第二章「はじまり」
第二章 「はじまり」
1・An affair in late summer
2・What’s happen?
3・Who are you?
4・What’s matter with you?
1・An affair in late summer
それ以降、僕の生活に、ふたつの変化があった。まず、ひとつ目は…
『アレ?』
とある有名レーサーは、時速300キロで直線を疾走している最中、満員のグランド・スタンドの中にいる知人の顔を、識別できたと言うけど…
『またいるよ』
レーサー並の「視力」と「動体視力」とはいかないけれど…通りの向かいの建物の陰。
『また、あのバイク?』
フル・カウルのオートバイに跨った、フル・フェイスのヘルメットをかぶったライダー。
『同じ奴?』
気分次第で、コースも時間も、不規則・不定期だったし…ボンネットを踏み越えた事がある場所の近辺は、しばらく遠慮したり。なのに、ちょくちょく見かけるようになった。
『あの時みたいな…補導員?』
濃い黒のスモークのシールドで、顔つきや表情は、まったく読めないけど…
『何か気にかかる』
それと、もうひとつは…そんな・ある日の、夕方の事だった。
「こんにちは!」
男性の声で、僕の部屋に来訪者があった。
「小洲加和男」
僕の部屋の北隣り。二階の角部屋に、前の住人と入れ替わるように…
『三十代?』
男性が一人、引っ越してきた。
(その時は…『「和男」なんて、高校二年の時に亡くなった祖父みたいな名前だ』。そう思った、だけだったけど…)。
『何の仕事をしてるんだろ?』
ジョグやウォークの出がけ・帰りがけなどに、部屋の前などで、ちょくちょく出くわす。
『ガテン系?』
短髪で・身長はそんなに高くはないけど、ダボダボの作業服の上からでもわかる胸板の厚さ。
「よろしく!」
明るく・朗らかな人だったけど…何だか不思議な感じの隣人だ。
『何だか、ヘンな感じ!』
そして今日も、また…
「バッキャロ〜!」
平日の昼下り。後ろから怒声が響いたところで、左の路地に飛び込もうとしたのだけれど…
『…?』
ハス向かいの右側に立つ・電柱の陰に…
『アレ?』
250㏄くらいだろうか? そんなに大きくない・白に青いラインの入ったカウルの、いつものスポーツ・バイク。
『今日もいる!』
目の前に、左のパチンコ屋の敷地から、いきなり顔を出してきたオッサンの運転する車。そのボンネットを、踏み越えてやったのだけど…ここ最近、頻繁に目につく、たぶん同じオートバイ。
『だいいち今日は…』
いつもと違うルートでの、予備校からの帰り道。まったく縁の無い土地を、気分まかせの方向に歩いていたのだけど…
(ジョギングというわけじゃないので、普段着だ)。
気にかかりつつも、僕は通りから入った住宅街を、右に左にと駆け抜けるが…
『誰?』
ヤバイ奴?
『何?』
バレた?
『そろそろマズイのかな?』
やっぱり気になるけど、そんな日の午前中は…
「橘内 乙」
短い「夏休み」。ただし、予備校が休みだったというだけで、「お盆休み」明けに予備校に行ってみると…あの時の「現代文」の校内模試の、成績上位者の僕のすぐ上に、その名前があった。
『現文の解釈には、個人の主観が入って当然だ』
昔から、一般的解釈に…あえて逆らうように…まったく迎合するつもりが無かった僕は…
「何を言い表わそうとしているのか?」
そういった類いの設問での「正解・不正解」に、気を煩わすことはなかった。
(「作者が何を意図して、それを書いたか?」より、それを読んで「自分が何を感じたか?」の方が大切だと、僕は思っている)。
『せっかく来たんだし…』
この時期、予備校のクセに休講が多かった。チラホラと、予備校生の姿があるだけで、ほとんど自習室状態。でも…
『願ってもないことだ!』
そう言わんばかりに僕は、冷房の効いた・誰もいない教室のイスに寝そべっては、読みかけの単行本を取り出す。
『十九歳の地図』
行きつけの、学生街にある・昔ながらの古書店さんで見つけた、「昭和」後期の小説だ。
(僕の現在の歳、「十九歳」の文字にひかれて手に取った)。
戦後の日本の労働者階級…『芥川賞』受賞作家「中上健二」氏の著。
(祖父母が二十代の頃、映画化もされたみたいだし、当時のカリスマ・ミュージシャンが、この作品に触発されて創った曲もあるらしい)。
今のチェーン店形式の古本屋では、まずお目にかかれない代物。「内容は?」と言うと…
(大筋だけど…)。
新聞配達のアルバイトをしながら、(名目上は)予備校生の主人公。
(年齢・境遇…感情移入するには、ピッタリの設定だ)。
目的も無く・目標も持てない日々を鬱々と送りながら、配達先の・気に入らない家に標をつけた、地図を描いている。できる事といえば、脅迫まがいのイタズラ電話をかける事くらい。
(コンピューターで管理された・メールやインターネット全盛の今なら、すぐに足がつきそうだけど…いまだに、そういった「悪戯まがい」の事件は、後を断たない)。
『暗い時代で、やんなっちゃうよ』
そこにある、「希望」や「出口」の見えない閉塞感。「もはや戦後ではない」と言われた頃のはずなのに、現代の若者である僕にしてみれば、気が滅入ってくるようなストーリーだけど…
(以前の僕は、「ヤクザ」や「暴走族」が存在するのは、『世の中が貧しいからだ』と思っていた。だから『豊かな世界になれば、消えて無くなるもの』だと思っていたけど…いまだになくならないのは、『価値観や美意識の違いだ』という事が、わかってきた。「人は悪っぽいものに憧れる」と語る心理学者もいるみたいだけど…それを「カッコいい」と感じる人がいる限り、無くならないモノなのだろう。「右翼」なんかにしてもそうだ。今どき、『いったい何が望みなんだろう?』。「人種差別」に「国粋主義」や「民族主義」。「遺伝子学」がさらに発展して…『人類みな兄弟』…事実が明らかになり、広く流布されれば、「過去の人類史の1ページ」と、たったの「一行」くらいで、語られるようになる日が来るんだろうか?)。
『主人公は、いったい何が望みなの?』
それすらもわからないで、ただ空しく生きている。
『そう思いつつも読んでいる僕は、案外…』
そういったものを求めているから? あるいは…
『今の僕の不満に、共感するものがあるから?』
そうかもしれない。だいたい僕だって…
「ハア・ハア・ハア…」
そんな午前中を過ごした午後だった。
「ハア・ハア・ハア…」
息を切らして、しばらく闇雲に走り回っていると…
『アレ?』
フト気がつけば、高速道路の高架の下に出ていたのだけど…
『ここか?』
すでに、北隣りの区域に入っているだろう。通行量の多い環状道路に面した、いかにも都会の学校といった風情。茶色がかった壁の校舎を背景に、正面にある…上部が桃形というか、モスク型というか…閉ざされた鉄枠製の正門の裏には、「これだけしか都合できませんでした」と言いたげな狭い校庭が、チラリと覗いている。
「外島ケ崎女学院」
あの「橘内 乙」さんの、出身校のはずだ。
『なるほど』
名前で検索してみると…中・高一貫の、私立の女子校。「超」が付くほどではないけど、まあまあの「お嬢様」学校らしく、なかなかの進学校でもあるらしい。
『ふう〜ん』
僕の地元にも、「名門」と呼ばれる私立校はあったけど…それは・いわゆる、スポーツ名門校ばかり。でも・ここは、そういった類いの「私立」ではないようだ。
『いいトコの、お嬢様なのかな?』
