第17話 決着
エリザベータは、立ち尽くしたまま動かない。白目をむき、口元はかすかに動いている。
俺は激しい疲労に襲われ、眩暈を覚えた。これが——魔力切れか……?
それでも立ち上がろうした瞬間——エリザベータの目がカッと見開かれ、俺の首を両手で締め上げてきた。
「コロス……コロス……コロス……!」
呼吸ができない。声も出ない。視界が揺れ、意識が遠のいていく。
確かに心臓を貫いたはずだ。だが、なぜ——動ける?
凄まじい力で締めつけられ、剣を握る指先にも力が入らない。
「コレデ……トドメダ」
赤く光る瞳が目の前に迫る。
あの目は…… 鮮紅鞭を使う気だ。
……まだ、終われるかよ。
死んでたまるか——!
その瞬間、俺の身体は数メートル先に”転移”していた。
……スキルが作動した? この土壇場で——?
”転移”の余波で俺はそのまま地面に転がった。剣は握れない。足も動かない。
エリザベータはどこだ?
数メートル先に彼女の姿があった。彼女は俺の方へゆっくりと振り向くと、胸に剣が刺さったままこっちに歩いてきた。
まだ戦えるのか……いや、違う。何かが違うぞ——
急激に皮膚が干からびはじめ、頬がこけ、眼窩が沈む。骨が浮き上がり、肉が崩れていく。
「……カサンドラ……サマ……」
囁きが風に消えた瞬間、エリザベータは音もなく崩れ落ち、砕けた骨と灰になって散っていった。
◇
ヴァンピール一体で、ここまでの戦いになるとは……。まだまだ、俺は——弱い。
「おーい、大丈夫かー!」
「マジかよ……あのガキ、吸血鬼を倒しやがったぞ……!」
「こら、“アーヴィン様”だろうが!」
聞き覚えのある声が響く。駆け寄ってきたのは、以前俺を攫おうとした三人組の冒険者だった。
「矢を撃ってくれたおかげで隙ができた。助かったよ」
「えっ、ああ……へへ、やっぱ俺、やる時はやるでしょ?」
とぼけた声で答えるのは、弓を使ったちびの男。
「おい、それは俺たち三人の手柄だろ!」
モヒカンの巨漢が腕を組みながら言うと、ひょろながい男が得意げに補足する。
「そうそう! 三人でひとつだ!」
「本当に、ありがとう。で、どうしてここに?」
俺が尋ねると、ちびの男が答えた。
「実は、ギルドから家に帰っても寝られなくて、ぶらぶらしてたんすよ。もしかしたら吸血鬼を見つけられるかもしれないって。そしたら、執事の人が走ってきて、助けてくれって」
そこへ声が響いた。
「アーヴィン様!」
ドミニク、アレン、そしてシアが駆け寄ってきた。
「よく……ご無事で……!」
「アーヴィン様!」
シアが俺に抱きつき、わっと泣き出す。
「大丈夫だよ。言ったろ、後で行くって」
「だけど……怖かった……!」
俺はシアの頭を撫でた。
「よく耐えたな、シア。アレン、お前も逃げなかったのか?」
アレンは照れくさそうに笑う。
「シアが『待ってる』って聞かなくて……。馬車は準備できてたんですがね」
「腕は?」
「痛みはありますが、大丈夫です。……もう剣は握れませんけど」
「それでもお前は、立派な兄だ」
アレンは少し目を潤ませながら、深く頭を下げた。
「ドミニクも、本当にありがとう。お前がいなければ、助からなかった」
「アーヴィン様……お願いがあります」
「なんだ?」
「どうか、これからは……ご無理をなさらぬよう」
「……すまん。これからはしっかり準備してから行動するさ。長い戦いになるだろうからな」
◇
冒険者三人組が、もじもじと立っているのに気づく。
「どうした?」
「へい……あの……その……」
「じれったいな!」モヒカンが割って入る。「つまり、俺たち報酬もらえるんすかねって話ですよ、旦那」
「“坊ちゃん”だろ!」とひょろながの男が突っ込む。
「……もういい。それで? お前たちの名前は?」
「トムです」
「サムスだ」
「ドナルドっす!」
「分かった。三人とも、確かに役に立った。報酬は払おう。いいな、ドミニク」
