第16話 闇の眷属
俺は我にかえった。
「——今だッ!」
咄嗟にスキルを発動。エリザベータの足元の床を、瞬間的に“転移”させる。彼女の身体は、音もなく奈落へと吸い込まれていった。
すぐさま床材を元に戻し、落下口を塞ぐ。
その時、背後からアレンが声をかけてきた。
「アーヴィン様……今のは……彼女は、本当に……怪物、だったのでしょうか?」
声は震えていた。だが、その疑問に答えている時間はない。
「いいから走れ。アイツはまだ、死んじゃいない」
俺たちは地下室の階段を一気に駆け上がり、1階のフロアに飛び出した。
「ドミニク! 聞こえてるな。すぐにシアを連れてきて、馬車を用意しろ。エリザベータに見つかった。使用人たちも全員退避だ!」
「承知しました、アーヴィン様!」
ドミニクの声が、どこかで返ってくる。
だがその直後……2階から、少女が階段のところに飛び出してきた。
「お兄様……お兄様ですか……?」
「シアっ……!」
アレンが顔を上げ、とっさに階段を駆け上がる。その時、おぞましい魔力の気配が地下から伝わってきた。
「アレン、待てっ!」
遅かった。
突如、赤い閃光が走り、床板が切り裂かれた。
“血”だ。
液体のはずのそれが刃となり、階段を真横に叩き斬る。
「うわあッ!」
階段もろとも、アレンが吹き飛び、彼の切られた右腕が宙を舞う。
「シアッ!」
音を立てて、崩れ落ちる2階。
「きゃああああ」
悲鳴をあげ落ちてきた彼女を、俺はギリギリで受け止めた。
あの血を使った技——見覚えがある。
《鮮紅鞭》
高速で血液を吹き出しムチのように操る殺戮術。……ゲームでは、ヴァンピールのうちの1人が使っていたあの技だ。
まずい。このままじゃ……全滅だ。
その時、ドミニクが駆け寄るのが視界に入った。その手にはあの刀……イレーナの長刀が握られている。
「アーヴィン様、これを!」
「……こっちに投げろ!」
ドミニクはためらいなく刀を投げた。俺は片手でシアを抱えたまま、もう片方でその刀を掴み取る。
「シア、下ろすぞ」
そっと地に降ろすと、彼女の手が俺の服の裾をぎゅっと掴んだ。
「シア、走れるか?」
「アーヴィン様は……?」
「俺は後から必ず行く。だから、お前たちは先に行け」
俺は刀を構え、アレンの方へ目をやった。
アレンは右腕を押さえ、血を流しながらも、立ち上がろうとしている。
ドミニクが布を裂いてアレンに駆け寄った。
「アレン、動けるか?」
「くっ……大丈夫だ。シアを残して死ぬわけにはいかない」
「ドミニク、頼んだぞ」
「お任せください。必ず、2人を無事に逃がしてみせます」
3人が、玄関の方へと走り出す。
俺はその背を見送り、ゆっくりと長刀を構え直した。
「さあ、来い……バケモノ」
俺は闇を見据え、静かに言った。
◇
殺意を帯びた血の飛沫が、俺の足元を掠めていく。
かすかに空気を切り裂く音——わずかな気配を察知してから、すんでのところで回避し続けている。
予測不能な一撃。対処が遅れれば、即、死に繋がる。
——姿が見えない以上、攻撃がどこから来るか分からない。ならば……
俺はわざとらしく息を吐き、声を張り上げた。
「どうした、エリザベータ。いつまで隠れてるつもりだ? 臆病者のエルザと、まるで瓜二つだな。——主従揃って、腰抜けってわけか?」
沈黙——
「……なるほど。“俺には勝てない”って、自分でも気づいてるんだな。それで姿を見せるのが恥ずかしいのか……ハハハハ」
足元でおぞましい魔力が膨れ上がるのを感じた。俺は、すぐにその場から跳ね退く。
直後——
ズシャアアアッ!