とめどもなく、そんな事を考えながら…もちろん無言で…僕はスタスタと歩を進めていた。
(学友などには…僕・定義での「友達」ではないので、こう呼ぶけど…いつも、「お前、歩くのはえ〜よ!」と言われるのが常の、僕だった)。
ここのところ学業の方は、まったく・おろそかになっていたけど…あちこち歩き回るのも、楽しみのひとつで…こっちに出て来てから買ったウォーキング・シューズの靴底は、三か月ともたなかった。
『こんな暮らしを始めて、まだ四か月とチョイ』
今だけなのは、わかってるけど…「外出好きのニート」みたいな生活を送っていられるのは、父のおかげだった。
父を一言で言い表わすなら…恥ずかしくて、口に出すのも憚られる言葉だけど…「ロマンチスト」。
(いつも父に、批判的な小言を洩らしていた母だけど…実のところ・きっと、母は父のそんなところに魅かれたんだと思う)。
そんな父に頼まれた事が、ひとつだけある。
(僕の・まだ短い人生だけど、後にも先にも、これだけだ)。
幸い僕の父は、「学歴至上主義者」ではなかったけど…
「大学だけは行ってくれ」
つまり父のその嘆願は、学歴だけを求めての事じゃない。たとえ、そのへんの工事現場でツルハシを振るっていても、確かな「教養人」であって欲しかったのだろう。
『だから・きっと、ただの「成金」じゃ、父は認めてくれないだろう』
父の、そんな気持ちはわかっていた。それに…
「(親元を離れて一人になっても)バカな事をする子供ではない」
向こうからの・一方的だけど、それなりの信頼もあったみたいだ。
(たしかに、「ホーム・シック」に罹るようなタイプじゃないけど…行状に関しては「そうでもない」ことは、最近の僕の行動を見れば、わかるだろう)。
自分でも経験した事のある、都会での独り暮らし。人生の価値において、やがて血(知?)となり肉となる事を知っていた、父ならではの・父なりの「考え」があっての事なのだろう。
(はっきり言って、「宅浪」=自宅浪人していたって、勉強はできる。予備校に通う奴なんて、誰かに律してもらわなくては、意思を貫き通せない連中だからだ。あいにく今の僕は、そのどちらも持ち合わせていないのだけど)。
あの頃…高校は卒業したけど、進路未定だった頃の僕には、『とりあえず、派遣かバイト』。そんな考えもあった。夜の庭先で、「素振り」をしながら思案して…
(金属バットで両親を殴り殺すという、一流家庭の子息が起こした事件が、起きたばかりだった。なりたてだったけど、犯人は18歳になっていたので…凶悪犯罪や悪質な性犯罪を犯すと、18から実名が公表される『改正 少年法』が適用され、姿が公開されていた)。
結論として…そんな「父の考え」と、大都会での「独り暮らし」。それで納得した僕は、ひとまず・こんな生活を選んだわけだけど…
(何にもまして、とにかく僕は、早く家を出たかった)。
『自分の未来は、自分で切り拓く?』
こんな恵まれた環境にありながら、僕って「贅沢?」「我がまま?」。
(たとえば、自動車のレーサー。プロフェッショナルになるまでには、庶民では決して用意できないほどの、多額の資金が必要になる。みな一様に「お金で苦労した」と語るものだけど…たしかに、そうだろう。でも最初から、一般的な感覚とは「○の桁」が、ひとつも・ふたつも違う額。そんなの普通は、お金持ちの子息じゃなきゃ、無理な相談だ)。
「銀の匙をくわえて生まれてきた」なんて表現があるけど…だいたい僕は、「空調の効いたオフィスで、優雅に業務をこなす」なんてより、太陽の下で汗を流している方が、性に合っているような気がしている。
(それに、他人の顔色をうかがいながらの仕事なんて、まっぴらゴメン。自分の作業に専念できるような、職人的な職種がいい)。
『男は、いざとなったら、肉体労働や運転手で、糊口をしのげるくらいでなくては』
いつの頃からか、そんなふうに思うようになっていたのだけど…
『そんなワケで、僕は労働者階級に興味があるのだろうか?』
(高祖父母は「戦中派」。曾祖父母は「戦後育ち」。祖父母は「高度経済成長期」。でも父母の頃には「バブル経済」は破綻しており、「低成長」が慢性化している今のニッポン。僕たちの世代は、ずっと漠然とした不安を抱えて育ってきた)。
そんな事を考えながら、ひと晩すごした翌日も、僕は予備校にむかってはみたけど…
『けっこう美人だし…「偏差値」も「倍率」も高そうだ』
だいたい、都会の女子。
『僕みたいな「イナカの奥手の男子」と違い…』
とっくに彼氏くらい、いるかもしれない。
『どうせ、僕なんかじゃ…』
イザとなると、気分が萎んでしまうのが、僕の悪いところ。
『きっと今まで、何かに本気で挑んだ事が無いのがいけないんだ』
僕のまだ短い人生で、最大のイベントと言ったら…せいぜい「高校受験」。
(でも社会に出たら、ナアナアの「慣れ合い」や、「中間テスト」に「期末試験」程度の、ただ何となくやり過ごしてきたものとは違い、避けては通れない場面だって、多々あるはずだ)。
『きっと部活動の意義って、文化系でも体育会系でも、試合やコンクールなどの「非日常」を体験し・その「緊張感」を経験しておく事なんだろう』
最近になって、そう思うようになった。
(世間の荒波にもまれて生きていく上では、「度胸をつけておく」ってことは、大切なことなのかもしれない)。
とにかく、「今日は、会えるかもしれない」という期待は、予備校に着くと、何だか一気に萎えてしまい…まっすぐ売店を目指して、サンドイッチ。
すでに講義は始まっているので、おもてのベンチに腰掛けて・パンをパクついているのは僕だけだ。ここのオバチャンが作っているのかどうかは、わからないけど…僕は、ここの「手造り感」満載な調理パンが、(値段も安いし)お気に入りだった。
(あとは、駅前の「立ち食いソバ」と、チェーン店形式の「牛丼屋」くらいかな? だいたい、「一人では知らない店に入れない」僕が、気軽に立ち寄れるのは、そんな所だけ)。
まあ今日も、朝メシを食べに来たようなものだ。
『お次は…』
残暑も厳しいこの時期なので、講義に出て涼んでいく手もあったけど…
『天気も良いし…』
それに、少なくとも午前中の今の時間帯は、日中よりも涼しい。それで、読書をすることに決めて…あの晩、あの少女とむかった公園まで行ってみた。
『あの時とは、ずいぶん雰囲気がちがうな』
一時間弱ほど歩いた、高層ビル街を見上げる公園の一角。朝でもなく・昼でもない、こんな中途半端な時間なら、『閑散としているだろう』と思っていたのだけど…
『なあ〜んだ』
やはり、大都会の中心地。こんな時間にだって、たくさんの人が「そぞろ歩き」で、ウロウロしている。
『やっぱり・あの時は、「タイム・スリップ」か「異次元空間」にでも、迷い込んでいたのだろうか?』
本来、人混みの中では…「嫌い」という訳じゃなく…ついつい遠慮してしまう僕だけど、でも…
『フ・フン!』
(思わず、笑みがこぼれる)。
芝生の上では、オムツ一枚で…たぶん男の子…キャッキャッと走り回っている。
(歩けるくらいだから、一歳過ぎ?)。
そばに寄り添う、楽しそうな若いお父さん。
(もちろん、僕よりは年上だけど)。
その時、一筋の太陽の光が差し降ろして来る。まさに『父と子と聖霊』。
(僕は『三位一体』を信奉するキリスト教徒ではなかったけど)。
そんな光景に、幸福感に満たされて…僕も座り込んで、本を開く。
『でも、やっぱり…』
そして、「計画通り?」
『アレ!』
満員電車に駆け込んできたのは…「お目当て」の彼女!
