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Relife  作者: 橋本 海里
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プロローグ

 一月三十一日、隣の家に住んでいた幼馴染が死んだ。

 橘花蓮音たちばなはすね十六歳、死因は正体不明の新ウイルスによる衰弱死。

 最期に見た彼女は、昨日も二人で遊んだとは思えない程に、冷たく凍り付いていた。

 その姿を目に映した時、彼女の死が現実になった時、急激に心拍数が上がったのを感じた。

 呼吸が上手く出来ない。

 胸の奥が今までに無いくらい熱い。

 指先が震える。

 声が出ない。彼女の名前を呼べない。

 冷たい彼女の横で、ただただ涙を流す事しか出来なかった。

 その後の記憶は無い。気付いたら家に帰っていた。

 喉は枯れて、手の感覚は無く、見える世界は色を失っていた。

 自室に鍵を掛けて、南側のカーテンを閉めて、薄暗い部屋の中で、何も考える事なく呆然としていた。

 ふとした時、隣の家の窓だけが見える東側の窓を開けてみる。

 少し手を伸ばして、隣の家の窓も開く。

 その先には、生前と変わりない、彼女の部屋があった。

 生前は毎日のように遊んだし、勉強した。どちらの部屋かは関係無く、どちらかが相手の部屋に窓から飛び込んでいた。

 気が向いたので、彼女の部屋に飛び込んでみる。

 暖房が動いてる訳もなく、冬らしい寒さだが、最早気にならない。

 部屋を左から右に見渡し、気になった物があれば近付いて観察する。

 タンスの上に立てられた幾つもの写真。小中高の入学式卒業式を始めとした各種イベントが、綺麗に飾られていた。

 その時々に合った服装を身に纏った彼女の隣には、全ての写真に同じような姿の自分がいた。

 無意識の内に、右腕を上げる。彼女は常に自分の右にいた。いつもなら彼女の背中にでも腕が当たっていただろう。

 しかし、右腕は空を切った。その違和感に戸惑う。

 部屋の真ん中に置かれた一つの机、その上には教科書……の、幻。彼女の部屋で勉強する時は常にここで、二人で勉強していた。

 机の前に正座してみる。彼女は勉強の合間によく難しい話を投げ掛けてきた。哲学的な、答えの無い問い。

 今日は無かった。教科書も、難題も。

 ハンガーに掛けられた高校のブレザー。幾度と無く、この制服の彼女と登下校を共にした。

 左の袖を摘んでみる。彼女はよくこちらの右袖を摘んできていた。

 今日は軽い。腕の重さも、引っ張る力も無かった。

 彼女のベッド。彼女はよくここでくつろいでいた。そういう時の彼女は基本勉強したがらない。

 ベッドに頭と肘を置いて、傍に座ってみる。中学の頃は、こうして寝顔を眺めた事もあった。

 今日はいなかった。

 ……常に一緒に居た人が、橘花蓮音が、いなかった。

 心に風が吹く。彼女の表情、笑顔が泣き顔が、脳裏に浮かんでは消えていく。

 顔を伏せ、押し出されるように腕が前に出る。

 すると何かに触れた。顔を上げると手帳があった。

 使い古された表紙には、平仮名で彼女の名前が書かれている。きっと幼い頃から持っていたのだろう。

 どんな事が書かれているのか、興味本位で手帳を開いてみる。

 一ページ目には、名前が書かれていた。

 頑張って調べて書いたのだろうか、拙い文字で神風託かみかぜたくと、自分の名が漢字で綴られていた。

 ただ、それだけだ。

 流し読みで、ページをめくっていく。

 その日何があったか。どんな事が嬉しくて、どんな事が悲しかったか。彼女の日常が丁寧に刻まれている。

 パラパラとめくり続けて、遂に白紙のページに辿り着いた。どうやらこれで終わりらしい。

 そう思いつつ紙をめくると、大きく綺麗な文字で「最後に」と書かれているのを見つけた。

 恐らく、裏に続いている。ここまで読んで、ここだけ読まない選択肢は無かった。


『一月二日、少し体調が悪かったので病院で検査を受けてみると、未知のウイルスに感染している事が判明した。治療する術は無く、余命一ヶ月程度と、お医者さんに言われた。不幸中の幸いだったのは、人から人には感染しないから託に感染る事が無い事』

