第四章「そして」
第四章 「そして」
1・The Bonin Island
2・What’s next?
3・最後の舞台
1・The Bonin Island
「うう〜ん!」
なんだかビミョーに、気持ち悪い。
(まだ海外に行った事のない僕なので、「時差ボケ」の経験は無かったけれど…慢性的な、軽い「船酔い」状態)。
「ふ〜!」
僕は、大都会の港湾地帯の一角から出航した、南の離島に向かう船に揺られていたのだけど…
『過ぎ行く夏を追いかけて、南の島でバカンス?』
そんなワケないでしょ!
(先の一連の事件は、総合病院の時と同じく、自然終息にむかっていたけど…いったん衆目にさらされてしまった以上、何らかの対策は必要だろう。ただ船や島は…いったん・その中で、何かが発生してしまえば、アッという間に手も足も出ない状況に陥ることになるだろうけど…外部との接触が完全に断たれていれば、一番安全だ。それに、何かほかにも目的があるようだ)。
「きれ〜だね!」
オッちゃんと二人。上甲板に上がり、沈み行く夕陽を眺めていると、あんな事があったなんて、信じられない気分だったけど…湾から外洋に出ると、波が出てきた。
「ふ〜!」
その後の船内の船室では…
「だいたいアナタはね…」
オッちゃんも、グッタリ気味だったけど…
「〜なのよ!」
アッチの二人は、ぜんぜん元気だ。
(いろいろな意味で…万が一の時の事を考えて、両側に二段ベッドのある四人部屋に同室だ)。
「船酔いする前に、酔っぱらっちゃえばいいの!」
オッちゃんの下のベッドに陣取ったケーコさんは、そう言って、船が離岸するのと同時に、ビールのフタを開ける。
(客船で・いったん海に出ちゃえば、後は大してする事もない。だから、あの「007=ジェームス・ボンド」だって、旅客機のフライト中は任務から開放され、飲み過ぎるくらいに飲んで、くつろいでいるみたいだ)。
「アタシは非番なの!」
ただし、交代勤務。それで、僕の下にいる素面の和男さんは、そんなケーコさんに、またまた絡まれてるワケだ。
『きっと大人って、いろいろと大変な事もあるんだろうな』
(経済的には自立してしない、「半成人」の男女二人。「間違い」が起こらないように? 二人の大人の男女の「世話役」…と言うか、「見張り」がつけられたワケだけど…この二人で、大丈夫なの?)。
それから、外洋のうねりに揺られて丸一日。大きな船が接岸できる港に着いたけど…
『まだ着かないの?』
ここから・さらに、約3時間。この諸島の中で、もうひとつ人が住んでいる島へ向かうのだけど…
『雨まで降ってきたよ』
さきほどまでの大型船でも、軽い「船酔い」になるほどの荒れた海。中型の客船では…
『もう限界!』
外甲板に出て、表の空気を吸ってみたけど…効果なし。一緒に外に出たオッちゃんと二人、雨や飛沫のかかる船外から戻って、階段の一番下にうずくまっていると…揺れで足を滑らせたオジサンが、ノシ掛かってくる。でも…
『それどころじゃないよ』
気持ち悪い方が先にたって、痛みも感じない。
『踏んだり・蹴ったりだ』
それでも、夕方の「通り雨」が上がる頃、小さな入り江に入ると海は凪ぎ…
「見て・見て! オッちゃん」
「ミ〜ン」と、昆虫みたいな羽音をさせて飛ぶ『飛び魚』。
「スッゲ〜!」
僕は、トビウオとは「跳ぶ」程度のものだと思っていたけど…なかなかの飛距離と滞空時間だ。
(元船乗りさんの話によると…夜間。船の灯りに誘われて、貨物船の上にまで飛び乗ってくる事があるそうだ。船室の上の甲板で「ポトン!」と音がしたら、みんな一斉に奪取! 筋肉が発達しているせいか、旨いんだそうだ)。
やがて、小さな港に降り立つけど…
(陸に上がると、つい・さっきまでの「船酔い」が、ケロッと治ってしまうから不思議だ)。
もう暗くなっていたけど、でも・そこから…
「こっからの移動は、夜間の方が人目につかなくて、好都合さ」
和男さんは、支度をしながら・そう語り…
「二人とも、用意はいい?」
ケーコさんも、すっかり酒酔いから覚め、準備は万端のようだ。
「ブロロロロロ〜」
今度は、二艘のエンジン付きゴム・ボートに分乗して、星明りの下、目的地の島影を目指す。
(島伝いなので、波もそれほどではないし…特殊な訓練を受けているのであろう二人は、「サスガ」な動きを見せる)。
『やっと着いた〜!』
とりあえず・その晩は、上陸した浜で野営する。
『こんな時は、キャンプ・ファイヤーじゃないの?』
僕たちは闇の中で、「戦闘糧食」と呼ばれる缶詰やレトルト・パウチで、遅い晩飯を摂っていた。
『まあ時間も遅いし、仕方ないか』
僕が、そんな事を考えていると…缶ビール一本で、ひとしきり・クダを巻いていたケーコさんが立ち上がる。
「さて! わたしは・あした早番だから、先に寝るわ」
そう言って、その場を立ち去る。
「早番って?」
不思議に思った僕が、そう口にすると…
「哨戒任務…ようするに見張りさ」
和男さんが、そう教えてくれる。
「これでも俺たちは、任務遂行中なんだよ」
『なるヘソ!』
それで航海中、昼間っから飲んでいた和男さんも、今宵は禁酒していたわけだ。
(まあ・こんな「離れ小島」に、火を嫌う猛獣はいないだろうけど…だいたい、こんな所で焚き火なんかしたら、目立ってしまう)。
「アイツも、酒飲まなきゃ、まあまあなんだけどな」
ケーコさんが、寝袋に入ったのを見届けたところで…
「禁酒の国の生まれだから、酒の免疫ないのかな?」
小声でこちらに向かって、そうコボす。
「どちらの・お生まれなんですか?」
国際人を目指すオッちゃんが、そう問うと…
「あの子は…日本人の親父さんと、北アフリカの紛争地帯の出のお袋さんとの間に生まれたんだ」
『あの子?』
和男さんは、ポツリと、そんな表現を使ったけど…
『かりに10才年上だとすれば…』
僕とかなえチャンほどの、年の差となるわけだけど…
『十年後?』
いったい僕は、どうなっているのだろう?
『家庭があって、子供がいる?』
そんなこと…今・現在の僕には、とても想像できない。
「幼い頃に、戦闘に巻き込まれた経験がある」
和男さんにしては珍しく、シリアス口調だ。
「そうなんですか…」
友人を失くしたばかりのオッちゃんも、感じるところがあるのだろう。
(感染防止措置のため、葬儀にも出席できなかった)。
でも僕は…
『オヤジやオフクロなんて、ずいぶん古めかしい表現だ』
不謹慎にも、そんな事を考えていた。
(いまだに、自分の奥さんを「母ちゃん」・自分の亭主を「旦那」、あるいは、自分の両親を「とうちゃん・かあちゃん」と呼ぶ人たちに出会った時は、『ジェネレーション・ギャップ』と言うより、『カルチャー・ショック』を受けたものだ。「世代の違い」ではなく、「環境の違い」なのだろう。だから僕の言動を見て、僕が感じたのと似たような驚きを受けている人だって、いるはずだ)。
なんでも、詳しく聞けば…お父さんは、日本から来ていたプラント技師。現地で知り合い、「恋に落ちた」らしいけど…テロに遭い、両親を亡くしたそうだ。
「いま・この時にも、戦争している国がある」
オッちゃんも、ジッと・黙って聞いている。
(父方の祖父母に引き取られ、日本に来たらしいが…『今でも、あのマシンガンの響きが忘れられない』と、語っていたそうだ)。
「俺たち、平和の純粋培養とは、生まれも育ちの境遇も違うんだ」
いつの時代に生まれるか?
「ま、親は選べない」
どこの国の・誰の子供に生まれるか?
『たしかに、親は選べないけど…』
でも、「どんな人間になるか」は、自分しだいでは?
「そんなに気に病むことじゃないさ」
最後に和男さんは、自分に言い聞かせるように、そう締めくくる。
「ふ〜!」
横になって見上げる星空が、とっても綺麗だけど…左を向けば、シュラフに入ったオッちゃんも、こちらに目線をくれる。
「おやすみ」
速攻で眠りに落ちた僕は、数か月ぶりで、良く眠れた気がする。
※ ※
「おはようございます」
東の空が白みはじめた、夜明け前。早くに目の覚めてしまった僕は、コーヒー・カップを両手に持って、あたり一帯を見渡せる岩礁の岩陰にいるケーコさんの所にむかう。
「寝られた?」
「ありがと」と、カップを受け取りながら、ケーコさんが訊いてくる。
「ふぁい!」
アクビが出るけど、でも久しぶりで、たっぷり寝た気がする。
「あの人は、代々の武家の家系。先祖の多くは、軍人だったらしいわ」
そう言って、和男さんの経歴を語り始めた。
「幼い頃から、真剣を使って立ち会いさせられてたらしいの」
『へえ〜』
「ある時、『皮を斬らせて・骨を断つ』じゃないけど、自分の腕の皮が切られた音が聴こえたんですって」
『マジ?』
「それで『免許皆伝』になったんだって…バッカみたい!」
そう言ってクスクス笑う姿は、なんだか・とっても楽しそうだ。
「彼は、純粋な平和主義者。それで逆に、国防の道に進んだんでしょうね。でも…」
『でも?』
「除隊直後に、あの人が所属していた部隊の仲間が、移動中の交通事故で全滅」
『?』
「どうやら・そこにも、奴らがかんでいるみたいなの」
真顔に戻ったケーコさんに…
「どうしてですか?」
問いかけると…
「あいつらの摘発にかかわったからよ」
そう説明してくれる。
「だから、『天下泰平』の世の中を騒がす連中と、戦う気になったんでしょうね」
『なるヘソ!』
「でも、あの人の表現によれば、『御家断絶』になっちゃって、今は『天涯孤独』の身のようよ」
『ふ〜ん』
(要は…「ほかに親族が残っていない」という意味のようだ)。
「そうなんですか…」
みんな・それぞれに、いろんな人生があるんだな。
「でも、お酒を飲むとクドくって」
『え?』
「禁酒の国」の出身者は、そうおっしゃるけど…
『あなたの方が、よっぽど酒癖が悪いんじゃ?』
「いろいろと説教じみたこと、言ってくるし…」
『まあ・それだけ、気にかけてるって事では?』
「部下や後輩なんてものは、上司や先輩に面倒をかけるくらいで、調度いいのよ」
そう言い終わる頃には、すっかり太陽が顔を出していた。
「さて!」
今朝は日の出と共に、全員、行動開始!
「ワンダーフォーゲルみたいだな」
そう言うのは、一人では立ち上がる事もできないほどの、大きく・重たい荷物を背負った和男さん。
「男なんかに、負けてらんないわよ!」
そう言いながら、ガケをよじ登るのはケーコさん。
『なにも、そんなところで競わなくても』と思うのは僕。
(オッちゃんも、それなりの荷物をかついで、僕の前を行く)。
でも、絶対的腕力は、通常、男の方が上だ。
(たとえば、スキーの「モーグル」。女性の上位選手は、綺麗には滑るけど…その後で男子の競技を見ると、スピード感や力強さ、迫力がまるで違う。持久的体力にしたって…たしかに「女子マラソン」のトップ・ランナーは、男子に交じってもトップ・クラスだが、トップには立てないだろうし…だいたい、「男子」「女子」なんて区別がある段階で、すでに『格差』や『差別』が発生しているワケだ)。
あくまで一般論だけど、「男は生まれながらに男」で、「女も生まれながらに女」。男の子は、物心つく以前から、長い物を持たせれば振り回し・動く物に興味を示す。一方で、年の近い兄と一緒に棒きれを振り回している女の子だって、着物を着せれば「しゃなり」となり、紅でも塗れば「科」を作る。そんな男女差というものは、『厳然と存在する』と思う。
(いとこの子たちの成長を見ていて、そんなふうに思い・感じたものだ)。
もちろん・いろいろな点で、個人差や違いはあるものだけど…「あらがえないもの」があるのも、確かだ。
(要は、「適材適所」。『男女同権』は当然としても、無闇に『男女平等』を唱えるのは、遠慮することにしている僕だった)。
「ふう!」
道なき道を乗り越え、やっとの思いで崖の上に立つ。
『いい眺めだ!』
眼下に広がる一面の海と、ポッカリ浮かんだ島々。太平洋を真っすぐ南下したここは、海底のプレート運動による火山活動でできあがった島だ。日本列島から南西の方向に伸びる「隆起サンゴ」の諸島と違って、地質学的には・ずっと新しいものなのだろう。「珊瑚礁」と呼べるほどではないけど…
(サンゴが動物に分類されるなんて、驚きだ!)。
そのかわり…
「サメだ!」
今朝の、出発前の朝メシどき。ガレ場の浜のすぐ先に、背びれを海面に突き出して泳ぐ鮫。
(もちろん、浅瀬の入江に入ってくるくらいだから、小型の物だけど)。
パニック映画の定番メニューみたいなものを、生で目撃できたりする。
(46億年まえに地球が誕生した時は、酸素がなかった。27億年まえに、「光合成」を行なう生物が登場し、数十億年かけて「酸素」と「窒素」を主成分とする大気組成になり、現在の姿・形になったわけだけど…サンゴも、長大な年月・膨大な量の「二酸化炭素」を吸収する事で、その一翼を担ってくれた)。
そこで「ひと休み」している間、ケーコさんから…
「本土を離れて、しばらく、ここにいてもらう事になるけど…」
そう言われて、僕は…
「ここは無人島なんですか?」
そんな質問をすると…
「いえ。一人だけ、住んでる人がいるの」
そんな返事が返ってくる。
『一人だけ?』
この一帯の島々は、日本で一番の大都市がある自治体に属しているのに、他方、日本で一番の秘境でもあった。衛星放送が開設されるまでは、電話はもちろん、公共放送も入らなかったそうだ。
(二番目に訪れた・人が暮らす島では、「漁協に無線があるだけ」だったらしい)。
このあたりは、「国立公園」になっているそうだけど…かつて・この島は、頓挫してしまった飛行場建設計画の、予定地だったみたいだ。
『でも二人とも、ここに来たことがあるみたいだし…』
案外、飛行場建設を名目に、特殊部隊の極秘訓練でも、やっていたんじゃない?