(いつだったか? この時刻の・この電車の・このドアに飛び乗っていくのを、目撃した事があったからだけど)。
後に続く「オッチャン」たちに押されて、正面で密着するけど…
『ゴホン!』
けっきょく夕方近くになって、電車で予備校のある・北方面に取って返してみたのだけど…たまたまだけど、学校のある駅で、出くわしてしまった!
『どうしよう?』
うぬぼれてなど、いないけど…
『むこうだって、僕の顔くらいは知っているはずだ』
うつむき加減の彼女の前で・モジモジしている間に、時は過ぎていき…すっかりタイミングをはずしてしまった事には、こんな僕だって気づいていた。
(まったくの「方向違い」というわけではなかったけど…南から北に上ってきた『西方線』の線路は、この先で左に大きくカーブしながら、南北に分かれて西にむかう。いま乗っているのは、その北側の路線。ただ郊外に出るまでは、北と南で・ほぼ並行に走っているので…僕がいつも利用する南側の駅と、道一本で結ばれた真北の駅で降りれば、僕のアパートは、ほぼ・中間のあたりに位置している)。
『ガッカリだよ』
結局、まったく声を掛けられないまま、彼女は例の女子校がある駅で、降りて行った。
『女の姉妹でもいれば、多少は違ったのかもしれない』
だいたい…
『もともと「口下手」なのに』
何のキッカケも無しに…「顔を知ってる」程度の女の子と話しなんて、できるはずもない。
(唯一の収穫と言えば…すぐ間近で、確かめられたからだけど…遠巻きに眺めていると、けっこう背が高そうに見えたけど、そばで接すると、思っていたほどではなかった。僕の肩より、少し頭が出るくらい…というのが、わかった事くらいだ)。
僕の感情は、下がって・上がって、また下り。一日に何度も、上昇と下降を繰り返してる。
2・What’s happen?
白昼・堂々と、週末の大都市のドまん中で、事件は起こった。
寂れてしまった旧市街の復興のため、「街おこし」行事の一環として、数十年ぶりで復活した・目抜き通りを閉鎖した「歩行者天国」。路上ライブやコスプレ大会などのイベントに、多数の屋台やフリー・マーケットなどの出店。人出でにぎわう、その一角で…突然、絶叫を上げて暴れだした五十代の男が、いきなり行き交う通行人に踊りかかり、次々と自分の歯で、かじりついたと言うのだ。
『昼間の凄惨な傷害事件!』
日本でも、世界各国の例に漏れず、たまには起こる出来事だけど…「噛みつく」なんて!
(犯人は、最後は車道に飛び出し、車にはねられて絶命したそうだ)。
しかし一番の問題は、救急車で搬送された人たち全員が、「容疑者と同じような禁断症状に似た状態になり、手当の甲斐なく・悲惨な最期を遂げた」という事実だった。
『マジで?』
「サイコ」と言うより、まるでゾンビ映画のような結末。今のところ、はっきりとした原因はわかっていないが…
「薬物の乱用か?」と語る、その筋の専門家。
ある種の薬の服用時に発症する、「幻覚作用のような異常行動ではないか?」と言う医師。
「新種のウイルスやバクテリアが原因かもしれない?」と発言する学者。
(だが前の二説では、被害者も感染・発症した理由にならないし…今のところ、細菌や微生物の発見や、あるいは何かの薬品との因果関係・副作用などの報告は、なされていない)。
それに、まだ発生したばかりの事件。詳細は、いっさい不明のようだけど…
『いよいよ始まった?』
でも、そんな思いや出来事とは裏腹に…
「フッ! フッ! フッ!」
今夜も僕は、走ってる。
「フッ! フッ! フッ!」
今日は「ハズレ」だったみたいで…校内に、「乙さん」の姿は無かった。
『いったい、何やってんだよ!』
昨日の、せっかくの「千載一遇」のチャンスをフイにした自分自身に対して、腹が立っていた。
「おい! お前!」
その時、左側の歩道に並走する右の車道から、怒鳴り声が聞こえてきた。
『ハッ?』
『いつも同じ界隈では、そのうち足がつく』と思ったので、用心していたのだけど…今宵は気が散って・注意力が散漫になっていた僕は、不用意にも、最近の犯行現場の近くに足を踏み入れていた。
『?』
チラリと横目で、声のする方に視線を向けると…黒いスクーターに乗る、黒い半キャップのヘルメットをかぶった・小太りのヤンキー風情の若い男。
『しまった!』
いちいち憶えてなど、いなかったけど…きっと・いつか、この近くで「手にかけた」クルマの持ち主に違いない。
「見つけたぞ! お前だろ?」
「シラを切る」という手もあったけど…ドライブ・レコーダーに録画でも残っていれば、否定し続けるのは不可能だ。
『チッ!』
それに僕には、捕まらない自信があった。ここは、自慢の脚力を活かして、振り切るしかないようだ。
「この野郎!」
叫ぶ男を無視して、ダッシュを駆け…左手に見えた、パチンコ屋の店内に駆け込む。奥の右手の裏口に回って、表の様子をうかがえば…男はスクーターにまたがったまま・左耳にスマホを当てて、表通りの入口と、この出入口が見える位置に陣取っている。仲間でも呼んでいるのだろう、サッサとケリをつけた方が良さそうだ。でも…
『マズッたな〜』
奥の出入口は、路地に面した・こちら側しかない。奴は、この店の造りを、熟知しているのだろう。そこで…
『今しかない!』
路地に入ってきた車が、通り過ぎざま、その死角に潜り込むように、駆け出したのだけど…
『クソッ!』
さすがに向こうも、気づいたようだ。ただ店先より、こちらに向かって来る方が、距離がある。僕は一目散に走った。
『ここだ!』
軒下をくぐるような、右手の狭い路地裏に逃げ込むが…
『しまった!』
土地勘の無いイナカ者。逃げ込んだ迷路の先は、鉄道の線路が見えるだけの袋小路。グルリと網のフェンスが張られている、少し開けた場所。
『どうする?』
まるで、映画にでもあるような展開だけど…人一人が抜けられるような小径に入った事が、かえって裏目に出てしまった。
『線路の中に逃げる?』
まあフェンスは、乗り越えられない高さではないけど…てっぺんには、こちらに傾いた「鉄条網」が三段に、張り巡らされている。
『ハッ!』
背後に刺さる、人の気配に振り返れば…いま通ってきた通路をふさぐように立つ人影。
『マズイ!』
続いて、右側の路地から…そして、左側からも、もう一つ。
『ヤバッ!』
合流した三人の先頭に立つ、さっきの男が…
「コイツだよ。こないだ俺のクルマのボンネットに飛び乗っていった野郎は…」
そう言いながら…デブ・チビ・ノッポ…「いかにも」な三人の男たちが、にじり寄ってきた。
『ここは覚悟を決めて、こいつらを押しのけて、突っ切るしかない』
そう決心し、踏み出そうとした…と、その時。
「やめなさい!」
チョットこもった女性の声が、響き渡る。
『?』
声のした、路地の奥に目をやれば…暗がりから姿を現わしたのは、あのライダー。夜の闇の中、黒いスモークのシールドを降ろしたままだ。
「なんだよテメー!」
そう言って・つかみかかろうとしたノッポの男を、後ろに払いのける。
「ヤロー!」
背丈は、僕たち四人の中で一番低かったけど…
『護身術?』
腕力でなく・軽い身のこなしで、「ヒラリ・ヒラリ」と計三人を、次々と後方に押しやる。
「おぼえてろ〜!」
三人が「捨てゼリフ」を吐きながら退散して行くと、こちらに向き直り…
「あなた、そろそろ、いい加減にした方がいいんじゃない?」
そう声をかけてきた。
『女?』
