四生目
「ねぇ託、今日会う人ってどんな人なの?」
「……え?」
朝から時間は進んで昼前、鳥谷との待ち合わせに赴く道中。蓮音が初対面と言う事にしている託が知っている筈も無いような事を聞いてくる。
「いや、俺も会った事無いから。電話の感じ的に男性だとは思うけど……どうしていきなり?」
「知っておいた方が心の準備が出来るから」
「そんな人見知りじゃないだろ」
知らないとしつつ突然の質問の意図を尋ねると、彼女らしくない答えが返ってきたので半ば呆れながら指摘する。
「む、そんな事ないのになー」
「今までの言動を振り返るべきだな」
やや不満そうに反論する蓮音に記憶を辿るよう促すと、彼女は空を見上げて思考を巡らせ始めた。
「うーん……託以外の人と全然喋ってないから生意気な言動しかないけど、それでもいい?」
「生意気だと思った事はないけど……人見知りしてないって自覚はあるんだな」
「だって託だもん」
あまりに淡白な理由で悪戯な言動に振り回されていた自分が不憫になり、託は思わず溜息を吐いた。
「……一つはあるけどね。人見知りな記憶」
「話してもらう事は……」
そこまで聞いて、蓮音が首を横に振ったので言うのを辞める。
「……人間って不思議だよね。誰かの秘密は無性に言いふらしたくなるのに、自分の秘密は言いたくないなんてね」
「ん?まあ確かにそうかもしれないけど……」
突然振られた話にだから何なんだと言わんばかりに首を傾げると、彼女は話を続ける。
「何でだろうね?」
「何でって……難し過ぎないか?」
「でも、難しいって面白いよね」
「それは蓮音だけだな。俺だったら極力考えたくない」
その難しいとやらを拒絶するように苦い顔を浮かべると、それを見た蓮音は可笑しそうに笑った。
「ま、いつか知る事になるから、それまで考えてみてねー」
何か悪戯を企んでいるような目で、挑発するように笑う蓮音。の割に何か重要な事が隠されている気がして、託は返答を迷う。
「……その言い方からして、蓮音は知ってるんだな?」
選んだのは挑発に乗る形で、恐らく彼女が想定しているであろう態度で言葉を返した。
「さあ?知ってても教えないけど」
「うわ、生意気」
「生意気だと思った事ないって言ったくせにー」
すぐに答えをはぐらかしたあたり、正解だったのだろう。
そのまま会話に乗って軽口を叩くと、明らかに本気ではないと分かる口調で、頬を膨らませて睨んできた。
「訂正しておく。生意気だし人見知りなんてあり得ない」
「託が特別なだけだって。むしろ昔から隣にいる相手にぎこちない方がおかしいよ?」
「知ってるし俺も蓮音は特別だと思ってるからこそ聞くんだけど、そんなに変わるか?」
託も蓮音以外とあまり話さないが、稀にある機会で彼女の言うほどまで人間性が変わる事はない。勿論個人差はあるのだろうが、それでも信じられないので聞き返す。
「……いきなりはずるいなぁ」
「ん?ああ、そういう事。嫌だった?」
「嫌じゃないけど、妙に慣れてるね?」
困り笑いを浮かべながら呟かれた一言に自分の言葉を振り返り、その反応に納得するしかない発言をした事に気付く。しかし前回があったせいなのか託は顔色一つ変えずに会話を続け、その結果蓮音に突っ込まれた。
(気を付けないとだな。蓮音って意外と鋭かったりするし)
「……ちゃんと聞いてるー?」
頭の中で振り返っていると、返事をしていなかったため蓮音が前に出て下から覗き込んでくる。
「聞いてるよ。発言には気を付けないとなーって思ってただけ」
「嬉しいから良いんだけどね。特別って言葉も私から出た言葉だし」
「じゃあ頻度だけ考えておこうかな。言えば言うだけ良いってものでもないだろうし」
何だかんだ言いつつも心情的にはプラスだったらしく、制限を掛けようとするのを遠回しに反対する蓮音。託もそれは汲み取りつつ"気を付ける"の方向性が違うので、妥協しつつも制限は掛ける事にした。
「私は言われるだけ嬉しいと思うけどなあ、残念」
「それじゃあ毎朝何かしら言ってやろうかな」
「……言ったね?」
冗談のつもりだったが、蓮音はそれを聞くとニヤニヤと悪そうな笑みを向けてきて、悪手だった事を口ほどに示していた。
