三生目 デート?(2)
「……ねぇ託、それだけで本当に足りるの?」
フードコートにて、託がボールドーナツを口に放り込んでいると、蓮音が頬杖を突いて、心配しているようで内心は呆れたような表情で質問してきた。
「ん?まあ確かに朝は食べない方だとは思うけど……」
「それでも私より少ないのはどうなのかなぁ?」
参考程度に毎朝の朝食は託がトースト一枚、蓮音が何らかの炭水化物と野菜の入った汁物なのでどちらが多いかは明らかだろう。
「問題無いな。昼はもう少し食べる訳だし」
「……ふーん」
託が一つまた一つと口に放り込みながら答えると、蓮音は目を細めて真偽を定めるように託を観察し始めた。
託としては何故そんなに疑うんだと言いたい所でもあったが、まだ予定もある中で険悪な雰囲気になるのは避けたいのでぐっと堪える。
「まあいっか。私が口出しする事でもないしね。それよりさ、昨日はどうしていきなり私の部屋に来ようと思ったの?」
「んぐっ!?」
話題を変えて真剣な表情になった蓮音の唐突な質問に驚き、勢い余って託は口にある物を喉に詰まらせる。
慌てて水を流し込み、どうにか詰まったドーナツを胃に入れ、荒くなった呼吸を整えてから口を開く。
「や、やっぱり本当は迷惑だったか?」
「ううん、嬉しかったよ?でも不思議だなって」
「……不思議?」
言葉選びに妙な緊張を覚えた託が疑問形で尋ねると、蓮音は小さく頷いて続ける。
「だって普段は私から行くのに……昨日、私が泣いている丁度のタイミングで、記憶にある限り初めて託の方から来たんだよ?だから、なんでだろって」
「ああ、なるほど……」
確かに変な話だと今更ながら理解し、託は返答に困る。
単なる偶然、気まぐれという答えが無難なのだろうが、蓮音がそれで納得する訳が無いと憶測する。
(記憶の事は口が裂けても言えない。かと言って中途半端な答えでも良くない。適度に蓮音が満足する答え……。気が引けるけど、一番成功率が高いのをするしかないか……)
託は体の空気を抜き、一度脱力してから蓮音と目を合わせて口を開く。
「まあ、その……何となく、会いたくなったから?って感じ」
躊躇いながらも真実を話し、言い切った後で気恥ずかしさを誤魔化すように目を逸らす。
一方で蓮音も予想外の答えに目を見開き、託を凝視している。
「……嘘だと思うか?」
返事が無いのを怪しまれていると受け取った託は、やや無愛想に尋ねる。
すると蓮音は慌てて腕を机から下ろし、やや前傾姿勢で思い切り首を振った。
「そっか、なら良かった」
「……うん」
目を合わせる事こそしないが、託は安堵したように明後日の方向へ微笑みかける。
しかしその先の会話を何も考えていなかったのが災いして、蓮音のぼんやりとした返事以降穏やかな沈黙が訪れる。
その時間の間にも口を動かし続けているので、託からしては大した問題は無い。しかしそんな託とは対照的に蓮音は口を閉ざして、困っているような照れているような複雑な面持ちで託を眺めていた。
「…………?」
「……な、なに?」
「いや、こっちの台詞だから」
真正面かつ近距離から注がれる視線に気付かない筈も無く、慌てて誤魔化そうとする蓮音に容赦の無い指摘が飛んでくる。
「な、何でもないから、早く食べて!」
「時間は結構余裕なんだけど……」
「ほ、他にも回りたい所とかあるの!」
「むぐっ!?」
眺めている事に気付かれ、その上で追撃をもらった蓮音は託の口を塞ぐようにボールドーナツを捻じ込んだ。そんな事をしては惨事にならない筈も無く、託は涙目になりながらコップの水を飲み干す。
「はぁ、はぁ……危なかった」
「ご、ごめんね託!……大丈夫?」
託が呼吸を荒くして呟くと、隣に移動していた蓮音が顔を青くしながら背中をさする。
「だ、大丈夫……だけど、あれは流石に駄目だろ……」
「そう……だよね。ごめん、本当にごめんなさい」
今回ばかりは笑えず、託が鋭い目つきで蓮音に注意すると、自分がやった事を理解している彼女は深々と頭を下げる。
事態が事態だったので、謝罪は別におかしくない。しかし頭を下げた蓮音を見て、託はむしろ申し訳無さを覚えた。
「えーっと……その、だな。俺も、遠慮無くジロジロ見てたよな……。発端はそれな訳だし……ごめん」
「んーん、私が暴走したのが悪かったの。託は被害者だから謝らないで」
互いに非を認めて話を打ち切ろうとした託だったが、蓮音は頑なに自らにだけ非があるとして頭を上げない。
次に掛ける言葉を探している間にも、託は一種の焦燥感のようなものを膨らませていき、思考停止してからゆっくりと口を開く。
「蓮音、色んな人が見てるから……頭を上げてくれ」
「ふえ?……あっ」
独り言と間違える程の小声で託が訴えると、蓮音はようやく腰を伸ばして、周囲の目線に気が付く。
