第15話 救出作戦
別邸に戻ると、俺はすぐに執事のドミニクを呼び寄せた。 椅子にどかっと腰を下ろすと、ドミニクは手際よく紅茶を淹れて運んできた。
俺は王都での一連の出来事を簡潔に伝える。
「……それで、仕留めた連中は全員ギルドに引き渡した。貴族の子息に手を出したとあって、相当絞られてたみたいだが、まあ、生きてるだけマシってやつだな」
「厄介でしたな。しかし、ギルドに協力を要請できたのは収穫でした」
「王宮の力は借りられないからな」
「……ですが、ギルドでは勝てるかどうか」
「勝たなくていい。ギルドにはエリザベータを足止めしてもらおう。騒ぎになれば、王宮の衛兵も動く」
「なるほど……そういう算段ですか」
俺は軽く頷く。最初からギルドには期待していない。アレンとシアを逃がすための時間稼ぎ。その間に王都中が騒ぎになれば、自然と王都の警備体制も動き出す。
あの化け物と、まともに戦って勝つのは、現状では無理だ。
原作のRPGで登場するヴァンピールは3体。3体同時での攻撃は凄まじく、ようやく倒した後は、カサンドラとの連戦が待っていた。
だが、今回は1体だけだ。 一対一では厳しいが、ここは王都。騒ぎが起きれば味方も呼べる。少なくとも、排除か追放には持ち込めるはず。
「それにしても、アーヴィン様。ずいぶんとお強くなられましたな」
「まあな」
「スキルも発動できるように?」
「ああ。『空間操作』ってスキルらしい。今は”モノ”しか動かせないが」
「……しかし、鑑定の儀を経ずに、どうして固有スキルを知ったのですか?」
俺は少し悩んだ。ドミニクはとても信用のおける人物ではある。だが、なんでも話せるかというと難しい。
ゲーム内での知識をあまり披露しすぎると怪しまれる。だからと言って、俺が異世界から来た人間で、アーヴィンはすでに殺されているなんて言ったら、この関係が崩れてしまうだろう。
「物を瞬間的に移動できた。“空間操作”って名は妥当だと思うが……」
「それは……“空間”そのものを動かしているというより、“物体”を移しているのでは?」
「ん……確かにな」
ゲーム内では確かに“空間操作”とされていた。 けれど、本当に空間を操作しているのかと言われると……答えに困る。そういや、”モノ”を操作しているといえば……。
「俺を狙った冒険者に、空中でナイフを操るスキルを持ってる奴がいた」
「操作系スキルは多いですからな。弓矢に使う者もいれば、サイコロを細工するような連中もいる」
「でも俺のは、“操作”って感じじゃない。ただ、ある地点からある地点へ、瞬間的に移す。それだけだ」
「……なるほど。“移動”あるいは“転移”といった方が、性質としては近いかもしれませんな」
うーん。だが間違いなくゲーム中では”空間操作”という名称だった。まあ今は、それを深く追求する時ではない。
ただこれだけは言える…… おそらく、あのスキルはまだ“本当の力”を見せていない。
「それよりも、アレンとシアの件だ、確か早馬で往復三日はかかると言っていたな」
「それは、アレンを捕まえてから早馬を出した場合の話ですな。事前に出していれば、もう着いていてもおかしくありません」
「計画は早い方がよさそうだな。やるなら昼間がいいだろう。ヴァンピールは夜が本領だ。昼なら、少しは弱体化するかもしれん」
「はい。ただ、高位の吸血族であれば、昼でも戦力が大幅に落ちるとは限りません」
「それでも目立つ行動は取りにくいはずだ。それに、これからは賞金目当てに冒険者が王都中に溢れることになるだろう。そこに勝機がある」
「問題は、エリザベータの監視ですね。地下室の入り口でつきっきりで張っております」
「大丈夫だ。アレンにはもう、一度会ってきた」
「えっ……? それは……」
「屋敷の天井を一時的に剥がして、上から忍び込んだ。音を立てなければ、入り口からは気づかれない」
「……なるほど。それで、脱出はいつ決行するのですか?」
「明日だ。早ければ早い方がいい。シアの方は?」
