第18話 集結した魔族幹部
辺境伯邸の一室。
窓は重いカーテンで閉ざされ外の光は届かない。
沈黙に包まれた室内で、鏡台の前に一人の女が座っていた。
白磁のような滑らかな肌。血のように鮮やかな赤髪が波のように肩へとかかる。
その美しい貴婦人は、辺境伯の妻エルザ・カーティスだった。
だが、彼女はその美しい外見とは異なる本性を持っている。
その本性は、吸血族の真祖にして魔王軍幹部、カサンドラ・ドラクレアであった。
若い侍女が不慣れな手つきで彼女の髪を梳いている。かつての忠実な侍女、エリザベータの姿はない。
——なぜ、こうなった。
報告によれば、エリザベータはB級冒険者の一団に討たれたという。
その一団は吸血鬼を討伐した英雄として称賛を集め、A級冒険者へと昇格。 民衆の間では、彼らの武勇談が毎日のように語られているらしい。
——ばかばかしい。
たかがB級冒険者に、我が眷属が?
エリザベータは吸血族の眷属であるヴァンピールとはいえ、圧倒的に人族を超える力を持っていたはずだ。それが集団とはいえB級冒険者に遅れをとるとは信じられない。
——どこで誤った?
エリザベータには繰り返し忠告していた。「目立つな」「感情に流されるな」「アーヴィンには深入りするな」と。
だが彼女は、あの少年に異常なまでに執着した。 そして自ら正体を露呈し、挙句に討たれてしまったのだ。
カサンドラは鏡越しに、背後の侍女のぎこちない動作を見つめる。
イライラが募る。だが、声には出さない。
〈激情は、自らを破滅に導く〉
それは、魔王大戦で得た彼女の“生きる術”だった。
先の大戦では、かつて肩を並べた同胞たちは次々と討たれ、魔王すらも勇者によって屠られた。
いかに強大な力を持っていようと、狙われてしまえば、いつか必ず殺される。 そうしたら全てが終わってしまう。だからこそ、仮面を被り、貴族として静かに潜む道を選んだ。 真の力を見せるのは、身に危険が及んだ時だけ。
そうやって彼女は着々と辺境伯領を簒奪していった。
これまではうまく行っていた。
アーヴィンに正体を見られた時も、冷静に対処した。彼を辺境伯領から遠ざけ、そして、王都であの少女に”色欲”の力を使用し間接的に始末しようとした。
しかし、この結果。エリザベータは殺されてしまった。
——もしあの時、アーヴィンに正体を見られた瞬間に消していれば。
——否。それでは足がつく。目撃者がいれば、貴族としての立場が危うい。 それに暗殺には失敗したが、アーヴィンから記憶を奪い、後継争いから排除できた。
ステファノを後継者に据えれば、全てが計画通りに進むはずだった。
辺境伯領を支配し、人族を“家畜”として支配する理想郷を築く—— それこそが、私の目的だった。
滅ぼすのではない。飼い慣らし、搾取する。過去の魔族支配体制の再来。
——だが、何かが狂った。
なぜエリザベータは、正体を明かしてまでアーヴィンを狙った?
そして、どうしてあのタイミングで冒険者が現れた? 偶然にしては、できすぎている。
もし、アーヴィンが記憶を失ったというのが、偽りだったとしたら?
——まさか、あの小僧が? エリザベータは騙されたのか?
——あり得るのか?