原因を知らない第三者から見れば、謝らせている託が悪者に見えるのも同時に理解した。
「ご、ごめんねっ!?そういうつもりじゃ……」
「分かってるから、謝らないでほしい」
「あ……うん、分かった」
慌てて場を収めようとした蓮音だったが、また謝っていると託に指摘され口を噤む。
そして周りの喧騒がよく聞こえるようになってきたタイミングで、託は一度大きく息を吐いてから口を動かし始める。
「もう一回言うけど、俺も悪かったよ。それと、人の口に物を詰める事の危険は……理解したよな?」
「う……うん」
託が威圧感を与えないようなるべく優しい声色で聞くと、蓮音は申し訳無さそうな表情で小さく頷く。
「じゃあもうやらないな。はい、これで終わり」
「……え?終わり?」
説教を覚悟していた蓮音が目をギュッとつむって身構えている前で、託は一人得心したように断言して強引に話を切った。
予想外の答えに蓮音はやや遅れて反応し、困惑をそのまま託へぶつける。
「面白くないだろ?こんな話。それに、蓮音なら同じ事は繰り返さないって信用しているからな」
「そ、それは……買い被り過ぎだよ」
にこやかな表情でさらっとフォローの言葉を告げる託に、蓮音は目を逸らしながら自虐の言葉を返す。そして横目に託の表情を観察し始めた。
託は一連の行動を全て認識していたが、意図が分からず困惑の色を滲ませる。とはいえ今も蓮音の視線を感じているので、表情は取り繕って笑みを浮かべる。
「うーん……蓮音から見て俺は見る目が無いのかな?」
「そ、そんな事言ってない!」
「じゃあ俺の目は正しい訳だし、それなら買い被りじゃないな」
「そ、それは……」
託は自身を必要以上に卑下する蓮音を上手いこと嵌めて、言葉を詰まらせる。
つい反射的に言葉を返そうとした蓮音が、困って視線を彷徨わせる。託もそれを見守っていると、不意に彼我の視線が互いの目に向いた。
「……託は、私を悪い子だとは思わないの?」
どうしようも無くなった蓮音は、観念したようにゆっくりと尋ねる。
「うん、失敗は誰にでもあるから。それを認める事が出来る蓮音を悪い子だとは思わない」
託は態度を変える事なく、優しく宥めるかのように答える。
蓮音も概ねどんな答えが返ってくるのか分かっていた。そしてそれに対して返す言葉が無い事も。
「……託って、意地悪な質問は上手だよね」
「そういう性格だからな」
嫌味とも取れるような蓮音の言葉にも、託は躊躇いなく頷いて立ち上がる。
「食べ終わったし、そろそろ動こうかな」
「え?もう?」
「他にも回りたいんだろ?だったらあまり長く居座るべきじゃないなって思ったんだけど、違った?」
「うっ」
託が少し前の会話をおさらいすると、間違いないらしく蓮音が焦りを滲ませて後ずさる。
「それで、どこに行きたいんだ?」
「そ、それは……」
行き先を尋ねられると、気まずそうに目を逸らして口ごもる蓮音。その様子を見て、託も一つの可能性を思い浮かべる。
「……もしかしてだけど、本当はそんなもの無かった?」
「ほんとにごめんなさい。反省してます」
「えぇ……」
冗談半分で聞いたものの、罪悪感を滲ませた肯定の言葉が返ってきて、託も反応に困って思わず引き気味な声が出る。
「ま、まあ……反省してるなら……ね……」
引き攣った表情で絞り出した慰めは流石に無理があるようで、蓮音の表情は晴れそうにない。
「……確かに大分酷いと思ったぞ?」
「うん、そうだよね……」
「けど、大した問題じゃないだろ。この通り生きてる訳だし」
「そ、そういう問題でもないと思うんだけど……」
託が正直な気持ちを話すと、蓮音から控えめに否定される。
それが気に障るような事は無いが、託はなんとなくで蓮音の目を見つめる。
「た、託……?私の顔に何か付いてる?」
「んー……」
「それは、どっちなの?……ふぁ!?」
ぼんやりと答えになってない答えを返して、困惑しているところを突発的に頬を撫でる。
「い、いきなりどうしたの!?」
蓮音は突然の事に困惑を強めて、周囲の目を意識して顔を赤くしながら託に行動の理由を問う。
「いや、昔はこうやって慰めた事もあったなと。小学校に入るより前とかの話だけど」
もう十年程前の話で記憶もおぼろげなものだったが、託は『そんな事があったような気がする』程度の記憶で蓮音の頬を軽く突いたりして弄り続ける。
「もうそんな子供じゃないよ?」
「そりゃそうだな。ただ俺がしてたいだけ」
当然の返しは当然と認めつつ、慰めるのが目的ではないという主張で託は手を止めようとしない。
「で、でも……周りに人もいるし、場所が不適切なんじゃ……」
蓮音の言う通り、ここは公共の施設なので二人以外の人が沢山いる。だからといって不躾に見る人は見当たらず、多くの人が一瞥する程度で気にしていないように思える。
勿論、それでも気恥ずかしい事には変わりないし、実を言うと託も蓮音と同じように早く辞めたいと思っている。