(と勘ぐってみたりする僕だった)。
『どんな人なんだろ?』
こんな所で「独り暮らし」いているなんて…僕には、想像もつかない。
(大都会で、メソメソと孤独を感じていた僕なんかじゃ、とても耐えられるそうにない)。
「ヨシ! ここに天幕を張るぞ!」
さらに少し進んだ地点で、和男さんの号令がかかるけど…
『天幕ってなに?』
僕とオッちゃんは、顔を見合わせて…「?」。
「あのバカ! テントのことよ」
ケーコさんが、耳打ちしてくれる。
『ああ、なるヘソ!』
そこで、海を見下ろす高台の森手前で、キャンプ地の設営に取りかかる。
(ここなら、海からの侵入者の監視にも、最適だろう)。
僕とオッちゃんは、慣れない作業に手こずりながら…プロフェッショナルな二人は手際よく、日没前には、おおかた完成する。
「ふい〜、終わった!」
今夜からは…布張りだけど…雨・風を気にせず、寝られるわけだ。
(もっとも、満天の星空の下で寝るのも、捨てがたい行為ではあるけど)。
その後、夕食前に、ここの住人に挨拶するため、四人揃って内陸の奥地にむかう。
(ここは、絶海の孤島。猛獣はもとより、毒性のヘビなんかも、いないんだそうだ)。
途中・途中には、洞穴から海へと向かうレールの残骸。
『魚雷でも運んだの?』
『太平洋戦争』の頃の、要塞化された時の名残りらしい。
「実はこのあたりの洞窟には、自衛隊でもいまだに処理しきれない量の武器・弾薬が残っているんだ」
歩きながら、和男さんが、そう言っていたけど…
『もしかして…それが、飛行場を建設しない理由なんじゃない?』
僕には、そんな気がした。やがて…
「着いたぞ」
和男さんが振り向くけど…
『どこ?』
あたりを見回すが、ジャングルしか目に映らない。もしカモフラージュが施してあるなら、たいしたものだけど…
「上だよ」
和男さんの・その言葉で、頭上を見上げると…
『ロビンソン・クルーソー?』
『トム・ソーヤー?』
『ハックルベリー・フィン?』
それとも『ターザン?』
いや、『鬼太郎かな?』
太い木の幹に、巻きつくように造られた小屋。
『?』
僕は、穴居生活をしている、原始人みたいな「暮らしぶり」を想像していたのだけれど…
『猛獣がいないなら、樹上生活なんて必要ないんじゃない』
そう思うのだけど…
(「類人猿」以前の段階の「猿」が、木登りが得意なのは…そんな理由からだ)。
『何か、こだわりでもあるんだろう』
そう納得して、深くは詮索しないことにした。
「先生!」
和男さんが、上に向けて声をかける。
『先生?』
教授に博士。そして…
『今度は「先生」か』
呼ばれて樹上に姿を現わしたのは…白いボサボサの髪に、伸び放題の白いヒゲ。額に深い皺が刻み込まれた、日焼けした黒い肌。骨と皮だけの細い腕の、痩せた…でも身軽そうな、まるでヨーガの行者か、いわゆる仙人のような老人。
『!』
ハシゴもロープも使わずに、スルスルと降りてくる。
(たしかに・これなら、地上からの侵入防止にはなりそうだ)。
全体の身なりは、自衛官みたいな「オリーブ・ドラブ色」と呼ばれる暗緑色の着衣。
(略して「オーディーしょく」と読み、なかには「国防色」なんて言う人もいる)。
上から下に目を移せば…帽子の全面には、小さなツバ。後ろには、兜の背面にある錏のように、布切れが数枚・垂れている。
(夏に、草刈りをしているオジサンの「麦わら帽」の後ろや、バイザーの背後に日よけ用のタオルを下げた自転車のオバチャンを、見たことがあるだろう。あんな物だ)。
半ソデ・前ボタンの、軍服みたいな上下に…足首には、包帯みたいな「ゲートル」(仏語だ)を巻いて…使い込まれて・何色だったのかもわからないような、網ヒモ式の編み上げブーツ。
(まるで…映画で観たことのある、旧「日本軍」兵士のようなナリだ)。
「お久しぶりです、先生!」
そう言って、和男さんとケーコさんは敬礼をする。
『エッ・ト』
つられて僕とオッちゃんも、頭を下げるけど…
『敬礼したところを見ると、ヤッパ、そっち方面の人?』
でも「先生」は、敬礼を返すわけでもなく…
「よく来たな、さぶ、わっく」
しわがれた声で、和男さんのことを「さぶ」、ケーコさんのことを「わっく」、そう呼ぶ。
『さぶ? それともサブ?』
本名の一部? それとも、アダ名か何か?
『わっく? それともワック?』
アラビア語か何か?
「こちらの二人が…」
和男さんが、僕とオッちゃんを示すけど…
「うん。聞いとるよ」
「先生」は、うなずいて…
「お若いの。大変だったそうじゃな」
そう言って…
「まあしばらく、ここでユックリしていくことじゃ」
労ってくれるけど…
『じゃ…って?』
生で、そんな言い方をする人に会ったのは、初めてだ。
「そろそろ陽が沈む。今日のところは、このへんにしとこう」
先生は、クルリと僕たちに背をむける。
『もしかして「太平洋戦争」に従軍した兵隊さんの、生き残り?』
以前、見たことのある記録映画の映像が浮かんでくる。
「南方のジャンルで、戦後、何十年もたってから出てきた日本兵」
そんな内容だったはずだけど…
『あの人たちが・あのまま歳をとったら、こんなふうになるんじゃない』みたいな雰囲気があったからだけど…
『な〜んて。そんな人、生きてるワケないよね』
もうすでに、終戦後、一世紀もたつっていうのに…あの当時の人が、こんなにピンピンとして生きているとは思えない。
(曾祖父母の中で、一番年上だった父方のヒイじいちゃんだって、ギリ入隊してないのに)。
『でも・もし、そうなら…』
おそらく世界の最長寿で…もしかしたら、今まで存在した人類の中では記録保持者として、『ギネス』にも載る年齢かもしれない。
「どんな人なんですか?」
帰りの道すがら、前を行く和男さんに訊いてみるけど…
「この島の、管理人みたいなものだよ」
『管理人?』
「なに食べてるのかしら?」
オッちゃんも、不思議そうだ。
「魚でも捕ってるんでしょ」
ケーコさんは、アッサリと言うけど…
「実のところ、詳しい事を知っている人間はいないんだ」
前を向いたままの和男さんから、返事が返ってくる。
「俺だって、年齢はおろか、名前だってしらない」
付け加えて和男さんは…
「ただみんなには、『先生』と呼ばれてるってだけさ」
『ふ〜ん』
でも、今どき語尾に「じゃ」なんて…もし本当に、最高齢のタイトル・ホルダー並の長寿だったとしても、その当時だって、そんな言い回しをする人はいなかっただろうに…
『自分の外見に説得力を持たせ、相手を煙に巻いて正体を悟られないように、ワザと・そんな言葉遣いしてない?』
僕には、そんなふうに思えた。
※ ※
「これじゃよ」
翌日。先生に案内されて、オッちゃんと三人で入った洞窟の奥。
(月の地下にも、「死の星」になる以前、まだ火山活動があった頃にでき上がった『溶岩洞』がある。流れ出た「溶岩流」は、冷えた表面から固まって屋根になり、溶岩流が減ることで、トンネルのような空洞が造られる)。
「松明」でも使うのかと思っていたけど…鏡をたくみに組み合わせて、外光を採り込んでいた。
(夜だって、最初の一枚に充分な光りを当てれば、使えるのかもしれない。エジプトのピラミッドの内部も、煤の跡が残っていないので、「こういった方法がとられたのではないか?」という説がある)。
その洞窟の、奥深く。見せられたのは、鈍く黒光りする拳銃二丁。
(本格的な地上戦のなかったここには、そのとき備蓄した物なのだろう…その他、武器・弾薬が、ドッサリあった)。
「これは『南部十四年式』。将校用の物じゃ」
僕に示されたのは、銃把だけ・茶色の木製グリップが付いた、大きめの自動拳銃。
『!』
手にしてみると…見かけによらず?…ズッシリとした手応えがある。
「お嬢さんには、こちらの方」
オッちゃんには、ひと回り小型のオートマチック。
「通称ベビー・ナンブじゃ」
年代物だけど、どちらもシッカリ手入れが行き届いていて、新品同様の・ツヤのある輝きを放っていた。
(「ナンブ」の名前は、戦後の警察官が携行した輪動式銃「ニュー・ナンブ」として、後々まで残ることになったみたいだ)。
さらに、薬莢への火薬の装填・弾頭との接続なども教わった。
(ここまでは、道具も材料も市販されている)。
ただし…
『金の弾なんて、高そうだ』
「金」は、重たいけど柔らかい非鉄金属。
(「24金」とは「純金」の事だけど…たとえば、それで楽器のフルートを作れないことはないけど、柔らかすぎて実用にたえないそうだ。ゆえに最高で「18金」らしい)。
だから頭部に命中させれば、頭蓋骨の中で脳ミソだけをコナゴナ・ズタズタにはするけど、外には飛び出さない。
(感染のおそれのある、危険な体液をバラ撒かなくて済む事になる)。
「ヘイ! ヤング!」
先生は、そう声を掛けて来るけど…
『やんぐ?』
なに? それ?
『英語のYOUNG?』
そう言えば曾祖父に、「若者」を指す言葉に「ヤング」って表現があったという話を、聞いた記憶があるけど…
(文化の『ドーナツ現象』というものが、有るんだそうだ。「文化」というものは、その中心地から同心円状に、その外側にむかって広まっていくわけだけど…その文化の中心を取り巻くように、その対極の地点に、同じ古の文化が残っている。そんな状態を表わす表現らしい。たとえば、英語の本家・英国で「Don't Have」が「Haven't」に変化していた頃、後進の米国では、いまだに「ドント ハブ」が使われていたみたいに)。
『やっぱりここは、ガラパゴス?』
(そうそう、旧式になった携帯電話のことを、『取り残された携帯』という意味で「ガラパゴス・ケータイ」、略して「ガラケー」と呼んでいた時代があったそうだけど…きっと、「ガラパゴス諸島」で『進化論』のアイデアを思いついたと云う「ダーウィン」先生も、「草葉の陰」から見守ってくれていることだろう)。
「護身用に持っとれ」
そう言って、手渡してくれたけど…
「もしかしたら先生って、見かけより、ずっと若いんじゃないですか?」
(もちろん僕たちよりは、かなり年上だろうけど)。
和男さんは、右手をアゴに当て、しばらく考え込んでから…
「なるほどな。それは思いつかなかったよ」
それを聞いていたケーコさんも…
「いい推理かもね」
二人とも、先生の所から帰ってきた僕の推論に、同意してくれる。
「バキューン!」
それは、まあ置いといて…
「ドキューン!」
銃を手にした翌日からは…
「ここなら、実弾ブッ放しても平気だしな」
そう言う和男さんは、生き生きと眼を輝かせている。
(否応なしに、いきなり「戦いの場」に引きずり込まれた僕たち…僕とオッちゃんは…最低限の護身の術くらい、身に付けておかなくてはならない)。
毎朝・一限目は、射撃の特訓。
(練習には主に、武器として持ってきた銃器を使ったけど)。
射撃や、銃の分解・整備の講師は、もちろん和男さん。でも、見かけによらず…失礼!…数学の知識などは凄かった。「弾道計算」の知識がなければ、精確に的を射抜く狙撃なんて不可能だから、当然の事なのだろう。
(片やケーコさんは…数カ国語に精通しているそうで…英会話の教師が勤まるくらいの語学力があった)。
男性は「空間認識能力」に優れた「右脳型」と言われる一方で、女性は「言語中枢」が秀でた「左脳型」と言われるけど…その見本みたいな二人。しかし僕は、肉体的には「空間移動系」のスポーツが好きなものの、頭脳的には・どちらかと言えば「文系」の左脳型? でもオッちゃんは…
「パーン!」
最初は、おっかなビックリだったオッちゃんだけど…
「当たった!」
射撃の腕前は…
『チェッ!』
彼女の方が上みたいだ。
『球を扱うのに慣れてるから?』
さっきの「右脳・左脳」の話なんて、アテにならない? まあ何にでも、例外はあるものだろうけど…
「当たる人間は、最初から当たるものさ」
和男さんは、そう言うけど…そういえば、小学校にも上がらない頃だったか? 曾祖父より年上の年代の・戦中派のオジイチャンが語るところによると…「目と鼻の先から撃っても、ぜんぜん当たらん」そうだ。だから『拳銃なんて、そんな物』と思っていたのだけど…。
(きっと、あのオジイチャンは、まったく適正が無かったのだろう)。
「フィ〜!」
さらに、「護身術」や「戦いの心得」などなど。
「いい汗かいた!」
勉強の合間の運動は、良い息抜きにもなったけど…僕たち二人の本業は勉学。
(なんたって・これは、「秋期集中ゼミ」なのだ)。
『欲しがりません・合格するまでは!』
当然、学業が本分。
(ここのところ、事件や出来事の連続だったし…僕の学力は、超低空飛行を続けていた)。
そんな訳で、家事的な事柄は、ケーコさんと和男さんが、役目をこなしてくれていた。ただ予想に反して…
(でも案外、思っていた通り?)。
「メシの時間だぞ!」
食事の準備などは、和男さんがメイン・シェフ。
(もっとも、テレビの料理番組に登場する「料理家」には、女性も多いけど…有名とまではいかなくても、それを生業としている「料理人」は男性ばかり。「世の中そんなモン」なんだろう)。
片や…
「食料を調達する時に、手紙くらいなら、出してきてあげるわよ」
ボートを使っての輸送業務などが、ケーコさんの主な仕事。
(それにしても…「拝啓・前略・中略・後略・敬具」。手紙なんて…小学校の国語の授業以来?…書いたことなんて無いから、「拝啓って何?」「敬具って、どういうこと?」。そんな感じだ。まあメール世代の方が、ある意味、よっぽど「筆まめ」ではあるだろう。もちろん、電波の届かないここでは、スマホなんて持っていても、何の役にも立たないけど)。
しかし僕って、意外と強心臓なのだろうか?
