第34話 剣聖ジェスタ・ハイベルグ
「いやあ、まさか、こんなところで再会するとは……」
裏通りの安居酒屋で、サムスが苦笑まじりにジョッキを煽る。酔客の怒鳴り声とアルコールの匂いが充満する店内。脂と酒で汚れたテーブル、粘つく床……どうにも落ち着かない。
俺は水を啜りながら、料理を待っていた。
「それにしても、アーヴィン坊ちゃ……っと、っと。すんません。けど久々で、つい」
「名前を出すな。どこで誰が聞いてるか分からん」
「へいへい。ところで、トムとドナルドも元気っすよ。覚えてますか? おかげさまでA級冒険者になれまして……まあ、肩書きだけですけど」
俺はあの三人組の冒険者のことを思い出して懐かしくなった。
そのとき、店の者が料理を運んできた。
どかんと置かれた大皿には、山盛りの肉。見た目は荒いが、香ばしい匂いが食欲をそそる。
「ここの店、俺の馴染みでして。味は保証しますぜ」
「……助かるな」
しばらく黙って肉を食らう。久しぶりに人心地ついた気がした。
「で……何をやったんです? あんた、懸賞金出てましたよ」
「実家で化け物退治をしてきた」
「ヒぇっ……!」
大袈裟に驚くサムスを見た。いちいちリアクションが大きいな。あまり目立ちたくないのだが。
「ヴァンピールさ、エリザベータと同じ」
「うげっ。じゃあ、あんな化け物が実家にもいらしたんですか」
「辺境伯がヴァンピールになっていた。妻はあのカサンドラだ」
「か、カサンドラぁ あのヴァンパイア真祖の……世も末だぁ」
「カサンドラは倒せなかった。しかも、辺境伯殺しの汚名を着せられた。今は追われている身だ」
「でもその、辺境伯が死んで、その妻が魔族幹部ってことは……」
「そうだ。いずれ、王都に攻め込んでくるかもしれないぞ。お前も覚悟しておいた方がいいんじゃないか」
「嘘でしょ…… せっかく、平和になったばかりなのに……」
しばらく、サムスはショックを受けて、しゃべれないようだった。
「そうだ、俺の懸賞金はいくらになっていた」
「え、ええ、えーと、確か100ゴールドですね」
「安いな。そうだ。それで俺を売る気はあるのか?」
俺は彼の反応を確かめて見た。
「と、ととと、とんでもねえ! あんな化け物とやり合える奴に、俺が喧嘩売るわけねえっす!」
その言葉に、臆病な彼なりの誠意がにじんでいるように感じた。
「そうか、そういえば、お前、ジェスタを知っているか?」
「ジェスタ……?」
「ジェスタ・ハイベルグだ。あの勇者パーティにいた剣聖」
「え、ああ、剣聖ジェスタですか…… えー 最近話は聞いていないっすね。もう引退したんじゃないんですかね」
「そうか……」
情報は乏しいが、少なくてもこの世界に存在している可能性はあるようだ。
◇
居酒屋を出ると、夜はすっかりと暮れていた。
「じゃあ、俺はここで……トムとドナルドに会ったら、言っておきます」
「頼む。ジェスタにどうしても会わなくてはいけない用事があるんだ」
「他にもギルドの連中に聞いておきます。たぶん、あいつらなら知ってると思います」
「助かる」
俺とサムスはそこで別れた。
王都の繁華街は、夜の闇に包まれてなお、喧騒と明かりに満ちている。
俺は裏道を歩いた。娼婦が近づいてきたが、「あっちへ行け」と言うと、肩をすくめて離れていった。
──夜の街というのは、ふと感傷的になる時がある。
こんなとき、コンビニでもあればと思う。
そのときだった。
一軒の店から、尻を蹴飛ばされて転がり出る男がいた。
俺は目を疑った。
──いや、目を疑いたかった。
店から放り出されたその男は、上も下も、何も身につけていなかったからだ。
月明かりに照らされる、傷だらけの筋肉質な身体。濡れたような長髪。
首から上は整った顔立ち。首から下は全裸。
ただの露出狂──にしか見えない。
「……おいおい、勘弁してくれよ。今夜こそ勝てると思ったんだがなぁ……」
そう呟くと、男は道端の木箱に腰を下ろし、空を仰いだ。
その姿に、なぜか既視感があった。
——いや、まさか、こんな格好で……
おそるおそる声をかける。
「……ジェスタ・ハイベルグか?」
「ん……?」
男が、眠たげにこちらを振り向いた。
「お前……どっかで会ったっけか?」
その顔、その雰囲気──間違いない。
それは、かつて勇者パーティに名を連ねた、剣聖ジェスタ・ハイベルグだった。
◇
「おい、小僧。これ、持ってねぇか? これだよ、これ」
ジェスタは、指でタバコをつまむような仕草をして、唇に当てた。
「ない」
「ちっ、しゃあないな……」
ジェスタは立ち上がり、裸の格好のまま、道端の石畳を歩いていく。
しばらくうろついた末に、排水溝の脇から、つぶれかけたシケモクを拾い上げた。
それを得意げに咥えると、俺のほうを振り向く。
「火、持ってないか?」
