第36話 伯爵邸の夜
夜はさらに深まっていた。
ベロンベロンに酔っ払ったジェスタが、クラネルト伯爵——ディルクと肩を組み、なぜか王国の国歌を熱唱している。
二人ともでかい声で、しかも、音程がそれぞれバラバラなのに、奇跡的にハモっている。
「いずれ君には、我が騎士団の団長を任せたいと思っている。魔族の脅威から、この王国を守るんだ!」
「おうよ、任せとけって! 俺がいりゃあ、無敵の聖騎士団の誕生だぁ!」
ディルクは上機嫌。ジェスタもまんざらでもなさそうに胸を張っている。
——本当に大丈夫かよ?
この“元”剣聖、博打と女と酒で身を滅ぼしかけた男だぞ。
清廉潔白を求められる聖騎士団のトップに据えていいのか?
まあ、ディルクの気持ちもわからないではなかった。
聖騎士団を再編するにあたり、魔族との戦争を想定した“本物の剣”が必要だったのだ。
ジェスタ・ハイベルグ。かつて勇者と共に戦った剣聖。
多少の素行不良を差し引いても、剣聖ジェスタにはそれを補って余りある「価値」がある。
——ディルクは、そう判断したのだろう。
「……もう食べられないよ……ふぅ……」
テーブルの端では、イリアスが満腹で眠りに落ちていた。
スープの香りがまだ漂う皿の前で、椅子にもたれ、スースーと寝息を立てている。
「……しょうがないわね」
呆れたようにため息をついたユリアが、どこからか毛布を取り出し、そっとイリアスの肩にかけてやる。
その仕草には、年の近い少女とは思えないような、姉のような慈しみがあった。
——そろそろ、俺の役目は終わったな。
そう思い、俺は静かに椅子を引いた。
「では……これで失礼します。いろいろと、お世話になりました」
軽く頭を下げると、場の空気が一瞬だけピンと張りつめる。
「えっ、ちょっと、こんな夜中にどこへ行くつもりなの? 泊まっていきなさいよ!」
ユリアが驚いたように立ち上がり、俺の前に回り込む。
「俺がどこへ行こうと、別に問題ないだろ。礼は尽くした。それに……もう、ここに長居する理由もない」
「ふーん、そう。じゃあせめて——我が家自慢の大浴場だけでも使っていきなさいよ。……臭くてたまらないわ」
ズバッと斬り捨てられ、思わず自分の襟元のにおいを嗅いでみる。
——うん。たしかに。
血と汗、それに野宿続きの埃っぽい匂いが染みついている。正直、反論できない。
「ほら、タオルと着替え。ちゃんとあるから!」
言うが早いか、勢いそのままにタオル一式を押しつけられる。
気づけば俺は、半ば強引にクラネルト邸自慢の「大浴場」へと案内されていた。
白く立ちこめる湯気。滑らかな石造りの床と、魔導細工が施された装飾の数々。
淡く香る香草の匂いが、鼻腔を優しくくすぐる。
湯船は広く、まるで温泉旅館のような贅沢さだった。
——元の世界でも、こんな風呂はそうそうお目にかかれない。
この世界でも、貴族に湯浴みの習慣はある。だが、ここまで魔道具を駆使した大浴場となると、相当に珍しい。
辺境伯の屋敷にはこんな風呂はなかった。この世界では無理だと思っていたが、魔道具を駆使するとできるんだな……
湯に肩まで浸かる。
「ふああ……」
思わず、間の抜けた声が漏れる。
身体中の疲れが、湯に溶けていくようだった。
そこへ、脱衣所から騒がしい声が響いてきた。
「おい坊主、さっさと脱げって!」
「やだってば! 一人で入るから、あとで!」
ジェスタと……イリアスか。
「恥ずかしがってんじゃねぇよ、男同士の裸の付き合いってやつは大事なんだぞぉ!」
「だから嫌だってば!」
はあ……しょうがない。
俺は湯船から上がり、バスタオルでざっと身体を拭いてから脱衣所へ向かった。
「おい、ジェスタ。嫌がってるんだからやめてやれって」
そう言った矢先だった。
「せーのっ!」
ジェスタが勢いよくイリアスのズボンと下着を——一気に引き下ろした。
「ぎゃあああああっ!」
数秒の静寂。
呆然としたジェスタが、動きを止めたまま口を開く。
「……え?」
「お前……女だったのか……?」
ポカンとするジェスタに、イリアスは怒りと羞恥で顔を真っ赤に染めながら、反射的に蹴りを繰り出す。
バコンッ!