『なんだか、とっても充実してる!』
オッちゃんがいて…
青い空と海があって…
勉強にも・訓練にも、身が入る。
『それとも案外、ただノン気なだけ?』
大都会にいた、夏の終わりの数々の出来事は、あまりに非現実的すぎて、かえって現実感が無い。「遠い昔」と言うより…
『本当にあった事なの?』
日が経つにつれ、アッと言う間に記憶が薄れて行き…
『もう、帰りたくないよ』
そんな満足した・平和な毎日を送っていたのだけど…
「どうしたの?」
オッちゃんは、ここのところ元気がない。
「ううん、なんでもない」
そうは言っていたけど…
「ホーム・シックなんじゃない?」
ケーコさんが、忠告してくれる。
「なんとかしてあげなさい。あなたの任務よ」
同じテントに寝泊まりしている女同士。ケーコさんも、気になっていたみたいだけど…
『任務って…そんな事務的な』
でも・たしかに、僕の役割だ。
『う〜ん』
僕は、アタマをひねった。そして達した結論は…
『息抜きには、自分の好きなことをするのが一番だよ』
よくある、「無人島に持っていく物」の問い。ふたつ許してもらえるなら、僕は迷わず「本とジョギング・シューズ」だ。
(逆に・かさばらないように、あえてブ厚い本二冊と…クロス・カントリー用のシューズを、新調してきた)。
そんな僕の島内探検に、いつも付き合ってくれていたオッちゃん。僕はいいけど、オッちゃんの方は、どうだったんだろう?
『そうだ!』
ヒラメいた!
「なんとかしてあげなさいって言うんなら、なんとかして下さいよ」
僕はケーコさんに、そう無理を言ってお願いする。
(それでケーコさんは、大きな船が着いた本島まで行って、手配してくれたのだ)。
『ヨシ! 今がチャンス!』
夕暮れどきの浜辺で、ひとりポツンと膝を抱えて海を見ていたオッちゃんに、ソッと後ろから近づいた僕は、両手にしていた物で…「ポンッ」と、オッちゃんの後頭部を小突く。
「イタッ!」
小さな悲鳴を上げて振り向いたオッちゃんに…
「バスケ教えてよ」
僕は、バスケット・ボールを示す。
「やったな〜!」
ボールを目にしたオッちゃんは、お尻の砂を払いながら立ち上がる。
「ファウル! ファウル!」
怒鳴る僕。
「そんなの反則よ!」
叫ぶオッちゃん。
『キャッチ・ボールが親子の絆』なら、『バスケット・ボールは恋人たちの証』…「?」。
まあ砂浜じゃ、ドリブルなんてできないから、パスしたボールの「ボール取りゲーム」みたいなもんだったけど…
「ウワッ!」
球技の苦手な僕は、オッちゃんのディフェンスに遭い、砂に足を取られて倒れ込む。
「キャッ!」
そこに絡み合ったオッちゃんが、のしかかってくる。
「ハア・ハア・ハア…」
息を切らして・砂にまみれた僕たちは、二人並んで「大の字」になって、オレンジ色に染まった空をあおぐ。
「こんなに長いこと、家族と離れていたことなんて、なかったから…」
左に寝そべったオッちゃんには、おばあちゃんに・両親と弟がいる。
(同居していたおじいちゃんは、高校生の時に亡くなったそうだ)。
「でも・こんなんじゃ、海外になんて出て行けないよね」
満足そうに、そう語る。
『少しは気が晴れてくれたかな?』
それに…
『?』
遠くで和男さんとケーコさんが、こちらを見ている事に、僕は気づいていたけど…
「オッちゃん! オッちゃん!」
その深夜。僕が女性用天幕に、外からソッと声をかけると…
「なに?」
間を置いて、オッちゃんが顔を出す。
「チョット・チョット」
僕は少し前に、ケーコさんが、テントを抜け出す気配に気づいていた。
「コッチ・コッチ」
今夜は、和男さんが夜警の番の晩だった。コソコソと、浜辺が見える藪の所までくると…
「いた・いた」
月あかりに照らされた波打ちぎわ。そこに、寄り添うように、並んで座る二つの影。
「やってる・やってる」
「のぞき見」なんて、趣味が悪いけど…むこうの二人の「成り行き」を見届けるのだって、僕の大切な「任務」だ。
「イイ感じみたいだね。ま、だいじょぶそうだから、かえろ…」
と言いながら、僕が引き返そうとすると…左側にいたオッちゃんが、僕の左腕をグイと引っ張る。
『?』
ふたたび浜の方に目をむけると…
『!』
見つめ合う二つの影が接近し、やがて…重なり合うシルエット。
『?』
その時、僕の左腕をつかんだままになっていたオッちゃんの手に、力が入る。左を向けば…ジッと、こちらを見上げるオッちゃん。
『ゴクリ!』
『ゼノンの逆説』というのを、聞いたことがある。二点間の距離を半分に縮めて・さらに半分にして・また半分にして…と繰り返していくので、けっきょく目的地には、永遠に辿り着けないというものだけど…
(このパラドックスは、間違っている事が証明されているらしい)。
『もうひと息』
いっそ飛び越えちゃえば…でも、そのときオッちゃんは、フイに顔を伏せる。
「まだ…合格するまでは…まだ」
そう言って、身を退く。
「そ・そうだね」
でも、オッちゃんの・その言葉を聞いた僕は…もう「目の前にニンジンをブラ下げられたロバ」状態。
『合格するまでは…という事は、合格した暁には?』
鼻息の荒くなった僕は、俄然ヤル気が出てきたのだけど…
※ ※
「風が出てきたな」
空一面、灰色の雲でおおわれた翌朝。朝メシの準備をしていた和男さんがつぶやくと…
「バタ・バタ・バタ…」
タープが、はためき始めた。台風が近づいているみたいだ。
「七時のニュースです」
僕の背後にある・衛星放送を受信できるタブレットからは、天気予報に続いて、定時のニュースが始まる。普段は・まったくテレビを見ない僕なので、画面に背を向けていたのだけれど…
「今朝方・未明、○○県✕✕市の民家から出火した火災は、現在も延焼中で…」
男性アナウンサーの、そんな乾いた声が、耳に入る。
『…○○県✕✕市?』
振り返ると…激しい炎と・大量の黒煙を上げ、二階建ての民家が燃え上がる映像が映っている。
『?』
ジッと目を凝らす。
「この家に暮らす三人の安否は、今のところ、わかっていません」
アナウンサーは淡々とした口調で、そう続けている。
「…」
三人は、楽しそうに食事を続けているけど…
「次のニュースです」
画面が切り替わったところで、振り返りながら僕は…
「今のは…僕の家だ」
ほとんど無意識状態で、そう口に出すと…
「エッ?」
一同唖然!
「ピピピピッ! ピピピピッ…」
即座に、迷彩色に塗られた箱型の無線機の、エマージェンシー・コールが鳴る。
「はい! こちら『無人島』!」
和男さんが、呼出符号を告げて応答に出ると…
「衛星放送で、ニュースを見てくれ!」
スピーカーから教授の声で、そう言ってるのが聞こえてくる。
「ちょうど見てました」
和男さんは、そう応えているけど…
『実家が火事で全焼?』
まさか、こんな事になるなんて…
「クラッ…」
眼は見開いているけど、なんにも見ていない。
「キ〜ン」
みんなは何か話しかけてくるけど、なんにも聴こえない。
「グラッ!」
気を失いそうだ。
「ドスン!」
力が抜けて、チェアーに座っている事もできない僕は、後ろに倒れ込むように、砂の上にヘタリ込む。
「ハア…」
息が止まりそう…いや・さっきから、呼吸するのを忘れていたみたいだ。
「グワ〜ン」
目が回って、倒れそうだ。後ろ手に、両手を砂の上に突いて、身体を支える。
「大丈夫?」
後ろから、オッちゃんが支えてくれるけど…
『自分のカラダが、こんな状態になるなんて』
今まで無かった。きっと・こんな精神的極限状態なんて、戦争や災害・事故や遭難など、マジで自分の生命の危機に直面した時でもなければ、経験できないんだろう。
(ゾンビどもと遭遇した時は、あまりに突然の出来事に無我夢中で、「恐怖」すら感じているヒマが無かっただけだし…即座に、助けの手が入った。それに今回は…遠く距離を隔てた・この状況では、何もする事ができない)。
『おとうさんや、おかあさんや…弟は?』
どうして、こんな目に遭わなきゃいけないんだよ?
