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第6話:ゴブリンの牙と5年ぶりのシチュー

規格外の力を手にした俺の足は、もはや以前の比ではなかった。

木々の間を疾風のように駆け抜けると、あれほど遠くに見えた街『アークライト』の城壁まで、わずか数分でたどり着いてしまった。


問題は、どうやって街に入るかだ。

今の俺は、下着に近いインナー一枚の、どう見ても不審者。城門の門番に見つかれば、問答無用で突き出されるのが関の山だろう。


俺は城壁の影に身を潜め、スキル【五感鋭敏(極)】を発動させた。

すると、門番たちの話し声、心臓の鼓動、視線の動きまでが、手に取るようにわかる。彼らの警戒網には、明確な死角が存在した。


「……ここだな」


俺は、門番二人の視線が一瞬だけ交差し、警戒が途切れるコンマ数秒のタイミングを狙った。

地面を軽く蹴る。

俺の身体は音もなく宙を舞い、まるで夜風に紛れた木の葉のように、ふわりと城壁の内側へと着地した。門番たちは、誰かがすぐそばを通り過ぎたことにも気づいていない。


「さて…」


無事に街へ潜入したものの、懐は空っぽ。一文無しのままでは、服も買えず、宿も取れない。

まずは金策が必要だ。

俺は再び【五感鋭敏】を使い、路地裏を飛び交う情報に耳を澄ませた。チンピラたちの下世話な話、商人たちの景気のいい話。その中に、聞き逃せない情報があった。


『……最近、森のゴブリンが妙に増えててな。ギルドが牙の買い取り価格を上げてるらしいぜ』

『へっ、たかがゴブリンの牙だろ? 数を狩らなきゃ、した金にもならねぇよ』


――ゴブリンの牙。


俺の口元が、ニヤリと歪んだ。

数が必要なら、数を狩ればいい。今の俺にとって、ゴブリンなど道端の石ころ同然だ。


俺は再び森へと踵を返し、今度は「狩り」を始めた。

もはや戦闘ですらない。ただの作業だ。

森の中を駆け巡り、ゴブリンの集落を見つけては、指先一つで蹂躙していく。一体一体倒すのも面倒になり、地面を軽く踏みつけるだけで、その衝撃波が周囲一帯のゴブリンをまとめて薙ぎ払った。


そのたびに、脳内に《経験値を10獲得しました》という無機質な声が響くが、今の俺の経験値ゲージは、もはやびくともしない。


スキル【アイテム収納(大)】に、ゴブリンの牙が次々と吸い込まれていく。

一晩で、俺は森の一角に生息していたゴブリンを、ほぼ根絶やしにしていた。


夜が明け、街が動き出す頃、俺は民間の換金所の前に立っていた。ギルドへ行けば、Dランクの俺の顔を知る者がいるかもしれない。面倒は避けたかった。

フード付きのローブをどこからか拝借し(もちろん後で洗濯して返しておくつもりだ)、顔を隠して中に入る。


カウンターの前に立つと、俺は【アイテム収納】からゴブリンの牙をすべて取り出した。


ザラザラザラッ!!!


カウンターの上に、おびただしい数の牙が、文字通り山を築く。

眠そうな目をこすっていた受付の男は、一瞬何が起きたかわからず、やがてその牙の山を見て、あんぐりと口を開けた。


「な……な、なんだこりゃあ!? ゴ、ゴブリンの牙……!? い、一体何匹分だ…!?」

「全部で頼む」

「ぜ、全部って…こんな数、一晩で狩ったとでも言うのか!?」


俺は何も答えず、ただ静かにフードの奥から彼を見つめる。そのただならぬ雰囲気に気圧されたのか、受付の男は顔を引きつらせながら、慌てて奥の鑑定人を呼びに行った。


査定の結果、牙の数は実に500匹分を超えていた。

買取価格が上がっていたこともあり、俺が手にしたのは銀貨30枚――5年間、パーティーにいて一度も手にすることのなかった大金だった。


金を受け取ると、俺はまず服屋へ向かった。

派手な装飾などない。ただ、丈夫で動きやすい、冒険者向けのシャツと革のズボン、そして頑丈なブーツ。鏡に映った自分の姿は、まだ見慣れないが、決して悪くはなかった。


そして、俺は街の食堂へと足を運んだ。

扉を開けると、焼きたてのパンの香ばしい匂いと、肉の煮えるうまそうな匂いが鼻腔をくすぐる。

俺は席に着くと、メニューの一番上にあった「猪肉の煮込みシチューセット」を注文した。


やがて運ばれてきた、湯気の立つ熱々のシチュー。添えられた、手のひらほどもある白パン。

俺は、震える手でスプーンを握り、シチューを一口、口に含んだ。


「…………っ」


温かい。

野菜の甘みと、肉の旨味が、口いっぱいに広がる。

それは、5年間、ずっと口にしてきたパサパサの黒パンや、味のしない水のようなスープとは、全く違う、『食事』の味だった。


気づけば、涙が溢れていた。

悲しいわけじゃない。悔しいわけでもない。

ただ、温かかった。身体も、そして凍てついていた心の芯までもが、ゆっくりと溶かされていくような感覚だった。


俺は、夢中で食べた。

シチューをパンですくい、最後の一滴まで残さず平らげる。

それは、過去の惨めな自分との、決別の儀式でもあった。


食事を終え、店を出る。

腹は満たされ、身なりも整った。


「さて、と」


俺は、冒険者ギルドが立つ方角を見据える。

自分の力がどれほどのものか、正確に知りたい。そして、この力を活かすためには、情報と依頼が必要だ。


「行きますか」


かつて、Dランクの荷物持ちとして、誰もが侮りの目を向けていた場所。

そのギルドの扉へ向かって、俺は今、全くの別人として、堂々とした足取りで歩き始めた。

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