5-8:魔女の終焉
一日遅れました。すみません。
―― 千数百年前。とある地で。
「また、戦争がはじまりましたわね。」
「はい、今回もまた単純な領地争いですね。」
クリスティアラが滅亡してから数百年、セラフィーナとシェルンはエルフィリアと別れてからずっと、戦争が勃発すれば侵略を始めた国を停めるという、戦争鎮圧を自分たちの役割として世界を巡り続けていた。
長い長い時を得て、世界の力も色々と使いこなせるようになってきたセラフィーナだが、戦う力に置いては追随する者はおろか、近づく事さえできる者が皆無となり、世間では既に災厄の魔女は特別災害指定されるほどとなっていた。
特別災害指定。人知を超えた、人の身では決して抗う事も諫める事も出来ない、大自然の齎す脅威と同類の災害。
国をひとつ滅ぼしてしまうほどの大津波や大地震と言った、数百年単位でしか起きないはずの災害が、たった一人の人物によってもたらされるという異常な状況。
戦争の時のみ顕現する、天罰のような存在。
だが人々の争いは、たとえそんな天罰のような存在があったとしても決して消えることは無い。
天罰を受けるのは必ず悪であり、自分たちは正義であると信じているから。自分たちの行いが過ちであると気付ける人など決していないから。
いや、実際には正義でも過ちでもない。争いは必ず、正義と正義のぶつかり合いでしか起きえない。
もちろん時の権力者が、自身の欲を満たすために争いを起こす事も多々あるが、当然それだけではない。
隣国とのいさかいが発端となって大きな火種となる事もあれば、困窮に瀕するものが自分たちの命を護る為に手をあげる事もある。
宗教的なものや民族的なもの等、単純な価値観の違い、信じているものの違いも当然争いの元となる。
そんなことは百も承知で、それでもなおセラフィーナは争いそのものを消し去るという行いをずっと続けていた。
武器を持ち立ち上がり、武器を持たないものを叩く。自分たちの持つ領土では、土地では満足できず、武力で侵略する。
文明が発展した世界でさえ決して無くならない争いは、文明がまだまだ未発達な、魔法文明により争う力だけが発達しているような世界では決して無くなることは無い。
「今度の争いは分かりやすいですわね。どちらもそれほど豊かな土地では無いというのに、奪うために侵略する。軍国主義に傾いてしまえばそうなることは、分からなくもないですが。」
色々なものを諦めた様な、完全にすり切れた表情で立ち上がるセラフィーナに、言葉もなく付き従うシェルン。
今回侵略を受けた国家は、既に野生化した魔獣が多数住む森林に面している農業中心の国、ウェルフィールド。
侵略を始めたのは同じ森林沿いだが、山岳地帯にも近く農地が少ない国家、ギルウォルド。
山岳地帯に近いギルウォルドには鉱山があり、武具の精練についてはウェルフィールドよりも進んでいた為か、時の王が軍事国家へとその国政を傾けてしまった。
その結果それまでは友好国だったウェルフィールドの地を徐々に狙うようになり、属国化を目論み始めたギルウォルド。
当然今まで対等だった関係を、軍事的圧力を背景に上下関係を迫られれば、ウェルフィールドは反発する。
最終的には国境の小さな諍いがきっかけとなり、軍事国家となっていたギルウォルドが侵略を開始したという、どこにでもある単純な理由の戦争。
もちろん友好関係だった二国間故、国の中枢は置いておき、国民間での友好は続いている者も当然いる。
だがそれも自国の国土を荒らされ始めれば過去の事。軍事力の違いで一気に押されたウェルフィールドは、争う意思のない国民にも犠牲が出始め、国境沿いの町や村は全て占拠されてしまう。
そして今、ウェルフィールド外縁部からは少し中央に近い位置する農村。そんな土地に住む農民たちは、これから迫りくるであろう軍勢に全てを諦めていた。
もとよりこの地で細々と農業を営んでいた身。他の地へ赴き新たな食い扶持を見つける事も、国境警備を突破して迫りくる軍勢に、小規模な自警団だけで対抗する事も出来やしない。
既に外縁部に位置する村や町から逃げ延びてきた人々に、略奪の限りを尽くされて救いようのない状態とも聞いている。
そんな、抗う事も逃げる事もあきらめた人々の中、村人の一人でありこの村で自警団のリーダーを務めている男、ジェラルドは団員達と、ほぼ意味のない抵抗をするために集っていた。
抵抗する理由はただひとつ。自分達に注目を向けさせて、村人を少しでも護る事。子のある家族だけでも村の中で比較的見つかりにくい場所に隠し、身を挺して護る事。
だがそんな悲痛な状況の者たちの前に、本来この世界にあってはならない、人の姿をした天罰が訪れる。
「やはり無抵抗の土地に向かってくる軍隊というのは、増長するものですわね。何年経っても、決して変わらない。」
力なき村人達の前に現れたのは、どう見ても高貴な者としか思えない、美しいドレスを纏った姫君と、侍従と思しきメイド。