「毎朝かー、なんて言ってもらおうかなー?」
「蓮音、世の中には冗談ってものが……」
「私は本気だと受け取ったんだけど、冗談で済ましちゃって良いの?」
「うぐっ」
慌てて修正しようにも被せられた言葉に言い返せないあたり、言い出した時点で負けていた。未だに取り繕う気のない彼女の表情には嫌な予感しかしないが、何を言われても従うしかないだろう。
「明日からの話だし、取り敢えず続きは今夜のお楽しみに、ね?」
「……普通の台詞なら」
「うん!私の裁量での普通に留めとくね!」
「頼むから世間一般での普通で考えてくれ……」
格段に元気になった蓮音に、託はうなだれながら内心で頭を抱えた。
「まあその話は置いといて、ここからはどうするの?」
「置いとくものじゃないからな?流石に優先すべき事を先にやるけど」
話していたらあっという間に駅前に到着していたため、事前に送られてきた外見的特徴を確認する。
「えっと……男性で黒いロングコートと黒い革鞄……こんなんで見つかるか?」
「遠目から見て真っ黒な男の人って事だよね?ここからだと……あの人とかそうじゃない?」
託が大雑把過ぎる情報に呆れている間に、蓮音は周囲を見渡して一箇所を指差しながら尋ねてきた。
彼女の人差し指の先には確かに特徴が一致する人物が佇んでいて、二人と同様に誰かを探すように群衆を右から左へと眺めている。
(あー、確かに鳥谷さんっぽいけど……こうやって見ると全身黒一色って結構不審だな)
蓮音の見つけた人は鳥谷で間違いないだろう。しかし前を通る人々の服装より明らかに目立つ上にそれが悪い方向なため、良くない事を想起した託は声を掛けようか迷う。
「でも、いきなり目の前に出て名前を聞くのは怖いし……どうしよっか?」
「うーん、なら電話してみよう。携帯を取ったら正解」
蓮音もすぐ声を掛けるのは抵抗があったのか、託に解決策を求めた。意見が一致したので直接コンタクトを取るのは避けて、託はスマホを取り出した。
発信音が鳴り始めてしばらくすると、黒い人はポケットに手を入れて掌サイズの何かを取り出し、耳元に当てた。託もそれに合わせ、スマホの音量を下げてから耳元に当てる。
『もしもし、どうしたのかな?』
「すみません、遠目からだと確信が持てなかったので電話を鳴らしてみただけです。見つけているので今から向かいます」
『なるほどね。それなら一度切らせてもらうよ』
その言葉を最後に電話は切れた。黒い人がスマホであろう物を丁度耳から離した瞬間だった。
「あの人で正解だったよ。それじゃあ行こうか」
「うん、変な事されそうだったら守ってね?」
「そんな事起こんないと思うけどなぁ」
「何かあってからじゃ遅いんだから、念には念を押さないと」
蓮音は初対面の鳥谷を警戒しているようだが、託は隠してるだけで初対面ではない。そのため背後に付いて服を摘む仕草を微笑ましく思いながら、それは杞憂だと言わんばかりの余裕の表情で人混みの中を進む。
鳥谷の方からも向かってくる二人を見つけ、笑顔で迎えてきた。
「初めまして、鳥谷朝日さんで間違いないですか?」
「こちらこそ初めまして、君が託君だね。いかにも、私が鳥谷朝日だよ。それで、後ろの子が……」
「は、初めまして。橘花蓮音……です」
託と鳥谷が初対面を装って挨拶をすると、ワンテンポ遅れて蓮音もややぎこちなく自己紹介した。そこに演技のようなものは一切感じず、素で人見知りしているようにしか見えなかった。
「君が例の要救助者だね?準備はいいかな?」
「は、はいっ、頑張りまひゅっ」
(あ、噛んだ)
そう思ったら蓮音が託の背中で顔を隠した。鳥谷はやんわりと笑っている。
「取り敢えず、場所を変えませんか?立ち話もあれですし……」
「そうだね、そこら辺のカフェでいいかな?」
「はい、そうしましょう」
鳥谷の提案に託が賛成すると、蓮音も額を託の背中に押し付けながらこくりと頷く。
託は苦笑しながらも話しかけず、歩き出した鳥谷の後ろを付いていった。
◇
「それじゃあまずはこの紙にここ一ヶ月の行動を、出来るだけ詳細に書いて貰えるかな?」
駅前のカフェチェーン店にて、三人それぞれが注文を終えて席に腰掛けると、鳥谷が蓮音にまっさらな紙とペンを渡してそう指示した。
