#5 命の価値
「はぁ……楽しかったのに、最後で一気に疲れました」
あの後、星奈さんは
『また明日も来てちょうだい』
とだけ言い残して、僕たちを家に帰した。
「星奈さん、悪い人じゃないんだけどね……」
苦笑いを浮かべながら、雫さんはそう言う。きっと、雫さんも星奈さんに振り回されてきたのだろう。それに、おそらく星奈さんと雫さんは、家族や友人、或いは郷の仲間だとか、そんな普通の関係ではないような気がする。
「ところで、星奈さんは雫さんのことを愛弟子と言っていましたね」
だから、僕はそう尋ねた。
「そうだね。星奈さんはあたしの師匠。魔想機構の戦闘技術を一通り教わったんだ。」
雫さんのその返答は、予想通りというより当たり前で、さらに言えば、師匠と弟子、その関係性自体はなにも特別というわけではなく、驚くような内容でもなかった。──雫さんの、次の言葉が無ければ。
「本来、そういうことは親から子にされることなんだけどね。あたしが五歳くらいの頃だったかな、お父さんもお母さんも、死んじゃったから」
その言葉を聞いた途端、少し、後悔した。きっと、雫さんにとって、両親のことはあまり思い出したくない記憶だろうから。そして、合点がいった。この一人で住むには広い家は、雫さんの家族の痕跡なのだと。その最たるものが……雫さんの首飾り。雫さんがいつもその首にかけている、一対の指輪の首飾りは、両親の形見なのだろうと。そう考えると、なんだか少し、切なくなる。
「小さな紛争があったんだ。お父さんとお母さんは、それを止める為に戦って、その結果。あたしは二人が大好きだったから、最初は悲しかった。だけどもう、わかったんだ」
雫さんは、また……若干の痛々しさを含んだ微笑みを浮かべて、語りだした。
「戦闘用魔想機構が存在して、争いが続く限り……いつかどこかで死ぬのは当たり前だから。二人は、それが少し人よりはやかっただけ」
雫さんは、両親の死にはもう折り合いをつけた、と言うけれど……僕にはとてもそうは思えない。悟ったような言葉を並べても、雫さんの首にこんなものがあるのは、まだ未練があるからだ。きっと雫さんも、本当はわかっているんだろう。だから、言葉にした。僕にではなく、雫さん自身に言い聞かせるために。
「……星夜くん。人間の命の価値って、どれくらいのものなのかな?あたし、わからなくなっちゃった」
ふと、雫さんは立ち上がって、窓を覗いた。もう夜だというのに、外は明るい。内と外から現代文明の光に照らされ、活気のある郷の様子が窺える。そして、その中に淡く、雫さんの影が。僕には、その情景が雫さんの心の内を映し出しているように思えた。
「「…………」」
僕たちは互いに、言うべき言葉が見つからず……沈黙。その結果、鈍重な静寂がリビングいっぱいに響いて、この空間を支配している。まだ未熟で経験が無い僕の思考回路では、その静寂を破る方法を導きだすことは叶わなかった。
「ごめんね、星夜くん。あたし、今日はもう寝ることにするよ」
結局雫さんはこの空気に耐え切れなくなったのか、はたまた別の理由があるのか、それだけ言ってリビングから逃げるようにして出て行った。
「雫さん…」
雫さんがリビングを出る直前──暗がりの窓に映った一粒の雫は、きっと僕の見間違いなんかじゃない。それは、雫さんの問に対する、答え合わせだった。
☆
「星夜くん、朝だよ!」
翌朝。僕は雫さんに起こされて目を覚ました。
「ん、おはようございます」
「うん、おはよう」
やはり昨日のことが嘘のように……雫さんらしい、快活とした様子。正直、僕自身昨日のことは整理ができていない。だけど、僕は僕の、雫さんは雫さんの心に留めておいたほうが良いのだろう。
「もう朝食はできてるから、着替えてリビングにおいで」
雫さんはそう言いながら、一瞬、昨日の収穫……男物の洋服と、おそらく魔想機構と思われる腕輪に視線を向けた。
「わかりました。すぐ行くので、待っていてください」
「うん、待ってるね」
雫さんは、着替えの邪魔になるから、とこの部屋からでていった。僕は、そんな雫さんの後ろ姿を見届けてから、着ていた服を脱ぎ、新しい洋服に着替える。新しい洋服は僕の身体にピッタリで、雫さんが僕のことを知ろうとしてくれていることがわかって、僕は無性にうれしくなった。
「あとは、この腕輪……」
そう。目下の問題は、この腕輪。星奈さんは、どうしてこんなものをまだ子供の僕なんかに渡したのだろうか。本当に、星奈さんの考えていることは読めない。星奈さんの目的も、僕たちにさせたいことも、何もかも。だけど、少なくとも僕や雫さん、郷の人々にとって尊敬すべき長だということは確実だ。だったら……