「即刻きょうの船をとるから、至急・撤収してくれ。そこも危ないかもしれない」
教授の声が叫んでいる。
「了解しました!」
通信を終えた和男さんは…
「即時・撤退だ」
ケーコさんに声をかける。
「わかったわ」
ケーコさんは、僕の両肩をつかんで…
「しっかりして! 退却よ」
そう言いながら、僕の肩をゆする。
「はい…」
僕は力無く返答し、オッちゃんに支えられながら立ち上がる。
「急げ!」
「非常呼集」が掛かった時の、こういった人たちの動きは早い。
(普段から、訓練や実戦で慣れているからだろう)。
でも確かに、こうなったら、行動は早い方が良い。何しろ今日の船を逃したら、島を出るのは三日後になってしまう。
(向こうの港に着くまでだって、丸一日かかる。この航路を運航している船は一隻しかないから、帰ってこなくては乗船できない。つまり、三日に一便になるのは、当然の道理だ)。
何としても、きょうの午前中に出航する船に乗らなくてはならない。
「気をつけてな」
そう言う先生に、和男さんは…
「先生も、お気をつけて」
そう返す。
「先生は行かないんですか?』
オッちゃんは、そう問うけど…
「ワシは、ここに残らなくてはならん」
それで後の事は先生に託し、僕たちは武器と必要最低限の物だけを手にする。
「ご無事を祈ります」
和男さんが最後にそう言い残して…後片づけももどかしく…僕たちは、島を出たけど…
『…』
僕はボ〜ッと、海と空しか見えない窓から、外に目をむけていた。
(帰りの便は、窓のある・個室の特等客室だった)。
『アタマん中が真っ白っていうのは、こういう事なんだな』
頭の中はカラッポで、目には何も映ってはいなかった。
(船室はきっと、「お通夜」みたいな空気だったことだろう)。
「今のところは、異常なさそうだな」
懐に拳銃を忍ばせた和男さんが、戻ってくると…
「ハラが減っては、戦ができぬ。まあメシでも食え」
ちょうど昼食どき。
「戦闘の時は、食える時に食っとかなきゃいかん」
そう言って、パンなどの食料を広げる。
「黙っていたら、ヤラレるだけよ」
ケーコさんは、食事をしながら、そう忠告してくれたけど…
「わかってます」
僕は、そう応えて立ち上がり…
「少し、ほっといてください」
ベッドの上に、あおむけになる。
「ふう」
お腹が一杯になると、少し冷静になって、考える余裕が出てきたけど…
『いなくなればいいのに』
そんな考えも、本心からじゃなかった。
『何だ・かんだ言っても、親に守られていたワケだ』
思い出してみれば僕は、両親から、「親にむかって」とか「産んでやった」「育ててやった」なんて言われた事は、一度もなかった。
『きっと僕は、望まれて生まれてきた子供なんだ』
そんな事に気づくと、一気に感情が昂ぶって、胸の奥底からこみ上げてくるものがあふれ出て…
「ヒック! ヒック! ヒック!」
息が詰まった。
『なのに、親孝行のひとつもできなくて…』
流れる涙が止まらない。
『僕たちには、何の落ち度も・非も無いのに』
突然、理不尽に訪れた災難や不幸。
『ちっくしょう!』
フトンをかぶって、横をむくけど…
「間一髪だったな」
そんな和男さんの声で、フッと目が覚める。
『アレ?』
どうやら僕は、泣き疲れて、いつの間にか、浅い眠りに落ちていたようだ。
『夢ならいいのに…』
誰だって、何か失敗した時には…
『何で、自分は自分なの?』
そう思うものだろうけど…
「読者や視聴者を、バカにするな!」
僕は、ストーリー的には破綻している「夢落ち」や「タイム・ループ」モノが、大嫌いだった。
『?』
近づく台風のせいで、海もだいぶ荒れてきたようだけど…ずいぶん慣れたみたいで、「船酔い」の気配も無い。でも…
『と、いうことは』
つまるところ…
『やっぱり、これが…』
「現実」のようだ。おまけに…
「本日・正午ごろ、南・海上1000キロにある✕✕島で、爆発があったことが確認され…」
三人は、テレビの前のソファに腰掛けて、夕方のニュースを見ているところだった。
「火山噴火のおそれもあるため、ただいま調査中とのことです」
時計の針は、夕方の「6時」を回ったところだ。
「山ひとつブッ飛ばすくらいの火薬、残ってたんでしょ」
しんみりとした雰囲気で勢揃いしていた三人が、一斉にこちらに目をむける。
「この島の、管理人みたいなものだよ」
最初に「先生」に面会した後で、和男さんが口にした言葉が思い出される。つまり…
「ここの武器を、奴らに渡すわけにはいかない」
先生は…
『たぶん…覚悟の自決』
(これで先生の正体は不明のまま、永遠の謎になってしまったのだろうか?)。
僕は目が覚めた。
『自分の事だけで、メソメソなんてしてらんない!』
今は、そんな状況なんだ。
「そろそろこの船も、マズイんじゃない?」
ケーコさんは、腰の後ろに差した自動拳銃を取り出し…
「ジャキン!」
銃身をスライドさせて、弾を装填する。
「ああ、みんな用心しろよ」
和男さんは、ベッドの下に押し込んであったバッグを引っ張り出しながら…
「部屋から出るんじゃない」
そう言って、自動小銃を組み立てはじめる。僕もオッちゃんの隣りに行き、一緒に「ナンブ」を取り出し…僕は・ななめ下向きに引き抜けるホルスターを左胸に、オッちゃんは・真横に引き出せるガン・ベルトで左腰に、それぞれの銃の安全装置を解除して差す。
『?』
と、その時…
「グラッ!」
船が大きく揺れる。
「ヘンな動きしてるな」
和男さんは、あたりを見回す。なんだかフラフラと、波をかぶるような軌跡を描いている。
「ちょっと見てくるか」
一日分くらいの食糧はあったけど…誰が操舵しているのかわからないような船に、黙って乗っているわけにはいかない。
「僕も行きます!」
そう言うと和男さんは、一瞬とまどった表情を見せるけど、僕の目を見てから…
「ヨシ!」
銃身の短い近接戦闘用のマシン・ガンを、手渡してくれる。
「キイッ…」
和男さんがドアを開けて、船内の様子を探るけど…
『?』
妙に静かだ。
「ギシ…ギシ」
乗船した時の喧騒は・すっかり消えて、船が揺れる音しか聴こえない。
「ゴクリ!」
僕たちは、目元の高さに銃を構えて、部屋を出る。
「…」
和男さんに着いて廊下を進み、吹き抜けのホールに出るが…
『?』
人っこ一人、誰の姿も見えない。
「ヤバイな。戻ろう」
和男さんが、そう言った瞬間だった。
「ボンッ!」
船尾の方から、激しい爆発音が響き、続いてまっ黒い煙りが吹き出してきた。
「マズイッ!」
和男さんに従って、引き返そうと振り返るが…
「ゲッ!」
爆発を合図にしたかのように…通路には、あふれんばかりの「あいつら」の群れ!
『ゾクッ!』
初めて明るい所で目にする、奴らの不気味な姿。どいつも・こいつも、背中を丸めて・かがむような姿勢になって…ゴリラの「ナックル・ウォーク」みたいに、両の手の甲を地面に着いて…迫ってくる。
『もう、かまっちゃらんないよ!』
まだ成りたてのゾンビなので、腐敗は始まっていなかったけど…
「うわ〜!!!」
それを目前にした僕は、たぶん「恐怖心」を打ち消すために、大声で叫びながら…
「バババババン!」
力を込めて引き金を引き、闇雲に撃ちまくった。
ブシュ!
ビチャ!
バチャ!
飛び散る肉片や肉塊。
「ハア! ハア!」
一気に弾倉一本ぶんを、すべて撃ちつくす。すると和男さんが…
「貸せ!」
握った指が固まって・銃が離せない僕から、はぎ取るようにガンを取り上げ…
「ほら!」
自分が持っていたマシン・ガンを握らせてくれる。そしてマガジンを差し替えた和男さん。でも…
「チッ!」
四方から・このホール目がけて、ゾンビの群れがゾロゾロとやって来る。
「後ろを頼む!」
僕にむかって、そう叫んだ和男さん。
「ズバババババ…」
和男さんが切り開いてくれた道を、さっきまで人間であったろう物体を踏み越えて進み…
「開けてくれっ!」
やっとの思いで、通路の右の並びの・部屋の前までたどり着く。
(ドアの前にも、物体が散乱していたけど…宿泊施設というものは、廊下の通行人と接触しないようにだろう、どこも・たいてい内開き)。
「入って!」
銃を手にしたケーコさんが顔を出し…
「入れ!」
前方の敵どもを撃ち倒していた和男さんが叫ぶけど…
『?』
後方から一体。髪を振り乱した・太った男のゾンビが迫ってくる。
『コイツを討ち取らなくちゃ』
部屋に飛び込まれる。でも…
「カチン!」
え?
『タマ切れ?』
ドアの正面で、ソイツにマシン・ガンを投げつけた僕は、とっさに左胸に手を伸ばし、「ナンブ」 を抜こうとするけど…
『?』
踵に死人の死体を引っかけて、あおむけに・のけぞる。
『しまった!』
つかみかかろうと・両手を伸ばした巨漢の男が、目前に迫る。
『もうダメだ!』
僕が、そう覚悟した刹那…
「パ〜ン!」
そんな響きと共に動きを止めた漢は…右の側頭部に弾痕を残し…膝を折って倒れ込む。
『オッちゃん…』
立ち上がって見れば…僕を引っ張り込もうとしていたケーコさんの右肩越しに、両手で「ベビー・ナンブ」を構えたオッちゃんの姿。
『…?』
硝煙の臭いが漂ってくる。
「いいわよ!」
ケーコさんの呼びかけで…最後に和男さんが中に滑り込んで、ロックを掛ける。
(ゾンビ化したからといって、この扉を打ち破ることはできないだろう)。
「大丈夫だった?」
オッちゃんが拳銃を投げ出して、走り寄ってくる。
「ハア! ハア…うん、だいじょぶ」
僕は息を切らしながら返事する。
「それより…ナイス・ショット! アリガト」
「ホッとした」という表情を見せるオッちゃんを見つめて、お礼を述べるけど…
「何があったの?」
ケーコさんの問いには、和男さんが答える。
「機関室をヤラれたみたいだな」
動きを止めた船体は、波に翻弄されるままに漂いだした。
(オッちゃんと、感動や感激にひたっているヒマは無さそうだ)。
「それに…たぶん、火も着いただろう」
それを聞いたケーコさんは…
「グズグズしてられないわね」
そう言いながら、やはりベッドの下から、何かを引き出してくる。
『船舶火災?』
チョット想像して欲しい。フツーは「大空や大海原」と言えば、広々とした自由な空間を思い浮かべるかもしれないけど…たとえば、航空機や艦船などの「閉鎖空間」…ようするに、戦闘中の、戦闘機や爆撃機・戦艦や潜水艦。陸上戦とちがい、飛行機や船から一歩外に出れば、何も無い空や海といった空間が、えんえんと続いている状況。人間が生存できる場所は、実はほんのわずか。その限られたスペースに…今まさに…火が迫ってきている!
(どうだろう? 僕の言わんとしている事が、わかってくれただろうか?)。
「どうするんですか?」
僕のそんな質問に答えて和男さんは…
「こういう時のために、窓のある部屋を取ったのさ」
「バババババン!」
窓ガラスにむけて発砲する。
「ガシャ・ガッシャ〜ン!」
ガラスが砕け散ると、銃床で、残ったガラス片をたたき落としながら…
「飛び込め!」
そう叫ぶ。
『って言ったって…』
客船・上部の窓からでは、かなりの落差だ。おまけに海は、台風の波で荒れ狂っている。
(まあ真っ暗だったので、高さや波は見えなかったけど…こんな闇の中に飛び込むなんて、何だか・とっても気が退ける)。
「二人とも、よく聞いて!」
両手で抱えるほどのビニール袋みたいな物をかついで、僕とオッちゃんの所にやってきたケーコさん。
「いい。これから救命ボートを落とすわ」
ワン・タッチで開く物だろう。
「海は荒れているから、無理に泳いで、体力を使わないで」
ケーコさんは、靴を脱ぎながら・そう言って…
「あなたたちは、浮いていてくれればいいから」
僕たちに、救命胴衣を渡してくれる。
「わたしたちで回収するから」
そう言い終わると、抱えていた物を投げ落とす。
『回収って…そんな粗大ゴミみたいな』
そして・すかさずケーコさんが、まず手本を見せるかのように、飛び出して行く。続いて…
『オッちゃんと僕?』
でも、ためらっている僕に気づき…
「早く!」
僕の右手を引く。
(いざ・こんな状況になると、あんがい女性の方が、思い切りが良いのだろう)。
「グズグズするな! サッサと行け! ハグレちまうだろ!」
いつもはオチャラケた感じの人がマジになっている姿って、妙に迫力がある。それに…
『ゾンビになるくらいなら、いっそ溺れ死んだ方がマシ』
そう思って僕は、オッちゃんと一緒に、闇の中に踏み出す。
「ザップ〜ン!」
幼い頃から「スイミング・スクール」に通わされていた僕なので、人並み程度には泳げたけど…
「ウップ! ウオップ!」
荒れた海にかき回されて、アップ・アップ!
『オッちゃん!』
僕は、離ればなれになってしまったオッちゃんに、近づこうとしたけど…寄せる波で、「船体にぶつかるんじゃないか」という勢いで押されては、返す波で散りぢりに。
『チックショ〜!』
オッちゃんから等間隔で、離れないようにしているだけで精一杯だったけど…
『?』
燃え上がった船の炎に照らされて、ふくらんだ救命ボートが見える。
「オッちゃん、あそこだ!」
そう叫んで、そちらを目指すけど…渦巻く潮流にはばまれて、なかなか近づけない。その時…
「ドボン!」
ボートに乗っていたケーコさんが、腰に命綱のような物を巻きつけて、海に飛び込むのが見えた。
「つかまって!」
まずは、近くにいたオッちゃんから。
『ヨシ!』
ケーコさんに抱きかかえられるようにして、ボートに乗り込んだ姿を見届けた・その時…
「来い!」
後ろから、グイと首スジをつかまれる。
『?』
潮の流れを上手く読んだのだろう、和男さんだ。
『サスガ!』
ボートに近づくと、ケーコさんが、先端に・小さな浮き輪のような物が付いたロープを投げてくれる。
「つかまれ!」
僕はロープをたぐりながら、やっとの思いでたどり着き…オッちゃんとケーコさんの手も借りて、はい上がる。
「ゼエ・ゼエ…」
乗り移ったのは、ドーム型のゴム・ボート。その中で、まんじりともせずに一夜を明かす事になるけど…
『ひっくり返るんじゃないの?』
和男さんとケーコさんは、平然としていたけど…オッちゃんと、お互いの身体を支えあっていた僕は、不安のままに・一睡もできずに、朝をむかえたものの…
『「海は広いな・大きいな」なんて、誰が言ったんだ?』
なにしろ、大きなうねりの中では、うねりの頂上に持ち上げられた時くらいしか、遠くを見通せない。
(それだって、下りはじめるまでの一瞬のこと。気が気じゃなくて、「船酔い」しているヒマも無かったのは、幸いだけど)。
それから、台風が残したウネリに揺られて、ほぼ一昼夜。
「ふう〜!」
やがて「台風一過」。海は凪いできたけど…今度は、島影ひとつ見えない、広大な空間。空があって・雲があって…足下には、膨大な量の水があるだけ。
『なんだか・とっても…心細い』
だだっ広い・海原や砂漠のドまん中に、ポツンと一人、置き去りにされたら…
『「空間恐怖症」っていうのは、こういう事なんだな』
一人きりだったら・きっと、一日だって耐えられなかったかもしれないけど…オッちゃんがいて、ケーコさんがいて、そして和男さんがいる。
『それに…』
黒色迷彩のゴム・ボートだけど、屋根付き。雨・風や、直射日光も防いでくれるし…
「節約すれば、三日はもつ」
わずかばかりだけど、非常食も完備している。
『でも…発見してもらえるんだろうか?』
僕の左肩にもたれるオッちゃんも、疲れ切っているようだ。
「潜水艦の潜望鏡だって発見できる、高性能探知機がある現代だ」
和男さんは、そう言って元気づけてくれるけど…
(救難信号用の信号発信機もあったのだけど…ふつうの海難事故とは、状況が違う。電波なんて発信したら、逆に、敵に居所を悟られてしまうかもしれないので…それは「最後の手段」)。
『大丈夫なのかな?』
不安はぬぐえなかったものの…
『こんな状況でジタバタしても、仕方ないよ』
和男さんの言葉を信じて、体力温存。
『オッちゃんの寝顔でも眺めながら…』
と、腹をきめて、ジッと待つことにする。やがて…
『ん?』
四人揃って、ウトウトしている時だった。
(こんな状況下では、「体力を浪費しないようにすること」が、『極意』なんだそうだ)。
「ブロロロロ…」
奥にいた僕の後方から、プロペラ機の羽音が迫ってくる。
『!』
いそいで顔を出すと…機体の上に・大きなお皿のような円盤型のレーダー・ドームを載せた哨戒機が、頭上をかすめる。
「お〜い!」
僕が大きく手を振ると、二〜三度・上空を旋回してから、北の方に飛び去った。
『助かった!』
それから、待つ事しばし。
「そろそろだな」
和男さんの・その言葉に、救難ヘリが来るものだとばかり思っていた僕は、空ばかりを眺めていたのだけど…
『え?』
海面が、大きく盛り上がる。
『クジラ?』
次の瞬間。
『!』
頭から飛び出すように、水中から巨大な物体が顔を出す。
「ザッパ〜ン!」
僕の意に反して、大きな水飛沫を上げて現われたのは…海底から浮上した潜水艦だった。
2・What’s next?