「体力は回復しています。ただ、かなり不安そうにしているので……」
「俺はこれからアレンに話を通す。お前はシアに伝えてくれ」
「シアにはお会いにならないのですか?」
会いたくないわけじゃない。ただ、彼女が知っている“アーヴィン”は、もうこの世にはいないのだ。彼女を騙しているようで、会うのが少しためらわれた。
「……朝になったら話すよ」
俺はそう言って、立ち上がり、アレンのもとへ向かった。
◇
地下室に入ると、アレンは起きていた。椅子に座り、難しい顔をして黙り込んでいた。
「アレン、寝てなかったのか」
「ええ。眠れる気分ではなくて……それより、あまりここに来ないでください。エリザベータに見つかったら大変です」
「問題ないさ。要件はすぐに終わる」
「それならいいのですが…… いったい何の用ですか?」
「いいか、よく聞けアレン。明日の昼、ここから出るぞ」
「え……?」
アレンの目が見開かれる。
「お前がシアの身代わりになってることは知ってる。お前が無実だってこともな」
「どうしてそれを……」
「シアに直接聞いたからな」
「シア…… シアですって?」
アレンは驚いて前のめりになった。
「いいかよく聞け、シアは無罪だ」
「無罪……?」
俺はすべてを話した。エリザベータの正体。そして、カサンドラ・ドラクレア──エルザの正体を。
アレンの顔が怒りに染まった。
「そんな……では、シアは……本当に……」
「証明は今はできない。でも、このままでは処刑されてしまう。だから、まずは逃げるぞ。正体を暴くのは、それからだ」
「……シアは、今、どこに?」
「この屋敷の隠し部屋だ。ドミニクが匿ってる。今のところは安全だ。一緒に逃げる。馬車も手配してある。まずは王都の外に出ろ」
「しかし……それでは、アーヴィン様の立場が……」
「かまうな。勝手に逃げたってことにすればいい。とにかく気づかれずに脱出する、それが最優先だ」
「アーヴィン様……」
アレンは涙ぐみながら、俺の両手を取った。
「僕たちのような者に、ここまでしてくださるなんて……アーヴィン様、僕は一生、恩を忘れません」
「礼はいい。剣を教えてくれただろう。助かったよ。シアのことも…… 彼女はアーヴィンによくしてくれたみたいだから」
「ですが……」
「お前たちはもうカーティス家に関わるな。あの家は呪われている。あとのことは全て俺がやる」
そのとき——
地下室の空気が腐りはじめた。
暗闇から、おぞましい気配がじわじわと広がっていく。
背中に冷たい汗がじっとりと滲んだ。心臓が早鐘のように鳴り、手のひらがじっとりと濡れているのに気づいた。
——見てはいけない。でも、目を逸らしたら確実に殺される。根源的な恐怖。
アレンと俺は無意識のうちに入口の方を見た。
そこに——
エリザベータが闇の中から音もなく現れた。
その瞳は、まるで空虚そのものだった。
彼女は独り言のような呟きを漏らしながら、石床をヒールで叩きつけるように、ゆっくりと近づいてくる。
カツーン…… カツーン……
「ああ…… なんという罰当たりな……
家畜が飼い主に逆らうだなんて……
だから、私は言ったのです……奥様……」
カツーン…… 音が止まった。
想定外だ…… 焦りが思考を濁らせる。
アレンは息を呑んだまま、石のように動かない。
俺も声が出ない。「逃げろ」の一言が喉で凍りついている。
「奥様が見逃せと言ったから……
私は手出ししなかったのに……
何というこの始末…… 」
赤く濡れた唇がゆっくりと裂けるように開き、
その奥で、人外の鋭い牙がぬらりと光った。
そして次の瞬間——
エリザベータの首がごきりと音を立てて傾き、狂気を帯びた瞳が、鋭く俺を貫いた。
「ああ、奥様。どうかご覧ください。
この穢れた家畜どもを、この私めが血と悲鳴で清めてご覧にいれます」
その声は、血に濡れた陶酔と、抑えきれない殺意でかすかに震えていた。
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