革のツナギでわかりずらかったけど、バイクから降りた姿を見ると…腰の張り具合は女性っぽいし、たしかに胸元がふくらんでいる。
(僕は「胸の大きさ」には、さほど興味が無かった。僕の好みの「人間性」や「性格」と同じで、「自己主張」が強すぎるより、むしろ「控え目」なくらいの方が好きだった。中には・まず、「胸のサイズありき」みたいな奴もいたけど…そういう連中は・きっと僕と違って、自分の「持ち物」に、よほど自信があるんだろう。それに…まずは、その人を「好きになる」ことが大切で…好きになった子が、大きければ・大きかったで、小さければ・小さかったで、『どちらでもかまわない』と思っていたし…もっとも、未経験者の僕が、偉そうな事を言えた義理じゃないし…そんな僕に、「選択の余地」「選ぶ権利」なんて、あるはずもなく…まず、こんな僕みたいな男を、気に入ってくれる娘に出会う方が先決で…)。
「な・なにか用ですか?」
取り乱し気味の僕は、興奮して…意味不明だけど…かえって口をついて、言葉が出て来る。
「どういうこと?」
彼女(?)は、スモークのシールドを上げながら、訊き返してくる。
「だって…よ・よく見かけるから」
どうやら、補導員とかでは、なさそうだ。
「あら! 目がいいのね」
眼だけを出して・黒いベールを纏っている、中東あたりの女性を彷彿させる異国的な瞳で、そう・おちゃらけるが…
「いいこと。こんな事を続けていたら…そのうち、今みたいな『しっぺ返し』が来るわよ」
そう言い残して、去っていった。
『ふう〜』
ひと安心して我が家を目指すと、お次は…
「よう!」
駅前でバッタリ。職人風ななりの・紺色の作業服を着た、我が隣人「和男さん」と出くわした。
「いっしょにメシでも食おう!」
そう言って…なかば強引に…裏通りの定食屋へと、引っ張り込まれる。
(あんな事があった後で、もうヘトヘトだったけど…たしかに腹もペコペコだった)。
僕がカウンターの左奥に入り、彼が出入口よりの右側に座ると…
「ふい〜!」
彼は、ため息をついて…
(歳を取ってくると、湯船につかった時などに声を発するのは、感度が落ちてきた「快感中枢」を刺激するためなんだそうだ)。
瓶ビールの栓を抜きながら…「戦さ」の出陣前に・「特攻隊」の出撃前に、一杯の杯の日本酒。
「適量のアルコールは、逆に士気を昂める効果がある」
そう言って、瓶ビールを一杯、コップに注ぎ…
(実際、「少量の飲酒は、運動神経を高める」といった研究データーもあるそうだ)。
「まあ、一杯やれ」
僕に、ビールをすすめてきた。
(実のところ僕も、イタズラ程度に、なめた事くらいはあったけど…『なんで、こんなニガい物がウマいのかな〜?』としか思えない)。
そこで、『ことわる口実にもなるし』と…
(アルコールが入っていなくても、この夜はテンション「上げ・上げ」の僕だったし…)。
彼に、この物語の冒頭で述べた『飲酒の弊害』についての話をすると…
「なるほど!」
そう言って…
「俺は、今からじゃ遅いけどな」
と納得してくれたようだ。やがて…
「歳を取るっていうのが、どういう事だか、わかるかい?」
「和男さん」は、『メートルが上がる』ほどに…
(『メートルが上がる』とは…いつからなのか? あるいは・また、その起源については、詳しくは知らないけれど…『昭和』の中ごろまで使われていた、「酒に酔って上機嫌になる」ことを表現する言葉らしい)。
徐々に饒舌になって行き…
『ハア〜? 「歳を取る」ってことの意味?』
最後に、そんな話題に入って行くけど…先に挙げた『飲酒の弊害』の結論通り、19歳の僕は、まだ「成長過程の途中」。
『あと三年の「執行猶予」がある』
無縁な話としか、思えなかったけど…
「それは、選択肢の数が減るって事だよ!」
『?』
返答につまっている僕にむかって、和男さんが答えを示してくれるけど…
『どういうこと?』
(とっくの昔に…特別な職業、あるいは、特殊な職種以外…求人の年齢制限の項目が削られている現代だ)。
「たとえばプロのスポーツ選手」
和男さんは、解答の解説を始める。
「この歳になってから、『プロを目指します』なんて言っても、それが絶対ムリな事は、自分が一番よ〜くわかってる」
『なるヘソ!』
和男さんは続ける。
「歳を取るにつれ、選べるものの数が減っていくのさ」
『まあ、そうかもしれないけど』
そんな事は、僕には実感が持てず、『どうでもいいこと』のように思われたけど…
「若いって事は、それだけで価値がある。やってみなけりゃ・わからない事が、まだまだ・たくさんあるからな」
『そうかな〜?』
「つまり、可能性があるって事だよ」
まだ19の僕が、そんな事を本気で考えたことなんて、あるわけなかったけど…
「ただし…いちど事を起こしてしまったら、とりあえず結果は出てしまう。ケガをしただの・運が無かっただの、いろいろと言い訳はできるだろうが…現実を受け入れるのが恐いなら、はじめからやらなきゃいいのさ」
まるで、僕の事を言われてるみたいだ。
「子供の頃、しょうしょう野球がうまかったとする。あのまま続けていたら、もしかしたら甲子園に行って、プロ野球の選手になれたかもしれないって…やらなきゃ、いつまでも夢見ていられるけどな」
『もしかして、自分の過去について、語ってる?』
べつに、理由なんて無いけど…なんとなく僕は、そんな気がした。そこで…
「和男さんの夢って、何ですか?」
そう尋ねてみると…
「サイパン!」
すかさず、そう答えてきた。
『サイパン?』
『太平洋戦争』で、民間人をも巻き込んで、「日本軍」が玉砕した島だ。
「サイパンに行って、ビールを飲みながら、甲羅干しをするのさ」
『はあ〜?』
大そうな「夢」を、期待していたワケじゃないけど…もっと・こう…僕たち若者が、夢や希望を持てるような「提案」を、してくれるのかと思っていたけど…
「そんなの、簡単じゃないですか?」
今どき「サイパン」なんて…ちょっとガマンして・お金をためて・休みを取れば…誰でも行ける。そこで間髪を入れずに…
「大人になると、かなえちゃいけない夢もあるのさ」
「君のそんな想像は、お見通し」と言わんばかりの『含み笑い』をたたえて、彼はそう返してきた。
「その気になれば、できない事じゃない事を目標にする」
実現不可能とまではいかなくても…一般人なのに「スーパーカーを買う」とか「宇宙飛行士になる」とか…非現実的で無謀なものじゃ、ダメなんだそうだ。
『簡単に実現可能な夢』
ただし、実行はしない。
「そのうち・いつかと、それを糧に、毎日の仕事に励むのさ」
そう言って笑いながら、僕の肩に手を回して…
「若い今のうちだ。まあ、ガンバレ!」
僕のカラダを、左右に揺さぶってきた。
『オトナになるって、そういう事なのかな?』
そんな気には、させられたけど…
『僕には、まだまだヤル事が、いっぱいあるみたいだ』
そんな感じで、僕たちの「ホーム・スイート・ホーム」に帰り着いたのは、夜中の正午過ぎ。
「現場仕事なので、休日も勤務時間も不定期なんだ」と言うが…
『?』
(ただ…お酒は相当強いみたいで、かなりの量を開けたのに、まだまだシャキッとしていた)。
「ふう!」
なんだか今日は、「処世術の説教」やら「人生訓の講義」やら、いろんな事を学んだ・密度の濃い一日だったような気がして…
「ふう!」
興奮して、おまけに最後は「乙さん」の顔まで浮かんできて…
「暑い…」
なかなか寝つけない、「暑くて・熱い」残夏の晩だった。
3・Who are you?