浮上してきた潜水艦に、無事に収容された僕たち。
『せ・狭い!』
全員が、円くて・肩がつかえるくらい狭いハッチから、梯子を伝って艦内に降り立つと…
「ゴゴゴゴゴ…」
さっそく潜航を開始したようだ。そして…
「ようこそ」
出迎えてくれたのは、この船の艦長さん。
(名前は「匿名」らしい)。
「大変だったみたいですね。まあチョット狭いけど、このフネにいる間は、くつろいでいって下さい」
丁寧に、そう言ってくれるけど…
「おや?」
殿に控える和男さんに気づくと艦長は…
(ナゼか僕たちは、先頭に僕。続いてオッちゃん・ケーコさん・和男さんという、中に入った順番で、縦一列に並んでいた。まあ狭い通路なので、いたし方ない)。
「よお! ナンバー・ワン! ひさしぶりだな、こんな所で」
そう声を掛ける。どうやら二人は、知り合いらしい。でも…
『ナンバー・ワン?』
何それ?
「やめてくださいよ、艦長。自分はもう、そちらの人間じゃないんですから」
そう謙遜するが、あらためて背筋を正しながら…
「一等海佐! お久しぶりです!」
そう言って、キャプテンにむかって海軍式の敬礼をする。
(陸上と違って、空間の限られた艦内。横幅を取らないように、肩ヒジを張らないんだそうだ)。
『一等海佐?』
戦いが無くなって、平和な世の中になった戦後の日本。こういった組織では、戦時中を彷彿させる表現を嫌って、階級を示す官職名などに、あえて軍隊式の呼称を使わないのだけど…「一等海佐」とは、「海軍大佐」相当だ。
(一般企業にたとえるなら、部長クラスにでもなるのだろうか? とにかく上級役職者だ)。
「貴様だって、あのまま続けていたら、今ごろは一等海佐だったろう」
そう言う艦長さんは、満面の笑みを浮かべているけど…
『貴様?…ケンカ売ってるの?』
(じつのところ「貴様」とは、近世の頃は敬称で…戦時中には、『貴様と俺は』なんて軍歌があったように、同期の人間を呼ぶ時などに使われていたらしい。「ののしる」ときの用語になったのは、それ以降の事だ)。
まあ、それはいいとして…
『と言うことは…和男さんは、二等海佐だったの?』
つまり…元「中佐」?
『ジェームス・ボンドみたいだ』
いまだに続編が制作され続けている「〇〇セブン」シリーズ。
(残念ながら…少なくとも・今のところ、黄色人種が「ボンド」役になるのは、『日本国皇帝』の座に就くこと以上に難しいけど)。
「イアン・フレミング」氏・原作の、架空の主人公「007」が所属するのは、実在する組織「MI6」。
(「MI」とは「ミリタリー・インテリジェンス」の略。「軍情報部」のことで、「セクション5」は国内防諜、「6」は対外諜報担当だ)。
つまり、ボンドは軍人。階級は…作品によって、多少の違いはあるようだけど…「中佐」。
『和男さんって、もしかして…』
そこで僕は、ピ〜ンときた。
『スパイか何か? 諜報機関の諜報部員なんじゃない?』
そんな想像を廻らしていると…
(たしかに僕は…物心がついた幼い頃から、大いに「妄想癖」があるみたいだ)。
「実は特殊部隊が一個…」
艦長はそこで、(僕たちの存在も忘れて)思わず・そこまで喋ってしまうが…
「ちょっと失礼」
「ハッ」と気づいて、和男さんを引き連れて奥に向かう。
「え! 全滅! ほんとうですか?」
和男さんは、声を荒げる。
「シッ!」
キャプテンは、「トーンを下げるように」という仕草をして、こちらの様子をうかがいながら…何やら深刻そうに、話を続けている。
「どうぞ、こちらへ」
と・そこで、残された僕たちは、別の隊員さんに案内されて、艦首寄りの船室に通される。
「士官用の部屋みたいね」
中に入るなり、ケーコさんがそう言う。両側に、二段ベッドのある部屋だ。
(ケーコさんは、右列の下段の端に腰を降ろす)。
「狭いんですね」
まん中の通路なんて、身体を横にして、やっとスレ違えるほどだ。
(僕とオッちゃんは、並んで・その対面に座る。もちろん彼女が、僕の左側にくるように)。
「スペースの限られた潜水艦だから、仕方ないわ。個室なんて、艦長くらいのものよ」
『へえ〜!』
「下っ端なんて、お蚕みたいな三段ベッドの一つを、二人で使ったりするそうよ、交代勤務だから」
またまた『へえ〜』。
「ま、到着までに一日もかからないでしょうから、ガマンなさい」
別に、そういう意味じゃなかったんだけど…
「これも任務ですから」
僕が、そうオチャラけると…
「あら? 元気が出てきたみたいじゃない」
そう言いながら、両手を後ろに突いて反り返り、少しくつろいだ様子を見せる。
「でも潜水艦って、静かなんですね。映画みたいに、ピコーンって音がするのかと思っていたけど」
僕が、あたりを見回しながら・そんな第一印象を述べると、ケーコさんは…
「ああ、音響探査装置のことね。あれは音波を発信して、相手の位置を探るものよ」
さらに続けて、くわしく解説してくれる。
「レーダーもそうだけど、探知機にはアクティブ・タイプ…つまり、能動的に音波や電波をだして探査するものと、パッシブ・タイプと言って、相手が出す音や電波をキャッチする、受動式があるの」
『ふう〜ん』
水中では電波が届かないから、「魚群探知機」みたいに、超音波を発信する水中音響機器を使い、反射が戻ってくる時間から距離・方向から方位を割り出すんだそうだ。
『な〜るほど!』
おもわず頷く。
「でも、やたらとあんなモノ出し続けたら、コッチの存在もバレちゃうわよ」
「ピコーン!」なんて音波をだすのは、魚雷を発射する寸前に、敵の位置を特定する時だけくらいのものらしい。
「作戦や戦闘がはじまったら、私語も厳禁よ。機密事項が多すぎて、わたしも全部は知らないけど…おそらく音や振動を消す技術は、人類最先端でしょうね」
そう教えてくれる。
『へ〜!』
僕には世の中、まだまだ知らない事がいっぱいだ。ついでに…
「ところで、『ナンバー・ワン』って、どういう意味なんですか?」
もうひとつ、訊いてみる。
「海軍用語で、軍艦の副官のことよ」
『?』
海軍? 副官?
「和男さんって、陸自じゃなかったんですか?」
僕の予想は、ハズレたみたいだ。
「実は、わたしも良く知らないの」
『?』
「イスラエルの有名な諜報機関『モサド』なんかも、エージェント同士の横のつながりは、ほとんど無いらしいわ」
『どうして?』
「捕まった時に、余計な情報が漏れないようによ。たとえ『自白剤』を使ったって、知らない事は言えないでしょ」
『なるヘソ!』
催眠術をかけられて、外国人になったつもりになったからといって、外国語がしゃべれるわけじゃないらしい。
(まあ、もっともな話だ)。
「でも、クロス・ドメイン化…つまり「領域横断政策」が、進んでるからね。予算も厳しいし…どっちみち少子・高齢化が進行して、もう何十年も定員割れしてるしね」
「陸上自衛隊」は元もと、『太平洋戦争』終結後に勃発した『朝鮮戦争』で、米国の日本占領政策や・治安維持が手薄にならないよう、『警察予備隊』の名で創設された警察機構だ。
(その後の『米ソ冷戦』体制下、特に、北方防備に力が入れられていた)。
「日本軍」に、独立した空軍は無かったので、「航空自衛隊」は独自に立ち上げられたもので…
(『第二次世界大戦』の頃から「空軍」種のあったイギリスやドイツと同様、国土の狭い日本。「敵の上陸を、未然に防ぐ事こそ大切」との、もっともな意見もある)。
そして「海上自衛隊」は…はじめは、「機雷」除去などの掃海任務や、沿岸警備隊的なものだったけど…アメリカ合衆国の強い後押しもあり、旧「日本海軍」の血を受け継いだ。
(当時の「対ソ連」、後の「対中国」という事情がある)。
特に、ソビエト連邦が『鉄のカーテン』と呼ばれた時代の頃から…米国の強い要望もあって…「潜水艦戦闘」戦術を磨いてきたニッポン。その対潜技術は、本家の米軍も舌を巻くほどらしい。でも…
「そのうち、三軍統合されるんじゃない」
それが、ケーコさんさんの予測みたいだ。
(たとえば…『大東亜戦争』当時。「日本軍」と一言で言っても、「陸軍」と「海軍」は、かならずしも一致団結していたわけではないそうだ。戦後の自衛隊も…もともと出自からして違うのだから…「予算の取り合い」などがあったみたいだ。現在は入隊以来、「働き方改革」じゃないけど、意識を変えるような新人教育を施し…長い年月をかけて…変革に取り組んでいるようだ)。
「和男さんって、出身はどこなんです?」
訊いても無駄かもしれないけど…
「北海道に、お姉さんがいたみたいな話は聞いたことがあるけど…天下泰平になったから、軍人やめて、漁師でもしてたんじゃない」
そこで、「先生」の言葉を思い出す。
「和男さんのこと、『さぶ』って呼んでましたけど…」
副官の「サブ・リーダー」か何かの意味?
