第35話 クラネルト伯爵家
ユリアの実家、クラネルト伯爵の別邸まで、俺たち三人はユリアを連れて行った。
貴族たちが住む北区画の中でも、格式ある建物が並ぶエリア。その一角にある邸宅の前では、数名の衛兵たちが慌ただしく出入りしており、どこか殺気立った雰囲気が漂っていた。
その中で、背の高いロマンスグレーの髪の男が、威厳ある声で指示を飛ばしている。隙のない身なりと立ち居振る舞いからして、ただ者ではないのが一目でわかる。
「パパ!」
ユリアがその姿を見つけるや否や、駆け寄って抱きついた。
男の表情が一瞬だけ緩み、彼女をしっかりと抱き返す。父娘の再会は、張り詰めた空気すら穏やかに変える力があった。
「……ああ、よかった」
「まったくだ。俺が恥かいて助けてやった甲斐があったってもんだぜ」
ジェスタは腕を組みながら、どこか満足そうに頷いた。
「おじさんは、どこから来たの?」
見上げたイリアスがそう言うと、ジェスタの眉がぴくりと動く。
「ちょっと待て坊主、おじさんじゃねぇ。こう見えてもまだ三十だ。ちゃんと見ろ、この精悍な顔立ちと筋骨隆々な体をよ」
「ボクだって坊主じゃない! ボクはイリアス・バッシュっていうんだ!」
「ははっ、そいつは失礼したな、イリアス。俺の名はジェスタ・ハイベルグ。ま、昔は“剣聖”って呼ばれてた男よ」
「すごいんだね! あっという間に敵を倒しちゃって、かっこよかったよ!」
イリアスは尊敬のまなざしでジェスタを見上げている。本人は照れ隠しに鼻を鳴らしていたが、まんざらでもなさそうだった。
「……で、お前は? さっきから気になってたが、何者なんだ?」
俺のほうに視線が向く。ジェスタの目がキラリと光った。
アーヴィン・カーティスと名乗るわけにはいかない。少し迷ってから、口を開いた。
「ソウスケ・タジマだ」
「ソースケ? 妙な名前だな……どこの出身だ?」
「どこだっていいだろ。俺は俺さ」
その返答に肩をすくめるジェスタ。イリアスは無邪気に笑いながら、俺の手を取ってきた。
「ソースケ、よろしくねっ!」
「ああ、よろしく」
彼の人懐っこさに、少しだけ戸惑いながらも、俺は応じた。
「みんなー、ちょっと来てー!」
振り返ると、玄関先でユリアが元気よく手を振っていた。
俺たちが顔を見合わせていると、彼女はぱたぱたと駆け寄ってくる。
「パパが、お礼をしたいって。ほら、入って入って!」
「えっ、本当?」
「まあ……お礼を言われるのも、悪くねぇな」
イリアスとジェスタが一緒にうなずいて、そろってクラネルト伯爵邸の門へと歩き出す。
だが——俺はその場に立ち止まった。
ジェスタ・ハイベルグ。イリアス・バッシュ。そしてユリア・クラネルト。
いずれもゲーム内で重要なネームドキャラだ。
今回の目的——彼らと接触し、情報を得るという点では、これで十分すぎる成果を得た。
俺が邸宅に向かうことをためらった一番の原因は——
ユリアの父、ディルク・クラネルト伯爵の存在だった。
——アーヴィン・カーティスとして、過去に彼と顔を合わせていたかもしれない。
この世界では十二歳で成人とされ、貴族の子息は徐々に社交界に顔を出すようになる。年齢的にはグレーゾーン。だが、万が一、会っていたら……
用が済んだ今、ここで退いておくのが賢明だ。
俺は静かに背を向け、邸宅から離れようとした。だが——
「……なに、逃げようとしてるのよっ」
回れ右をしようとした俺の手が、しっかりと掴まれた。
ユリアがぐいぐいと腕を引っ張ってくる。さっきまでの優雅な令嬢の面影はどこへやら、その力強さに俺の足がずるずると動く。
「だーめ。お礼は“三人”にするって、パパが言ってるんだから」
「……俺はお前を助けたわけじゃない。礼なら、あの二人に言えばいい」
「でも、戦おうとしたでしょ? 剣を渡したのもあなたでしょ?」
「……勘違いするな。剣は勝手に取られただけだ」
「ふーん?」
ユリアはにやりと笑い、揶揄うように言った。
「意外とあなたって、照れ屋なのね」
「勝手に解釈するなよ」
「お礼をしないと、クラネルト家の沽券に関わるのよ。そういうの、貴族的に大事なのよ」
「……貴族ってやつは、めんどくせぇな」
「はいはい、文句はあとで。行くよ、さっさと」
ユリアは問答無用で俺を引っ張っていく。
……もう、逃げるタイミングは完全に失われていた。
◇
食堂に通されると、長い楕円形のテーブルの最奥——上座には、威厳を纏った男が静かに腰掛けていた。
ディルク・クラネルト伯爵。ユリアの父であり、王国でも屈指の名門クラネルト家の当主だ。
「今から晩餐の支度をさせる。しばし、寛いでいてくれたまえ」
落ち着いた低音の声が、広い食堂に響き渡る。
俺たちは順番に席に着く。やや遅れて現れたジェスタは、イリアスの隣に腰を下ろす。
いつの間にか、それなりに品のあるシャツと上着に着替えていたが、筋骨隆々の体には明らかに窮屈そうで、動くたびに布地が軋んだ。
「私の服では少々窮屈のようだね」
ディルクが穏やかに目を細める。
「ははは、まあ、慣れてないもんで。俺は少し緩めの方が好みなんですが……」
ジェスタは気まずそうに笑うが、遠慮の色はまったくない。どこか居心地すら良さそうに見えるのは、肝が据わっている証拠だろう。
「君が、ユリアを助けてくれたという少年だね。名前を聞いても?」