先の『通り魔事件』。
被害者らが搬送された総合病院で、パンデミックが発生したと言う。
「施設全体を隔離する必要がある」と報じられただけで、内部の様子などは、まったく伝わってこない。
『なんで?』
「機動隊」が、建物の方を向いて・グルリと病院を取り囲んだ封鎖状態の映像が流れるだけで、詳しい状況などは一切不明。
(「報道管制」が敷かれているのだろうか? 『右』に限らず、やはり今だに存在する『左』の人たちが…事件そっちのけで…「国家権力による強制的な介入だ!」と、騒ぎ立てている)。
一部のネットなどでは、「自衛隊」の『災害派遣』の要請が出されたという噂もあるが、『警察権』のさらなる行使は…
(「陸上自衛隊」は…戦後の創設当初は…「警察予備隊」という名称を持つ組織で、本来は警察機構の一部だった。『太平洋戦争』以後、ずっと続いている…『民主主義』と言うより…『資本主義』の象徴「アメリカ合衆国」主導の、現行の政治理念に反感を持つ人たちに向けては、さらに「火に油を注ぐ」ような行為)。
「反発に拍車をかけることは必至」と、『その筋の専門家』と言われる人たちは、熱弁をふるっている。
(なんだか「変な世の中」になってきた)。
ただし医務官などばかりでなく、(生物・化学兵器や放射能汚染にも対応した装甲車を装備した)武装した部隊だと言うのだけど…
『どうして?』
でも、そんな事とは無関係に、僕の「青春」は現在進行形。
「コッチ方面なんですか?」
予備校帰りの、駅のホーム。スマホで、予約してあった映画の開演時間を再確認していると…後ろから、突然・声をかけられる。
(たまには映画も観るけど…俳優の演技が見たいわけじゃない僕が観るのは、実在の人物がモデルになった作品で、その人の容姿がわかっているなら、姿・形まで再現したモノ。あるいは、SFや未来モノ。または、単純に楽しめるアクション物などばかりだ)。
「乙さん」と遭遇した数日後。あの路線に乗ろうと、電車を待っていた夕暮れ時。
(もちろん、そんな期待もあっての事だったけど…)。
『僕?』
こんな所で声をかけられるなんて、思ってもいなかったから、訝しげに振り返ると…
『乙さん?』
でも、声をかけてきたのは…その手前に立つ、よく一緒にツルんでいる、小柄な女子。
『?』
スラッとして・いつもズボンをはいている、スポーティーな身なりの「乙さん」とは対照的に…いつもスカート姿の、セミ・ロングのストレート・ヘアーの子。髪形も服装も、パッと見・派手ではないけど、地味というほどでもなく…かと言って、「良いトコのお嬢様」と言うほど『お高く』もなくて…「育ちの良いお嬢さん」という落ち着いた雰囲気。
『コッチって言えば、コッチなんだけど…』
ナゼか映画は前々から、「外島ケ崎女学院」がある、あの街と決めてあった。
「いえ…あの…ちょっと…その…用事があって…」
ハッキリしない自分に、自分でイラ立ってきた。
(「言語中枢」と言っても…『文語』と『口語』…「読み・書き」と「話し言葉」は、別物なんだと思う。僕は、初めて話しをする人とは当然として、慣れたクラス・メイトとの会話中だって、突然、記憶が飛んでしまうようになって、単語が浮かんでこないなんて、しょっちゅうだ。男の中にだって、いつまでも喋り続けている奴がいるけど、『どこから言葉が出てくるんだろう?』と感心してしまう)。
「ホントは、前宮なんだけど」
しどろもどろに・やっとの思いで、現在・自分が住んでいる駅名を告げると…
「クス・クス…」
二人で顔を見合わせて・コソコソと、微笑みあっている。
『やりにくいな〜』
最初は「一対二」ということで、多少こちらの分が悪い気がしたけど…実は「助け舟」だった。
「南線の方ね」
アダ名「カッちゃん」は、いったん話し出すと、見かけによらずキャピキャピと、オキャンな感じ。タイプじゃないけど、あんがい気楽なノリで、かえって安心できる。
「あそこの駅周辺の大地主さんの、大野さんって人がね〜」
たまたま偶然だけど、たまたま知ってる家があるみたいだし…
「でね〜」
ほんの数駅ほどだったけど…後ろに立つ「乙さん」は、ほとんど黙って聞いているだけ。僕も舞い上がってしまい、「カッちゃん」が何を喋っていたのか、まったく憶えていない。
『ふい〜』
けっきょく僕は、映画の開演に間にあわなかった。
(だって受験生なのに、「映画を観に行きます」なんて、恥ずかしくて、とても言えない)。
本当は・僕も下車するはずだった駅で、乗車したまま二人を見送り、ひと駅先まで乗り過ごした僕は、でも…
『まあ・それでも大収穫』
なにしろ・これで…
『多少は面識もできたって事で…』
スキップしたいくらいの気分で…たぶんニヤニヤしながら…ムービー・シアターにむかっていたはずだ。
(映画どころの気分じゃなかった僕は…内容も、ほとんど憶えていない)。
※ ※
そして・さっそく、翌日の「昼休み」に…
「オッちゃんがね…」
そう言って、売店の前のベンチに腰掛けて、いつものサンドイッチをパクついていた僕に声を掛けてきたのは…
『オッちゃん? ああ、乙さんのことか』
昨夕の「カッちゃん」こと「勝田さん」だ。
(もっとも僕は、「乙さん」の名前の読み方を、正式には聞いていない。この子のファミリー・ネームだって、昨日の会話の中で乙さんが、たまたま「勝田さん」と呼び掛けたから、知っているにすぎない)。
「とってもイイ匂いのする人がいるんだって…」
と言いながら、僕の方にむかって「クンクン」と、匂いをかぐような仕草をしてみせるが…
「あたしは鼻が悪いのかな? よくわからないんだけど…」
そして続けて…
「あの子、アナタの事が、気になるみたい」
いきなりだけど…
『マジ?』
でも、わざわざ・そんな事を言いにくるなんて…
『この子は見かけによらず、「おせっかい」な性格なのかな?』
良く言えば「世話焼き」「面倒見が良い」という事になるのだろうけど。
「あの子、そっち方面は奥手だから…」
きっと「気になること」には、ひとこと言わなければ、気の済まない質なんだろう。
「お互いを鼓舞し・高めあえる存在なら…受験生だって、恋していいはずでしょ」
そう自論を語って、そして…
「心に迷いがあると、受験勉強にも身が入らないぞ!」
そう言って手を振りながら「愛のキューピット」、あるいは又「恋の伝道師」は去って行く。
『なるヘソ!』
ついでに言っとくと、「なるヘソ!」とは…ひいジイチャンやジイチャンが、おちゃらけた時に、よく使っていた言い回しで…『昭和』の頃の「流行り言葉」らしい。
(みんなが長生きする世の中になると、「文化の伝承」…つまり近過去の風俗・習慣などが、しっかり・きっちりと受け継がれるものだ)。
『ヨシ!』
ここは「ファイト一発!」。
(これは、いまだに栄養ドリンクのCMで使われている掛声だけど…)。
「男は度胸・女は愛嬌」…なんだそうだ。
(祖母に聞いたのか? それとも曾祖母からだったのかは、忘れたけれど…そんな風に言われていた時代も、あったみたいだ)。
勝田さんの言葉に、多少…と言うより、「かなり」…勇気づけられた僕は、さらに・その翌日の今日。大教室に着いてみると…
