第37話 手合わせ
朝。
眩しい光が差し込んできて、俺はゆっくりとまぶたを開けた。
隣のベッド——空っぽだった。
「……あれ? ジェスタは?」
あの地鳴りのようなイビキが止んだと思ったら、すでにどこかへ行ってしまったらしい。
寝起きのぼんやりした頭を軽く振って、俺は部屋を出る。
ふらりと中庭へと足を向けると──
「はっ! せいっ! はあぁっ!」
気合いのこもった掛け声と共に、剣の風を切る音が響いてきた。
——ん?
物陰から覗き込むと、そこには——
「……おいおい……マジかよ……」
ジェスタが、全裸で素振りをしていたのだ。
朝日に照らされるその筋骨隆々の肉体は、鍛冶職人が鍛え上げた名剣のように、無駄のない肉体だった。
剣筋も、見事だった。
空気を裂く音が、一閃ごとに正確に響き、剣の軌跡が目に映らないほどの速さで振り下ろされている。
——なるほど。これが剣聖の姿か……
一瞬、見惚れそうになった——が、
——いやいやいや、冷静になれ俺。これは……色々とアウトだろ
王都のど真ん中で、生まれた姿のままの男が朝から気合い全開で剣を振るってる。
——これ、通報案件だよな
だが、その動きの鋭さ、迷いのない太刀筋。
彼が剣技に、どれほど人生を賭けてきたかが、痛いほど伝わってきた。
「おう、見ていたのか?」
ジェスタが俺に気づき、動きを止める。
「全裸は…… さすがにまずいと思うぞ」
「何を言っているんだお前は……」
ジェスタはやれやれと言ったポーズをとって、呆れた顔をしている。
「いや、その格好に意味なんてあるのか?」
「あるに決まってるだろ」
ジェスタは大真面目な顔で言った。
「お前は敵の魔力をどこで感じてる?」
——考えたこともなかった。たぶん、ぼんやりと全身で感じてる……気がする。
「肌だ。肌で感じるのがいちばんだ」
ジェスタは力強く語る。
「目でも耳でも魔力は察知できる。だが、どこかに頼りすぎると、そこを封じられた時に詰む。だから全身で魔力を感じる。それが俺の流儀だ」
——たしかに、一理ある。
「すべての剣技には魔力が込められている。動作のひとつひとつも、魔力の補助が必要だ。魔術は言わずもがな。つまり、魔力の流れを読むということは、敵のすべての動きを読むということになる」
ただ裸になりたかったわけじゃなかったのか。
「つまり、裸になることで、敵の魔力を直接肌で、最大限に感じ取れることになるんだ。裸こそが最強」
その真剣さに、俺の中でも何かが熱を帯び始める。
「……一度、手合わせしてみたい」
「もちろんだ。そこに木刀がある。好きに選べ」
ジェスタはニッと笑う。だが俺は、静かに一歩近づいてこう言った。
「その前に……」
「ん?」
俺は真顔で言った。
「服を着てくれないか?」
◇
ほどなくして、ラフな稽古着姿のジェスタが戻ってきた。
腰には木刀一本。だが、それだけで場の空気が変わる。
「じゃあ、いくか。好きなタイミングでかかってこい」
彼は自然体のまま立っていた。それなのに、隙が全くなかった。
空気が重い。
ただの木刀を握っているだけなのに、まるで本物の刃を突きつけられているような錯覚。
——これが……“本物の剣聖”か
俺は足元に落ちていた一本の木刀を拾い、静かに構えを取った。
「じゃあ、遠慮なくいかせてもらう」
「いい目だ。そうでなくちゃな。……ん? ちょっと待て」
「なんだよ」
「お前、俺を舐めてんのか? 魔力キャンセラー、つけっぱなしだろうが」
——そうだ。外すのを忘れていた。
以前はかなりきつかったが、今では身体が慣れすぎて、着けている感覚すらなかった。
「確かに……つけっぱなしだった」
俺は手首と足首から、金属製の小さな装置──魔力キャンセラーを外す。
カチリ、と音が鳴り、装置が地面に落ちた瞬間、体中を駆ける魔力の奔流が一気に解き放たれる。
——魔力が……湧き上がってくる
まるで、息を止めていたのが解放されたかのような感覚。
体内の魔力が自由に流れ始め、筋肉のひとつひとつが呼応するのが分かる。
その様子を見てジェスタは信じられないという顔をした。
「お前…… 本当に10歳なのか?」
「いくつに見えるってんだ」
「……まるで、二十歳の時の俺を見てるようだ。ま、戯言はここまでだ」
ジェスタの足がわずかに沈み込んだ、その瞬間——
間合いを詰めてくる!