「はい、アーヴィン様」
「三人に1000ゴールドを出そう」
「ま、マジすか!?」
「やったああ!」
「俺たち、一晩で成り上がったぞ!」
「……ただし条件がある。ヴァンピールを倒したのは“お前たち”ということにしてくれ」
「ええええー!」
「俺らが!?」
「いいんですかい」
「それから、絶対に俺のことは口外するな。それが報酬の条件だ。でないとおかしいだろう。倒した奴が1000ゴールドもらえることになっているんだからな」
三人は顔を見合わせたのち、力強く頷いた。
「了解です、アーヴィン様!」
◇
翌朝——
アレンとシアは、馬車に乗り、出立の準備を整えていた。
アレンには、いまだ“殺人未遂”の嫌疑がかかったままだ。このまま王都にいれば、いつか捕まる。エルザ——いや、カサンドラが放っておくはずがなかった。
だからこそ、ドミニクに頼み、しばらく匿ってもらえる場所を用意してもらった。
「……本当に、ありがとうございました」
「アーヴィン様には……言葉もありません」
二人は深く頭を下げる。
「心配するな。必ず自由を取り戻させる。……俺が、エルザの正体を暴くから」
「ですが……どうか、ご無理はなさらぬよう。真祖の力は絶大です。エリザベータなど、足元にも及ばないほど」
「それでも、俺は強くなる。もっと……何倍にも」
そう言って、アレンと握手をした後、俺は一つの袋を手渡した。中身を覗いた兄妹は、言葉を失っていた。
「こんなにも……もらえません、アーヴィン様」
「アーヴィン様に大変良くしていただいたのに……これ以上は」
「……いいんだ。きっと彼も、そうしてほしいと願ってる」
俺は、アーヴィン・カーティスのことを考えていた。
この兄妹、とくにシアには、彼は随分と救われていた。だからこそ、彼の代わりに返したかった。俺から感謝の気持ちを伝えたかったのだ。
アレンとシアは、目を見合わせて困った顔をしている。
「その代わりと言ってはなんだけど……」
俺は、日記帳を取り出し、シアに手渡した。
「アーヴィン様……これって」
「思い出にとっておいてほしい。記憶を失う前、君と過ごした日々が、どれほどの救いだったか…… その時のことを忘れないでいてくれないか」
日記に書いてあったのは、苦悩や恐れだけではなかった。シアと過ごした日々の喜びも書いてあったのだ。その時間は、確かに彼にとって救いだったのだろう。ほんのわずかな、安らぎの光だった。
だからこそ——
シアの中で忘れられてしまったら、アーヴィン・カーティスという人間が、本当にこの世界から消えてしまいそうで……切なかった。
シアは日記を胸に抱きしめ、ふわりと微笑んだ。
「もちろんです。忘れられるわけ、ないじゃないですか」
その笑顔に、俺は小さく頷く。
それでいい。それだけで、十分だった。
御者が静かに声をかける。
「……そろそろ、出発のお時間です」
車輪がゆっくりと軋み、馬車が動き出す。
「じゃあな、アレン。シア。……どこかで、また会おう」
「アーヴィン様、無理だけは、なさらないでください」
「落ち着いたら、手紙を書きますね。絶対に」
シアの声が、だんだんと遠ざかっていく。
俺は、手を振り続けた。彼らも手を振り続けていた。
姿が見えなくなっても、声が聞こえなくなっても、ずっと——
まるで、それが最後のつながりであるかのように。
風が吹いた。
冷たいけれど、どこか優しい風だった。
俺はひとつ、深く息をついた。
アーヴィン・カーティスは、確かにこの世界に生きていた。
その証が、いまもシアの記憶のなかに残っている。
どうか願わくば、その記憶のなかで——
彼が、ちゃんと笑って、生きていたことを、
忘れずにいてくれますように。
……それだけを、俺は静かに祈っていた。
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