『?』
珍しく僕より早く、前から六列目の右端に、「乙さん」の姿があった。
『勇気を出せ!』
僕は、その左端の席に腰を降ろしながら…
『オハヨ!』
目が合った「乙さん」に、そんな意味を込めた目礼を送ったんだけど…
『気づいてくれたかな?』
本日は、「夏休み」明けの、最初の現代文の試験があった。
「『しらとり』さん…で、いいのかな?」
テストが終わり、左のハシに座っていた僕が、対岸の右端に座った「乙さん」に答案用紙を手渡すと、そう尋ねてきた。
「『はくちょう』さんじゃないよね?」
アタマに一気に血が昇って、薄れかけていた意識を取り戻している最中だったので、即答できないでいると…チョットふざけた感じで、訊き直してくる。
(実は、小学生の頃の僕のアダ名は、「尻取り」遊びをしている時につけられた「しりとり」だったのだけど…)。
「うん」
やっとうなずいた僕に、今度は…
「下の名前は、何て読むの?」
続けて、そう訊いてくる。
「白鳥武尊」
それが、僕のフル・ネーム。
「日本武尊」あるいは「倭健命」は、神話的伝説の人物で…
(「武尊|」は『日本書紀』の表記で、『古事記』では「健命」と書く)。
その実在は、「聖徳太子」の存在以上に「?」みたいだけど…僕が、まだ幼かった頃、「名づけの親」である祖父に、自分の名の由来を尋ねたことがあった。
「恐竜ネッシーに乗って、背中に巨大ブーメランを背負った『怪獣王子』ことタケル」
祖父が子供だった頃、まだテレビが白黒だった時代の、子供向け番組。その実写ドラマが大好きで、「主人公の名前にちなんだ」なんて、冗談めかして語っていたけど…
(僕の家系は、決して「右寄り」でも『国粋主義者』でもなかった)。
だいたい「タケル」とは、元来、日本の古語で「勇者」を意味するんだそうだ。
(もともと「ヤマトタケル」の本名は、「小碓尊」と言ったらしい)。
それが、九州の「熊襲討伐」のおり…今の感覚では、ほとんど謀殺としか思えないやり方で…敵の首領を討った際、その「熊襲猛」の弟から贈られた称号だという事になっている。
さらに、自分の苗字「しらとり」に…ヤマトタケルの最期。白鳥になって飛び発ったという『白鳥伝説』をかけた事も、間違いないだろう。
(もっとも、『明治』以前は、由緒正しい家柄以外、名字なんてなかった。せいぜい『川むこうの次郎吉』などの「呼び名」や、『国定(郷)の忠治』なんて「通称名」があった程度。だから一般平民の出では、その由来などをたどっても、意味が無い。村で一番の学があったお寺の住職さんに、「お前は○○の所在だから✕✕だ」みたいな調子でもらったものだと、残念な思いをするだけだろう)。
きっと僕の祖先は、白鳥が飛来する湖の畔にでも、住んでいたんだろうけど…
『…って、どうして僕の名前、知ってるの?』
まあ僕だって、彼女の名前がどんな字を書くのか、「盗み見」して知ってるけど…
『僕と同じ理由?』
そこで…
「ソッチこそ…」
やっとの思いで声を発したので…
「この前の校内模試、僕のひとつ上だったよね」
多少「つっけんどん」な物言いに、なってしまったけど…
「そう言う自分こそ…」
かなり「馴れ馴れしい」口調に、なってしまったけど…
「何て読むの?」
最後は「たどたどしく」なってしまったけど…訊いてみる。
『エッ?』
僕にそう問われた彼女は、ピクンとした表情を見せるけど…つまり、少なくとも僕は「あなたの名前の綴りを知っている」という事を、示してみせたワケだ。
「きつない・おと」
そう教えてくれた後で…
「…へへ」
照れ笑いをして見せる。
『お互いを鼓舞し・高めあえる存在なら、受験生だって、恋していい?』
まあ・これで、お互いが・お互いの事について「関心がある」って事がハッキリしたってわけで…
『めでたし・めでたし』
せめて…
『格差婚にならないよう、ガンバらねば!』
4・What’s matter with you?
それから数日が経ち、隔離されていた総合病院の事件は…理由はわからないけど…自然収束にむかい、終息したらしい。
翌日。けっきょく詳しい報道がなされないままに、「施設は完全に閉鎖される」との発表があった。
(漏れ伝わった噂によると…「いったい何があったのか?」。内部は、凄惨を極めるような状況だったと言う)。
「特に・どこって事はないんだけど…」
僕は、曖昧な返答しかできない自分に、困惑気味だった。
『う〜ん?』
たちこめた・夏の暑さの残る、夕暮れ時。もう陽が沈んだというのに、都会の夕方の喧騒が、「暑さ」をいっそう助長している感じで、いっこうに暑気は引かないけど…
『どうしよう?』
僕はオッちゃんと、線路が見える広場のベンチに座っていた。
駅付近の再開発が済んだばかりの、ターミナル駅のすぐ近く。複数の路線が入り組んでいる、広々とした場所。熱風に近かったけど、電車が通り過ぎるたびに風が来るので、少しはマシだったのかもしれないけど…なにしろ僕は、それどころではないほどに舞い上がり、そんな事を気にかけている心の余裕はなかった。だって…
『これって、現実なの?』
付き合いはじめた(?)僕たち…僕と「オッちゃん」…には、暑さを感じている心の余裕なんて…少なくとも僕には…無かったからだ。たとえ炎天下にいたって、僕は満たされた気分に、ひたっていた事だろう。ただし…
『何て答えよう?』
左に座るオッちゃんの方に視線を向け…
(どういうワケか・僕の記憶では、たいていの女子は、僕の左手にいる…と言うか、左側にいてほしかった。それは、「左側通行」の国に生まれ・育ったから? たとえばインドでは、左手は『不浄の手』とされるようだけど…日本は、全世界的には少数派の、左方を神聖視する民族なんだそうだ。僕は、日本と英国が左側通行になった理由を知らないけれど…イギリスは「紳士の国だから」という説がある。「右手で戦い・左手で愛する者を守る」。それで、男性のスーツの合わせ面は、懐ろから武器を取り出しやすいように、左が上になっていて…一方で、女性のソレが逆なのは、授乳がしやすいからと言う。でも・それは、日本の着物も同じだし…左側通行の国『大英帝国』から鉄道技術を導入した結果の「イギリス連邦追従説」や、「武士の刀は左に差したから」など諸説入り乱れて、結局のところ、はっきりしないのだけど…個人的には僕・独自に、「左方神聖説」を支持している)。
「学力次第かな」
だって、本気で『大学に行きたい』なんて、思った事がなかったから…『けっきょく今の自分は、この程度なんだ』という事に、あらためて気づかされた気分。
『ガッカリだ』
(ただ、『聞いた事もない大学に行くくらいなら、働いた方がマシ』とは思っていた)。
「部活のやり過ぎかな?」
一方のオッちゃんは…なかば予想通り…バスケの選手。
「志望校には落ちちゃうし…」
そんなんじゃ…ましてや、中・高一貫の女子校だし…彼氏もできなかった事だろう。そういった点では、少し安心。
「でも、レギュラーだったなんて、スゴいじゃん」
別に「持ち上げた」わけじゃなく、素直に感心。なにしろ僕は、「球技音痴」。