「だったら、僕がこの腕輪を持つことに、意味があるはず」
僕は昨日の雫さんの言葉を思い出す。
『人間の命の価値はどれくらいのものなのかな?』
至極単純で、それでいて途方もないほどに複雑な問い。僕には確固とした結論は出せていないけど、それでもわかることがある。そして、自分なりに解釈する。
「僕の命の価値は、自分で決めたい」
僕が死ぬときに、雫さんに泣いてもらえるくらいに。そのために、雫さんや星奈さんの力になれるのならば。僕の命に価値が生まれるのならば。そうするべきだと。確信めいた思いを抱き、無機質で金属的な冷たさを持つその腕輪を、自らの右手首にはめた。
☆
「お待たせしました、雫さん」
僕は着替えを終え、雫さんの待つリビングへ向かった。そこでは雫さんが朝食を用意して待っていた。
「じゃあ食べようか」
僕も椅子に座り、二人で合掌。朝食を食べ終えて、また合掌。
「さて、今日のこれからの予定だけど……」
朝食の片付けをしながら、雫さんが話を切り出した。
「まあ、星夜くんも知っての通り、星奈さんのところに行くよ。多分だけど、今日一日は星奈さんに捕まって過ごすんじゃないかな」
そう言う雫さんの視線は、どこか遠くに向いていた。今日のことは予定調和とはいえ、内容が内容なので僕は緊張していた。雫さんの様子は、僕の緊張を増長させるもので、内心穏やかじゃないなかったのは言うまでもない。
「ねえ、星夜くん。きみは、どうしたい?」
僕のそんな心中を察したのか、雫さんは唐突に、そんな質問を投げかけてきた。確かに、僕の心の内は乱雑に散らかっていて、明確なものはたった一つだけ。僕の目的……というより、信念だけは。はっきりと、自心を以て言うことが出来る。
「僕は……僕は、雫さんや、星奈さんの力になれるなら……」
右手首に、僕の覚悟の感触を感じながら。
「この命を賭ける覚悟がありますよ」
そう、宣言した。
☆
「この命を賭ける覚悟がありますよ」
そう言った星夜くんの表情に、あたしは覚えがあった。あれは、まだあたしが幼かった頃。まだ、お父さんとお母さんが生きていた頃。その、最後の記憶。
『雫。お父さんとお母さんはこれから仕事に行かなくちゃならない』
『雫はお利口さんだから、いい子にして待っていてくれるよね?』
あの日、二人が言った言葉は、一言一句覚えている。
──あたしもついていく!
……もちろん、あたしが言った言葉も。
『ダメ。雫には危険だから』
『でも、安心しろ。すぐに帰ってくるから。お土産も買ってこよう』
──ほんとに!?
『ああ。本当だ』
『だから、ね?』
──わかった!あたし、いい子にしてる!
『いってきます』
──いってらっしゃい!
……あのときの、二人の表情。当時のあたしは気にも留めなかったけど、今ならわかる。彼らの目には、静かに、だけれど確かに、決意が灯っていたんだ。それは、今目の前にいる星夜くんも同じ。あまりにも、そっくり。
「星夜くん……」
だからあたしは、両膝を付き、小さな少年に目線を合わせて……
「雫さん?急にどうし──」
そのまま、ゆっくり星夜くんの両肩を抱きしめた。
「え?」
星夜くんは状況が飲み込めていないのか、そんな声を上げる。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……命を賭ける、なんて簡単に言っちゃダメだよ」
だって。考えたくもないけど、不吉な予感がしてしまう。星夜くんが……星夜くんまで、死んでしまうんじゃないかって。あたしの身の回りの人が死んじゃうのは、もう嫌だ。
「それに、考えすぎだよ。あたしたちはこの郷で平和に、楽しくすごしてくんだからさ……」
そんな言葉を吐いたけど、星奈さんは意味の無いことはしない。あんなに意味深に、そして芝居がかったことをしたんだ。きっと、何かがあるのは間違いない。星夜くんも、それがわかってるから。
「雫さん……?そろそろ離してくれませんか……?」
星夜くんにそう言われちゃったけど、あたしは彼を抱きしめる両腕を離すつもりはない。それどころか、もう少し力を込めて。
「もう少し、このまま……」
こうしていると、星夜くんの体温が伝わってくる。あたしよりも少し高いこの温度は、星夜くんが生きている証拠。あたしはこの温もりを失うなんて、二度とごめんだ。できるならば、こうして永遠に抱きしめていたい。でも、それは幼い子供にすら許されない我儘だから。だからせめて、あたしが守るんだ。失わないように、大切に。
「────」
嗚呼。あたしは今、きっと──
あの時の二人と。それから、星夜くんと──
同じ目を、しているんだろう。




