第23話 強欲の魔女 ノエル・メルクロフ
魔力キャンセラーを装着し、裏庭でひとり黙々と体を鍛えていた。
魔力がなければ、長刀は重すぎて扱えない。だから今は、軽めの剣や木刀を振るいながら、筋トレやランニングに励んでいる。
魔力で身体を“バフ”するのが当たり前だった分、すべてが新鮮に感じる。
跳躍力も握力も、“10歳児”としての地力が限界。自分がいかに魔力に頼っていたか、身に染みてわかる。
それでも、額から滝のように汗を流しながら、地味な反復練習を今日も続けていた。
本当にこれでいいのか、自信があるわけじゃない。
——でも、やってみなきゃ始まらない。今は、そう思っている。
始めた頃より、体の動きが軽くなってきた気がする。魔力に頼っていたときには見えなかった変化だ。効果は……たしかに出ている。
「アーヴィン様。フローラ様がお見えです」
「……ああ、来てもらって構わないよ」
最近、フローラがよく顔を出すようになった。
正直、基礎訓練中の姿はあまり見られたくない。でも——彼女が来るのを、悪い気はしていなかった。
この世界で、“味方”と呼べる相手は、まだほんのわずかしかいない。
カサンドラの正体は話していない。今のところ、“厄介な継母”ということにしてある。いずれは話すことになるだろうが……それは、まだ先の話だ。
「ずいぶん、精が出るじゃないの」
ツンツンした口ぶりで現れたフローラ。でも、その表情にはどこかご機嫌な気配があった。
最近になってようやく気づいた。彼女の“ツン”は、必ずしも怒っているとは限らない。……たぶん。
「その肩のやつ……何だ?」
俺は、彼女の肩に止まっている赤い生き物に目をやる。
小さなトカゲのような姿。妙に愛嬌があって、ちょこんと座っている様子は、完全にペットだ。
「サラちゃんよ」
「……サラちゃん?」
「そう。サラマンダーの、サラちゃん」
「…………」
四大精霊って、もっとこう……威厳とか、神々しさとか、そういうのがあると思ってたんだけど。
「それ、本当にサラマンダーなのか?」
思わず確認せずにはいられなかった。
「もちろん。魔力を制御してるから、この姿に“抑えて”いるのよ」
思わず、目を見開いた。
——姿を変えるほどの制御。しかも相手は、あの四大精霊サラマンダー。
「常時召喚したまま、魔力出力を維持して……それでいて制御訓練もしてるのか。すごいな」
そう言うと、フローラはふんっとそっぽを向いた。……が、鼻のあたりがピクピクしている。
「べ、別に……私にとっては、こんなの朝飯前よ」
クールを装ってるけど、褒められるのはやっぱり嬉しいらしい。
……なんとなく、扱い方が分かってきた気がする。
「ちょうど休憩に入ろうと思ってた。お茶でもどうだ?」
「——まあ、付き合ってあげてもいいけど?」
そう言いながら、フローラはほんのり口元をほころばせた。
——まあ、こんな日常も悪くない。
そう思いながら、俺はサラちゃんに警戒されないよう、少しだけ距離をとって歩き出した。
◇
「……でね、聞いてよ。このケーキ、作ってるのは最近王都で話題のパティシエなの。予約は三ヶ月待ち。でも、そこをなんとかお願いして、特別に取り寄せてもらったのよ。さすがは我がデミエス家の威光ってやつね」
目の前のチョコレートケーキを見つめながら、フローラは得意げに語り続けている。
(……いいから、そろそろ食わせてくれ)
そう内心で嘆きながらも、彼女の“善意”を無下にはできず、俺はひたすら相づちを打っていたが、さすがに待ちくたびれた。
「公爵家ってのは。ケーキを1つ確保するのに威光を使うのか?」
「そんなこと言う人には、このスペシャルケーキをあげません」
——お菓子ひとつに家の権威。正しいかどうかはともかく、そこに込められた愛情だけは確かだ。
父・セルバンテス公爵は娘を溺愛し、兄・レナードも妹を何より大切にしている。
(……いい家族だな)
ふと胸に影を落とすのは、アーヴィンの過去だ。
母はすでに亡く、継母は魔王軍幹部カサンドラ。弟ステファノとは後継者争いの真っ最中。そして、父は吸血鬼に操られた傀儡。
血の繋がった味方は——ただの一人もいない。
無邪気に笑うフローラが、もしそれを知ったら。彼女はどんな顔をするんだろう。
(アーヴィン、お前は……本当に、孤独だったんだな)
そんな感傷を吹き飛ばすように、フローラが言った。
「……なにボーッとしてるのよ。さっさと食べなさいってば。遠慮なんていらないの、ほらっ!」
「はいはい」
(……ほんと忙しいやつだ)
フォークを手に取り、ケーキをすくってひと口。
分厚いチョコのコーティングは濃厚で、舌の上でとろける。中のスポンジはふわふわで、優しくほどけていった。
「……うまいな、これ」
「でしょでしょ?」
ドミニクが静かに紅茶を注ぎ直す。立ち上る香りがケーキの余韻に重なり、幸福感が満ちていく。
二口目に手を伸ばしかけた、まさにその時だった。
「ケーキばっかり食べてて、少しは考えてるの?」
「……え?」
「はぁ〜……これだから、後継者から外されるのよ。ほんと、私がいないとダメなんだから」
(おいおい、今食べ始めたばっかなんだけど!?)
