第25話 命の記憶
今日はフローラの実家、デミエス公爵邸に招かれている。
正直、あまり気は進まないけど、フローラに「どうしても来てほしい」って頼まれた手前、断れなかった。
門をくぐると、華やかな庭園とともに豪奢な作りの邸宅が現れた。
フローラが目ざとくこちらを見つけて、玄関から出てきた。
「いらっしゃい、アーヴィン。こちらが父です」
フローラが少し緊張した面持ちで紹介する。
すると、その奥から現れたのは、威厳に満ちた雰囲気をまとった初老の男——セルバンテス・デミエス公爵その人だった。
「ようこそ、アーヴィン君。……歓迎するよ」
そう言いながらも、顔がやたらと硬い。視線が突き刺さる。
——いや、全然歓迎してない顔だな、これ
「お父様、顔が怖いわよ。にっこり笑って、にっこり」
「……む、むぅ。そうか?」
フローラにつつかれて、セルバンテス公爵は無理やり口角を引き上げる。その結果、どこか引きつったような表情になってしまった。
——むしろ悪役みたいになってるぞ、公爵
「アーヴィン・カーティスです。本日はご招待いただき、誠に光栄です」
俺は丁寧に頭を下げる。
セルバンテスは微妙な間を置いてから、ようやく言葉を返した。
「まあ、上がってくれたまえ。いろいろ聞きたいことがあるのでな」
そう言うとセルバンテスはくるりと背を向けて前を歩いていく。フローラはため息をついてこっちに来てと言うそぶりを見せた。
——これが公爵家か…… すんなりいくのだろうか
◇
「公爵家はもともと王族の家系から分岐した、とても由緒ある家系でな……」
通された応接室はさすがの豪奢なつくりだった。家具は若干古めかしいが、かえってその格式の高さを感じさせる。
俺は黙って頷きながら、紅茶に手を伸ばした。重苦しい雰囲気の中で、芳しい香りが漂ってくる。
——それにしても、彼は一体何が言いたいのだろう。
セルバンテス公爵は紅茶を一口すするが、話す内容は一貫して「家の格式」や「デミエス家の誇り」といった内容ばかり。
——うん、要するに娘と俺は見合わないから諦めてくれ、と言うことかな。
別にフローラと結婚したいわけではないが、付き合いがなくなると今後の戦いに支障をきたす可能性がある。せめて、友達づきあいだけでも続けられないものか。
埒が開かないので、こっちから切り出すことにした。
「えー、つまり、娘との結婚は諦めてくれ、と言うことですか?」
単刀直入に言うと、公爵は思い切り紅茶を吹き出した。
フローラは父の隣で腕組みをして睨みつけている。
「つまり、“アーヴィンは私にふさわしくない”ってこと? ……それ、話が違うじゃない!」
セルバンテスは大慌てで手を振り、動揺しながらも必死に言葉を繕う。
「違う、違う。そう言いたいわけではない。えーと、そのなんだ……」
「“そのなんだ”じゃないでしょ、お父様」
フローラは睨みを利かせたまま、紅茶を上品に啜る。
「まったく、だから話が拗れるのよ…… そもそも、お父様のその言い回し、回りくどくてわかりにくいのよ」
「よ、良いか、フローラよ。お前はあまりにも、だな、その……勢いだけで——」
「私の人生は、私のものよ! 私は政治の道具じゃない」
びしっと指をさされて、セルバンテスは完全に口をつぐんだ。
俺はというと、場違いの場所に紛れ込んだ猫みたいな気分で、目の前の茶菓子に逃げ道を求めていた。
——うまい……このクッキー、バター多めでうまい……
「……とにかく!」
セルバンテスは咳払いをひとつして態勢を立て直す。
「君のことを、私はまだ“判断しかねている”というだけだ。決して、娘の交際相手として不適切だと言っているわけではない。……たぶん」
「……“たぶん”? 今、“たぶん”って言ったの?」
「ぬうっ……」
フローラの静かな圧に、公爵の額に玉の汗が浮かぶ。
「まあ……娘の命を助けてくれたことは、感謝している。あれはなかなかできることではない。うん、うん……立派だ」
ようやく出てきたまともな称賛に、俺は小さく会釈する。
「ありがとうございます、公爵閣下」
「で、ですがだな、君は……えー、今は辺境伯家の後継ではないと聞いているが……?」
まあ、それが一番のネックだよね。でも、すぐには解決できる問題ではない。
ただの貴族のボンボンと公爵家の一人娘では格が違いすぎると言うことだろう。まあ、俺が同じ立場でも困るだろうな。
「……ええ。ですが、力を蓄え、必ずや信頼を勝ち取る所存です」