「は、はい」
「その間に託君、君にも話があるんだけど……その前にこれを」
「はい」
蓮音がペンを動かし始めると、次に鳥谷は一枚の文字が書かれた紙を渡した。
『今のうちに言っておくけど、一ヶ月で薬を作るのは難しい。それに完成したところで、病気が進行していたら助からない可能性だってある。その時、君は本当に自身の命を捨てれるかい?』
そこには厳しい現実が、覚悟への問いと共に鳥谷の手書きで記されていた。
託はそれを読んだ後もしばらく紙を眺めてからペンを持ち、何かを書き足してその紙を鳥谷に返却する。
『当然です』
問いの下に、はっきりと書き足されていた。確認した鳥谷が顔を上げると、託の真っ直ぐな目が愚問だった事を暗に伝えてくる。
鳥谷は微かに口角を上げ、静かに頷いた。覚悟が伝わった証拠だった。
「託君の方はこれで終わりだよ。蓮音君も急ぐ必要は無いから出来る限り具体的に書いて欲しい。どこかに行ったのなら、そこの名称を書くって感じにね」
「わ、分かりました」
託には一足先に自由な時間に入った事を告げ、それを聞いて一層速くペンを走らせる蓮音には減速するよう告げる。そうして作った時間で、鳥谷はサンドイッチを食べ始めた。
(一ヶ月前……どんな事したっけ?)
ここでの一ヶ月前は託にとってはもう二ヶ月以上も前の話であり、最早記憶も殆ど無い。かろうじて思い出せるのはケーキを食べたクリスマスやら蓮音に起こされ続けた年越しあたりで、他は普段通りの平和な日常を過ごしていたという認識でしかなかった。
しかし蓮音なら普通に一ヶ月前の記憶なので覚えているだろうと、託はそう思いながら横目で蓮音の手元を盗み見する。が、蓮音も託と同程度の記憶しかなかったのか、四行程度でペンが止まっていた。
書いてある内容はクリスマスと年越しに正月そして病院に行った話で、それ以外の事は書かれていない。蓮音は未だに思い出そうとしているが、どう見ても行き詰っていた。
「……終わったなら、受け取ってもいいかな?」
いつの間にか完食していた鳥谷が、見かねたように蓮音に尋ねる。
「は、はい……。すみません、全然書けてなくて……」
「いや、別に大した問題じゃないから大丈夫だよ。もしもまた思い出したりしたら、託君を通して連絡してくれれば嬉しいけどね」
謝る蓮音を特に気にした様子もなく、紙を受け取った鳥谷は十数秒間それを眺めた後に鞄に仕舞った。
「それじゃあ、また場所を移そうか。今からやる事が本題だからね」
「は、はい。次は何を……」
「採血だけど、苦手かな?」
「えっと……注射全般苦手です」
蓮音は顔を青くしながら、身を守るように腹部の前で腕を組んでカミングアウトする。
「あはは、病気を治すためには必要な事だから、我慢しようね」
「……はい」
鳥谷は困ったように笑いながらも、採血を辞める気はないらしい。蓮音もそれを察して、瞳を湿らせながらも渋々頷いた。
「会計してくるから、外で待っていてくれるかな?」
「分かりました」
レジに向かおうとする鳥谷に頼まれ、託は蓮音を引き連れて店の外に出た。
「……ねぇ託」
「今更嫌だとは言わせないからな?」
「私だって我慢くらい出来るんだからね?でも……注射の時は手、繋いでてほしいなーとか思ったり……」
言っては悪いが、子供のようなお願いだった。蓮音も同じように思っていたのか、言葉尻に近付くに連れて声が小さくなっていた。
「……んぐっ」
「ほら、笑った。だから今まで注射が嫌なんて言わなかったのに……」
蓮音はそう言いながら託が悪いと言わんばかりに睨んできた。
「わ、悪い。誰にでも苦手なことはあるよな。ごめん」
「そう思うなら、笑わずに手繋いでくれるよね?」
「それは元からするつもりだったから、勿論」
拗ねたように口を尖らせて聞いてくる蓮音から差し出された手を、託は笑顔で快諾して握った。
「まあ、ここでするわけじゃないけどな」
「そうだけど、怖いし今の内から」
「はいはい」
案外子供だよなと微笑ましく思いながらも、怒られる事は分かっているので口には出さず引き続き手を握る。
この後、鳥谷の車で思った以上に血を抜かれる事になるとはまだ知らない。