第24話 偽りの大聖女
俺とドミニク、それにフローラは、別邸の玄関ホールに向かっていた。門番からの連絡で、正門前に訪問者の馬車が到着したと知らされたのだ。
やがて、扉が開かれる。
朝の陽光を背に、数名の修道女たちを引き連れた女性が、優雅な足取りで姿を現した。
純白のローブ。波打つ金髪。整った顔立ちと碧眼。堂々たる物腰と、豊かな胸元まで含めて完璧に仕上げられた外見——まさに“絵画から抜け出してきた聖母”のような美貌。
そのすべてが、「大聖女ノエル・メルクロフ」という名にふさわしかった。
「お目にかかれて光栄ですわ。アーヴィン・カーティス様」
その微笑みは、すべてを包み込む慈愛に満ちていた。
だが——間違いない。本物だ。ゲームで見た“あの姿”と、寸分違わない
ただの立ち絵では伝わらなかった“実在感”。
すべてを見透かすような視線。ふわりと香る甘い香気。
それらが俺の背筋を凍らせる。
隣に立つフローラが一歩前に出た。
「こちらこそ光栄ですわ。セルバンテス・デミエス公爵の娘、フローラ・デミエスと申します」
そう言って、優雅にスカートの裾を持ち上げ、一礼する。完璧な貴族の作法だった。
そのまま何事もなかったように、俺の脇腹を“つん、つん”。
ちらりと目をやると、
「しっかりしてよ、もう……」
と言いたげな顔をしていた。
慌てて俺も前に出る。
「アーヴィン・カーティスです。初めまして。……このような場違いな場所に足を運んでいただき、誠に光栄です」
果たして今の自分の顔はどう映っているのだろう。
ノエルは優雅に頷いていた。
◇
「なにぶん、今この屋敷は改修中でして……応接室しか使えず、申し訳ありません」
「いえ、突然の訪問でしたのに、これ以上なく丁重に迎えていただけて感謝していますわ」
「ね、アーヴィン。迷惑なんてわけないわよね?」
フローラが俺に視線で“全力同意”を求めてくる。
「……もちろん。いつでも大歓迎です、ノエル様」
俺がそう返すと、ドミニクがタイミングよく紅茶と茶菓子をサーブした。
ノエルは紅茶の香りをふわりと吸い込み、陶然とした微笑を浮かべる。
「あら……芳しい香り。これは?」
「トルティヤ産の限定茶葉でございます。ご満足いただければ幸いに存じます」
ドミニクがにっこりと微笑んで答えた。
「ふふっ。さすが辺境伯家……トルティヤ産は滅多に手に入らないって聞いたけれど。これは素晴らしいわね」
彼女は紅茶を口に運び、優雅に目を細める。
紅茶を口にし、上品に目を細める。
完璧な貴婦人。……だが。
——本当に、何を企んでいるんだ。
警戒心が胸の奥で冷たく波打つ。
おそらくは——エリザベータの件だ。
あの女が倒されたことを、ノエルが疑っていないはずがない。
——だが、今の俺の力を知られるわけにはいかない
こちらが何も知らない“無力な貴族の少年”を演じ切ること。それが、最も安全で最も有効な戦略だ。
ノエルは魔族幹部の中である意味、最も厄介な敵だ。
何しろ、人族の英雄であり、そして、この世界のほとんどが創造神イル=ファルマを信仰する聖律教会に属している。彼女はそのトップ「大聖女」でもある。
——つまり、下手なことはできない
彼女に目をつけられたが最後、人族社会から追放され、教会主導の“社会的な死”が待っている。
魔族であるなら、その正体を暴くことは可能だが、彼女は元々人族だ。
その意味で、カサンドラ以上に厄介な敵だ。
——この場は、何としても誤魔化してやり過ごさないと
その時、フローラが軽やかに口を開いた。
「それで、大聖女様。今回のご訪問の目的は?」
「あら、ごめんなさい。大切なことを忘れていましたわ」
ぱちんと手を叩き、柔らかく微笑む。
「皆様とお話ししているのが楽しすぎて、つい……」
その声音は完璧な“慈愛”。だが、瞳だけが鋭く光っている。
「実は……アーヴィン様に、王都を代表してお礼を申し上げたくて」
「……お礼、ですか?」
「ええ。あの吸血鬼の件ですわ」
空気が一瞬で冷えた。
「もし彼女が暴れ続けていれば、王族、貴族、教会関係者に甚大な被害が出ていたかもしれません。実際、私も近くに滞在しておりました」
微笑んだまま、さらりと「私も襲われていたかもしれませんわ」と言ってのけた。
「それを未然に防いでくださったあなたに……感謝しておりますのよ」
彼女は優雅に手を組み、俺をまっすぐに見つめてくる。
——これは、探られているのか
「……いえ、通りすがりの冒険者たちに助けてもらっただけです。ただ、隅で震えていただけで」
ノエルの目が細まる。
「そう……? それにしては、とても立派な魔力をお持ちですわね」
——鑑定眼まで持ってるのか!?
