第30話 父との決着
「どうした、アーヴィン。動きが鈍くなっておるぞ」
剣と剣がぶつかり合う。甲高い音が大聖堂にこだまし、火花が散る。
一見すれば互角──だが、それは幻想だ。
確実に、俺は追い詰められている。
──わかっている。もちろん、ハロルドも感じているだろう。
奴のブレードソードは、一太刀で命を刈り取れる重さと速さを兼ね備えていた。
剣圧を受けるたびに、皮膚が裂け、骨が軋む。
魔力は最大出力で身体強化に回しているが──限界は目前だ。
一方で、奴はまだ呼吸ひとつ乱していない。あの巨躯が軽々と動く。
こちらは、心臓を確実に貫かねば勝てない。
だが奴にとっては、致命的な一撃でなくても…… こちらは腕でも脚でも、斬り飛ばされれば均衡は一気に傾く。
はなから分の悪い賭けだったのかも知れない。
しかも、時間が経てば経つほど、俺の勝率は一方的に下がっていく。
——ギャンブルは嫌いなんだがな。
そう思ったら、自然と口元が吊り上がった。乾いた笑みが零れる。
そうだ…… ゲームは冷静さを欠いた奴が脱落する。忘れていた。
「おい、ハロルド。今後、辺境伯を名乗るのはやめるんだな。お前には相応しくない」
「なんだと」
「カサンドラの尻に敷かれて、恥ずかしくないのか? 王国の守護者が聞いて呆れる。貴様は辺境伯の面汚しだ」
「はっ、言うに事欠いて…… 愚か者めが。カサンドラ様の偉大さを知らないから、そうやって無礼を吐けるのだ。王国の名誉など、所詮チリ芥に過ぎん!」
ハロルドは攻め手を緩める様子はない。
「カサンドラ、偉大? ハハッ──あれのどこがだ?」
俺は嗤う。乾いた声で、吐き捨てるように。
「何がおかしい」
「ただの蛭女だろうが。人の血を啜って生きる、下等な寄生虫だ。そんな奴を“偉大”だなんて、冗談は寝て言えよ」
ハロルドの眉間が動く。怒気が膨れ、空気が凍る。
「貴様……その言葉、後悔させてやる。カサンドラ様を貶める言動──修正しろ」
その言葉とともに、空間が震えた。
ハロルドが、再び王威の発動をする。ビリビリとした空気の変化を感じ、すぐ俺は空間転移を使用し、できるだけ奴から遠ざかった。
ちょうど、祈祷台のところに瞬間転移した。背後を振り向くと、この国の一神教の女神、光の神”イル=ファルマ”の像が立っていた。
全身が金色で染められ、両の瞳は深く鮮やかな青色の宝石を嵌め込まれていた。背には六枚の輝かしい羽がある。
「辺境伯。お前はもう”イル=ファルマ”を信じていないのか?」
「当然だ。そんな偶像、穢らわしいわ。破壊神”ゾラス=ダイン”こそが至高」
「もうそこまで染まっているなら、救いはないな。だったらイレーナにも会わなくて済むだろう。こんなヤツの顔など見たくはないだろうからな」
俺が何気なく口にした、イレーナの一言に、ハロルドが反応した。
「イ、イレーナ……」
一瞬、ハロルドの口調が止まる。
その目がわずかに揺れた。そのわずかな綻びを俺は見逃さなかった。
「そうだ。イレーナだ。分かるか? この長刀はイレーナのものだ。光の剣姫、勇者パーティの誇り高き戦士。かつてはお前の妻だった女性だ」
「イレーナっ……」
ハロルドは胸を掻きむしるようにしてうめく。俺は畳み掛けるように話を続ける。
「イレーナはカサンドラに殺された。愛する妻を、あの蛭女が手にかけたんだ。それでも、まだ従うつもりか?」
崩れ落ちそうになったハロルドは、ブロードソードを地面に突き立て、かろうじて体を支えた。
「思い出すんだ。イレーナとの幸せだった日々を…… 魔王の脅威を退け、共に築いた平和を。ボロボロになった辺境伯領を二人で復興したあの時間を。そして、アーヴィンが生まれた奇跡を」
ハロルドの両目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「ああ……この大聖堂で……儂はイレーナと結婚式を挙げた……」
「お前はこの“イル=ファルマ”に誓った。永遠の愛を。なのに今は、毒婦の下僕と成り果てた。それでいいのか、ハロルド」
「ああ、儂は…… 儂はいったい、何をやっていたんだろう」
「いいか、その幸せをめちゃくちゃにしたのはカサンドラだ。最愛の女性を失った悲しみは分かる。だがな、あの女に手を出したことは間違いだった。今からでも遅くはない。あの女の呪縛を断ち切れ。俺たちの元へ帰ってこい」
ハロルドの視線が、俺の顔をしっかりと捉えた。
「アーヴィン……アーヴィンなのか。すまない……すまなかった……」
ただの初老の男の悲哀が、そこにはあった。
ゆっくりと、一歩ずつ俺に近づいてくる。
だが──
ピタリと足が止まり、瞳から再び光が消える。
「うっ……ぐあああああああっ……!」
黒い靄のような魔力が彼の全身から噴き出す──!