不意に視線を向けられたイリアスは、ぴしりと背筋を伸ばして答えた。
「は、はいっ! ボクは……イリアス・バッシュ、と申しますっ……!」
語尾はしぼみ、声が裏返る。緊張のせいで、耳まで真っ赤になっていた。
「ふむ……イリアス君か。君は勇敢な少年だね」
ディルクは小さくうなずきながら、優しげに言葉をかける。
「え、えっと、ありがとうございますっ」
「そして……君が、“剣聖”ジェスタ・ハイベルグか。噂はかねがね聞いているよ。見事な立ち回りで、多勢を1人で退けたそうだね」
「ま、俺にとっちゃ、朝飯前……いや、今回は夕飯前ってとこっすね」
そして、ディルクの視線が——俺へと向けられた。
「君は?」
じっと、射抜くような視線。
「ソウスケ・タジマです。よろしくお願いします」
名乗りながら、俺もまた彼の表情を探る。
ディルクの口元には微笑が浮かんでいたが、瞳だけは、静かに、そして深く何かを読み取ろうとしていた。
「タジマ……聞き覚えのない姓だな。どこの出身だ?」
「北の辺境です。あまり人のいないところで育ちました」
「わざわざ、王都まで…… 何をしに来たんだい?」
「修行です。北では魔物や魔族の脅威も多く、生きるには力が必要で……だから、それを磨きに来ました」
「おお、それで、そんな長刀を持っているんだね」
「はい。普通の剣では敵わない相手もいますから」
ディルクはほんの少しだけ頷いた。本当に納得しているかどうかは…… 分からない。
「ねえ、ねえ、お父様、みなさん待ちくたびれていますわ。始めましょうよ」
いつの間にか目の前には次々と豪華な食事が運ばれてきた。執事がうやうやしく、目の前のグラスに飲み物を注いでいる。
ジェスタはすでに一杯飲んでいて、少し顔が赤くなっていた。
イリアスは目の前の食事を食い入るように見ている。かなりお腹を空かせているようだ。
俺はというと、先ほど居酒屋で食べたのでさほどお腹は空いていない。
食事よりも、ディルクの様子が気になるので、警戒を緩められなかった。
「さあ、パパ、乾杯しましょうよ。乾杯」
「ああ、今日は娘を助け出してくれた勇者たちに、乾杯」
「かんぱーい!」
一斉にグラスが鳴り響く。俺もオレンジジュースのグラスを軽く口に運んだ。
俺がチビチビとオレンジジュースを飲んでいると、ユリアが隣の席に座った。
「ほらほら、遠慮しないで、どんどん食べて、どんどん飲んでよ」
グイグイとオレンジジュースを注ごうとする。
「他の二人に勧めたらどうだ」
「もう、あの二人は放っておいても勝手にやってるわよ」
——たしかに。
イリアスはというと、目を輝かせながら皿を次々に空にしている。背筋をピンと伸ばし、ナイフとフォークを握る手が止まらない。貴族の食事マナーとは無縁の豪快さだ。
その隣で、ジェスタはすでに三杯目らしきグラスを片手に、上機嫌で笑っていた。
「いやー、こりゃ極上の酒だ。さすがはクラネルト伯爵ですなぁ」
そんな様子を見ながら、俺はオレンジジュースのグラスをくるくる回していた。
「ところで、ジェスタ君に相談なんだが……」
ディルク伯爵がふと声を低める。
「え、なにっ。ああ、なんでも任せろよ」
ジェスタは赤ら顔のまま胸を張る。
「このクラネルト伯爵家は優秀な騎士を求めている」
「そりゃ俺のこと? もちろん優秀ですけどね。雇うとなると……けっこうお高いですよ?」
少し、顔色を伺うようなそぶりを見せるジェスト。
「もちろんだ。月にこれだけ出そう」
ディルクは静かに、三本の指を立てた。
「え、マジですかい? 月に金貨三枚ってぇと……」
「いや、十倍だ」
「……っは!? じゅ、十倍……」
その瞬間、ジェスタの動きがピタリと止まり、グラスを傾けたまま凍りつく。
「それでは、不足かね?」
「…………」
数秒の沈黙ののち、彼はがばっと立ち上がり、テーブルに手をついて深々と頭を下げた。
「ぜひとも、お仕えさせていただきますッ!!」
「そうか、では決まりだな」
そう言って、ディルクは満足げにうなずいてこう言った。
「ユリアが攫われたのは、ただの偶然ではない」
ディルクの声に、場の空気が少しだけ引き締まる。
「君は、王位継承争いについて知っているかね?」
「いや……さっぱり」
ジェスタが頭をかきながら笑う。
「我々は第3王女派なのだが、最近、きな臭いことになっていてね」
「でも、王位は王太子が継ぐんじゃないんですか?」
「表向きにはな。しかし、実情は違う。王太子レグナスは暗愚——政務もままならぬ状態だ。とても王の器とは言えん」
ディルクはグラスに手を添えたまま、静かに語る。
「それゆえに、第二王子ゼファル・ハーヴェスと、第三王女ミスティア・ハーヴェスの両派が、水面下で激しく争っている」
「へぇ……」
ジェスタはぽかんとしているが、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
——この話、ゲームの中でもあった。
王家の内乱の裏で、魔族が台頭する重大イベント。
第二王子ゼファルは魔族と手を結び、王位簒奪を目論む。
対する第三王女ミスティアは、やがて勇者パーティの一員となり、世界を救う鍵を握る存在となる——。
俺の視線は、思わずディルクの顔へと向けられていた。
——この男は、どこまで把握している?