「潜水艦の『サブマリン』を略して『サブ』って呼んだりするけど…それかしらね?」
そして…
「ケーコさんは、わっく…」
僕が、そう付け足すと…
「あら? 記憶力いいのね。なのに…どうして大学受からないのかしら?」
そう皮肉を言ってきたので…
「どうでもいいコトは、すぐ憶えちゃうんです」
皮肉で返してやったのだけど…
「あら、言うわね。でも、そんなふうに切り返してくるなんて…口は重いけど、頭の回転は速いみたいね」
でも、向こうの方が、一枚上手みたいだ。
「なのに、もったいないわ〜」
そんな感じで、本題の方は、見事にはぐらかされた。そこに…
「でも、何で潜水艦なんですか? 飛行機やヘリコプターの方が、速いんじゃないですか?」
オッちゃんが、割り込んでくる。きっと家族の事が心配なのだろう。早く家に帰りたいようだ。
「相手の目をくらますためじゃない」
飛行機も船も、自動応答機を搭載し、衛星を使った運行システムで管理された現代。実のところ現在の軍事レベルは、最新のレーダーを使えば、潜水艦の潜望鏡を探知できるほどだし、何百キロ先を飛ぶ極超音速ミサイルだって捕捉可能だ。
(捜索に少々時間がかかったのは、大きく航路をはずれていたかららしいけど…何十年か前。僕らが遭難したあたりで、海底火山の大噴火があった時。北方の関東・東海沿岸に、軽石などが漂着すると予想されたのに…それを大きく覆して、南西の沖縄方面に、大量の漂着物が流れ着いたらしい。まあ・それでも、発見してくれたのは確かだ)。
救命ボートをキャッチするくらい、わけのない事なのだろうけど…
(もしかしたら、今では日本でも保有・運用している、軍用の「情報・監視・偵察」衛星を使ったのかもしれない)。
でも、そのレーダーでも探知できない潜水艦。
(おまけに、目的地も告げられずに出航して、「水中に潜航してから命令書を開く」と言われてるくらいだ。それに、海中は電波が届かないから、次に浮上して定時連絡をするまでは、完全な孤立状態。しかも今の潜水艦は…正確なところは公表されていないけど…「原子力なら半永久」、通常動力型でも、最低3週間くらいは、平気で潜ったままだ)。
「わたしたちが…いえ、あなたたちが、どこにいるか…隠すのには最適でしょ」
なるほど、秘匿性が高い潜水艦は、秘密を作るのにも最適に違いない。
「でも今さら、わたしたちが隠れてる必要なんて、あるんですか?」
オッちゃんは、苦言を呈する。
『たしかに、そうだ』
でも…
「何か…目的があるんじゃない」
ケーコさんは、少し考えてから、そう返答してきた。
『まだ何か、秘密があるの?』
そうは思ったものの、とりあえず・まずは…
「だいたい僕たちは、どこに向かってるんですか?」
その事に関しては、何も告げられていなかった。
「さあ…着けばわかるんじゃない」
『なに、それ?』
でも、機密保持段階が、現代の最高位にあるサブマリン。
『まあ、こんなことでもなけりゃ、潜水艦に乗ることなんてできなかったよな』
その点に関しては、そう思って納得することにしたけど…大海原で「空間恐怖症」を味わった直後。今度は狭い潜水艦の中で、「閉所恐怖症」にガマンする番だった。でも海上を漂流していた時と、同じ顔ぶれが揃っている。僕は「大船に乗った」気分でいた。
(この艦の中では「貴賓室」レベルなのだろうけど、「カプセル・ホテル」以上「ビジネス・ホテル」未満の相部屋。早い話が、なかば監禁状態だけど…ただし食事は、なかなか豪華だった。なにしろ、ほかに楽しみの無い船内生活。「食」をお座なり・なおざりにしたら、「帝政ロシア」時代に起こった『戦艦ポチョムキンの反乱』みたいな事件が、発生しかねない)。
そんな艦内で過ごすあいだ。僕とオッちゃんは、びしょ濡れになってしまった『ナンブ』を「全バラ」(全分解=全部バラバラにするという隠語)にして、手入れをして過ごした。でも…
『いま何時?』
高い水圧に耐えなければならないのだから、当然のことだけど…窓ひとつ無い潜水艦の中にいると、時間の観念が失われていく。やがて…
『ここは、どこ?』
少し遠回りしたみたいで、それから一泊二日弱。無事に日本(?)に帰ってきた。
「ふう〜!」
船体から上部に立ち上がった艦橋の上に出て、大きく深呼吸。
「ここは、どこなんですか?」
左前方の遠くに、綺麗な街の夜景が見える。
「南の方さ」
和男さんは、そう言ってから…
「ヒントは、あれだ」
右後方を示す。
「火山島?」
そこには、黒煙を上げる火山が、うっすらと見えている。
「もともとは島だったんだけど、大正の頃の噴火で、今は陸続きさ」
関係者の皆さんは、あえて日本列島の南の果てを選んだのだろうか?
「どうして、ここなんですか?」
オッちゃんは、ちょっと残念そうだ。
(新幹線が、ここの終着駅まで到達する以前は、寝台列車が走っていたほどだ。最初に客船に乗った所みたいに、「ちょっと電車で」なんて距離じゃない)。
「ここは、潜水艦で湾の中まで入ってこられるからでしょ」
たしかに、湾の中にいる。
「下船するには、ちょうどいい場所なんだよ」
そんな話をしているところに、ライトを消した迎えの船が来たみたいだ。
『いよいよ上陸だ』
でも…街の方に向かうものだとばかり思っていたのに、逆方向の活火山の方角へ。
「用心のためさ」
そう言う和男さんに着いて、山を見上げるガレ場の浜に降り立つ。
『どうやら僕は、船乗りにはなれそうもないよ』
久しぶり(?)の地面の感触が、懐かしい。
「ブウ〜ン!」
そこからは…防弾仕様ではないだろうが…目立たない・地味な黒いセダンに乗り込んで、左回りに湾を廻る道を走る。
『?』
やがて、海沿いの道路に面した・右手の陸側にある、庭園のような場所に入る。
(敷地は、道に沿って・延々と続く塀に囲まれている)。
「キッ!」
乗りつけたのは、古民家風の建物。
(中も、純和式だ)。
「こんな所で、大丈夫なんですか?」
僕は、そんなふうに感じたけど…
「今じゃ、この程度だけど…ここは・その昔は、要塞なみの規模だったらしい」
和男さんが解説してくれる。
(たとえば、「織田信長」公が斃れた「本能寺」。寺とは言っても、「地下・脱出口まで備えた施設だった」との説がある)。
ここは、かつての領主が造った屋敷。
(実は今でも、地下の抜け道が残っているんだそうだ)。
『忍者みたいだ』
床の間の掛け軸の裏が、「秘密の抜け穴」への入口になっている。
「もう遅いから、寝たほうがいい」
和男さんのひと言で、高級老舗旅館の「岩風呂」みたいな広々とした浴場で一人…
(現代の潜水艦は、シャワー完備だった。もちろん狭いけど)。
熱い湯船につかってから…
(岩山の上から、お湯は流れ落ちてなかったけど…)。
畳の上に敷かれた布団に入る。
(襖一枚へだてた隣りの部屋には、オッちゃんとケーコさんが寝ている)。
『フトンに入るのも、久しぶりな気がするな〜』
でも…
『現実は厳然として、そこにある』
あまりに慌ただしくて、思い返す間もなかったけど…
『そうなんだよな』
事実に気づくとポロポロと、急に涙があふれてきた。
「クッ・クッ・クッ…」
『悲しいから? それとも「悔し涙」?』
右側で・妙に静かに横になっている和男さんに気づかれないように、僕は嗚咽を噛み殺す。
『残念だけど、もう戻ることはできない』
そう思うと、徐々に怒りが込み上げてくる。
『ヤツらが憎い!』
ギリギリと奥歯をかみしめ…
『ヤツらが憎い! ヤツらが憎い! ヤツらが憎い…』
頭の中で呪文のように、何度も復唱していた僕は…いつしか眠りに落ちていた。
※ ※
「ふあ〜!」
翌朝。障子を通して、雨戸のスキマから差し込む陽射しで目覚めた僕は、大きくノビをするけど…泣き明かした瞼は赤くはれあがり、充血した眼は、血走っていたに違いない。
(和男さんの寝床は、すでに「もぬけの殻」だ)。
鴨居に掛けられた、古めかしい柱時計の針に目を走らすと…
『八時か』
起き出して、僕が襖を開けると…
「おはよう!」
一斉に声がかかる。
『?』
正面に「教授」。その左に「博士」。それに続いて「かなえチャン」に「シロ」と「クロ」もいる。
「お・おはようございます!」
座布団を敷いて車座になった右側には、「和男さん」がいて、「ケーコさん」に「オッちゃん」。
『な・なにごと?』
無言のまま僕が、オッちゃんの左隣りになる・一番手前に敷かれた座布団に正座すると、いきなり左から…
『ペロン!』
あのクールなクロが、僕の顔をなめてくれる。
『わかってるんだろうか?』
それっきりクロは、正面に向き直っているけど…
「フフン!」
なんだか僕は、一気に気が晴れた。
「まあ、足を崩して」
教授が・そう言ってくれたので、僕は座り直して胡座をかく。
「スマナイ! こんな事になってしまって…」
まずは教授が…
「ゴメンナサイ…もっと早く、手を打っとくべきだったわ」
続けて博士が…そう言って、「詫び」を入れてくる。
「…」
黙ってこちらを見ている二人には、「二の句」が継げないようだけど…
「教授や博士のせいじゃありませんよ」
ヤツらが憎い!
「でも、どんな状況なのか、どうして・こんな事になったのかだけは、きちんと説明して欲しいんです」
それを聞いた教授は…
「わかった」
即答してくれるけど、でも、そこで僕は…
「その前に…」
すかさず教授の言葉をさえぎって…
「オッちゃんは…いえ、橘内さんは、関係ないんじゃないですか?」
オッちゃんの方を見ると…こちらをジッと見つめるオッちゃんと、目が合う。
「もうこれ以上、彼女を巻き込まないでもらいたいんです!」
僕はキッパリと、自分の意見を述べる。
『オッちゃんは、どんなふうに感じているんだろう?』
気にはなったけど、それを受けて博士が…
「そうでもないわ。もしもアナタたちが、子孫を残して、それが男の子だったら…」
『って、なに言ってんだよ! まだ正式には、手も握った事がないのに…』
なんか話の内容が、変な方向にむかってない?
「その子にも、関わることなの」
でも、それを聞いたオッちゃんは…
「わかりました。わたしにも、聞かせてください」
正面を見据えて、そう返事する。
『チョット待ってよ! 結婚式の「誓いの言葉」じゃないんだから』
とは思いつつも、僕は内心、とっても嬉しかった。
「今わかっている事だけを話そう」
そこで教授は、語り始める。
「まず、焼死体は二体」
『ふたつ?』
もうひとつは?
「どうやら、君のご両親のようだ」
『クッ!』
お父さんとお母さんが…。
「ただ…君の弟さんは、見つかっていない」
『?』
どういうこと?
「消息は不明なんだ」
『じゃあ弟は…』
生きてるかもしれない?
「今は生存の可能性も含めて、捜索中なんだが…」
『?』
それで?
「こういった状況なので…嫌疑がかけられている」
『!』
そ・そんな…
「ヤツらの仕業に、決まってるわ」
ケーコさんが、小声でブツブツ言っている。
「次に君の事だが…」
『僕のこと?』
いきなり何? 僕が、どうしたっていうの?
「実は君は、きわめてマレな遺伝子を持っている事が判明したんだ」
教授が、そこまで言うと…
「それは、私から話すわ」
専門家の登場だ。
「持っているんじゃなくて、持っていないの」
『?』
言ってるコトが、逆じゃん。
「生物は、死後・発動して、カラダを腐らせる酵素を持っているという事は、前に聞いたわね?」
『はあ…』
確か、教授から聞いたような…
「でもアナタには、それを発動させる遺伝子が無いの」
『?』
どういう事?
(そういえば…なんでも、「お酒を飲めない人」というのは、「アルコールを分解する酵素を持っていないから」という話を聞いた事がある。それで、『新入生歓迎コンパで、急性アル中で死んでしまう人もいるのだろう』と思ったものだけど…基本、『白色人種』と『黒色人種』は「飲める体質」で、この酵素を持たない人間が存在するのは『黄色人種』だけなんだそうだ)。
「火葬の国の日本じゃ、わかりずらいんだけど…」
奇跡として、亡くなった時の姿のままに祀られている、若い修道女の遺体。
「生け贄」として奉げられながら、朽ち果てる事なく発見された少女の遺体。
(わずかではあるけど…そんな実例があるんだそうだ)。
「情報量が少なすぎて、分析するのがむずかしいんだけど…」
熱の入ってきた博士は、さらに続けて…
「判明している、ほんの少しの例をシミュレーションして…解析ソフトでデーター化して…統計学的見地からコンピューターがはじき出した数値によると…」
難しい単語を、早口でまくし立てられても…僕の頭では、ついていけないんだけど。
「確率的に、一億分の一。つまり、一億人に一人の割合」
『という事は?』
今の人口が80億だから…
(21世紀の22年に、地球の人口は80億人を突破。その後も、漸増を続けていたものの…どこの地域も、社会の成熟とともに「少子・高齢化」が進み…人口の増加も、80数億で「高止まり」。結局、約80億前後で「頭打ち」状態となり、落ち着いているようだ。それに…『出生率』は下がったけど、『平均寿命』が伸び…世界中の人々が、かつては「老人」と呼ばれた年齢を過ぎても働き続けるようになったので、それで「労働力」全体のバランスが取れているみたいだ)。
「80億分の1億で…世界に、たったの80人」
博士は、そう言ってから…
「ただし…過去にも同様なケースで、いまだに生存し続けている者がいるかもしれないけど…」
『生存し続けてるって…』
「先生」みたいな、年齢不詳の人のこと?
『サンジェルマン伯爵みたいだ』
僕は思った。「サンジェルマン伯爵」とは…超常現象界では、その名を知られた人物。18世紀に実在したとされる人で、その後も、時を越えて目撃談があることから…「不老不死なのではないか?」とか「タイム・トラベラーではないか?」とか、言われている。
(いろんな時代に姿を現わしたことから…もし、それが本当なら…伯爵も、そんな人間の一人なのかもしれない)。
「それにしたって…」
『100人に達するか・どうか?』
博士は、憶測はしなかったけど…
「だからアナタは、貴重な存在ということになるの」
『そんな…絶滅危惧種みたいな表現、使わなくても』
まあ確かに、数的には「超少数派」には違いないけど…
「アナタは、『選ばれた一人』と言ってもいいでしょうね」
『選ばれし民の一人?』
そんなライト・ノベルみたいなこと、言われたって…
「たとえ乗っている飛行機が堕ちても、自分だけは助かる。ナゼなら俺は、選ばれし人間だからな」くらいに思い込んで・そう語る奴も、一人や二人じゃないけど…
『アニメの観すぎじゃないの?』
たとえ、そうだとしても…僕は・その他に、特別なものなんて、何ひとつ持ってない。
『だいたい、それだけなら…』
「死んだら火葬にしてもらえばいいんでしょ」という事になる。しかし…
「問題は、ここからなんだよ」
そこからは、教授が話を受け継ぐ。
「次は、あの『ニンガイ』についてなんだが…」
『人外?』
つまり、「Out of Human」。ようするに、「人の外」という意味らしいけど…内部では、あのゾンビたちを、そう呼んでいるらしい。
(センスのある命名だとは、思えなかったけど)。
「とある高校生が名づけてくれたのよ、その昔」
『高校生? その昔?』
ひと言、博士の解説が入る。
「ある種のウイルスに、感染したものなんだ」
『?』
新種の?
