三生目 本当の関係
◇
……意識を失ってから、一体どれ程の時間が経ったのか、それは誰にも分からない。
……まぶたが開く。暗い世界に眩い光が差す。
託は意識を取り戻した。
緩慢な動作で腕を持ち上げると、黒い袖が目に入る。
「……そのまま地獄にでも落ちれば良かったのに」
持ち上げた腕で視界を遮り、小声で自分への怒りを露にする。
数分の重い沈黙の後、託の目尻からこめかみへと水滴が伝う。
(死んだ……んだよな。俺のせいで)
蓮音の心は蓮音しか知り得ないからと、託は彼女の気持ちを考えていなかった。
相手の心境を加味せずに物事を測っていたために、前回より早く、より酷い死を迎えさせてしまった。
(……今の俺に、蓮音を助けようとする権利なんて無いよな)
一度考えてしまえば、際限無く卑屈になっていく。
精神状態は最悪と言って差し支え無いくらいに、ズタズタに引き裂かれていた。
(普通に生きよう。俺に蓮音を助ける力なんて無い。だからせめて、死ぬまで隣にいよう)
最終的に託は諦め、違う未来など望まず、蓮音が幸せなまま人生を全う出来るように行動する事にした。
(でも今日はいないんだよな。いやでも、夜なら帰っているだろうし、そのタイミングで会えるかな。それまで何するかだけど……)
前回のように大きな行動を起こす訳でも無いので、やるべき事はあっても相対的に見れば暇になる。託としてはその結果増えるであろう暇な時間を有意義に使いたい。
それゆえに体を起こし、取り敢えず出来そうな事を探して辺りを見回す。
(あ……手帳……)
前回の始めと同様に、机の上には蓮音の使い古された手帳が置いてある。
託はそれに手を伸ばすが、途中で降ろして俯く。
(読んだところで何にも変えられないなら、読まないべきか……。一応、蓮音の物な訳だし、無断で見るのはな)
言ってしまえばその手帳は、全ての始まりでもある。
そこに綴られた蓮音の知られざる本音を読み、知ってしまったがために、無力にも関わらず到底不可能な事を掴もうとした。
知るべきでは無かった蓮音の世界の一部を見て知り、その一部だけが託の世界における蓮音として成立し、大事な部分は世界の外側だと切り捨て、彼女に最悪な終わりを与えた。
そして今のそれにもきっと、前回前々回の蓮音の最期の言葉が書かれているのだろう。
今回の託にはページを開く勇気は無かった。一度開けば、また変な気を起こして蓮音を不幸にしてしまいそうだから。
(……前の蓮音の最期は、酷い表情だった。つらい思いさせて、苦しめたからだよな)
横たわって寝たままの状態の蓮音は、彼女を知らない人なら本当に寝ているだけだと思うくらい自然に見えた。
しかし微かに残った涙の跡が、託の行いを表していた。
それは自分の知る範囲を是として、他の全てを無視した結果だろう。
(身勝手、傲慢……。然るべき結果だったのかもな)
元々、鳥谷の言葉を使って捻じ曲がった考えを正当化していたに過ぎないのだから、正しい筈が無い。自分の目的のためなら他はどうでもいいという傲慢が、間違っていない訳が無かった。
(……寝よう。少し疲れた)
奮い立っていた前回の最初とは違い、強い倦怠感が体を支配している。
ベッドに体を沈める。意識が飛ぶまで時間は掛からなかった。
◇
(……あれ、なんで外……?)
目を開くと草むらの中、眼前で川が流れて、見慣れないが記憶に新しい景色が映る。
訳も分からないまま、託は一歩前に踏み出してみる。
「……痛っ」
土踏まずに硬い何かを押し付けた感覚が走り、視線を下に落として初めて自分が裸足である事に気付いた。
足下は砂利になっており、その上を裸足で歩こうものなら間違いなく怪我するだろう。
(まあ、取り敢えずここを抜けないとな……)
どこかに砂利が途切れた場所がないかと周囲を見回すと、後ろに石製の土手が聳え立っていた。
階段も付いており、他の方向が一面雑草だった事もあって託は体も後ろに向けた。
相変わらず一歩一歩痛みが走るが、託はなんとか石の階段に座る。
(さてと……一体ここはどこなんだろうか?)
一旦落ち着いて、最初から抱いていた疑問を真剣に考え始める。
眠りに就いた後、どういう経緯で今に至ったのかまったく理解が及ばないが、託としてはそれよりも今すぐ家に帰りたかった。
(雨降りそうだし急がないと……。登っておいたほうが良いよな?)