あの臆病で気弱な少年が。我々の正体を知った時も、ブルブル震えて何もできず、ただ泣き喚いていたあの無力な小僧が……
——いや。
1度だけ、刺傷後に顔を合わせたとき——彼の様子がおかしかった。
あれは恐怖でも従属でもなかった。 むしろ、挑むような……まるで、別人のような眼差し。
考えがそこまで至ったとき、部屋の扉が静かにノックされた。
「エルザ様、皆様お揃いです」
「……すぐ行くわ」
カサンドラは静かに立ち上がり、表情に再び“貴婦人の仮面”を貼りつけた。
◇
客間に入ると、楕円形の大テーブルを囲むように、黒衣の女たちがすでに着席していた。
魔王軍幹部は全部で6人——カサンドラを含め、そのうちの5人が、この場に集まっている。
右奥には足をテーブルに乗せ、にらみつけるような目を光らせる〈憤怒〉のグアヴァ・ザハリア。 紅から橙へと燃え上がるようなグラデーションの髪を、ざくりと切りそろえたボブ。
その隣には、椅子を前後に揺らしながら菓子をつまむ〈暴食〉のザビア・ザハリア。 グアヴァと瓜二つの双子だが、ゆるくまとめたサイドテール、夢中で目の前の菓子をつまんでいる。
左手には、紅茶を優雅に口へ運ぶ〈強欲〉のノエル・メルクロフ。 白い肌に輝くプラチナブロンド、碧の瞳。大聖女の名を持ちながら、今は魔族に肩入れしている美貌の人族。
そして正面最奥には、フードで顔を隠したまま微動だにしない〈嫉妬〉のレヴィア・アスフォーデル。 場の空気を制するように、圧倒的な存在感を放っている。この場の調停役であり、魔王軍最古参の一人。
カサンドラが腰をかけると、最初に口を開いたのはグアヴァだった。
「随分、待たせるじゃねぇか」
彼女はテーブルを叩きながら言った。
「てめえの不始末のせいで、わざわざ集まらされる羽目になったんだ。どう落とし前つけてくれる?」
カサンドラは視線を一瞬グアヴァに流したが、無表情のまま。 代わりに、最奥のレヴィアへと頭を下げる。
「王都での騒動については、私の落ち度です。申し訳ありません」
その言葉に、レヴィアは低く頷いた。
「私は責任を問うつもりはないわ。事実を整理したいだけよ」
「ねえねえ、そんなことよりさ。なんか食べ物少なくない?」
ザビアがビスケットをもぐもぐと食べながら言う。
「わたし、おなかすいて機嫌悪いんだよねぇ~。これって食べ応えないんだよね」
カサンドラは返事もせずに無言で手元のベルを鳴らす。使用人たちがすぐにやってきて、、即座に小皿と軽食を運び込んだ。
「今、王都では魔族が街中に出現したって大騒ぎになっているわ」
ノエルが優雅に口を開く。
「門を閉ざしているのに、どうして王都の中に突然現れたんだってね。ましてや、1等地にあるカーティス邸で大暴れしたんだから、王族や貴族たちは原因追及で目を血走らせているわ」
カサンドラの顔が少し険しくなる。
その反応を見て、グアヴァが吐き捨てるように言い放つ。
「なぁ、カサンドラ。お前の飼い犬が王都で暴れて、俺たちの工作まで台無しになるところだったんだ。テメェのペット一匹死んだだけじゃあ、落とし前つかないんだよ」
「嫌味を言いたいだけなら、会議に来る必要なんてないんじゃなくて。何か対策できるように、少しは頭を働かせてはいかがかしら」
カサンドラの皮肉は珍しく感情がこもっていた。
口調は穏やかでも、その声音に宿る冷気は空間を一気に凍らせた。
だが、それを破ったのは——今度はノエルだった。
「まあまあ、グアヴァさんもカサンドラさんも冷静に冷静に」
グアヴァが今度はノエルに噛み付いた。
「なんでてめえがこの場で大きな顔して座っている。人族のくせしやがって」
「あら、脳みそがスカスカのあなたよりは、お役に立てると思いますわ。ねえ、レヴィア様」
ノエルが奥の人物に微笑みかける。
「だいたい、過去に勇者パーティにいたやつなんて信用できるか! 裏切る前に今すぐぶっ殺してやる」
