第11話 シアの告白
「最初から、話してくれないか。俺は……この数年の記憶がまるでないんだ」
「……分かりました。最初から、お話ししたいと思います」
シアはうなずいて、話し始めた。
***
1年前——私はアーヴィン様に出会いました。
そのころ、お兄様が1人で留守番をしている私のことを心配して、ドミニクさんに頼み、私はこの屋敷に自由に出入りできるようになったのです。
初めて見たお屋敷は、まるでおとぎ話の中に出てくるお城のようでした。白亜の壁、手入れの行き届いた広い庭、咲き誇る色とりどりの花々。夢のような光景に、胸が高鳴ったのを覚えています。
——そして、出会ったのです。アーヴィン様に。
気品ある佇まいに、美しい立ち姿。まるで物語の中の王子様のようだと、息を呑みました。
けれど、その幻想はすぐに砕かれました。
「この汚い女が、なぜ屋敷にいる。さっさと追い出せ!」
そう冷たく吐き捨てられたのです。ドミニクさんが間に入ってくださらなければ、私はその場から追い出されていたでしょう。
それからも、アーヴィン様は私を見るたびに睨みつけ、冷たい視線を向けてきました。アーヴィン様は使用人たちの間でも、あまり評判のいい方ではありませんでした。そして、お兄様にも「あいつには近づくな」と何度も言われていました。
そんなある日、私は温室の扉が開いているのに気づき、つい、好奇心に負けて中へと入ってしまいました。
そこで私が見たもの……誰も知らないアーヴィン様の姿がありました。
花々に水をやり、丁寧に土を整え、優しい手つきで青い蕾を撫でる姿。その光景に、私は思わず声をかけてしまったのです。
きっと怒られる、そう思ったのに——アーヴィン様はふと微笑み、お花の世話について静かに教えてくださいました。
……あの時からでした。
あなたと話すのが、楽しみになっていったのは。
次第に、私たちは温室で顔を合わせるようになりました。誰にも知られず、誰にも邪魔されない場所。そこは、いつのまにか“二人だけの秘密の庭”になっていったのです。
兄には内緒でした。兄は相変わらず「あの男とは関わるな」と言っていましたし、今思えば、正しかったのかもしれません。でも、私は通いました。もっとアーヴィン様を知りたかったから。
アーヴィン様は、いろいろなことを話してくれました。
——本当の母上は小さい頃に亡くなっていて、顔も思い出せないこと。
——継母とはうまくいかず、弟のステファノにも蔑まれていること。
——実家でいじめられて居づらくなり、ドミニクさんの提案で王都の別邸に移ってきたこと。
——そして、この温室は、亡き母上が遺した思い出の場所であること。
ときに辛そうに、ときに嬉しそうに。あの冷たい仮面の下に、本当の彼がいることを私は知りました。
「……ボクも、母のように勇者パーティに入りたいんだ」
そう語った日もありました。固有スキルを知るための“鑑定の儀”を心待ちにしている様子でした。
でも……私は思ったのです。アーヴィン様は、戦いに向いていない、と。
アーヴィン様は花を愛する人でした。勇敢な戦士というより、繊細で優しい人。私は反対しませんでした。ただ、話を聞いてあげることしか私にはできませんでしたから。
ある日、アーヴィン様は真っ青な顔をして温室に現れ、床に座り込みました。
「……怖いんだ。継母が……」
その一言を境に、彼は変わっていきました。
笑わなくなり、何かに怯えるようにしていました。以前のように冷たく、怒りっぽくなって。まるで、以前のアーヴィン様に逆戻りしたかのように。
私は何が起きたのか全く分からず、ただ、戸惑うことしかできませんでした。
そして、ある日、アーヴィン様は私に、小さな箱を差し出しました。中には、金細工の小さな指輪と、皮の表紙に金文字の刻まれた日記帳が入っていました。
「……これをボクの代わりに持っていてほしい。頼むから」
理由を尋ねても、彼は首を振るだけで。
ただ、ひとこと——
「……もしかしたら、ボクは殺されるかもしれない」
そう、呟いたのです。
私は、そんなはずないと否定しました。何度も、何度も。でもアーヴィン様は、私の声が届かないかのように背を向けて
「お前はもう、この屋敷には来るな。きっと、恐ろしいことが起こるから」
それきり、私と会おうとはしなくなりました。