どこかで確実に土手上に行く事にはなるので、見晴らしも考えて託は階段を上へと足を進めようとする。
その時、急に大雨が降り始め、頭に割れるような強烈な痛みが走る。
(うっ……なんでいきなり……?)
託は困惑しながらも痛む部分を抑え、転倒しないようにその場にもう一度座り込む。
ある程度痛みに慣れてきたタイミングで手を外し、ゆっくりと目を開く。
「は……なんだ……これ……」
目の前に見えたのは、血がべっとりと付着した手と階段。そして今も、頭から雨とは違う体温に限りなく近い液体がこめかみを伝う感覚がある。
不意に後ろを向くと、唯一雑草が少ない場所の砂利が赤く染まっていた。
(ああ、ここは……俺が死んだ場所か)
前回の最期、遠のく意識の中で見た景色と今の景色。その二つが寸分の狂いも無く合致した。
つまりこれは前回の託の記憶……すなわち夢である。
現実でないと気付いて痛みは抜け落ち、代わりに困惑が託の頭を支配した。
なぜこのタイミングでこの夢を見たのか。考えようとした時、意識が遠くなっていった。
「…………うっ……ううぅ……うぐっ」
夢の世界での気絶は現実世界での起床らしく、託は酷い目覚めを体験する。
照明を点けて時刻を見ると、短針は五を指していた。
(多分午後五時だな。やっぱり疲れていたのかねぇ?)
それでも肉体的な疲れではないと思っていた託だったが、悪夢の後だというのに体が妙に軽い事からそれについては考えないようにした。
(てか、午後五時なら帰ってきているかな?中学頃から蓮音の部屋に俺から入る事が無かったけど、本人はいつでも入ってきていいって言ってたし……いいよな?)
前回では関係が崩壊した事もあって託は少し躊躇うが、元々は家族のような関係なので恐らく大丈夫という結論に至る。
カーテンの隙間から蓮音の部屋を覗いてみると、あちらもカーテンは閉じているが窓は開いている。
それはつまり入ってもいいという、彼女と昔決めた合図だった(駄目な時は窓を閉めている)。
「……よし」
勢いよく飛び込むと怪我に繋がるので、ゆっくりとあちら側のカーテンを開き、自室から身を乗り出して頭を入れる。
「蓮音、ちょっと時間……」
話しながら顔を上げた託は、蓮音を視界に捉えて言葉を失った。
「あっ……託?ど、どうして……」
まぶたを腫らして座り込んでいた蓮音は声で気付いて立ち上がり、後退りながら困惑の表情で託に問い掛ける。
「えっと、窓が開いてたから、偶には俺からと思ったんだけど……」
託は続きをどう答えれば正解なのか分からず、その場に長い沈黙が流れる。
(ああ、また失敗した。よくよく考えたら、いきなり死の宣告を受けて帰ってきて、何ともない筈無いよな)
気まずい空間の中で視線を彷徨わせながら、話の終着点を探す。
「……ごめん、俺は何も見なかったって事で。また明日……」
「待って」
取り敢えずでこの場を離れようとすると、蓮音から制止の声が掛かった。
やはり何事もなかったように帰るのは不可能だと察した託は、諦めて蓮音の部屋にお邪魔する。
「……んで、何があったんだ?」
「どうしても、知りたい?」
託が知らないふりして事情を尋ねると、蓮音は質問で返してきた。
(知られたい訳無いよな。事実、最初の俺は何も知らなかったし)
「……いいや、蓮音が言いたくないなら、俺は何も聞かない」
今の託が求めているのは普通の、仲が良かった頃の二人の日常だ。
そこに本来知る筈の無かった彼女の現状は不要であり、託は何も知らないと偽った上で質問を取り下げた。
「はい、これでこの話は終わり。気分が優れないなら、今日の所は帰るけど……」
「……んーん、ねぇ託、復習したいから社会科教えてよ。地歴公民全部」
託の提案に蓮音は首を振り、いつもの優しくも快活な表情で教材を見せてくる。
「えぇ……課題も終わってるしわざわざ勉強はちょっとなぁ……一応遊ぼうと思ってた訳だし」
「だーめ。遊ぶのは勉強の後でね?」
「……はいはい」
渋る託にも笑顔で言葉を返す、日常の蓮音がそこにはいた。
託は懐かしさと嬉しさで感極まるのを抑えながら、返事をして自身の勉強道具を取りに一度部屋を出ようとする。
「……ありがと」
退室際に呟かれた言葉には気付かないふりをして、託は窓から自室に戻った。
◇