きっぱりと答えた俺を、公爵はじっと見つめた。
ややあって——
「……ほう」
彼は目を細め、再び紅茶を口に運ぶ。
「……まあ、仮にその言葉が本当になり、なおかつ、娘がそれを望むのなら……様子を見ることはやぶさかではない」
——本当は、ただ心配なだけなんだろうな。意外といい父親なのかもしれない
「お父様、それってつまり——」
「違うぞ! “認めた”のではない。今のところは交際に目を瞑っておくと言うことだ。もちろん、やましいことはするのではないぞ」
「……はいはい、分かりました、お父様」
フローラは小さく笑って、俺の方をちらりと見る。
彼女のその笑顔は、どこか安心したようで、嬉しそうで……ちょっとだけ、頬を赤らめていた。
——なんだかんだで、ここの家族、嫌いじゃないな
「ああ。しかし、辺境伯には何と言えばいいのかな。あいつ、おっかないしな…… いやいや公爵の威厳でなんとか……」
ぶつぶつ公爵は何かを言っている様子だったが、娘は全く気にしていないようだった。
◇
「くれぐれも清い交際でな。頼むぞ、アーヴィン君」
「はい、分かりました」
「なんて事言っているのよ。お父様!」
フローラの一言で、すごすごと逃げるように、公爵は去っていった。
「ねえ、中庭に一緒に行こうよ」
フローラは俺の手を取って、グイグイと中庭に移動した。見事な庭園で、美しい花々が咲き誇っている。
「すごいね。いい庭だ」
「うん、でも、こっちこっち」
連れて行かれたところは中庭の一番端でだった。人の手があまり入らないのか、花壇から少し離れた一角だった。静かで、どこか時間が止まっているような空間。
「ここよ。ここ」
目の前には何か小さなお墓のようなものがあった。ひっそりとしていて少し薄暗い場所。
「これは……」
「そうか…… やっぱり思い出せないのね」
フローラは少しがっかりした顔をしていたがすぐに笑顔になった。
「ここはミーニャのお墓。私、猫を飼っていたのよ」
彼女はそれまでの経緯話してくれた。
彼女が白い猫を飼っていたこと。アーヴィンが彼女と初めて会った時、なかなか、話ができなかったけれど、その猫が間を取り持つようにして仲良くなったこと。ミーニャが死んだ時、一緒にお墓を作ったこと。
「私が落ち込んでいる時、黙ってずっとそばにいてくれた。それまでは、全然頼りなくてこの人と結婚するなんて嫌だなと思っていたんだけどね……」
フローラはそう言って、墓石の前にしゃがみ込み、そっと手を合わせた。
俺は隣に立ちながら、静かに彼女の背を見つめていた。
「……でも、あの日、あなたが自分の庭から白い花を持ってきてくれたでしょ?」
彼女は振り返らないまま、続ける。
「ふわっとした白い花束。名も知らない花だけど、まっすぐで、優しい匂いがしたの。ミーニャにもぴったりだって思った」
フローラの声は穏やかだったが、どこか遠い記憶に触れるような、かすかな震えを含んでいた。
「私、嬉しかったのよ。誰かが、ちゃんと私の悲しみに寄り添ってくれたことが。……あの時、初めて思ったの。“この人、嫌いじゃないかも”って」
俺は答えられなかった。
それは、彼女にとって、きっと忘れられない思い出だったのだろう。
だが——
その記憶は、俺のものではない。
けれど、今目の前で語ってくれている彼女の感情が、あまりに真っ直ぐで、痛いほど胸に刺さった。
アーヴィンはこの娘の中にも、確かに生きていた。
それがどんなに短くても、彼が誰かにとっての“かけがえ”のない存在になれたのなら——悪い人生じゃなかったのかもしれない。
「ごめん、フローラ。……思い出せなくて」
その言葉に、彼女はようやくこちらを振り向いた。
「ううん。いいのよ」
その声は少しだけ、寂しそうだった。
だが、次の瞬間、彼女は無理にでも明るく振る舞うように、笑った。
「でもね、記憶を無くした今のあなたも——嫌いじゃ無いわよ」
その微笑みに、俺は言葉を返せなかった。
ただ、墓石の前にしゃがみ込み、自分の手で花を供えた。
花の名前は分からない。でも、少しでも——フローラの記憶…… ミーニャと…… アーヴィンにも寄り添えるような気がした。
風が吹いた。
ミーニャの墓のまわりの草花が、さわさわと音を立てる。
小さな命の記憶に、風がそっと、優しく寄り添っていた。
お読みいただいてありがとうございます。
評価⭐️やブックマークしていただけると大変励みになります。
よろしくお願いいたします。




