表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/22

第1話: 無能と呼ばれたDランク冒険者、パーティーを追放される

じっとりとした湿気が肌にまとわりつく。

洞窟の壁からは絶えず水滴が滴り落ち、カビと腐肉が混じり合ったような不快な臭気が鼻腔を刺した。その名も「腐臭の洞窟」。低級モンスターの巣窟だが、その環境の劣悪さから、並の冒険者は寄り付かない場所だ。


そんな洞窟の最前列を、俺――アルトは一人、歩いていた。

背中には、パーティーメンバー全員の荷物と予備の武具が詰め込まれた、ずしりと重いバックパック。その重量で軋む身体を叱咤し、俺は神経を研ぎ澄ませる。罠はないか、奇襲の気配はないか。五感を総動員して、闇の奥を睨みつけた。


「おい、アルト!歩みが遅いぞ、この無能が!」


背後から飛んできたのは、Bランクパーティー「深紅の爪」のリーダー、剣士ガレスの苛立った声だった。振り向かずとも、彼がどんな顔で俺を罵っているか、手に取るようにわかる。


「さっさと先に行け!お前の役割は、俺たちのための『肉の盾』だろうが!」


そうだ。これが俺の役割。

斥候であり、荷物持ちであり、いざという時の囮役。それが、万年Dランクの俺に与えられた、このパーティーでの立ち位置だった。


「ちょっと、ガレス。そんな大声出さないでくれる?洞窟に響くじゃない」


絹のような声でリーダーを諌めたのは、紅一点の魔術師リリアナ。だが、その声に俺への気遣いなど欠片もない。むしろ、その視線はゴミでも見るかのように冷ややかだ。


「それにアルト、あなた、汗臭いのよ。私のローブに汚い汗が飛んだらどうしてくれるの?」

「す、すみません…」


俺は小さく謝罪の言葉を口にする。反論など、許されるはずもなかった。

僧侶のケビンは、そんな俺たちのやり取りをただ黙って見ているだけ。彼は事なかれ主義で、強い者には決して逆らわない。俺が理不尽な扱いを受けていても、見て見ぬふりをするのが常だった。


かれこれ5年。俺はこのパーティーに所属し、彼らのために尽くしてきた。報酬は、宿代と最低限の食費だけ。依頼で得た希少なアイテムや高額な報酬は、すべて彼らのものだ。それでも、いつか認められる日が来ると信じて、必死に食らいついてきた。


だが、そんな淡い期待は今日、木っ端微塵に砕け散ることになる。


「……ッ! ガレスさん、待ってください!」


洞窟の開けた場所に出た瞬間、俺は肌を刺すような悪寒に思わず足を止めた。

空気の質が違う。腐臭に混じって、濃厚な血の匂いと、獣の気配。これは、まずい。


「この先、何かいます! それも、かなりの数が…!」

「あぁ? Dランクの勘なんぞ、当てになるか!」


ガレスは俺の警告を鼻で笑い、無造作に足を踏み出した。その瞬間だった。


「グルォォォォォ!!」


闇の奥から、複数の巨大な影が咆哮と共に飛び出してきた。洞窟の主、オーガの群れだ。ガレスの顔から血の気が引く。


「なっ…!? 馬鹿な、オーガがこんな浅い階層に!?」

「きゃああああっ!」


リリアナが悲鳴を上げ、ケビンは狼狽えて腰を抜かす。完全に奇襲を受けた形だ。

先頭にいたガレスが、オーガの振り下ろす巨大な棍棒の直撃を受ける。


「ぐっ…ぁああ!?」


自慢の剣でなんとか受け止めたものの、衝撃に耐えきれず大きく吹き飛ばされた。

パーティーは一瞬にして崩壊の危機に瀕する。


俺は咄嗟に背中のバックパックを地面に下ろし、腰に下げていたスリング(投石紐)を握りしめた。

俺にできることは少ない。だが、それでも!


「こっちだ、化け物!」


俺は石を拾い、オーガの一体に向かって力任せに投げつけた。石は硬い頭蓋に見事に命中し、甲高い音を立てる。注意を引くには十分だった。

狙い通り、オーガの一体が俺に向かって向き直る。その隙に、体勢を立て直したガレスが別のオーガに斬りかかり、リリアナの詠唱が始まる。


「死ねぇっ!」

「フレイム・ランス!」


なんとかオーガの群れを撃退した頃には、パーティーは満身創痍だった。特に、初撃を受けたガレスは左腕を負傷し、プライドもズタズタに引き裂かれたようだった。


そして、その怒りの矛先は、当然のように俺へと向けられた。


ダンジョンの入り口まで戻ると、ガレスは傷ついた腕を押さえながら、憎悪に満ちた目で俺を睨みつけた。


「てめぇのせいだ、アルト」

「え…?」

「とぼけるな! お前がもっと早く敵の存在に気づいていれば、俺がこんな屈辱的な怪我を負うこともなかったんだ!」


理不尽。その一言に尽きた。

警告したのは俺だ。それを無視したのは、あんたじゃないか。

喉まで出かかった言葉を、しかし、俺は飲み込むしかなかった。


「もう我慢の限界だ」


ガレスは吐き捨てるように言った。


「アルト。お前は今日でクビだ。このパーティーから追放する!」


その言葉は、まるで冷たい刃のように俺の胸を貫いた。

追放――? 5年間、身を粉にして働いてきた結果が、これなのか?


「ええ、それがいいわ。あなたのような無能がいると、こっちのレベルまで疑われるもの」

「仕方ないよ、アルト。君は、僕たちとはもう釣り合わないんだ」


リリアナが嘲笑し、ケビンが憐れむように言う。

俺は何も言えず、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


「ついでに、その装備も置いていけ」

ガレスは俺が着ていた革鎧や、なけなしの短剣まで指さす。

「それはパーティーの共有資産だ。Dランクのお前に持つ資格はない」


抵抗は無意味だった。

俺は、ほとんど下着に近いインナー一枚の姿にされ、文字通りすべてを奪われた。


降り始めた冷たい雨が、体温と、そして心の熱まで奪っていく。

遠ざかっていく三人の背中。彼らの楽しそうな嘲笑が、雨音に混じって微かに聞こえた。


「腐臭の洞窟」の前に、一人取り残される。

金も、装備も、仲間も、居場所も、すべて失った。


「……これから、どうすれば…」


絶望が、じわじわと全身を蝕んでいく。

雨に濡れた視界が滲み、俺はその場に膝から崩れ落ちた。


これから始まる、壮絶な逆転劇の幕開けを、この時の俺はまだ知る由もなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
汚いと罵った服まで奪う浅ましさがえげつない
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