「……ふぃ〜、終わったぁ〜」
隣に座る蓮音が溜息と共に歓喜の声を上げ、後ろに倒れ込んで勉強の時間が終了した。
「それじゃあ遊ぼうかと言いたい所だけど……もう八時か」
五時頃から三時間勉強した後では遊ぶより先に腹を満たしたいようで、託は控えめに胃の辺りをさする。
「あー、うん、そうだよね。私もお腹空いちゃったし、何か食べたいかも」
「それじゃあ後でまた来るから、お互い晩飯休憩にしよう」
託は一番無難であろう選択肢を採るが、何か不満に思ったのか蓮音は体を起こすと口元で指を合わせ、真剣な表情を見せる。
「……ねぇ託、今日はうちで食べてかない?」
「えっ……」
想定外の言葉に託は思わず体を揺らし、驚きで言葉を失う。
「そんなに驚く?確かに中学生頃から一緒に食べなくなったけど、あれは元々託が食費を気にして来ないって言い出した事で、私としては来て欲しいんだよ?お母さんにも許可して貰ってる訳だし」
「そういや、そうだったな。でも実際あの頃から食べる量増えてたから……」
「むぅ」
言い訳をすると、蓮音は頬を膨らませて物言いたげに託を見つめる。
迫力は無いが、一旦帰ろうとしていた託を引き留めるには十分だった。
「……本当に良いのか?」
「勿論!お母さんに伝えて来るから待っててね!」
歓喜の表情を浮かべた蓮音が勢い良く部屋を出て、託は一人になった。
そして懐かしさから気分が高揚している中で、一つの違和感を覚えた。
(うーん……何と言うかこう、もうちょっと意識すると思ってた)
それは蓮音の感覚ではなく、託自身の感覚を指していた。
通常の距離感ならまだしも、勉強の時は狭い机で足がぶつからないよう隣り合って座っていた。にも関わらず、気持ちが大きな変化を見せなかった。
脳は異性として彼女を好いているが、感情は友人として好いているのだろうか。いずれにせよ、その二つが統一されず何とも気持ち悪い感覚に襲われる。
(……あまり考えても分かるもんじゃないか)
どこまでいっても可能性の枠から出ない話は時間の浪費にしか感じれず、託はすぐに切り捨てた。
階段を駆け上がる音も聞こえてきて、タイミング的には丁度良かったのかもしれない。
「お母さんが大丈夫だって。早く行こ!」
「分かったから少し落ち着け。怪我するから、な?」
変わらず機嫌が良さそうな蓮音を注意しながら、託もゆっくりと立ち上がる。
「託はもう少し急ぐ事を覚えた方が良いけどね?」
「蓮音が起こしに来るから必要無いな」
小馬鹿にしてきたので即答で返すと、蓮音はピシッと固まって目を見張る。
「……おーい」
「えっ?あっ……うん、そうだね!」
呼び掛けると硬直は解けて快活な返事が帰ってきたが、空元気なのは明らかだった。
返答を間違えた事にはすぐ気付いた。
「ほら、早く行こ。お母さんも待ってるから」
「おう……分かった」
蓮音のテンションは明らかに低くなり、託のミスを顕著に表していた。
(間違えた……。いなくなるかもしれないのに、気にしない訳無いよな)
しかし同時に、それまでは蓮音も忘れる事が出来ていたような、託はそんな手応えも感じた。
(発言には気を付けないと。蓮音が少しでも長く自分の事を忘れていられるように)
そんな事を考えている間にダイニングに着いて、良い匂いが漂ってくる。
「はい、どこでも座ってていいよ」
そう言って蓮音が食卓と四つの椅子を指すと、託は首を横に振った。
「いや、自分の食事分は自分で取るよ。立場的にお客様って感じじゃないし」
「確かに、託はお客様と言うより家族だよね」
託の言葉に蓮音は頷き、それじゃあという事で二人でキッチンに向かった。
この日の夜食は蓮音の好物であるカレーだったらしく、蓮音はまた表情を変えて上機嫌な笑みを浮かべている。
「それじゃあ……頂きますっ」
託が席に座るや否や、蓮音は合掌即カレーにスプーンを伸ばす。
「あー、んむんむ……んふぅ〜」
そんな擬音を鳴らしながら、幸せそうな顔で頬張る蓮音。
託はその風景を幼少期の記憶と重ねながら、自身も懐かしい味を楽しむ。
「ねぇねぇ託、この後は何して遊ぶ?」
顔を上げると、口元に米粒を付けた蓮音が目を輝かせながら尋ねてきた。
「んー、その時考えようかな。今は……もう少し落ち着いて食べようか」