ふとフローラの皿を見ると、すでに空っぽ。誰よりも早く完食している。
「……まさかとは思うけど、もう全部?」
「当然よ。美味しいものは、味が落ちないうちに食べる。それが乙女のたしなみってモノでしょう?」
誇らしげに胸を張る彼女に、もう何も言えなかった。
「……で、“考えろ”って、何の話だ?」
「決まってるでしょ。後継者問題よ、後継者!」
「それは俺の問題じゃないのか?」
「結婚相手が変わるんだから、こっちにとっても大問題よ!」
ムッと頬を膨らませる彼女に、軽く意地悪を言ってみた。
「ふーん。どうしても、俺と結婚したいと?」
「なっ……そ、そんなわけないでしょ!!」
耳まで真っ赤にして怒鳴るフローラ。
「私はね、あのステファノが気に入らないの! この私に釣り合う男なんて、どこにもいないんだから! だから……その……あなたなら……まあ、ギリ我慢してあげてもいいってだけよっ!」
(我慢か…… まあ、いいか)
「ステファノのどこが気に食わないんだ? 将来の辺境伯だぞ、家柄も申し分ない」
「はっ。あんな生意気な年下、願い下げよ。年下は論外なの」
腕を組み、そっぽを向くフローラ。
(いや、お前も十分ガキなんだけどな……)
もちろん口には出さない。火に油を注ぐだけだ。
ふと、フローラが声を落とす。
「……でさ、アーヴィン。どうにかなると思ってる?」
「まあ、なんとかするさ。まずは力をつけないと、話にならない」
カサンドラをどうにかするしかない——とは言えなかった。
——カサンドラをどうにかしない限り、何も始まらない。だがそれは言えなかった。
「ふふ、ほんと、別人みたい。……アーヴィンってさ、昔は強がってばかりだったけど、意外と優しかったのよ。ちょっと頼りなかったけどね」
(……ここにも、確かにアーヴィンの“生きた証”が残ってる)
その言葉に、胸の奥がじんわり熱くなった。
「まあ、今のあなたも……私は、けっこう——」
「ん?」
「な、なんでもないっ!!」
慌てて話題を変えるフローラ。
「そ、そうよ! あのミーニャのお墓のこと、覚えてる?」
「……ミーニャ?」
「……やっぱり覚えてないのね。ううん、いいの、なんでもない」
ほんの一瞬だけ、彼女の瞳に寂しさが滲んだ——
そのとき、ノックの音が響いた。
「アーヴィン様。お耳をお貸しください。大変な知らせがございます」
ドミニクの声には、珍しく緊張がにじんでいた。
「なんだ?」
「……大聖女ノエル・メルクロフ様が、直々にこの別邸へお越しになられました」
「は……?」
「これは前代未聞のご訪問です。もしお力添えを得られれば、後継者復帰の可能性も——」
「すごいじゃないの! 大聖女様に会えるなんて……もしかして、後ろ盾に……!」
フローラの目がきらきらと輝き出す。
——だが。
俺はカップの紅茶を見つめながら、心の中でつぶやいた。
(……最悪だ。よりによって“あの”ノエルかよ)
ノエル・メルクロフ。
“七大美徳”《慈愛》の大聖女。宗教組織の頂点に立ち、勇者パーティの一員として世界を救った英雄。
——だがその正体は。
カサンドラに勝るとも劣らない、もうひとりの魔王軍幹部。
“強欲の魔女”ノエル・メルクロフが——この家に、やってきやがった。
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