「ない」
「あーあ……これだからガキは嫌いなんだ」
ジェスタは舌打ちしながら、肩をすくめた。
次の瞬間、思いついたように俺に詰め寄る。
「そうだ。なあ、お前、金持ってないか?」
「はっ?」
「なあに、すぐ返す。もうひと勝負……そう、もうひと勝負すれば、勝てそうな気がするんだ。一発逆転、間違いない」
「正気か……」
流石の俺も呆れてしまった。だが、そんな俺にジェスタは真剣な顔をして言った。
「なあ、坊主、人生ってのはな、ギャンブルに似ていると思わないか?」
「……そんなことより、その格好をどうにかしたほうがいいんじゃないか」
俺は溜息をついて、自分が羽織っていた毛布をジェスタに投げてやる。
「おっ、気が利くな、坊主」
ジェスタはそれを腰に巻きつけ、満足げに木箱に腰を下ろし、天を仰いで深く息を吐いた。
「ふぅ……助かったぜ。さて、で、坊主。この俺様に何か用か?」
──その時だった。
夜の闇を裂くような、甲高い悲鳴が聞こえた。
「きゃーっ!」
ジェスタは毛布一枚の姿のまま、即座に立ち上がる。
そのまま声のする方へと、迷いなく駆け出した。
反射的に、俺も後を追いかける。
曲がりくねった路地を抜けた先、ちょうど灯りの届かない路地の陰に、それはいた。
大男に短剣を首筋に突きつけられている、華やかなドレスを纏った一人の少女。
そして、その周囲を取り囲む数人の暴漢たち。
その前に、棒切れ一本を武器に、満身創痍の少年の姿があった。
月明かりに照らされたその髪は、淡く輝くピンク色。
──イリアス・バッシュ、なのか?
記憶にある姿とは少し違って見えたが――間違いない。あれは、この世界の“主人公”だ。
ということは……あの少女は。
「ユリア……!」
思わず声が漏れる。
画面越しに何度も見た、あの意志の強い瞳。
イリアスの幼馴染にてメインヒロインの一人、7大美徳スキル”忍耐”のユリア・クラネルト伯爵令嬢だ。
「その子を離せっ!」
頬が腫れ、腕から血を流しながらも、イリアスは棒を構えて暴漢を睨みつけていた。
──さすが、未来の勇者だけあるな。
「ちっ、しつけぇガキだな。そろそろぶっ殺してやろうか」
「おいおい、お前ら、そんな子供たちに何しようってんだ。大人気ないなぁ」
ぬっと現れたジェスタの姿に、暴漢たちは吹き出した。
「なんだこいつ、変質者かよ」
「毛布一枚で正義ヅラとは、ふざけた野郎だ!」
「ふっ……俺を誰だと思ってる。剣聖ジェスタ・ハイベルグとは俺のことだ」
「はぁ? 剣聖ぃ?」
「剣聖なのに、剣持ってないじゃないか」
「お、おれの剣は……あっ、しまった。店に置いてきた……賭けに負けて……」
ジェスタが頭を抱えたその瞬間、俺は背負っていた長刀の布をほどいた。
——さあ、どうやって傷つけずに助け出すか。人質とは厄介だな。空間転移でも……
そう思ったとき、ジェスタがいつの間にか俺の刀を取り上げた。
「何!」
「お前、殺気出し過ぎだぞ。人質が巻き込まれてしまう。まあ、俺に任せろよ」
そういうとジェスタはフラフラと暴漢たちの前に近寄って行った。
「お礼に見せてやるぜ。俺の剣をよ」
俺にウィンクをして見せた。その舐めた態度に暴漢たちはブチギレそうになっている。
「なめんな、ゴラ〜」
暴漢の一人がジェスタに刀を抜いて突っ込んでいく。
しかし、ジェスタは何も動いていないのに、その暴漢の両腕が宙に飛んだ。
——見えなかった。
「この人質が眼に入らないの……」
言い終わないうちに、その姿は音もなく空気を切り裂いた。
一瞬で暴漢たちの懐に入り込み、人質の首元に伸びていた腕を、迷いなく斬り落とす。
——早いっ。
「ぐあああああっ!」
悲鳴を上げて絶叫する暴漢。次の瞬間、取り巻きたちも次々と倒れていく。
「や、やべぇぞ! 化け物だ!」
「逃げろおおっ!」
蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。
「……ふう、久しぶりだな、この感じ」
ジェスタは刀をシュッと振り、血を落とすと、満足げに刀を返してきた。
「いい刀だな。大切にしろよ」
そしてイリアスの頭をわしっと撫でた。
「よくやったな、坊主。根性あるじゃねぇか」
振り向くと、今度はユリアに笑いかけた——
「お嬢さんも、よく我慢した」
その時、腰に巻いていた毛布が、ふわりと風に舞った。
「きゃああああっ!」
「……あれっ?」
ジェスタは自分の下半身を見下ろした。
その後、彼は無言で落ちた毛布を拾い上げ、何事もなかったかのように再び巻いた。
「すまん。風が強くて……」
「風じゃないでしょ!! 風じゃっ!!」
ユリアの怒鳴り声が、夜の街に響き渡った。
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