(上手い・下手以前に…本能的に、嗅ぎ分けているのかもしれないけど…ボールを操る事が苦手だった僕は、ハナから球技には、まったくの「門外漢」。興味すら湧かなかった)。
僕は子供の頃から…走ったり・泳いだり・滑ったり…「空間移動」系のスポーツが好きだった。
(スキー・スケート・水泳・自転車…誰にも教わらず、一人で・ひとりでに、できるようになった。そんなせいか僕は、教える事も・教わる事も苦手だった)。
「強豪校ってわけじゃないし、部員も少なかったから…いつも一回戦で敗退」
オッちゃんは、控え目に、そう返答してくるけど…
『それでも僕みたいに、何にも挑戦してこなかった人間よりは、はるかにマシだよ』
ご存知のように、僕は何かの大会に参加したことは無いけど…まあ、走る事は好きだった。
「僕も一応…」
オッちゃんの第一志望は、僕たちが通う予備校が、「合格率が高い」ことを売り物にしている大学だった。
(つまり、前にも述べたように、僕の父の母校だ)。
でも、今の僕の学力じゃ…「現文」以外…まったくムリ。
『あくまで、理想や願望ってことで』
一応、そういう事にしておいた。
「学部は?」
そう訊かれて、即座に出てきたのは…
「文学部・文芸科」
父が卒業した学部・学科だった。
(実のところ、それ以外にどんな学部があるのかさえ、知らなかった)。
「へへ〜、小説家にでもなるの?」
『ハテ?』
そんな事、今の今まで、本気で考えたことがなかったけど…
(昔なら「紙とエンピツ」だろうけど…今なら「パソコンかスマホやタブレットさえあれば、どこでもできる」気楽な商売。そんな夢想くらいなら、した事があった。もっとも作家さんて、同じ芸術家でも画家や彫刻家などとくらべて、カルトなミュージシャンなみに短命だ。外にむけて発散できる絵画や彫刻と違い、ジッと座って…そのクセ頭の中では、「殺したり」「殺されたり」など…現実の出来事と同等の、疑似体験をしているのだろう。そのくらいじゃなきゃ、優れた作品など書き上げられないのも、納得だけど…不健康きわまりない職業なのかもしれない)。
『そんな手もあったのか!』
実際・僕は、単発的ではあったけど…中学の頃から、自主的に日記をつける習慣があった。
『何か、フツーじゃないネタでもあれば…』
僕には「戦場カメラマン」なんて、売名行為のための行動としか思えない。「戦争の真実」とか「報道の義務」とか何とか、理由はいくらでも付けられるだろうけど…日常生活では絶対えられないような題材・被写体を求めて、戦地に赴いているとしか思えない。
(もっとも、中には「軍隊向き」「戦い向き」の人もいるみたいだ。いま現在も、「時代が違えば英雄になれた」人物が、僕と同様、市井に埋もれて、ひっそりと暮らしているに違いない)。
ただし…最悪「死」が待っているわけだけど。
(世の中には、『富』にばかりでなく…『栄誉』や『名声』のためにだって、「命を賭ける人」や「悪魔に魂を売る人間」が、大勢いることだろう)。
オッちゃんの一言で、「白昼夢」に…陽が暮れていたので「白日夢」の方が適切かな?…ひたっていた僕だけど、オッちゃんは僕なんかとは全然違って、きちんとした目的がある。
「世界で働くことが夢」
単に「大学進学」というばかりじゃなく…具体的な職種は、まだ漠然としたものだったけど…何か、国際貢献ができるような仕事に就きたいらしい。
(僕なんかと違って、大きな目標があるみたいだ)。
『?』
そう夢を語った後で、意味深な視線を送ってくるけど…
『目が悪いのかな?』
「ガンつけてる」と勘違いされそうなくらいの「眼力」で、無言でジッとコッチを見詰めている。
『?』
その時、フト気づいたのだけど…
『!』
陽の落ちた都会の公園。日没の遅い夏なので、もう、けっこういい時間。
『そんな雰囲気?』
あたりを見回せば・あちこちで、人目も気にせずイチャイチャ・ベタベタ…そのくらいの事をしているカップルなんて、いくらでもいる。
(曾祖父母は、「アベック」って言ってたけど…それってフランス語だそうだ)。
そんな中に、ポツンと僕たち…
「ゴホン!」
でも、そんな経験、したことの無い僕にしてみれば…
『もし勘違いして、間違ってたら…』
まったく「空気を読めない」し、どっちにしろ…
『まだ早いよな』
そこで僕は、ドギマギしながらも…
「あしたって、一限目からだったよね?」
『後ろ髪引かれる思い』たっぷりだったけど…
「うん」
話題を変える。
「そろそろ帰らなきゃ」
オッちゃんはそう言いながら、いつものバッグを取って、立ち上がり…
「それじゃ」
「本当は別れたくない」僕は、改札の前まで見送って、軽く手を振りながら…
「また、あした」
ここは「外島ケ崎女学院」があり、僕が映画観賞に訪れる街。オッちゃんはここから、別の路線に乗り換えて、家に帰ることになる。
『さて!』
駅で別れて、歓楽街を抜けて西へ。
(ここからなら僕のアパートまで、予備校がある街から帰るのと、距離的に・大した違いはない)。
『ヨッシャ〜!』
僕は、目的や目標がなくては、その気になれない・ヤル気が起きない人間。
(もっともフツー誰だって、まずは何かに触発されるものだろ?)。
『早く帰って、勉強しなくちゃ!』
今さらだけど、俄然、ヤル気が出てきた僕は、サッソーと夜道を急いでいたのだけど…
『あれ?』
繁華街から、どんどん離れる方向に歩いている時だった。両側で二車線の一般道。僕は最初、右側の歩道を歩いていたのだけど…向こう側を歩く男性が、「スウ〜ッ」と僕の前に出てくるのが見えた。
『マジ?』
けっして走ってるわけじゃないのに…
『は・速い!』
僕は「歩くスピード」に関してだって…
(そりゃ「競歩」の選手には、かなわないかもしれないけど)。
フツーの人間なんかには、負けない自信があった。
『ましてや、あんな細くて・青っちょろい奴なんかに、負けるはずがない』
(まあ、陸上の一流選手は、みな細いものだけど…たいていは真っ黒に「日焼け」もしているものだ)。
『チックショ〜!』
どうした心境の変化か? 一気に対抗意識が湧き上がる。
(オッちゃんとの事で、積極性に火が着いたのかもしれない)。
駅から遠ざかるにしたがい、歩行者も減り、歩きやすくなったけど…まったく追いつかない。むしろ信号でも、向こうは良いタイミングで渡って行くので、離れていくくらいだ。
『なんなの、アイツ?』
僕はだんだん「早足」になり…
(途中の交差点で、直進の信号が「赤」になったところで、対岸に渡り)。
最後は後方に着いて、ところどころで「駆け足」。
『でも…』
よく見れば、真夏だというのに、黒っぽいコートみたいな物を羽織っているし…
『それに…』
犬を連れた女の子に出会った時に見た「ストーカー」に…別人では、あったけど…雰囲気が似ている。
「ハア・ハア・ハア…」
やがて・その男は、左の路地に入って行く。
『?』
あたりを見回せば…道路の左手には、何かの・公的機関の施設なのか? お堅い感じの質素な建物。この時間、窓から洩れるのは、非常灯の緑色っぽい灯りだけで、真っ暗だ。
『ヨシ!』
好奇心も手伝って、僕も導かれるように…その敷地が切れた先の塀に沿って、左に回り込む。