木刀が唸りを上げて振り下ろされた。
——今なら、見える。
俺はその一撃を剣で流し、即座に反撃。袈裟斬りに斬り上げるも、ジェスタは軽やかに後退し、かわす。
「……ほう、やるな」
不敵な笑みを浮かべると、彼は再び地面を蹴った。
——ジェスタの姿が、掻き消える。
「くっ……!」
真っ向からの一撃。受け止めるが、重い。腕ごと押し込まれそうになる。
二撃、三撃、四撃。
残像だけが視界をかすめる。魔力視覚を最大限に強化して応戦。
右——!
読みきって振り払うが、もうそこに彼はいない。気づけば数メートル先へ後退していた。
「なるほど。見えるのか……だが、見えるだけでは俺には勝てないぜ」
ジェスタが大上段に構える。ジリジリと距離を詰める。
——先に仕掛けるか……
ジェスタの肩がわずかに動いた。その瞬間、俺は前に飛び出し、ガラ空きの胴に横一文字の斬撃を放つ。
だが、当たる寸前に彼の姿が消えた。
「……背後かっ!」
振り向くより早く、俺の背中に衝撃が走る。
「倒れねぇか。初見で対応しやがるとは……」
俺は息を吐きながら、体勢を立て直した。
「お前の動きは……見切った」
「……言ったな?」
ジェスタがわずかに表情を変える。
「煽ってくれるじゃねえか。なら——後悔するなよ」
ジェスタが踏み込む。鋭い一太刀——だが、それはフェイントだ。
俺は視線の揺れから背後の気配を読み取る。
斬撃が迫る!
跳躍でかわし、カウンター。相手の剣で受け止められるが、そこから一気に魔力を解放。
筋力を強化し、五連撃!
最後の一撃が、ジェスタの右腕をかすめた。
「つぅ……」
ジェスタが後退する。
「まさか、俺に一撃入れるとはな……」
「言っただろ。見えるって」
「……ククク。だがな、こっからが本番だぜ」
ジェスタの足元が沈み込む。
——来るッ!
空気が張り詰める。この気配、これまでとはまるで違う。
「分身か!?」
ジェスタの姿が、二つに分かれる。
左右から同時に斬撃!
——どっちが本物だ? いや、本当に両方が実体なのか?
反応が追いつかない。完全に守勢に回る。
連撃が胴を、腕を、脚を打つ。次第に動きが鈍くなっていく。
「終わりだ。“雷鳴波”!」
二体が同時に剣を振り下ろす。
轟音——!
剣の軌跡が空気を裂き、雷鳴のような衝撃波を生む。
——避けられない!
ドンッ!
爆風と共に、俺の身体は吹き飛ばされた。
——そのまま、意識が暗転した。
◇
「いや、お見事」
パチパチと拍手しながらディルク・クラネルト伯爵が現れた。
ジェスタは”ソウスケ”を見下ろしている。彼は完全に意識を失っていた。
「さすがは剣聖」
「いや……」
ジェスタは浮かない顔をして右腕をさすっている。腕はかなり腫れ上がっていた。
「もし、実剣だったら…… とんでもねぇガキだぜ」
ディルクは微笑み、満足げにうなずく。
「思わぬ収穫でした。我々は、剣聖だけでなく——イリアス、ソウスケという希望の芽も手に入れた」
「まあ、あんたにとっちゃあ、そうだろうがな」
「引き続き、指導をお願いしますよ。娘ともども、頼りにしてます。騎士団長さん」
ジェスタはふぅ、と息を吐く。
「イリアスとユリアは、なんとかする……だが、こいつはな」
彼は”ソウスケ”の顔を見下ろし、ぼそりとつぶやく。
「強くしていいのか、正直迷ってる。何を考えてるのか、まるで読めねぇ。隠し事も多すぎる」
そして一拍おいて——
「もしこいつが“敵”になるなら、相当厄介だな」
ディルクはその言葉に動じることなく、静かに微笑む。
「大丈夫ですよ」
その声は、確信に満ちていた。
「必ず、我々の“味方”になります。ええ、間違いなくね」
だがその言葉にも、ジェスタの顔から疑念の色は消えなかった。
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