第40話 勇者の遺志
夏真っ盛りの午後。焼けつくような陽射しの中、俺はクラネルト伯爵邸を訪れていた。
遠くから、鋭い剣戟の音が響いてくる。
どうやら、イリアスとジェスタが稽古中らしい。
中庭の木陰では、革鎧姿のユリアが汗を拭いながら休憩していた。
「おかえり、ソウスケ。泊まるところ、見つかった?」
「無事にな。繁華街のわりに小綺麗で、料金も手頃だった。半年分まとめて払ったら、だいぶ値切れたよ」
「そう。……でも、うちに泊まりたいなら、いつでも言ってちょうだいね」
ユリアが肩をすくめて微笑む。
「それも悪くないな……まあ、たまには静かな夜も欲しくなる」
実際、昨晩泊まった宿は立地のせいか、夜でも酔客の騒ぎが絶えなかった。
──それでも、ジェスタのいびきよりは遥かにマシだった。
「だいぶ、熱が入ってるな」
俺は視線を中庭に向け、汗だくで稽古を続けるイリアスとジェスタを見ながら言った。
ユリアが肩をすくめて答える。
「もう、朝からずっとよ。私も最初は付き合ってたけど、あの二人にはついていけないわ」
確かに、イリアスはひたむきに打ち込んでいた。だが、ジェスタにかすりもしない。
それでも彼女は一向にめげる様子もなく、気合を入れて打ち込んでいる。
一方のジェスタはというと、ややゲンナリ気味な表情だった。
「イリアス、真面目すぎるな。まあ、それが長所でもあるけど」
「でもね、ちょっと困ってるのよ」
「ん?」
「ジェスタに言われたからって、今朝は全裸で素振りしてたのよ。しかも庭で」
「……は?」
「“肌で魔力を感じろ”って……あの人、何教えてんのよ、まったく」
「さすがに、女の子が全裸素振りはまずいだろ」
「おっさんだってアウトに決まってるでしょ。犯罪よ犯罪。イリアス、完全に騙されてるわよ」
「いや、一応ジェスタの話も聞いたけど……言ってること自体は、まあ理屈にはなってたんだよな」
その言葉に、ユリアがピクリと反応し、じろじろと俺を見てくる。
……顔が、ほんのり赤い?
「ももも、もしかして……ソウスケもやってるの?」
「やるわけないだろ」
「そ、そうよね。うん、そうそう。そうだ、それよりも──ジェスタがね、毎晩帰ってくるたびに酒臭いか、香水臭いかで、本当にひどいのよ」
「ああー、やっぱりそうか」
「確かに、腕はいいわよ。それは認める。でもね、聖騎士を名乗るなら、もう少し品格を持たないとダメだと思うの」
そうか。
ユリアはもともと、聖騎士になることを目指して、ずっと真面目に努力してきたんだった
その彼女からすれば、ジェスタのようなタイプが“聖騎士団の象徴”になること自体、納得できないのも無理はない。
正直なところ、俺も少し疑問に思っている。
博打に酒、女遊び。
どう考えても、ジェスタは“聖騎士”という肩書きに似合う人間ではない。
そもそも──人選がおかしいんだよな、ディルク伯爵の。
「イリアスはイリアスで、すっかりジェスタに感化されちゃってね」
「え、イリアスも?」
「そうよ。せっかく女の子だって分かったから、可愛い服をいくつか用意してあげたのに……」
ユリアはため息をついた。
「その服を着たまま必殺技の訓練とかしてるの。しかも全然テーブルマナーを覚える気配もないし、ますます“男の子っぽさ”に拍車がかかってるのよ」
「まあ……今までずっと、あの感じで生きてきたんだし。急には変わらないだろうな」
「“しょうがない”で済ませないでよ」
ユリアの口調は強かったが、怒っているというよりは、諦めきれない優しさがにじんでいる。
「まあ、よくやっているよ、ユリアは。面倒見がいいんだな」
俺が感心してそう言うと、ユリアは少し驚いたように目を丸くした。
「……なんか、ソウスケって、ずいぶん大人びてるよね」
まあ、10歳児にそう言われてもな。実年齢24歳だから当然だけど──
ユリアの方がよっぽどしっかりしてると思う。
「いや、ユリアの方がずっとしっかりしてるだろ」