「気のせいでは? まだ鑑定の儀も受けていませんし」
「ふふ。謙遜しなくてもよろしいのに。それとも…… ここで鑑定を受けてみますか?」
ノエルは、柔らかな笑みを崩さぬまま、さらに一歩踏み込もうとする。
だが、そのタイミングで——
「大聖女様。アーヴィンは本当にすごいんです!」
突然、フローラが割って入った。
しまった。フローラには口止めしていなかった
「私の精霊を次々とかわして……しかも、私が暴走したとき、迷わず飛び込んで助けてくれたんです。彼がいなければ、きっと私は——」
ノエルはそれを静かに聞きながら、ふとこちらを見る。
その碧眼がきらりと光った。
「あら、それは素敵なナイトですわね。羨ましい限りですわ。私にも、そんな殿方がいればよかったのに」
「ノエル様は皆に慕われていますし、お一人でもお強いから、助けなど必要ないのでは……」
「うふふ。こんな私でも、助けてほしいことぐらいありますのよ?」
ノエルは優雅に微笑んでいる。フローラは少し思い切った様子で話を切り出した。
「あの……ノエル様にお願いしたいことがあって……」
——これ以上余計なことを言われては困る
「フローラ、大聖女様にあまり無理を言わない方がいいと思うぞ」
「あら、無理かどうかは聞いてみないと分かりませんわ」
ノエルの一言で、完全に流れを持っていかれる。
フローラは、ノエルに背中を押されたように勢いづいた。
「アーヴィンは本当に才能があるのに、辺境伯に不当に扱われて……後継者を外されたんです! いずれ記憶も戻ると思うんです。だから……ノエル様が後押ししてくださるだけでも」
ノエルは微笑を崩さず頷いた。
「あら、記憶を失っているのですね…… わかりました。さりげなく辺境伯と接触を試みましょう」
「……ノエル様!」
フローラが思わず抱きつき、ノエルは彼女の頭を撫でる。
「あなた方の味方でいることが、今のわたくしの誇りです」
——最悪だ。完全にマークされたな
大聖女が屋敷を去った後、応接室に静寂が戻る。
ドミニクは上機嫌で、フローラはうきうきとした足取りで部屋を歩き回っている。
俺だけが、ソファに沈み込んでいた。
「……やっちまったな」
ぽつりと漏れた独り言は、誰にも届かない。
ノエル・メルクロフ。
人々の崇拝を集める“大聖女”。
だが、俺にとっては——
“もう一人の魔王軍幹部”、それも最も警戒すべき相手。
表の顔があまりに完璧すぎて、彼女の正体を訴えたところで、誰も信じてくれない。
「……ああ、黒幕が誰か、言えたらいいのにな」
だが、俺にあるのは、ゲーム知識だけ。
証拠も、証言もない。
——もしかすると、この世界線で、彼女はまだ“闇堕ち”していない可能性もあるが
そう考えたかった。
だが、今日の目の光——あれは間違いなく“黒”だ。
◇
ノエルが自室に戻って書き物をしている。
魔力灯が微かに揺れた。
「レヴィア様ですね」
次の瞬間、部屋の一角の闇がうねるように歪み、黒装束の女——〈嫉妬〉の幹部、レヴィアが音もなく姿を現した。
「報告なら、直接私が参りましたのに」
ノエルがくるりと椅子を回し、楽しげにレヴィアに向き直る。
「お前より、私の方が動きやすい。それより……」
レヴィアは淡々と言い、すぐ本題に入る。
「良い知らせと悪い知らせがございます」
ノエルが答えた。
「では、良い知らせの方から」
「アーヴィン・カーティス——彼は間違いなく“器”です。魔王の器として、必要な条件をすべて満たしています」
ノエルの微笑が一瞬だけ止まる。だが、それは歓喜に変わる。
「……本当なのね?」
「間違いありません。年齢に見合わぬ魔力量、そして確認されました。“傲慢”の因子を」
「……そう。長かったわね……」
ノエルは椅子の背に身体を預けると、天を仰ぐように目を閉じる。
「これでようやく“儀式”を完成させられる。”傲慢”の因子は本来魔王様のものなのだから」
「贄の準備、すぐ取りかかりますか?」
「いいえ。まだ早いわ。今度こそ、完全に仕上げなければ。前回の器は不完全だった……。中途半端な目覚めでは意味がない」
レヴィアの口元が歪む。
「彼の大罪スキルを覚醒させるわ。できるだけ成長した段階で器にしましょう」
「ああ、破壊神様が蘇るのですね。人族の世界をズタズタにする。想像するだけで……ああ、最高ですわ」
ノエルが感極まった
「それで、悪い知らせとは何?」
レヴィアが尋ねる。ノエルは何かいわくありげな顔をした。
「魂が……おかしいのでございます」
「それはどういう意味なの?」
「いえ、私にも皆目見当がつきません。ですが、その…… 何か本来の魂とは別なものが身体の中に入り込んでいるというか…… それが、贄の儀式に差し支えなければいいのですが」
ノエルが困惑している様子だった。
「体の中の”魂”などは儀式で消滅するわ。何も問題はない。大切なのは”器”だけ」
レヴィアは平然とそう答えた。
「では予定通り…… そういえば、カサンドラさんには伝えなくてよろしいのですか?」
「そうね、成長する前に手出しされると…… いや、いい。その方が成長が早く進むかも知れない」
レヴィアは1人うなずいている。
「カサンドラさんには、事前情報なしで戦ってもらうと言うことですか?」
「そうよ」
レヴィアはニヤリと笑った。
「もう”器”が見つかったから、カサンドラは用無しなのよ。それなら、うまく活用しなくちゃね」
レヴィアの瞳が怪しく光る。
「そもそも、”傲慢”の因子が魔族の中から見つからなかったから、辺境伯領まで広げただけだもの。実に盲点だったわ。まさか、辺境伯領出身の人物が”王都”にいるとはね」
「我々の目的は”破壊神様の復活”、そのためにはカサンドラさんに犠牲になってもらう。魔王因子の覚醒のために…… ということですね」
ノエルは残酷な笑みを浮かべている。
レヴィアはその問いに何も答えず、スッとまた再び闇の中に溶け込んでいった。
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