「それも、もともと地球にあったモノじゃない」
『?』
地球外生命体?
「宇宙からの外来種なんだ」
『?』
マジ?
「『パンスペルミア説』というのを知ってるかな?」
『パ・パンスペルミ…?』
なに、それ?
「『生命汎宇宙起源説』とでも訳すんだが…」
『はあ?』
今度は、生命の起源ですか?
「ちっぽけな存在である人間から見れば、宇宙は広大無辺だ。自分たちが住んでいる太陽系の事だって、まだ充分にはわかっていない」
『たしかに、そうですけど…』
現状、月面には、再び人間が降り立ち、火星にだって、僕が生きている間には到達できそうだけど…
「そんな人類の微視的視点からしてみれば、生命は特殊な存在かもしれないが…しかし、宇宙規模の巨視的観点から眺めれば、生命というものは、ごく・ありふれた存在なのかもしれないという考え方なんだ」
『ありふれてる?』
そんな事が、あるんだろうか?
「最新の観測結果から見積もると、銀河の数は二兆個にものぼる」
『星の数ほども星々がある銀河が、二兆個もある?』
驚きだ!
「それが、知的生命体まで進化を遂げているか・どうかは別として…」
たしかに…
『生命が存在しない方が、不思議なくらいだ』
だから頭の良い人ほど、「地球外生命体」の存在に肯定的なんだそうだ。
「だいたい、この地球にはびこる生物だって、基いをただせば、そうやって誕生したのかもしれない」
『つまり…』
僕たちの生命も、宇宙起源ってこと?
(「蛸は地球外起源」。宇宙から来た生き物と推察する人がいるようだ。それで「H・G・ウェルズ」氏・原作の『宇宙戦争』に登場する「火星人」は、タコ形なのだろうか?)。
「じつのところ過去の地球では、大量絶滅の後には大繁殖期というサイクルが、何度も繰り返されているんだよ」
『それなら…』
聞いたことがある。
「その原因は…もちろん、隕石の衝突などによるものもあっただろうけど…新しい種によって、駆逐された結果かもしれないだろ」
『なるヘソ!』
でも…
「どうやって・そんな物が、地球に入ってきたんですか?」
『信じられない!』
海だけだって、気の遠くなるような空間だったのに…「宇宙人がUFOで運んできた」とでも言うの?
「この地上には、隕石なども含め、年間1万トンほどの宇宙からの飛来物があるんだ」
『そんなに!』
僕は、そう感じたのだけど…
「地球全体からみれば、大した量ではないんだが…」
『そうなんですか?』
教授はアッサリ言う。
「30年近く前に、地球の近傍で、彗星が消滅したことがあるんだが…」
『はあ?』
まだ生まれてないや。
「彗星とは、塵と氷の塊みたいな物で…」
『知ってる!』
彗星の尾は、太陽に接近し、温められて融け出した結果、生じるんだそうだ。
(その彗星が消えたのは、太陽に近すぎる軌道だったため、溶けてしまったみたいだ)。
「そのチリや氷の中に、生命の種が閉じ込められているんじゃないか…それが、命の素があるか・ないか以前に、『パンスペルミア説』が寄って立つ仮定なんだが…」
『ふう〜ん』
そんな事が、あるんだろうか?
「その消滅した彗星の軌道を量子コンピューターで計算し、AIでシミュレートしてみると…」
『QCに人工知能?』
そんな物まで使える組織なんですか?
「どうやら地球上の、その通過経路上にあった地点に、構成物が降り注いだらしいという結果が出たんだよ」
『最接近した時に、最短距離にあったであろう場所?』
それは…
「どこなんです?」
そんな僕の問いに教授は、しばし考え込んでいる。
『話すか? 話すまいか?』
そんな雰囲気が漂っていたけど…
「中部日本の、とある小さな盆地なんだよ」
『ニホンの?』
ポツリ・ポツリと教授は、重くなった口を開く。
「君が生まれる前だけど…聞いた事くらいあるだろう? 奇病が発生して…街ひとつが潰滅したというハナシを?」
『!』
じゃあ…
「街がひとつ滅んだっていう・あの噂は、本当にあった出来事なんですか?」
『仰天!』
驚きのあまり、声が上ずってしまったけど…
「う…ん」
教授も博士も、肯定とも否定ともつかない態度を見せるけど…
『ビックリだ!』
和男さんとケーコさんは知っていたのだろうけど、目を丸くして・黙って話に聞き入っていたオッちゃんが…
「その中に、『ニンガイ』を発症する原因になるウイルスかバクテリアが含まれてた?」
そう問い詰めると…
「その通り」
教授は、コクリとうなずく。
「しかも…今でも、その堆積物が残っているかもしれない」
『今でも?』
本当に?
「だから完全に封鎖されて、国有地として、地図上からも抹消されている」
『今どき…』
この日本に、そんな所があるの?
(そう言えば…「刑務所や薬物更生施設などは、地図に記載が無い」という話を耳にしたことがある)。
それに…
『もし…』
それを軍事利用されたら?
(下手な「大量破壊兵器」なんかより、よっぽど甚大な被害…『人類滅亡』なんていう事態だって、ありえない話じゃない…が出るかもしれない)。
だから…この「事実」を知っているのは、世界中でも、ごくごく限られた人だけなんだそうだ。
(それで…そんな処置も可能だったのだろう)。
『なるヘソ!』
たとえば…「最先端の軍事技術」や「非人道的な人体実験」。その過程で起きた事件や事故の真相を隠すために、流布された・有りもしなかった『UFO墜落事件』等々。
(『東西冷戦』の最盛期。当時の軍事研究は、3〜40年先の時代を先取りしていたと云う)。
(公的機関が極秘に公認した)嘘で固められ・ハッタリを塗りまくった隠蔽工作で、「都市伝説化」させてしまえば…本気で信じるのは、「狂信者」や「異常者」のみ。
(あやふやで荒唐無稽な話をデッチ上げ、一般の目を「真実」からそらすのが目的だ)。
それらとは、逆の意味で『ナットク!』だけど…
「感染すると、どうなるんです?」
『オッちゃんには、カッちゃんの事がある』
気になるんだろう。
「人間を人間たらしめている『大脳』…特に表面をおおう『大脳新皮質』から破壊されていく」
オッちゃんは、ジッと聞き入っている。
「即座に理性を失い、行動は原始の脳、『小脳』や『脳幹』に支配されて…」
『なるヘソ!』
「ピン!」と来た。
『それで…』
カッちゃんが、突然・四つん這いになって飛びかかってきたように…原始の脳が甦り、いきなり「四足歩行の四つ足動物」に退化してしまうのだろう。
「そして『三欲』の中でも…」
(食欲・睡眠欲・性欲だ)。
「特に『食欲』が顕著になる」
教授が、そこまで語ると…
「それで手当たりしだいに、やたらとかみつくワケだよ」
そこで、和男さんが発言する。
『おいおい止めてよ。ワニじゃないんだから』
鰐という獰猛な生き物は、とりあえず…あの裂けた口に当たった物は、何にでもかぶりつくんだそうだ。
「助からないんですか?」
オッちゃんは続ける。
「生物学的には、すでに死亡した状態だからね」
教授は、残念そうな表情で続けた。
「呼吸は停止しているし、鼓動を打ってないから、脈も無いし…体温は、外気温とほぼ同じ」
『以前・観た、映画のゾンビと一緒じゃん!』
なのに、活動を続けている?
「生命反応が無くなっても、まだタンパク質や脂肪などのエネルギー源は残っているからね。だが、それが尽きる前に、肉体の腐敗が始まるんだが…」
『ふう〜ん』
なるほど。
(もう「なるヘソ!」なんて、言ってる場合じゃない)。
「ワクチンとかは、つくれないんですか?」
オッちゃんは、食い下がる。
「やってはいるんだけどね…」
ポツリと博士も、残念そうに語る。
「もう20年近く。なにしろ強力すぎて…」
『20年?』
「この道ひと筋」なの?
「普通のワクチンは、毒性を抜いたり・弱めたりして接種するんだけど…抗体を作る前に、力を取り戻してしまうのよ」
博士は肩を落とす。
「免疫系を、逆手に取る能力があるの。まるで知能があるみたいに」
『知能?』
って、そんな病原体ってアリ?
「いま、遺伝子的な弱点をさがしているところなのよ」
『またまた遺伝子ですか』
「男子は、自分の遺伝子の優秀さをアピールするため、女子の前で張り切る」って語ってた奴がいたけど…
(一方で、『遺伝子優先説』というものがあるらしい。つまり遺伝子が、「自分が存在し・生き残るために、生物を作った」というものだ。その説を採用すれば、「自分の身を挺して仲間を救う」という英雄的行為の理由も、簡単に説明がつくそうだ)。
「今のところハッキリしているのは…『酸素』には弱いってことくらいなの」
そこでオッちゃんは…
「なぜ『酸素』なんですか?」
『さすが体育会系!』
今日は、気合が入ってる。
「構造は、いたって原始的な造りなんだけど…」
なんでも…大気の組成が、現在とはまったく違った太古の地球では、「二酸化炭素」などが主な成分だった。初期・地球上で生まれた生物は、そんな環境に適応していたが…島にいた時に聞いたように…やがて誕生した植物やサンゴの『光合成』によって、「酸素」に取って代わられた。
(そんな、酸素を嫌う原始的なウイルスは、今でも残っている。それで「破傷風菌」などは、酸素の届かない地底や泥土のなかで生息しているわけだ)。
「ニンガイ・ウイルスも、そんな、酸素を嫌う物の一種なのよ」
でも…
「それだけじゃないんだ!」
『まだあるの?』
話は、まだまだ終わらない。
「腐らない死体は、アイツらには好都合だったんだ」
教授は、そこまで言ってから、付け足して…
「アイツらというのは、ウイルスばかりでなく、あの連中という事だが…」
『たしかに…』
ウイルスだって、宿主が朽ち果ててしまったら…自分たちだって、生きていけない。
「困った事に、君のように、身体を腐敗させる酵素が無い人間があのウイルスに感染すると…」
『?』
もしかして…
「この二つが組み合わさると、生物学的には…死んだまま、生き続ける事になる」
『どこが生物学的なんですか?』
「やっぱり」だったけど…
「これは・ある意味、『諸刃の剣』とも言える」
『ん?』
どういうこと?
「そのナゾを解明して、応用できれば…人類は、永遠の命を手にできるかもしれないからね」
『なるほど!』
そんなこともアリか!
「でも、食べ物とか…必要ないんですか?」
『おっしゃる通り!』
さすがオッちゃん!
「もちろん、栄養源は必要だろう」
教授が、おっしゃるには…なんでも「ニンガイ・ウイルス」は、寄生的に神経系に強く作用するから、ニンガイの場合は、筋肉の中に蓄えられたエネルギー源だけで、強制的に動いているらしい。
「循環器は、活動を停止しているんだからね」
だから、エネルギーが枯渇してしまえば、動きが止まってしまうんだそうだ。
「だがヤツラに関しての・そのあたりのメカニズムについては、まだ詳しくは、わかっていないんだよ。なにしろニンガイ以上に、症例が少ないからね」
『ふうん』
大変そうだ。
「ただ…植物的なんじゃないかと、推測はしてるのよ」
今度は博士が、そうおっしゃるけど…
『植物的?』
どういうこと?
「たとえば…植物だって、酸素を吸って・二酸化炭素を排出する『呼吸』をしているって事を、知ってるかしら?」
『呼吸?』
息してるの?
「酸素を造り出すのは、光に当たって光合成をしている時だけなのよ」
そこで…
「そう言えば…」
オッちゃんの述懐が入る。
「小学校の担任の先生が、話してました。植物だって呼吸をするから、病気のお見舞いに花を持って行くのは、本当は良くないって」
『へぇ~、そうなの!』
「皮膚呼吸はしてるだろうし…なにがしかの方法で、新陳代謝も必要だろうけど…」
博士の話は、そこでひと段落。今度は…
「それにヤツらは、酸素と同様、光も苦手みたいなんだ」
教授の話が始まる。
『ひかり?』
太陽ってこと?
「特に太陽光線の中にある紫外線は、強い殺菌効果がある」
『たしかに!』
菌には悪そうだ。
「だからと言って、行動できないわけじゃない」
『明るくても大丈夫なの?』
吸血鬼とは違うんだ。
「昼間の屋外では、太陽光をさえぎるために、黒い服装をしているらしい」
『黒いフードにコート』
たしかに、僕が遭遇した「あいつら」は、どちらも黒装束だった。
(白は熱は反射するけど、光は透過してしまう。だから「日焼け」を防ぐなら、日傘は黒じゃなきゃ、意味が無いんだそうだ)。
「それにヤツらだって、変温動物と同じで、ある程度の熱源は必要なんだろうしね」
『なるヘソ!』
体温は気温と同じ。
(哺乳類などの恒温動物と違って、爬虫類などの変温動物は、太陽光などの熱によって温められないと、動きが鈍ってしまう)。
『でも…』
植物的で、変温動物に近い?