年不相応に子供らしい彼女を微笑ましく思いながら、身を乗り出しティッシュで一点の白を優しく拭う。
「む、子供じゃないんだけど」
「今の蓮音は子供だよ。昔の方が真面目で大人だったかもな」
膨らんだ頬を指でプスプスしながら、更に揶揄ってみる。
「うーん……昔は昔で子供だったと思うかなぁ……。全部思い通りにいかないとすぐ怒って、自分が一番正しいと思っていたから」
「確かに。滅茶苦茶怒られてたからな、俺。今となっては良い思い出だけど」
椅子にもたれ掛かって記憶の引き出しを開くと、八割程が蓮音に怒られての部屋掃除だった。
散らかしているのが悪いと理解している自分が怒りの対象で心底良かったと、託は昔の事に関わらずほっと安堵の溜息を吐く。
「……恵まれているなぁ、私って」
「そうか?男友達俺しかいないじゃん」
「十分だよ。託は全部受け入れてくれるもん」
そう言う蓮音の柔らかい笑みから、消えてしまいそうな儚さを感じ取って、託は静かに息を飲む。
「ねぇ託、一つお願いしてもいい?」
返事は声を発さず、首を縦に振って肯定の意とする。
「……お願い、もっと見て。私だけ見てほしい。少しの間でいいからさ」
「……え?ごめん……もう一回」
聞こえなかった訳じゃない。むしろ胸の奥まで支配されたような、それ程に鮮明に聞こえた。
……だからこそなのだろう。
(そんなの……俺に気付かれてほしいみたいじゃないか。それじゃあまりに一回目と違い過ぎる)
三回目である今回、託は初日である今日から蓮音に見える形で行動を変えた。
それがゴール地点を変える事は理解していたが、それにしても異常と言える重大なズレだろう。
「まったく、じゃあもう一回……託、もっと……もっとよく見て。少しの間でいいから、私の事だけ見ていてほしい。……お願い、聞いてくれる?」
「っ…………分かった。約束する」
異常に対する回答を出す前に蓮音の手が両頬を包み込んで、彼女の優しく作られた声が耳から心臓を打った。
状況を察した時には既にその状態だったのだから、託の出せる答えはイエスしかなかった。
答えを聞いた蓮音はそっと微笑む。
「ふふ、ありがと。……ご飯、もう食べ終わっちゃったね。託はおかわり欲しい?」
「……いや、俺はもう腹いっぱいだから大丈夫」
「そっか、じゃあ遊びたいな。やりたいのがあるから、それでもいい?」
問い掛けに託が小さく頷くと、もう一度微笑んでから蓮音は皿を片付けにキッチンへ向かった。
一人になったダイニングで託は背もたれに寄りかかり、まだ残る頬の熱が冷めるのを待つ。
(……そういえば、おばさんいたと思うんだけど……)
そう気付いて周囲を見渡すと、半開きのドアの先……廊下の方から視線を感じる。
視線の方向に振り返れば蓮音の母親がいたのは言わずもがなだろう。
託は目が合うと、そっと優しく手を振られた。
(……親公認と言った所かな)
蓮音との会話はそういう意味ではないが、一部を切り取れば告白に聞こえなくもないので、きっとそう思われているのだろう。
託は嬉しいやら恥ずかしいやら、期待通りではなく申し訳ないやらで、苦笑いを浮かべて取り敢えず手を振り返す。
(俺に出来る最大限、蓮音の残り時間を良いものにする事を誓います)
心の中で宣誓して、託も空になった皿を片付けにキッチンに足を運んだ。
「蓮音ー、洗い物お母さんやっておくから託君と遊んでいいわよー」
託がキッチンに着いたタイミングで、背中から蓮音母のそんな声が聞こえてきた。
「あはは、お母さんったら託に良い所見せたいみたい。どうせだったらお言葉に甘えちゃおっか」
「了解」
笑いながら泡立てたスポンジを手から離した蓮音に、託は短く返して皿だけシンクに置かせてもらう。
蓮音が手の泡を落とすのを待ってから、蓮音を前にしてキッチンを後にする。
「羽目を外し過ぎないようにね」
「その点は安心してください」
ダイニングでおばさんとすれ違った時に小声でそんな会話をして、不思議に思ったのか振り返ってきた蓮音には微笑んで誤魔化して、無事彼女の部屋に到着する。
「それで、蓮音がやりたいものとは?」
「ただのオセロだよ。考えたい事があるからね」
「……ん、分かった」
考えたい事が何なのか託は大体察しながらも、知らないふりをしてただ蓮音に賛同する。