数条の赤い閃光が、さっきまで俺が立っていた床を、メチャクチャに切り裂いた。
「奥様を……侮辱するのは……ゆるさない」
空間がねじれるような重圧。もうもうと立ち昇る血煙の中で、現れたその姿は——
もはや、エリザベータではなかった。
人間の形を保っていたものの、もはや“別物”のようだった。
血のように赤く染まった髪が重力を無視して舞い、
肌は透き通るように白く、
口元には、剥き出しの牙が覗いていた。
「アーヴィン・カーティス……お前だけは、決して許さない」
声が何重にも響き、空気を震わせる。
これが“ヴァンピール”……か。
魔物の名を、俺は心の中で呟いた。
◇
”ヴァンピール”
身体能力は人間の比ではない。それに加えて、手足はおろか首でさえ跳ね飛ばしても、すぐに再生する。
弱点は心臓。そこに魔力を込めた攻撃を加える必要がある。
さらに、この個体は鮮紅鞭を操ることができる。
——1体でも手にあまる。
俺は手に持つ長刀を見つめる。
この長刀は、かつて勇者パーティの一人だったイレーナのもの。おそらく、魔力を込めて心臓に突き刺せば勝機はある。
息を潜めながら、俺は一歩ずつ距離を詰めた。
エリザベータが、右手の人差し指をまっすぐ俺に突きつける。
「さあ、どこから切り刻まれたい。楽には……死なせない」
不意に指先から出た血飛沫が俺の頬を掠めた。
外れた…… いや、わざとだ。
恐怖を煽るためにわざとギリギリで外したのだ。
エリザベータは冷笑を浮かべている。
攻撃が——全く見えなかった。
気づいた時には、すでに頬が裂けていた。
——どうやって近づく?
近づけば一瞬にして切り裂かれる。そして、その攻撃が見えない以上、かわすことは不可能だ。
——ならば
魔力を全身に回す。まずは脚、次に腕……そして一か八か視覚にも注ぎ込んでみた。
あれを“視て”避けられなきゃ、次はない。
だが、全身の筋肉に加えて、視覚も強化……問題は魔力切れを起こさないかどうかだ。
正直言って、俺の力はまだまだ足りない。
アーヴィン・カーティスの素養が元々良かったから、通常の人よりも魔力量は多いが、それでも、10歳になったばかりのこの体だ。
それに加えて、修行も始めたばかり。成長はしている。しているが、届かないかもしれない。
せめてもう少し時間があったら…… いや、考えるのはやめよう。
今は全力で戦うしかない。魔力切れを起こしたら、それまでだ。
「ああ……早く、その首を切り落としてカサンドラ様に捧げたい。
でもダメ……もっと、もっと苦しめなきゃ……
カサンドラ様を“冒涜した罰”なんだから……ふふふふ……」
赤い閃光が視界に入った瞬間、俺の心拍が跳ねた。
——視えたッ!
即座に腰を落とし、地を這うように滑る。
赤い閃光は背後の壁を引き裂き、石粉を撒き散らす。
低い姿勢から、思い切って地を蹴り、俺は突進する。
次々と放たれる鮮血の一撃。体に向かってくる分だけ、最小限の動きで長刀で弾いていく。
「今だッ!」
剣の届く間合いに到達すると、俺は反動をつけて身体をひねりながら長刀を振り抜いた。
刃は正確に、エリザベータの右肩口から片腕を切断した。
——これで、鮮紅鞭は……
しかし、俺の方を向いた彼女の目から、血の閃光がほとばしった……予想外の攻撃だった。
——しまった。目からも出せるのか?
反射的に長刀で受け止めたが、近距離のため長刀が遠くに弾かれる。
「あっ」
刀を拾う暇もなく、次々と狂ったように放たれる攻撃。俺はかわしているだけで精一杯だった。
エリザベータの切られた右腕から霧のような鮮血が迸り、それが腕の形となって元に戻った。
「勝ったと思ったのか?…… はははは」
エリザベータの血まみれの影が、じわじわと壁際へと俺を追い込んでいく。
背中に冷たい石壁の感触が触れた。
——逃げ場がもうない
かっと、エリザベータの目が見開かれた。
その瞬間——
シュッ!
空気を裂く鋭い音。エリザベータの額に、一直線の矢が突き刺さった。
「やったぞ! 吸血鬼を仕留めた!」
「チッ、俺がやる前に決めやがって!」
石造りの廊下に響く足音。駆け込んできたのは、報酬目当ての冒険者たちだった。
その中には見たことがあるモヒカンもいた。
エリザベータがそちらにゆっくりと顔を向けた。その目は激しい怒りを血走らせている。
もちろん、矢の攻撃などヴァンピールにとっては致命傷にはならない。しかし……彼女に隙ができた。
今しかない!
「空間転移」
俺は遠くに転がっていた長刀をスキルで”転移”させ、手元に引き寄せる。
両手で構えると、魔力を最大限まで練り上げて——
「うおおおおおッ!」
その刃を、エリザベータの胸に一気に突き立てた。
メリメリと音を立てて、魔力を込めた刃がエリザベータの胸を貫く。
「グギャアアアアアアアアアッ!!」
血を吐きながら、彼女が絶叫した。
叫びが途切れた時、俺は力尽きてその場に膝をついていた。
「……本当に、これで終わったのか?」
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