『!』
オカルト物みたいに、「忽然と姿を消していた」なんて、あるわけ無い。ただし、すぐに闇に溶け込んで行く。でももし、ここで完全に消えていてくれたら…僕も『後を追おう』なんて気には、ならなかったはずだ。
(路地はどうやら…ヤンキー連に、追われた時みたいに…僕にとっては「鬼門」のようだ)。
『なんだか、薄気味悪い』
車が行き交う表の通りから、少し入っただけなのに…この辺りには、住宅も無いのだろう。人気も明かりも、まったく途絶えてしまう。両側には万年塀が延々と続き、街灯はポツン・ポツンとあるけど…奥へ行くほどに、一面うっそうとした木々や茂みに覆われ、そこだけ一帯、闇に沈んだ場所。
『何か出そう』
まさに、そんな雰囲気だけど…僕は心霊現象なんてものは、まったく信じていなかった。
『そんなの幻覚・幻聴などの、錯覚の類いだろ』
そのくらいに思っていた。
『たとえ、物質界とは縁の無い世界があったとしても…そんな奴らに、いったい何ができるの?』
そんなふうに考えていた。
『そんなモノより、たとえば、この前のヤンキーたちのように…実体をともなった人間が、包丁でも握っていた方が、よっぽど怖いと思うのだけど』
でも、その時、フト思い出した。
『そう言えば…このあたりは、例の総合病院とは、目と鼻の距離だよな』
そんな事に気がつくと…
『なんだか気持ちわり〜』
一気に怖くなってきた。そして…
『アレ?』
薄暗い・左の塀ぎわの路肩に、蠢く白い影。
『ヒト?』
たしかに…人らしき物体が、うずくまっている。
『ここで声を掛けるべきか? 知らんぷりで通り過ぎるか?』
「二者択一」の試験問題じゃないけど…
『こんな場所で…マジかよ』
多少、逡巡した末、オッちゃんとの件で、心が広く・大きく・そして「良い人」になっていた僕は…
「あの〜、どうかしました?」
そう声を掛けてみたのだけど…
『?』
ゆっくりと、こちらに左半面を向けてくると、遠くの外灯の灯りを受けて…
『中年の女性?』
でも、さらに右半面が見えてくると…
『ギョッ!!!』
顔の右半分がとろけたようになって、眼球がブラ下がり、歯がむき出しになっている!
「!」
もう、声なんて出ない。
(普段から、どちらかと言えば無口な僕だ。きっと、突然こういった状況に陥ると、悲鳴を上げるより、喉が詰まってしまうタイプなのだろう)。
「バサッ!」
僕が後ずさりを始めると、何かを置き去りにして、飛びかかってくる。
『?』
チラリと視界にはいったのは…膝から下の両足。
『ゲッ!』
自分でジャンプしといて、脚がち切れるなんて!
「ガシッ!」
中身の無くなった白衣のスカートをバタバタさせながら、両手でつかみかかってきた。
「ウワ〜!」
さすがに今度は、思わず声が出て、両手で振り払うと…
「ボキン!」
そんな感触があって、妙に軽々と、僕の左肩に右手を残してヒラヒラと宙に舞う。
「ブシュ〜ン!」
と次の瞬間。右側から頭部を粉々にされて、左の塀にブチ当たる。
『?』
あたりを見回すが…どこから撃ったのかもわからないほどの、遠距離からの狙撃?
『な・なんなんだよ? このシチュエーション!』
でも…
「ザワザワ…」
それを合図に…あたりに生臭いにおいが立ち込め、塀の向こう側から、ざわめきが起こる。
『ヤバい!』
踵を返して僕は、『無我夢中』で、表の通りを目指して・全力で走った。
「ブシュ〜ン!」
「ブシュ〜ン!」
「ブシュ〜ン!」
ヤツラは、右側の塀の上から、続々と顔を出しては、次々とアタマを撃ち砕かれていくが…
『マズい!』
行く手に一体、路地をさえぎるように降り立った。
『チックショ〜』
退路は完全に断たれたように見えたけど…
『エイッ!』
左の壁に飛びついて、テッペンにはい上がる。
『?』
その時、一台のバイクのヘッド・ライト。こちらに向かって加速して…
「キィーッ!」
化け物の直前で、左回りにブレーキ・ターン。180度向きを変えながら、後輪でソイツをはね飛ばす。
「乗りなさい!」
あの時…あのヤンキー三人組に、からまれた時のライダーだ。
「ブオン!」
「女性だから」なんて、この際、かまっていられない。タンデム・シートに飛び乗った僕は、しっかりとしがみ付く。
「数が合わないと思っていたら…あの中に、残党が残ってたのね」
ノー・ヘルだったし、流れて行く夜景なんて、眺めているゆとりも無かったけど…バイクは夜の街道を疾走して、僕のアパートの下へ。
「でもアナタ、なかなかヤルじゃない」
大根畑から見上げると、まだ灯りの着いている部屋は無く、なんだか心細い。
「今夜は、もう大丈夫よ」
そう言い残して去って行くが、その深夜…
「トン・トン・トン・トン」
まったく寝つけないでいた僕の部屋のドアを、ノックする音。
「ビクン!」
あんな事があった後だ。
『?』
恐る恐る、玄関のドアの・のぞきレンズから、外の様子をうかがうと…和男さんだ。
「起きてたか?」
チョットお酒臭かったけど…
「受験勉強の邪魔だったかな?」
泣きたいくらいに、ホッとした。
「差し入れの夜食だ!」
テイク・アウトの「野菜天丼」と…そして「ニンニク」の丸焼き。
(あんな「エグい物」を見た後だ。「牛丼」じゃムリだろうけど…これなら食べられる)。
「これでも食って、精力つけろ!」
ホッとして、涙がにじんで来る。
「それとコレ…」
小さな透明の、ジップ・ロックに入った…お米と、「○○明神」と書かれたお札。
「合格祈願だ!」
呑んでいた居酒屋のオバチャンにもらったという、「魔除け」らしい。
『たんなる偶然?』
(お米は、ゾンビみたいな悪霊に効くそうだ)。
「俺もこれから、〆のメシ食って寝るから」
そう言って、隣りの自分の部屋に引き上げる。
「ピーピー・ガーガー…」
それから僕は、ナゼか今夜は感度の悪いラジオをつけて、人の声を聞きながら、悶々とした眠れない夜を過ごし…
(オッちゃんの顔も浮かんだけど、こんな時間だし…なんだか、そんな気分じゃない)。
夏の早い日の出で、夜空が白みはじめた頃。いつの間にか寝入っていた。やがて…
「チロン!」
枕元に置いたスマホの、メール受信の着信音。
『?』
ほとんど寝ていないような気がしたけど…それで目が覚める。時刻は、午前の10時。
[どうしたの?]
オッちゃんだ。
[ゴメン。夕べあれから、ちょっとガンバリ過ぎたみたいで…体調悪くて]
ある意味、たしかにそうだ。
[だいじょうぶ?]
オッちゃんに心配かけたくなかったし、だいたい、ひと晩明けると…あまりに突拍子もない出来事だったので、気が動転していたし…あれがホントにあった事なのかどうかも、実感が湧かなくて。
[今日は休むよ]
それに、こんな話をしても、信じてもらえるかどうか?
[お大事に(ハート・マーク)]
それでホッとして、窓から差し込む太陽の明るさに、まぶしさより安心感を覚え、もうひと眠り。
「ふう〜」
長くなったけど…純文学的な私小説の導入部は、これで終わりのようだ。そこから僕の人生は『急転直下』。自分の意思とは無関係に、とんでもない出来事に引きずりこまれ・巻き込まれて行くことになる。