『いきなり死の宣告を受けて、一番最初に託に会いたくなった。気が動転しているせいかと思って、その日は会わないようにした。すごく、寂しかった』

『次の日に、何事も無かったように振る舞って託と遊ぶと、すごく楽しかった。けど夜になって託と離れると、やっぱり寂しくなった』

『次の日も、次の日も、学校が始まってからも、託がいると嬉しくて楽しくて、逆に託がいないと寂しくて不安だった』

『十五日の夜に、ようやく私は託が好きなんだと自覚した』

『そしたら、死ぬんだと諦めていた事が怖くなった。まだ生きたいと思った』

『十六日の朝、託に病気のウイルスの事を話そうとした。けど辞めた』

『多分、託にこの事を話したら泣いちゃうと思う。好きが溢れちゃうかもしれない。そう思うと話せなかった』

『こんなにも危機的状況にならないと託への愛を気付けないなんて、きっと私は馬鹿なんだと思う。もっと前に気付いていたら、恋人にもなれたかもしれない』

『そうすればもっと幸せだっただろうし、ハグとかキスみたいな、ドラマでしか見ない事が出来たかもしれない。託は優しいから、私から求めたら全部叶えてくれたかもしれない』

『でも、もう遅い。託は優しいから、私が助けてと願ったらその重荷を全部背負ってしまう。私が死ねば自分のせいだと責任を感じちゃうと思う』

『だから、私が全部抱えて、お墓まで持っていこうと思う。好きな事も、死ぬ事の恐怖も、今までの感謝も、全部託には隠し通そうと思う』

『だけどここでだけ、心の声を綴りたいと思う』

『神風託くん、私橘花蓮音は君の事が大好きです。もっと早く気付いて、一緒に色んな初めてを埋めたかった。日常的な二人の時間を、もっと特別な物にしたかった』

『神風託くん、私橘花蓮音は死ぬのが怖いです。諦めたなんて言って、本当は死にたくないです。もっと生きたいです。無理だと分かっているけどお願いです。助けて下さい』

『神風託くん!物心付く前から十六年、本当にありがとうございました!私がいなくなった後も君らしく生きて下さい!バイバイ託くん!』


 どのページも、涙で紙に皺が入っていて、書いている時の彼女の気持ちが汲み取れた。

 枯れた筈の涙が、どこからともなく溢れ出てくる。

「蓮音……ごめん、ごめん……」

 読むべきではなかった。彼女が隠そうとした事を見てしまった。その罪悪感と、救えなかった罪悪感が入り混じって、ただひたすら謝る事しか出来なかった。

 そして気付いてしまった。自分も、橘花蓮音が好きだった事に。

 どれだけ悔やんでも彼女は戻って来ない。それでも悔やむしか術がない。

 何時間も、もう一度涙が枯れるまで、独りで泣き続けた。


  ◇


 何時間も経って、声すら出なくなってから、もう一度彼女の最後の言葉を読み返す。

(俺らしく……俺らしさ……ってなんだろうな)

 彼女から「自分らしさ」についての質問をされた事がある。

(蓮音は「素直な自分が自分らしさだと思うよ」って言ってたっけ……。だとしたら……俺に自分らしさはもう無いよ)

 素直な自分は蓮音にしか見せた事がない。親とは喧嘩したくないがために接触は最低限にしているから対象外だし、学校でも壁を作って生きている。本当は口が悪くて、性格も歪んだ神風託は、彼女しか知らない。

(蓮音……君ならなんて言うかな?今の俺を見て。元気出せって背中を押してくれるかな?)