蓮音がパパっとテーブルにオセロの道具を出し、向かい合って座るとゲームが始まった。
「…………託はさ、過去に戻ったりってあり得ると思う?」
適当に白黒の円盤を指しながら、不意に蓮音が尋ねてくる。
「……いきなりどうした?」
託は心臓を跳ねさせながらも、平静を繕って言葉の意味を尋ね返す。
(大丈夫、気付かれている訳が無い。そこに繋がるようなミスはしていない。……多分、何かやり直したい事でもあるんだろうな)
まさか同じ時間を繰り返している事がバレたのではと一瞬焦ったが、それはあり得ない話なので否定の答えはすぐに出て、代わりの答えもある程度時間を置いて出てきた。
「えっとね……私が最初から今みたいな子だったら一体どうなってたんだろうなって。ただそれだけ」
「ああ、そういう事。……まあ、あり得るんじゃないか?限りなく低い確率だろうけど」
託自身が蓮音の話すそれそのものなので、否定は出来ない。だが逆にあり得る事を断言するのもリスクがある。程よく肯定した託の選択は無難だろう。
「あると思うんだ?意外」
「……それまたどうして?」
「非科学的って言いそうだからかな?」
蓮音は茶化すように笑いながら軽く託の事を揶揄う。
「そんな面白くない人間になった覚えはないな。俺にもロマンだとかがある……筈」
対抗して冗談半分でふざけた事を言うと、目の前の蓮音は口元を軽く隠しながら小さな声で笑う。
「筈じゃダメじゃん。ふふっ……。まあ、あり得たら面白いけどさ……それって本当の世界なのかな?」
「……えっ?」
託はつい声を漏らしてしまった。
無理もないだろう。蓮音の言葉が正しければ、今目の前に彼女は偽物という事になる。
「考えてみてよ。もし私が死んだとして、その後に託が過去に戻って、また私に出会ったとする。私という存在は私の認識下で一人しかいないのに、託は私の知らないもう一人の私を認識する。何かおかしくない?」
「……まあ、確かに」
認めたくないが、対抗出来る理論が中々まとまらない。
苦虫を噛み潰す思いで、託は蓮音の理論に頷く。
「……もし私の言葉が本当になった時、託は過去に戻っても同じような関係でいてくれる?」
「……偽物の自分を心配するのか?」
もう一人の自分を自分とは相反する存在と言わんばかりの理論を展開していたのに、矛盾しているのではと託は違和感をそのままに問い掛ける。
「うん、何て言うか……そっちの世界の私にとっては、そっちの世界が本物だろうから。冷たくするのは違うかなって」
その言葉を聞いて一つ、託は気付いた。
(そうか、今回も含めて、どの蓮音も本物なのか)
ならば答えは一つだった。
「もしもの話だけどな?もし蓮音の話が本当だとして、俺は過去に戻って蓮音と会ったとして……今と同じような、家族みたいな関係でいるよ」
答えを出すと、蓮音は少し寂しそうな笑みを浮かべて口を開く。
「別の世界の私もこれで安泰だね」
「……もしもの話だけどな」
「あはは、そうだったね」
最後の表情だけは気掛かりだが、託は突っかかる事はせずにそのまま話は終わりの方向に向かった。
「それじゃ、私の勝ちで」
「ん?ああ……」
オセロの方も丁度終わり、盤面を見れば大多数が蓮音の黒で結果は一目瞭然だった。
「やっぱり難しい話をすると託は弱くなるね?」
「おまっ……ずるくないか?」
「あはは、戦略と言ってほしいな~」
どうやら嵌められていたようで、負け惜しみも余裕で返される。託の完敗だろう。
その割に託の表情が満足そうに見えるのは、このやり取りの懐かしさゆえなのだろう。
「……もう寝ないとね。変に体調崩して明日遊べないのは嫌だし」
「つっても九時半だけどな」
「でも眠いし……今日は寝よ?」
確かに蓮音は欠伸もしているし、返事も微妙に遅かった。
(まあ色々あっただろうし、疲れてるんだろうな)
「分かった。ちゃんと寝ろよ?」
「言われなくても、ちゃんと寝るから……おやすみ、託」
蓮音は眠そうな目を擦って柔らかい笑顔で別れの合図を紡ぐ。
「ああ、おやすみ」
返事と共に最後は微笑みながら手を振って、託は自分の部屋に飛び移ってカーテンを閉める。
「……さて、俺も風呂入って寝るか」
久しぶりに心から満たされて、今回は上手くいきそうだと希望を見出して、託は着替えを持って部屋を後にした。