第1話 悪役令息アーヴィン・カーティスは死んだ…… なぜだ
ドクン——ドクン——
心臓の鼓動だけが、やけに耳に残る。
背中に杭でも打ち込まれたような激痛。手足は氷のように冷え、感覚が遠のいていく。
目を開けると、俺はうつ伏せで倒れていた。
視界は真紅。自分の血で床が鏡のように濡れている。呼吸のたび、血の匂いが鼻を突いた。
このままでは—— 死ぬ。
誰かに助けを求めようにも、声が掠れて出ない。激しくむせた拍子に、口から血が溢れた。
……もう、だめか。どうして、こんなことに。
そのとき、血溜まりの向こうから誰かの叫ぶ声が聞こえた。
「もう、息をしていないって本当かっ!」
「はい、確かめました。間違いありません!」
そして、数人がドヤドヤと駆け寄ってくる。
「さっさとナイフを抜けっ!」
「血が……止まりません!」
「ポーションを急げ! 使ったらすぐにアーヴィン様をお部屋へ!」
「脈は—— あるぞ、まだ生きてるっ!」
アーヴィン様—— ?
確かにそう呼ばれていた。けれど、それは俺の名前じゃない。
意識が、ずるりと暗闇に引きずり込まれていった。
夢を見ているのか……。
◇
俺は、昨日—— いや、たぶん昨日—— アパートでゲームをしていた。
激務明けの土曜の夜。寝る前に少しだけ、と思って起動したのは、最近話題のダークファンタジーRPG『Throne of the Abyss』。
グロ耐性のない人は注意、というタグがつくほどの死にゲーだ。難易度は高く、選択肢を一つでも間違えれば、登場人物が無惨に退場していく。リアルなムービーで、その最期を容赦なく見せてくるのが売りだった。
その夜、最後にプレイしていたのは、悪役令息アーヴィン・カーティスのバッドエンド。
魔法陣の中で拘束され、泣き叫ぶアーヴィン。
周囲には黒装束の神官たち。
残忍な儀式が淡々と進み、アーヴィンの命と引き換えに魔王が復活する——
「何回見ても、グロいな。……まあ、いいか。さて、最後の魔王戦に挑むとするか」
そう呟きながら、キーボードに手を伸ばした……そこまでが、確かに最後の記憶だ。
…… ?
じゃあ今、なぜ俺は血まみれで死にかけてる?
なぜ“アーヴィン様”なんて呼ばれているんだ?
わけがわからない。
けれど、思考はそこでぷつりと切れた。
深い奈落へ、再び沈んでいく。
◇
—— カツン、カツン
絨毯に吸い込まれるような靴音が、意識を呼び戻す。
瞼を開くと、そこは見知らぬ天蓋付きベッドの上だった。香油の甘い香りが漂い、背中には包帯と鈍い痛み。
……生きている。
枕元では、銀髪の中年の男が目頭を押さえていた。
「坊ちゃま……! ああ、神よ、あなたは奇跡をお示しくださった……!」
——また“坊ちゃま”。
部屋には数人のメイドと、白衣の医師が控えていた。医師が俺の脈を測り、俺は声を絞り出す。
「……ここは、どこだ?」
医師が執事に目配せをすると、その男——執事らしき人物が膝をついた。
「アーヴィン様のお部屋でございます。もうご安心ください。ここなら安全です」
やはり聞き間違いではなかった。アーヴィン。そう呼ばれていたのは、紛れもなく俺だ。
「アーヴィンって……アーヴィン・カーティスのことか?」
医師と執事がギョッとして顔を見合わせる。
「もしや……お名前を、お忘れで?」
「え、いや……その……」
俺は迷った末、“記憶喪失”を装うことにした。下手なことを言えば後で辻褄が合わなくなるかもしれない。
「そうみたいなんだ。悪いけど、ここがどこかとか、忘れちゃってて。……あんたの名前、教えてくれる?」
執事は深く頭を下げ、神妙な声で名乗った。
「私はドミニク・ケイン。カーティス家の執事を務めております。ここは、王都にあるお父上の別邸。そして……あなた様は、アーヴィン・カーティス様に、間違いございません」
冷や汗が背筋を伝った。
……やっぱり。まさかとは思っていたが。
この世界は、あのRPG『Throne of the Abyss』の中—— しかも、よりによってアーヴィン・カーティスに憑依しているというわけか。
性格最悪の悪役令息。主人公の噛ませ犬。
そして、最後には魔王復活の生贄にされる哀れな存在。
「……坊ちゃまは、中庭の温室で刺されて倒れていたのです。発見されたときには、すでに—— 脈も呼吸も、ございませんでした。ですが、懸命な治療の結果、こうして……」
「……じゃあ、俺、死んでたのか?」
この世界での記憶は、まったくなかった。
もし“転生”なら、ここで生活していた記憶が残っているはずだ。
だとすれば、アーヴィンが死んだあと、俺の魂が乗り移った—— “憑依”という可能性が高い。
「今って、何年?」
「王国暦2019年でございます」
……王国暦2019。ゲーム本編が始まるのは2025年。本来アーヴィンが生贄になって死ぬまで、あと6年ある。
つまり、まだ猶予はある。やりようは、あるかもしれない。
だが、こんな展開はゲームに存在しなかった。
そもそもアーヴィンにルートは用意されておらず、プレイヤーが操作することすらできなかったのだから。
俺は主人公ルートはもちろん、主要キャラのエンディングもすべて制覇していた。
だが、アーヴィンがこんなに早く殺される展開なんて、見たことがない。
「死亡フラグとか関係なく殺されたってのかっ! うっ……いてて」
思わず呻くほど、背中の傷が疼いた。
すかさずドミニクが駆け寄り、そっと背中をさすってくる。
この痛みが、すべてが“現実”だという証拠だ。
このままでは、ゲームと同じ—— いや、それよりもっとひどい末路が待っているかもしれない。
アーヴィンに生存ルートはなかった。
だからこそ、俺が“生き残るルート”を、これから作るしかない。
『Throne of the Abyss』は、甘くない。選択ひとつでヒロインすら無残に死ぬような、血と絶望と悪意に満ちたゲームだ。
プレイヤーの判断が一つ違えば、即バッドエンド。だからこそ、面白い。
——どうすれば、アーヴィン・カーティスとして、この世界で生き延びられる?
”田島宗介 25歳 平凡な会社員”
だが、週末にはゲーマーとして数々の高難易度ゲームを攻略してきた実績がある。
俺の中の“ゲーマー”は、その難題を前にして、静かに燃え上がっていた。
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