「以前から“ミスティア王女を支援するな”という脅迫が届いていた。だが我がクラネルト家は、王家に忠誠を誓う聖騎士の家系。先祖に顔向けできぬような真似はできん」
ディルクの言葉には、揺るぎない信念が込められていた。
「だが、問題は——」
「ユリア嬢ちゃん、ですね」
ジェスタが頷く。ようやく事態の全体像が掴めたらしい。
「そうだ。娘の護衛と、ついでに剣の指南役をお願いしたい」
「この嬢ちゃんに……っすか」
「うむ。我が家にとって、ユリアは唯一の跡継ぎ。いずれは、ミスティア王女の側近としても仕える器になるだろう。そのためにも——君の力が必要だ」
ジェスタはしばらく黙考したのち、イリアスの襟首を引っ張り上げた。
「……こいつも一緒に引き受けるってなら、考えてもいいっすよ」
「えっ……?」
パンを口に入れたままのイリアスが、むせかける。
「こいつ、目がいい。素質もある。なにより、自分のためじゃなく、誰かのために強くなれる奴だ。そういうの、稀なんだ。だから、一緒に雇ってやってください」
「パパ、彼はとても勇敢だったわ。私と同じくらいの年齢なのに」
ユリアが援護射撃をする。
「ふむ……。だが、イリアス君自身の意思も大切にしなければな」
「えっ、ぼ、ボクは……」
「君のご両親に相談してきてもいい。もちろん住み込みになるが、不自由はさせないよ」
「……えっと、その……父も母も、ボクにはいません」
空気が、ふっと静まった。
「育ててくれたおばあちゃんに、相談してみます。でも……でも、ボク、絶対にここで働きたいです。剣聖さんと一緒に働けるなんて……夢みたいだから!」
「……そうか。なら、ぜひそうしてくれたまえ」
そして、ディルクは俺の方を向いた。
「君はどうするね。ソウスケ君」
——ゲームのシナリオは、今のところ正しく進んでいる。
ジェスタとイリアスはクラネルト家に迎えられ、そこから主人公・イリアスの冒険が本格的に始まる。
当然、その筋書きに「アーヴィン・カーティス」は登場しない。
「俺はやめておきますよ。剣の腕もまだ未熟ですし」
正直、クラネルト家に身を置く気はない。身バレの危険もあるし、シナリオを大きく変えれば、ゲーム知識が通用しなくなる可能性もある。
「誰の剣の腕が未熟だって?」
ジェスタの声に皮肉が混じる。
「お前、あの時何を考えて剣を抜いた?」
「……人質を助けようと思った。それだけさ」
「お前、”目的のためなら手段を選ばねぇ”タイプだろ。俺が刀を取り上げたのは、あいつらにとってその方がマシだったからだ」
「“あいつら”って、暴漢の方か? 人質が殺されるよりはマシだろ」
「……普通は、そんな発想にならねぇよ。その年で、どれだけ死線を潜ってきたんだ」
静かに、ディルクが言葉を挟む。
「目的のために手段を選ばぬ。結構じゃないか。むしろ、王国には今、そういう人材が必要なんだよ」
「……どういう意味ですか」
「それほど、この国は追い詰められているということだよ。だが、それに気づいていない貴族が、あまりにも多すぎる」
「だから、“非常”に備える覚悟を持った者が求められていると」
「その通りだよ。そうならないように、望んではいるんだがね」
俺はゆっくりと椅子に背を預け、言った。
「クラネルト家に住む気はありません。でも、依頼があれば受けます。それでよければ」
「もちろんだとも、ソウスケ君」
ディルクは満足げに目を細め、グラスを手にした。
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