私は家でずっと悩みました。
アーヴィン様はきっと助けを求めている。何が起きたか分からないけれど、恐ろしい陰謀に巻き込まれているに違いない。
彼の力になりたい。でももう来るなと言われているし一体どうしよう…… そうだ、あの指輪はとても高価で、私が持っているわけにはいかない。だから返す口実で再び屋敷に戻って、アーヴィン様から話をちゃんと聞こう。そう思って、私は再び屋敷を訪れたのです。
そして、温室の前に立ったその時——
突然、頭の中が真っ白になって。
気がついた時、私の手にはナイフが握られていました。
目の前には、血まみれのアーヴィン様が倒れていたのです。
——声も出せませんでした。
そこへ、兄が駆けつけ、私を抱き締めるようにして、自分の服を着せてくれました。
「お前は何もしていない。これは……何かの間違いだ」
そう言って、私を無理やり家へ連れて帰ってくれたのです。
それ以来、私は自分が信じられなくなりました。
翌日、兄は教えてくれました。アーヴィン様が生きていたこと、記憶を失っていたこと、それで私が捕まることはないだろうと。
アーヴィン様が生きていたと聞いた時は、心底ほっとしました。でも私は、ずっと自分を責めていました。
私が……おそらくアーヴィン様を刺したのだと。刺した記憶は全くありませんでしたが、血まみれのナイフを握っていたから。
でも、アーヴィン様に謝りに行くことができなかった。
本当のことを話せば、兄まで処罰されてしまうかもしれない。私1人の過ちで、兄を巻き込んでしまうのが怖かったのです。私は……卑怯者でした。
しかし今はもう——
兄が捕まってしまった。
私のせいで。
これ以上、兄に迷惑をかけたくありません。ですからお願いです。
兄を、解放してください。
私は、どうなっても構いません。どんな罰でも、どんな運命でも受け入れます。
……たとえ、この命が失われたとしても。
シアは、涙ひとつ見せぬまま、まっすぐに俺の目を見つめていた。
***
「シア、よく話してくれた。……大変だったね」
俺がそう言うと、シアはぴくりと肩を震わせた。
「アーヴィン様……?」
驚いたような声だった。まるで、自分が優しい言葉をかけられる資格などないとでも思っているかのように。
俺はそっと彼女の肩に手を置いた。小さな身体は緊張でこわばっていたが、その手のひらから、かすかな熱が伝わってくる。
「もう大丈夫だよ」
その一言で、彼女の瞳が潤んだ。唇が震え、何か言おうとしたが言葉にはならず、次の瞬間には、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしはじめた。
「う……ううっ……うぁああああん……!」
張り詰めていた糸が切れたように、彼女は声を上げて泣き出した。
しっかりしているように見えても、まだ十歳の少女だ。気丈に振る舞ってはいたが、限界だったのだろう。
俺は黙って彼女の背中をさすった。——泣いていい。もう君は独りじゃない。
「ドミニク。シアに休める部屋を用意してやってくれ。あと、温かい飲み物と……軽く食べられそうなものを」
「はい、分かりました。アーヴィン様」
「それと……」
「分かっております。シアは丁重に保護します。決してあの女には渡しません」
「ああ…… ありがとう」
このやり取りを聞いていたのだろう。シアが涙まじりに顔を上げて言った。
「……そんな、もったいないお言葉です。私なんか、すぐにでも牢に入れるべきです。そして、死刑になるべきです。お願いします、どうか兄のことを……」
「……大丈夫。君も、お兄さんも、俺が助ける」
シアの瞳が、わずかに見開かれる。
「君は罰せられるべき存在じゃない。おそらく、誰かに操られていた。それなら、罪はない」
彼女はしばらく俺を見つめていたが、やがて何度も頭を下げ、ドミニクに連れられて部屋を出て行った。
重い扉が静かに閉じ、部屋に沈黙が戻る。
胸の奥に、静かに──だが確かに、怒りと決意の火が灯った。
……もう、限界だ。
こちらの手札は、あまりにも少ない。だが今の俺には、もはや迷いはない。
——これからは、俺が“お前たち”を裁く番だ。
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