「や、やっぱりここは良くないよ。だから辞めてほしいかなって」
「ここはって事は、別の場所なら良いんだな?」
蓮音がそういう意味で言ったのではないと理解した上で、託はわざと揚げ足を取った発言をする。
「ほ、他の場所でもダメ!とにかく恥ずかしいから辞めて!」
蓮音は語気の割には緩い力で、自身の頬に伸びている腕をぐいぐい押す。あくまでもこれまでの事を忘れていないらしい。
数回押された辺りで、託は微笑みながらその緩い力に逆らわずに手を頬から離し、口を開く。
「ほら、少しは元気出たか?」
「え……あっ」
優しく告げられたその言葉に、蓮音はようやく自身が託の思い通りに動いていた事に気が付いた。
「……意地悪」
嬉しいやら悔しいやらで複雑な心情の中、頬を軽く膨らませて取り敢えず思いついた言葉を聞こえるように呟く蓮音。
「それでこそ……だな。落ち込んでいるよりずっと良いと思うぞ」
託は性懲りもなく蓮音の頭をポンポン叩きながら、蓮音と同じように思った事をそのまま伝えた。
「ううぅ……そうやってまた触る……」
「嫌?」
そう聞かれると、満更でもない蓮音は口を噤んで首を横に振った。
その様子を見てもう大丈夫だなと感じた託が手を引くと、蓮音から名残惜しそうな視線がその手に注がれる。
「……どうした?」
「あっいや、なんでもないよ?」
蓮音は笑みを作って誤魔化したが、逆に託は一連の行動で何か考えていたなと察した。
「ふーん……まあいいか」
「それじゃあ早めに行かない?何かあるかもよ?」
「分かった。ちなみに、撫でてほしい時は自己申告でな」
「ち、違うから!」
無かった事にすると見せかけて、大体見抜いていた託はニヤニヤと笑いながら蓮音の核心を突く。
逆に蓮音は顔を赤くして必死に食い付くが、その態度はむしろ図星だと教えているようなものだった。
「そ、そんな事より!映画観るの忘れてないよね!?」
「勿論、さっきも話したしな」
「だったら早めに行かない?って言ったのも覚えているよね!ほら、行こ!」
「はいはい」
分かりやすく話を逸らされたが託は特に言及することもなく、愉快そうな笑みを浮かべて逃げるように急ぎ足の蓮音の後ろを歩いた。
施設内の映画館まで進む道中、蓮音はちょいちょい後ろの託を確認するが、目が合って託が手を振ると気まずそうに前を向いてしまう。
(ちゃんと付いてきているか心配なんだろうけど、この距離感はなんかなぁ……)
蓮音が見ていないタイミングで、託は微妙に難しい顔をして打開策を考える。
(……まあ、映画館ならある程度混んでいるから嫌でも足を止める事になるし、そこでさりげなく合流すればいいかな)
前回のように喧嘩した訳でもなく、今は蓮音が少し拗ねているだけなのだからそれでも問題ないだろうと、託は様子を見る事にした。
そのまま数分歩いていると案の定、多くの人が集まっているガラス張りの出入り口の前に辿り着いた。
(あっ、近付き過ぎちゃったかも……)
蓮音は入り口からある程度の距離で後ろを歩く託に声を掛けようと考えたが、思った以上に人が多く流れに沿って前進せざるを得なくなる。
(託……ちゃんと入れたかな……)
結局何も言わずに一人で館内に入ってしまい、蓮音は託を見つけようと人混みの中で辺りを見回す。
「そんなに焦らなくても、ここにいるぞ」
「ひゃあ!?い、いつの間に後ろに!?」
耳元で突然声が聞こえ、蓮音は素っ頓狂な悲鳴を上げて声の方向を向く。そこにいるのは他の誰でもない、愉快そうな表情の託だった。
「むぐぐ……そんな声出す人初めて見たぞ……」
余程蓮音の悲鳴がツボに入ったのか、託は腹を抱えて笑いを堪える。
「た、託がびっくりさせるからじゃん!」
「そうだったな。いやーごめんごめん」
抗議にも反省の色は見せず、代わりに笑い涙を滲ませる託。蓮音もここまで揶揄われると、頬を膨らませて拗ねた態度を取るくらいの不満しか出てこなかった。
「まあ、本当に嫌な事は言ってくれればやらないよ……んぐっ、ふふ……」
「そんな事言って、まだ笑ってるじゃん!」
「いや本当、良い所に入って……映画観るまでに収めるから待って……」
託はそんな事を言いながら、本当に入場まで笑い続けた。蓮音も途中からは一周回って、笑う託を楽しそうに眺めていた。
◇
「そういえば、今日観る映画って何?」
席に着いて上映開始を待っていると、託がむしろなぜここまでの間この話題が出てこなかったのか不思議な質問をする。
「ええっとね、簡単に言えば主人公が余命一年のヒロインと出会うっていう内容だよ」
「っ……ああ、そうなんだ……」
大まかだが、映画の内容を知って託の心臓に針が刺さった。蓮音とあまりに似ていたから。
(きっと、蓮音なりの向き合い方なんだろうけど……俺に一緒に観る資格なんてあるのか?)