「あらあら、前回の大戦で、あなた参加していましたっけ? こちらにはあなたの噂はまるで耳に入ってきませんでしたが…… それともあまり活躍できなかったのですか? それなら納得です」
「なんだとテメェ」
グアヴァが立ち上がった。
「やめなさい」
レヴィアの静かな声が、場の空気を一変させた。
「この場は争いのためにあるのではありません。ノエル、グアヴァ」
「こいつは魔族の仇じゃないのかよ。レヴィア!」
「私がやめなさいと言っている」
レヴィアの声は、拒絶できない強制力を帯びていた。
「仲良くしましょうね。グアヴァさん」
ノエルがにっこりと微笑むと、
「ちっ」
グアヴァは渋々座り直す。
「ねえ、ねえ、それよりさ」
ザビアが肉まんのような塊をちぎりながら言う。
「テスタは? ずるいんだけど、来てないの」
「研究が佳境とのこと。出席は見送りたいと連絡があったわ」
レヴィアが淡々と答えると、ノエルが小さく鼻で笑った。
「〈怠惰〉なくせに勤勉よね。どんなおぞましい実験をしているのかしら…… 楽しみだわ」
カサンドラは、そのやりとりを聞きながら黙していた。
だが、レヴィアが改めて問いかける。
「それで——どこまで気づかれていると思うの?」
カサンドラは一拍置いてから、唇を開いた。
「今のところは“王都に紛れ込んだ吸血鬼の騒乱”として処理されています。カーティス家も表向きは被害者。エリザベータがヴァンピールだったという情報は出ていません」
「とりあえず、あなたまで追求の手が及ぶってことはなさそうね」
レヴィアはしばらく考えていたが口を開いた。
「あなたの義理の息子がいたわよね。暗殺するのはやめたって聞いていたけど。どうしてこんな大騒動になったの?」
「それは…… エリザベータには関わらないように釘を刺していたのですが……」
「ダメだったわけね。それで、本当に息子くん…… アーヴィン君だっけ…… 今いくつなの?」
「10歳です」
「なぜ騒ぎを起こさずに仕留められなかったの? 年端もいかない子供、スキルもまだ覚えていないでしょうに」
「それは…… おそらく、冒険者たちが邪魔をして……」
「いくら邪魔されたって、子供1人くらいは簡単に始末してもらわないと困るわ」
「いずれ、彼は始末します。まずは後継者争い脱落させ、ほとぼりが覚めたら、”事故”か”自殺”でもしてもらいます」
「頼むわね。この領地を手放すと、魔王様復活の計画が遅れてしまうから」
「承知しています」
「それにしても、アーヴィン君はあなたの正体を本当に忘れているのかしら…… それとも、知っていて、対抗手段をとってきたのかしら…… 気になるわ。とっても気になるわ」
レヴィアは独り言のように呟いた。
「情報が不足しているわね。私が探りを入れにいきましょうか」
そう言ったのはノエルだった。
「私は大聖女ですから、王都にいますし会いに行くのは簡単です。口実などなんとでも作れますしね」
「そう。頼んだわノエル」
レヴィアがそう言うと、ノエルが紅茶のカップをそっと置き、立ち上がった。
「では、そろそろお暇いたしますわ。良い報告ができるといいのだけど」
「わたしも帰る。もう食べるものないし」ザビアは口を拭いながら椅子から立ち上がる。
「次やらかしたら、ただじゃおかねえからな」グアヴァは舌打ちしながら出て行った。
最後に残ったのはレヴィアだけ。
レヴィアはそっとカサンドラの肩に手を置く。
「あなたのことを一番信頼しているわ。だから、気に病まないことよ」
それだけを告げて、レヴィアは静かに立ち去った。
部屋には、カサンドラだけが取り残される。
彼女はその場に一人取り残されたまま、唇をかみしめた。
(時が来れば必ず——始末してやるアーヴィン・カーティス)
沈黙の中、蝋燭の灯が、じり……と音を立てていた。
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