 彼女は几帳面な側面がありながらも積極的で快活な性格だった。悩んでいれば一緒に悩み応援してくれて、困っていればトライアンドエラーと言って一緒に取り組んでくれた。

 きっとここに彼女が居れば、立ち直るヒントをくれたかもしれない。

 けど、ここに彼女はいない。

(今の精神状態じゃ無理だ。少し休もう)

 考えれば考えるだけ、悲しい現実だけが胸に突き刺さる。

 一度休んで、切り替えて考える事にした。

 自分の部屋に戻って、ベッドの上に寝転がる。

(……おやすみ、蓮音)

 心の中でそう告げ、持ってきていた手帳は大事に抱えたまま目を瞑った。

 叶う事なら、もう一度彼女に会いたいと願って。


  ◇


「んん…………うん……?」

 目が覚めると、体に違和感がある。

「布団……?」

 ただ寝転がっただけの筈なのに、分厚い掛け布団が掛かっている。

 それだけじゃなく、暖房も切れている。

「……母さんか父さんでも来たのかな」

 妙にぼやけた脳でそう結論付け、寝起きの目を擦る。

「……あれ、なんで寝間着?」

 確か寝た時は黒いパーカーにグレーのチノパンだった筈だ。

 しかし今着ているのは、普段寝間着として愛用している黒の長袖シャツだった。

 流石に親が思春期男子の服を脱がすとは考えにくいが、他の可能性が見つからない。

「うーん…………いや待て、どうして普通に喋ってるんだ俺?」

 あれだけ泣いて、水分補給もせず寝たのだから声が枯れていない筈がない。

 水分補給となると、寝た状態では不可能だ。無理矢理そんな事すれば溺死する。

「……雪?晴れてた筈だぞ?」

 予報では先三日は快晴だった。今日に至っては一割の雲も無かった。

 なのに何故だろうか、外では雪が降っている。この部屋は二階だが下を覗けば雪が積もっている。

(おかしい……こんなに急激に天気が変わる訳ないし、ましてや積もるなんてありえない)

 情報過多で暴発しそうな中、一つ一つの可能性をゆっくりと除外していく。

(取り敢えず天気の急変は可能性としてはある得るとして……服の方はどうなんだ?寝ぼけて着替えたとは考えにくい)

 ヒントが少なすぎるので、他に何か異変がないか部屋中を見回す。

(タンス異変無し、テレビも特に問題ない。勉強机は……ん?)

 最後の最後、勉強道具以外の物を置いた記憶がない机の上に、何かが置いてあった。

「これは……蓮音の手帳だ。これがあるって事は親の可能性は低い」

 手帳には彼女の名前が記されている。その時点でうちの親なら持ち主の親に返す筈だ。

 なのにそうなっていない。何かがおかしい。

(何故か寝間着、手帳、天気は快晴から雪……待てよ、雪?)

 雪から一つの可能性が浮かび、急いでスマホを探す。

(今年に入って雪が降ったのは一月二日だけ、蓮音の病気が発覚したのは一月二日、そんでもって……)

「蓮音は雪が降るといつも俺を叩き起こしに来る。でも今日は来ていない。って事は……」

 ようやく見つけたスマホを起動すると、そこには一月二日の文字が映された。

「はは……タイムスリップって事かよ」

 驚きで頬の変な筋肉が動く。あり得ない事が、現実に起こった。

「……って事は……蓮音を救うチャンスがあるって事だよな?」

 逆を言えばもう一度彼女の死を見るリスクもある。

 チャンスから来る喜びと緊張、リスクから来る恐怖が混ざり、力強い拳を握って武者震いする。

「……やってやるよ。どうせこのまま待ってても同じ未来なら、行動するのが正解だ」

 そう、心に決めた。

 この時、逆に諦めていたらどうなっていたのだろうか。

 心が枯れ果てるまで、彼女の死を見ていたのだろうか。

 それはまた別の世界線の話。この世界線の神風託は、諦めない選択をした。

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