「ぎょえええっ!」
ジェスタが見事に吹っ飛び、イリアスは脱衣所から飛び出していった。
「ま、待てって! ちがうんだ、そんなつもりじゃ……!」
言い訳を始めたそのとき、ユリアが脱衣所に飛び込んできた。
「この変態、女の敵!」
手にした桶を振りかぶり、ジェスタの頭へ渾身の一撃。清々しい音が響いた。
「いってぇ!!」
……はあ。やれやれだ。
俺はもう一度湯船へと戻り、肩までゆっくりと湯に沈んだ。
◇
風呂を出たころには、さすがのジェスタも少しは反省したのか黙り込んでいた。
一方、イリアスはソファで膝を抱えて項垂れている。その隣に座るユリアが、優しく背中をさすっていた。
「なんでぇ、まだ泣いてんのか。俺はガキの裸なんざ、これっぽっちも興味ねぇっつの……」
バシンッ!
ふたたび、ユリアの蹴りがジェスタのスネを直撃した。
「レディに何言ってんのよ、最低っ!」
「いってえ! なんでだよ!? そもそもお前が“男の子なんだから一緒に入ってきなさい”って言ったんじゃねぇか!」
「だって……『ボク』って言ってたから……」
ユリアがバツの悪そうな顔で言葉を濁す。
……まあ、無理もない。
俺だって完全に男だと思い込んでた。ゲームでも、イリアスは男性主人公でしかプレイしたことがなかったし。
そういえば、選べたんだったな……女主人公も。
あのとき感じた微妙な違和感——声のトーンや、仕草、目の輝き。
全部、こういうことだったのか。
とはいえ、俺だけ納得してても仕方ないんだが。
「……女の子に見えたら、悪い人に酷いことされるって……言われてたの。だから、ずっと男の子のふりしてたの。言葉も……もう、癖になっちゃってて……」
「そうなんだ。……大丈夫、気にしなくていいよ」
ユリアはそっと彼女の手を取り、優しく微笑む。
「ここではちゃんと、“女の子”として扱うから。ね、うちの部屋に来ない? 服もいっぱいあるし、好きなの着てみてよ」
「……えっ、いいの? 本当に?」
イリアスの瞳が、ぱっと輝いた。
「ちっ……見どころがある奴だと思ったら、女だったなんてな……」
ぼそりと呟いたジェスタに、ユリアの目が鋭く光る。
「ちょっと、それどういう意味よ? 女だからダメって言いたいの?」
声に鋭さが混ざり、ジェスタは一瞬たじろいだ。
「ち、違ぇよ。ただ……俺の後継者にちょうどいいって思ってたから、意外だっただけでよ!」
「ふん、あんたみたいな“剣だけ強いろくでなし”の後継者なんてお断りよね」
「ふん。あんたみたいな、“剣だけ強いろくでなし”の後継者なんて、こっちから願い下げよ」
バッサリと切り捨てられて、ジェスタはむくれたように顔をそらす。
「……ボク、イレーナ様に憧れてるの。強くて、かっこよくて、優しくて……」
イリアスがぽつりと漏らした言葉に、ジェスタがわずかに眉を動かす。
「……チッ。イレーナは俺のバディだったんだぜ。ま、実際は俺の方が強かったけどな?」
「へぇ〜、そうなんだ〜(棒読み)」
ユリアの無表情な相槌が炸裂し、ジェスタはさらに傷口を広げることに。
「さ、行こうイリアス。おしゃれな服、選ぼっか!」
「うん、ユリア!」
二人は楽しげに手を取り合い、部屋を出ていった。
まるで嵐が去ったあとのように、静まり返る客間。
ソファに取り残されたジェスタが、しょんぼりと俺を見た。
「なあ、お前は……分かってくれるよな? 剣聖の強さってやつを」
——俺に言うなよ。
「まあ、最強クラスであることは間違いないな。……中身は、置いておいて」
「そっちかよ……!」
ジェスタは頭を抱えて天井を仰いだ。
◇
結局、その夜は泊まることにした。
もう時間も遅いし、無理に出ていく意味もない。
まずは、拠点を確保すること。
次に、情報を集めて……そのうえで、次の一手を考える。
そして——
「……一度、手合わせしてみたいな」
剣聖ジェスタ・ハイベルグ。
あのときの彼の動きは、俺の目にはまるで映らなかった。
もし魔力で視覚を強化していれば、多少は捉えられたかもしれない。だが、あの状況では無理だった。
このクラスと渡り合えなければ、カサンドラとの戦いなんて夢のまた夢だ。
まだ機会はある。あの剣技の一端だけでも、体感しておかなければ。
「グゴゴゴゴゴ~~~~……!」
地鳴りのような轟音が、隣のベッドから鳴り響いた。
ジェスタのイビキだった。
「……寝ろって方が無理だよな、こりゃ」
毛布を頭まで被り、俺は深く、長いため息をついた。
お読みいただいてありがとうございます。
評価⭐️やブックマークしていただけると大変励みになります。
よろしくお願いいたします。