「アーヴィン。猿芝居は終わりだ。そろそろ死んでもらおうか」
ハロルドの口から発せられた声は、まさにカサンドラのものだった。
——支配権を強制的に奪い返したのか!
ハロルドはすぐにブロードソードを振り、衝撃波を飛ばす。瞬時に避けるが、背後の“イル=ファルマ”像が粉々に砕け落ちた。
「アーヴィン。もう終わりのようだね。息が上がっているよ。手品の種は尽きたかい?」
激しさを増す剣戟。手数が足りない。
俺は苦し紛れに空間転移で距離を取る。
「その手ももう飽きた。天壌王威」
足元から轟音が響き、大地が沈むような圧がのしかかる。
大聖堂が揺れ、ステンドグラスが全て砕け散った。
——まずい。もう、身動きが
「お前の空間転移の弱点…… 範囲に限界がある。分かっていたよ」
——分析していたのか
「大聖堂全体に重力をかけた。お前に逃げ場はない。終わりにしよう」
ハロルドが高々とブレードソードを掲げる。振りかぶった手が止まった。
一か八かだ。迷っている暇はない—— ここで決める
空間転移
──転移させたのは、ハロルドの胸部を守る銅鎧だった。
「何っ……!」
カサンドラの声が一瞬、途切れた。
その刹那、俺はその懐に空間転移する。
構えていた長刀を、そのまま突き出す。
そのまま刃先が肉を割き、胸を貫いた。
「──終わりだッ!」
全力の魔力を刀身に流し込む。青白い光が閃き、
そのままハロルドの心臓を焼き尽くした。
「う、がっ……ああああっ……!」
ハロルドの巨体が崩れ落ちる──だが、彼はすんでのところで踏みとどまった。
——まだ……持ち堪えるのか?
「アーヴィン…… アーヴィンか」
俺の目を見て、彼は微笑んだ。
「強くなったな…… アーヴィン」
もう彼はハロルド・カーティスに戻っている。そして、もう彼は命の灯火は尽きかけていた。俺はアーヴィン・カーティスとして、最後まで彼に向き合うことに決めた。
「父上……」
「お前の勝ちだ…… あんなに気弱だったお前が……ここまで……」
彼は血を吐きながら、それでもなお俺の名を呼び続けた。
「ただ、悲しかったのだ。最愛の妻を亡くして……だが、お前までを悲しませる必要はなかった。全て、儂が悪かった。許してくれ…… アーヴィン」
「父上は悪くない。悪いのはあの女、カサンドラだ」
「……ふ、ふふ。イレーナに……合わせる顔がないな……」
「必ず、俺が仇を討つから……それまで、母さんのもとで、待っててくれ」
「……すまない、アーヴィン」
その声は、風のように消えた。
俺は彼を抱きしめた。
もう、その体は──軽くなっていた。
しかし、その時だった。
甲高い金切り声が、大聖堂に響き渡る。
「キャーァアアアアアア」
同時に、ガシャーン、と何かが床に落ちる音がした。
はっと振り向くと、そこには見知った使用人の女が立っていた。
恐怖の表情、震える肩。彼女の手から、盆が滑り落ち、茶器が砕け散っている。
「ハロルド様が…… ハロルド様が、アーヴィン様に…… 殺されましたっ」
その言葉は、悲鳴にも似た叫びだった。
「ち、違うこれは……」俺は咄嗟に否定しようとするが、言葉が喉に詰まる。
——まずい、ここでこの光景を見られたら──俺が“父を殺した”としか見えない!
ドヤドヤと集まる衛兵たち…… その視線が、一斉に俺に突き刺さる
「罠に嵌めたな、カサンドラァァァァァアアアアアアアアア!」
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