「まあ、動く植物とでも表現すればいいのか…」
『動く植物?』
「死んでる状態で生きてる」の次は…
『今度は「歩く植物」ですか?』
まあ「歩く死体」よりはマシだけど…
「食虫植物みたいなものじゃないかとは、予測してるんだが…」
『う〜ん?』
きっとお次は、教授のコネクションで、生物学者…たぶん「植物くん」が登場することになるんだろう。
「で、そうなると、どうなるんですか?」
僕にとっては、切実な問題だ。
「本能や本性が、つよく顕われる」
『僕の本性って…』
僕は、『役者になりたい』なんて思った事は、一度もない。自分の「地のまま」でいいのならともかく、「誰かを・何かを」演じるなんて…『自分は自分でありたい』と思っていたからだ。けど…人間社会の中で生きていくためには、ある意味・誰だって、多少なりとも「自分の役どころ」を演じているわけだ。それなのに…
『自分の本性があらわれる?』
自分の本性が露わになる事に、期待を持てる人が…いったい、どれくらいいるだろう? 怖い話だ。
「どうしてですか?」
そんな僕の、素朴な疑問に対する教授の答えは…
「ニンガイほどではないにしろ、大脳に影響が出るんだろうね」
『理性の抑制がはずれ…自分の欲望に対して、歯止めが効かなくなる』
そんな生命体が出来上がってしまい、そういう新種の人たちが…
(ここで「人」という表現を使っていいのかは、「?」だけど…)。
実社会の中で、実際に活動しているらしい。
「どんなふうに?」
具体的には…「この世の楽園」の建設を掲げる政治結社・「理想郷」の実現を謳う宗教団体などを『隠れ蓑』に…「森林の破壊」や「サンゴの絶滅」。
「ヤツらは、酸素を嫌うからね」
最終的には…自分たちに都合の良いように、地球の環境を作り変えようと、企てているようだ。
(大規模な森林火災は、『地球温暖化』につながるし…温暖化による海水温度の上昇は、サンゴの死滅にもなる。しかし、そのくらいの気候のほうが、ヤツら=「変温・動植物」には快適らしい)。
『「地球温暖化」に、なかなか歯止めがかからないのも…そいつらが、一枚かんでいるからかもしれない?』
それにしても…
『いったい、何年かかるの?』
前にも考えたように、超・長期的な展望だ。
(人間の一生なんて、たかだか百年前後。いま強権の独裁者が世界を騒がしている国だって、あと50年もたてば、どうなっているか・わからない)。
しかし教授が予想するに…
「なにしろ、上層部の指導者たちは、永遠に近い命を持っているかもしれないんだ」
つまり、寿命が無いってことだ。
「あくせく生き急いでいる人間と違って、そのくらい待つ余裕があるんだろうね」
そして僕の方を見ながら…
「感染すれば君だって、永遠の命が獲得できるのかもしれない」
教授がそう言う横から…
「でも、死なないわけじゃないわ」
と、ケーコさん。
「物理的に破壊するしかないけど…」
ケーコさんは、そこで言い淀む。
「つまり…殺すって事ですね?」
僕のそんな言葉に、全員が無言だった。
『不死身ではないけど、不老・不死』
それが現在・直面している、僕の身の上だった。
(聞くところによると、『ベニクラゲ』というクラゲがいるらしい。なんでも、「老化」と「若返り」を繰り返し…一説によると、5億年も前から生き続けている個体がいるかもしれないそうだ。ただし、捕食されるなどすれば、それまでだけど)。
「共存することは…できないんですか?」
『?』
いったん一同が静まりかえったところで、ふたたびオッちゃんが、もっともなアイデアを提案するけど…
「うむ…そういう考え方もあるが…お互い、求め・必要としているものが、まったく正反対だからね。今のところは…」
教授は否定的だ。
『たしかに、そうかも』
「酸素」と「二酸化炭素」では、『水と油』。妥協点のハードルは・かなり高くて、合意に至るのは困難なレベルかもしれない。
『それに、もし…』
全面戦争にでもなれば、相手を根絶やしにする殲滅戦になることは必須だろう。
『なにしろ…』
状況は、宗教戦争に似たようなものになるだろうから…。
(執政の側からすれば、『信仰の自由』は必要なものだろうけど…信者にしてみれば、相手の宗教を認めるなんて、ありえない。じゃなけりゃ、「自分の信仰は何なのだ」という事になる)。
『きのうの敵は、きょうの友』なんて言葉もあるけど…昨日までライバルとして戦っていたスポーツ選手同士が、たとえば引退後に、友達になるという意味じゃない。
(戦国時代を例に取れば、わかりやすい。昨日まで、領地をめぐって争っていた者同士。でも、より大きな脅威が迫れば、お互い「こんな事をやってる場合じゃない」となる。利害関係が一致すれば、状況は一変。『敵の敵は味方』となって、手を取る事だって有り得る。でも、信仰などが絡んでくると、話が違ってくる。『殉教すれば極楽に行ける』と信じている人に、「現世ご利益」を示したところで、納得するかは「?」。だから覇王が成した、「(聖地の)焼き討ち」も「(老若男女を問わない)宗徒の虐殺」も、『天下獲り』を目指す側からすれば、当然の帰結だったのだろう)。
『ナルホド!』
初めて教授のオフィスを訪れた時、「社会に及ぼす影響は無視できないから…(事実を公表しない)」と言われたけど…たしかに、「隣人がソイツらかもしれない?」としたら、大勢の人たちが『疑心暗鬼』を生じて、世の中は収拾がつかない状態に陥ることだろう。
(もし、巷間語られている異星人に関する噂話が真実だとしたら、同じような理由で、事実を隠蔽しているのだろう)。
「それに、最初に『男の子が』って、言ってましたけど…」
さらに続けてオッちゃんは、いかにも女性なりの疑問を口にする。
「うん」
教授がうなづく。
「それなんだけど…」
それを受けて、博士が続ける。
「男の子は、容姿や運動神経・持病の持ち方などは、母親から遺伝するものが多いんだけど…」
『なるヘソ!』
男である僕には、思いつく事が、いくつもある。
「でも中には、父から息子へ、ほとんどそのままの形で受け継がれていく遺伝子があるの。男系の遺伝子ね」
『?』
僕はもちろん、たぶんオッちゃんも、初めて聞く話みたいだ。
(父系家族。そういった点においては、日本の皇族や、「父と子と聖霊」を重視するキリスト教も、当てはまるのかもしれない)。
「今あなたの、お父さんの系統を調べているところなのよ」
『父方の家系?』
「高貴な出自」なんて話は、まったく聞いた事もなかったし、実際そんなことは無いだろうけど…男系の皇統が続いている日本。
(過去には女帝も存在したけど、それは・あくまで「つなぎ」的なものだった。天皇が崩御した際、まだ跡取りが幼かった時などに、成人するまでの間、皇后などが代行しただけだ)。
「ほかにも思い当たる節があるんだが…なにしろ・そちらは、畏れ多くてね」
教授は、そう言うけど…
『ほかに?』
政府の某省庁が管轄している古墳には、いまだに発掘調査が許可されない物がある。
(古代ニッポンの天皇は、土葬ばかり。仏教が伝来し、その思想が浸透してきた中世になると、「在位中の崩御は土葬・譲位後なら火葬」がメインとなり…「江戸時代」初期から『昭和』までは、すべて土葬だったそうだ)。
たしかに、「お墓を暴く」なんて行為自体、あまり感心できないけど…。
『他にも理由があるんじゃない?』
たとえば中国『秦の始皇帝』の墳墓。いまだに発掘調査が行われないのは…
(盗掘されないよう、映画『インディアナ・ジョーンズ』なみの仕掛けがあるからだ…なんてウワサもある)。
『漢民族』ではなく、「アラブ系の人物だという事が、バレてしまうから」という俗説がある。
(『唐』の「玄宗」皇帝の妃・「楊貴」妃も、そうだと云われてるけど…)。
『教授の、あの態度は…』
暗に『その存在』が、「男子直系」で存続してきた理由を意味しているのかもしれなかったけど…
(いまだに…「女性」というより…「女系」の皇位継承が認められないのは、案外そんなところが理由かもしれない)。
「でも、おかしいじゃないですか?」
『教会の聖女』
『生贄の少女』
判明しているという実例は…
「どちらも女性なんでしょ?」
僕が、そう反論すると教授は…
「うん? まあ・そちらの方は、単なる云い伝え的なもので…防腐剤が使われているかもしれないし、保存状態の・きわめて良好なミイラかもしれない」
と、歯切れが悪いが…
「実は、信仰なども絡んでくるので…なかなか許可がおりなくてね」
そこで、いったん言葉を濁すが…
「まだ、実物の検体を調査できたわけじゃないんだ」
最後は、そう白状する。
「まったく違ったパターンの可能性も、捨て切れないが…すくなくとも現段階で実証されているのは、100パーセント男性のみなんだよ」
『う〜ん?』
なんだか、納得がいかなかったけど…
「つまり…彼との間に生まれて来る子が男の子だったら、そうなる可能性があるって事ですね?」
妙に「大人びた」顔つきになったオッちゃんは、キッパリと・そう言い切る。
「十中八九、間違いないわ」
博士は断言する。
『祭り上げられた王侯貴族みたいになるんだろうか?』
それを聞いて、そんな事を思った僕は…
『いったいオッちゃんは、どんなふうに感じてるんだろう?』
彼女と顔を見合わせる。
『?』
オッちゃんは、かすかに微笑んでくれたけど…
「君のお父さんや弟さんも、そういった存在の可能性がある。それも、かなり高い確率でね」
そこで教授は、うつむき加減になって…
「君の弟さんが、ヤツらの手に落ちていなければいいんだが…」
そこまで言って、考え込む。
『ヤツらに』
囚われてる?
「これは・もはや、日本だけの問題じゃないんだ」
そんなこと、言われたって…
『一億人に一人か』
なんか、実感がわかないけど…
「人類の存亡がかかっている」
「人類の存亡」って…(そ)んな大げさな。
『どっちにしたって、そんな大役、僕には無理だよ』
続けて教授は…
「しかし、これで一つ、はっきりした事がある」
重々しく語り始める。
「おそらくヤツらは、君のお父さんや弟さんを通じて、君の存在にも気づいてたんじゃないかと思われるんだ」
『?』
どういうこと?
「君がピン・ポイントで事件に巻き込まれるなんて、おかしいとは感じてたんだが…」
たしかに…
『なんで僕が・僕だけが?』
そんな気はしていたけど…
「最初の一件も、仕組まれた可能性がある」
(あの路地で・アイツらに導かれるように、ニンガイと遭遇した件だ)。
『まさか?』
でも教授の言う通り、今回の火事といい…
『タイミングが良すぎる』
そんな展開だ。そして最後に…
「しばらくのあいだ君は、ここに隠れていたほうが賢明だろう」
そう提案してくれる。
「いいですよ。どうせ僕には、もう、帰るトコなんて無いし…」
僕がそう言うとオッちゃんは、ジッと僕のことを見てから…
「わたしも残ります」
そう言ってくれるけど…
「オッちゃんは、家に…おとうさんや、おかあさんの所に帰ったほうがいいよ」
和男さんやケーコさんも、うなずいている。
「そうだね」
教授も了解し…
「明日、送っていかせよう」
そう言ってくれた後で…
「それじゃ、わたしたちは…」
『?』
「これから、行かなくちゃならない所があるんでね」
そう言いながら、博士と共に立ち上がる。
「で、教授、どちらへ?」
和男さんが、立ち上がった二人に声を掛けると…
「神月山だよ」
『神月山?』
和男さんとケーコさんは、顔を見合わせる。何かを知っているようだ。
「あそこに呼ばれてる」
『呼ばれてる?』
誰に?
「どうやらむこうは、私たち…私と妻に、用があるようだ」
『用がある?』
どんな?
「それも…たぶん、しごく個人的な理由で」
『個人的な理由?』
「どうも今回の件は、白鳥くんが言うように…むこうの組織の中でも、一部の連中が引き起こしたものかもしれないんだ」
教授は、いつもの茶色のブレザー・スーツの襟元を正しながら…
「その一派が、単独で動いているようでね」
そのあと博士が…
「かなえのことも、頼みます」
そう言って教授と博士は、裏山へと通じている秘密の抜け道に入って行く。
「バラ・バラ・バラ…」
まもなく裏山の方から、遠ざかるヘリの音が聴こえ…やがて消えていく。
「教授は『諸刃の剣』って言ってましたけど…」
僕は空を見上げながら、右隣りの和男さんに、声をかける。
(僕たち二人は、古風な日本家屋の縁側に並んで立って、その音を見送っていた)。
「つまり…最終的には、『男ばかりの永遠の世界』になるってことでしょ」
要するに…
(異性との「そんな能力」が、あるのか・ないのかは「?」だったけど)。
生殖行為ができないという事だ。
「シロやクロみたいな手段がない向こうの連中は、手っ取り早く、仲間を見つけ・増やそうとしてるんじゃないですか?」
僕は、そんな気がしていたのだけど…
「なるほどな」
和男さんも、肯定してくれる。
「でも、男ばかりの集団なんて…恋愛モノはみんな、『ボーイズ・ラブ』になっちゃいますね」
僕が、そう言うと…
「俺には、その気はないからな」
即座に、否定の言葉が入るけど…
「僕だって!」
そこで和男さんは、大きく伸びをしてから…
「さて!」
と、かけ声を掛け…
「朝メシだ!」
そう言いながら、みんなの方を振り返る。
『こんな所で食べるなら、お膳に焼き魚の和食がいいな』
まだまだノン気な、僕だった。