蓮音の真意は分からない。しかし彼女が純粋に観たかったからだとしても、何かしらのメッセージだったとしても託はここにいてはいけない気がした。彼女の現状を知っていて、この映画を観る事は出来ないように思えた。
(……つっても、ここまで来て急に帰るなんて言えない。二時間超……観るしかないか)
この二日間、言うなれば託は現実から目を逸らしていた面がある。治療は無理だと諦めた時、次は少しでも幸福な人生にさせようと決めた時、そっちの方が都合が良いと判断したから。
実際、何も知らない何も考えないまま謳歌したここまで、自分だけでなく蓮音も楽しく過ごせたと託は自負している。都合は良かったかと聞かれれば答えはイエスだった。
この映画を観たところで取り繕えば多少は問題無いだろう。だが今日のように笑えるかは分からない。
それでももう、引き下がる事は出来ない。覚悟を決めるしかなかった。
「あ、始まるよ!」
「え、ああ、うん……」
辺りが真っ暗になり、小声で蓮音に耳打ちされ、託は目の前の巨大な映像に目を向けた。
(……うん?)
いざ本編が始まるその瞬間、託の左手に柔らかい温もりが触れる。目を向けると蓮音がそっと手を握ろうとしていた。
(やっぱり、怖いのかな……自分の未来を観るようなものだしな……)
真剣に前を向く蓮音に託はこれくらいならと、申し訳程度に彼女が握りやすい向きに手を動かした。
蓮音は振り向く事はせずとも、嬉しそうに優しく笑った。
それ以降のアクションは何も無く、映画の起承転結と共に時間が過ぎていった。
◇
映画鑑賞が終了し、照明が点く。予想通りと言うべきか、切ないラストだっただけに映画館を出ても周りの客のすすり泣く声が聞こえる。蓮音もその一人だった。
「ぐすっ……良い話だったね?」
「うん、まあ……」
蓮音は目尻の涙を拭いながら尋ねると、託は妙に気の抜けた返事をする。大分気分が重いので仕方の無い事ではあるだろう。
「……もしかして苦手な内容だった?」
「え?ああごめん、そんな事ないから」
相手の本当の心情など知らない蓮音が憂いた目で顔を覗いてきて、託は慌てて訂正を入れるとそのまま話を続ける。
「ちょっと考えさせられる内容だったからさ、ぼんやりと想像してたんだよ。もし身近に先の短い人がいたらって」
本当は何も事考えていないが、託は適当な事を言って話題をそっちにすり替える。
「っ……難しいね……」
当然心当たりのある蓮音は一瞬目を見開き、取り繕って曖昧な答えを返した。
「……まあ、当人同士の関係なんだろうな。でもまあ……少しでも望む関係にいたいっていうのが、人の性なのかなって思う」
少し考えてから、託も比較的曖昧な答えを出す。だが最後の言葉に蓮音は「え」と小さな音を零し、託の顔を眺める。
「……どうした?」
「あっ……ううん、なんでもないよ。帰ろっか」
託が視線に気付くと蓮音は誤魔化すように作り笑いを浮かべ、寄り道をするつもりもなくまっすぐ遠くの出口へ歩き出した。託も蓮音の横に並んで歩調を合わせる。
「……やっぱり私は、こうやって二人でいれたら嬉しいな」
「ん?何か言ったか?」
「んーん、何も言ってないよ。明後日からの学校も頑張ろうね」
蓮音はただ幸せな笑みを浮かべて、繋がれたままの手をぎゅっと握る。
冬の早い夕暮れ頃前には家に着き、長い一日は少し早い終わりを告げた。