアスの行動規範は勇者……というわけか。
「だけど、ユリアは無駄遣いするなって言ってなかったか?」
「うん。でも、いいの。あのお爺さん、すごく困ってたもん」
「ユリア、怒るぞ」
「そ、それは困る……。ソウスケ、フォローお願いっ!」
「……わかったよ。俺がよく言っておくよ」
「ありがとーっ!」
はじけるような笑顔が、夕陽に照らされてきらきらと輝いていた。
これが勇者か……まあ、悪くはないもんだな。
「さ、次こそは実家に行こうか」
「うん」
イリアスは力強く答えた。
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