「わ、私はほら……その……気にしすぎちゃうところがあるから……」
小さく呟く声には、ほんの少しだけ不安が混じっていた。
「うっとおしいって思われてるんじゃないか、とか……おせっかいすぎるんじゃないか、とか……つい考えちゃって」
「いや、きっとみんな感謝してるよ。でも……あまり頑張りすぎるなよ」
「あ、うん。……ありがとう」
ユリアは、少し照れたように、それでも安心したように笑った。
「ソウスケといると、なんか……落ち着くというか、安心するというか……その、ジェスタよりもずっと」
ジェスタは三十過ぎのはずだけど……
俺、年下なのにな。
すると、その時だった。
「ソウスケーっ!」
遠くから、イリアスが汗まみれで走ってくるのが見えた。どうやら稽古を終えたばかりらしい。
◇
「あっつ〜〜〜……!」
イリアスは俺の隣にどさっと座り込むと、着ていた革鎧を脱ぎ捨て、シャツ一枚の姿になった。
汗でぐっしょり濡れた布地が肌に貼りつき、ところどころ透けている。
「うわっ、あっつ、あっつ、あっつ!」
シャツをバフバフと仰いで体を扇ぎながら、まるで熱帯の砂漠で遭難した旅人のような声を上げる。
「ちょっと、イリアス! はしたないわよ!」
ユリアが眉をひそめてぴしゃりと叱るが──
「だって暑いんだもん……溶ける……」
イリアスは意に介す様子もなく、だらしなくその場に寝そべった。
その姿は、もはや戦士というより干からびかけの子犬だった。
「しょうがないな……」
俺が苦笑を漏らすと、ユリアはやれやれと肩をすくめた。
そのとき──
「おう、ソウスケ。来てたのか」
ジェスタが姿を現した。どこか、やつれたような顔をしている。
「ぷはぁ……」
使用人が差し出したコップの水を、彼はいきなり頭からかぶった。
続いて、イリアスも真似してバシャリと水を浴びる。
「ちょ、ちょっと! 完全に透けてるって!」
ユリアが慌てて立ち上がると、イリアスを引っ張って屋敷の中へと連れていった。
ジェスタはポカンとしたまま、その背中を見送っていた。
「……どうだ、イリアスは」
「まだまだだな。けど──間違いなく、強くなるぜ」
「体力じゃ、もうお前負けてるだろ?」
「ちっ、真剣勝負なら一太刀だ。体力なんざ飾りだっての」
ジェスタがスネ気味にそっぽを向いたのを見て、思わず笑ってしまう。
ひとしきり笑い合った後、ジェスタが少し真顔になった。
「そういや、あいつ……勇者になるってぬかしていたな」
「そりゃあ、お前を見てたら“剣聖”は目指さないだろう」
「うるせぇよ」
そう言いつつ、ジェスタはタバコを取り出して火をつけた。
白い煙が炎天下の青空へ、ゆらゆらと溶けていく。
「勇者になんて、なるもんじゃねぇのにな……」
ジェスタの横顔に、ふと陰が落ちた。
俺は、それ以上は何も言わなかった。
ゲーム内の知識として、彼がかつての“勇者の仲間”だったことは知っている。そして、勇者を失った喪失が今も彼の胸にあることも──
だが、イリアスは──
勇者になる運命なのだ。遺志を継ぐ者として。
もう、誰にも止めることはできない。
「ソウスケ、一つだけ──人生の先輩からアドバイスだ」
「……なんだい」
「お前、何でも一人で背負おうとするクセがある。もっと周りを頼れ」
「信用してないわけじゃない。ただ……今は自分にできることをしているだけさ」
ジェスタはため息をひとつ吐いた。
「それだよ、それがダメなんだ。もしお前に何かあったら……残された仲間は、ずっと後悔するんだぞ」
「何かあっても、それは俺の責任だ。仲間のせいじゃない」
ジェスタは立ち上がり、空を仰いだ。
「仲間の中には、一生後悔を抱えて生きる奴だっている。覚えておけ」
タバコの煙が、空へと昇っていく。
それはまるで、どこか遠く──死者に手向ける線香の煙のようにも見えた。
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