自国にこのような姫が居るなど聞いたことも無く、何よりこれから敵の主力軍が突入してくる地、高貴な者が来る理由などない。
「そうですね。やはり今回も止められるのですか?」
「わたくしにはそれしか出来ませんから。止めなければまた、この地に住まう方々が蹂躙されるだけですわ。」
少し離れた場所に突如姿を見せた、見たことも無い姫君とメイドの会話はよく聞こえない。
だが少なくともこのような地に居るべきではないと判断し、ジェラルドは身分を恐れながら近づいて声をかける。
「あ、あの。よろしいですか?」
その言葉に、「はい、なんでしょうか?」と振り返るセラフィーナの、その顔を見てジェラルドは固まる。
突入してくる軍隊に差し出してしまえば、悲惨な結果しか想像できないような美しい姫君。
そのことにも危惧するが、何よりもその目。振り返り目が合った瞬間、ジェラルドは自分の意識が、心が委縮したのを感じた。
長い時の間、延々と人々の争いを力で強引に停め続け、数多の命を奪う事に擦り切れて、全てに絶望したセラフィーナの瞳。
本来は済んだ空色の瞳は、今はまるで光の無い、何もかもを諦めきった、死んだような色の瞳。
とうの昔に精神が既に耐えられない所まで進んでしまった、そんな様相のセラフィーナは、表情も無くジェラルドの、精悍だが今は何かに怯えたような表情を見つめる。
だがそれでも、実直な男はこのような人物をここに居させてはいけないと、委縮した心を奮い立たせて進言する。
「この地にはもうすぐ、ギルウォルドの本体が来るという話です。我々はこの地を捨てて逃げる事などできませんが、貴女のような方がここにいてはなりません。早くお逃げを。」
自分達が犠牲になるのは厭わず、危険なこの地にいるセラフィーナ達を逃がそうとするその心意気。
セラフィーナもシェルンも、久しぶりに人の暖かさを感じた様な気がするが、それでも微笑みひとつすら返す事も出来ず。
死んだような目のまま、一言。
「お気遣い、感謝しますわ。」
とだけ答える。そこからはまた、無言。今のセラフィーナにとっては、迫りくる軍勢以外に興味がないように。
人の暖かさに触れて、自身も暖かく返せるような心。本来はとても優しく慈悲深いセラフィーナだが、こうなってからずっと、そんな心はどこかに置いてきてしまった。
「いえ、ですから!あっ!?」
ほとんど取り付く島もない状況だが、それでもジェラルドは逃がそうと言葉を続けようとする。
だがその時、遠くの頬から地響きにも似た音が聞こえ始めた。
進言するジェラルドにも、村の人々にも、当然セラフィーナとシェルンにも聞こえてくる、軍勢が突き進む音。
それはすぐに視界に映り、この時代の軍勢としてはかなり大規模の、数万人の兵が突撃してくる光景を皆の目に晒す。
「くっ。あんなものどうしようもないっ!皆出来るだけ子供たちを護れ!自警団員は俺に続けっ!」
抗っても蹂躙されるだけの人数差。はなから戦いにならないとは分かっていても、他に出来ることも無い。
ジェラルドは会話の出来なさそうな姫君の事もあきらめ、迫りくる軍勢に向けて玉砕しようと心を決めて走り出す。だが。
「まずは子供を護る。そうですわね、これからの未来を担う子達をこんなところで喪ってはなりませんわね。」
絶望の中でこの男が放った一言が、ほんの少しだけセラフィーナの心に、人としての想いを蘇らせる。
だがそれでも、それだけしか変わらない。そこからはいつも通りに、セラフィーナは自身の力を揮い、視界を埋め尽くすギルウォルドの軍勢に向けて、白銀の光で出来た宝石のような何かを多数解き放つ。
『魔法使いっ!?いやだが、一人でなにを?』
そっけない反応をしていた姫君が、子供を護るという言葉にだけ反応して何かを始めた。それを気にしつつもジェラルドと自警団の仲間たちは脚を止めず進みかけて、それを見る。
数万の兵に向けて解き放たれた、兵の数と比べれば比較にならないほど少ないが、それでも数えることはできない程の宝石。
それが兵たちの上空まで迫ると当然軍勢にいる魔法使いは結界を展開して攻撃に備える。
兵たちも展開された結界に護られながら、なお防御姿勢を保ち突撃を止めることなくどんどんこちらに迫ってくる。
その光景を見て、セラフィーナは諦めたような溜息をつき、その宝石、魔法の砲台ともいえる無数のソレから、光の雨を解き放つ。
それは展開された結界をまるで薄紙のように打ち砕き、一撃一殺と言った形で迫りくる兵たちを次々と打ち倒す。
宝石は一撃放てばすぐ移動して第二射を放ち、まるで何かの悪い冗談のように次々と兵たちを屠っていく。
宝石に向け放たれた魔法使いの攻撃も、人の目ではとても追えない速さで移動する宝石を掠める事も無くまるで無力。
中空を漂う宝石はあっという間に突撃する兵たちを屍の山へと変え、任務を果たすとその場で消える。
残ったのは今先ほどまでこの地に絶望を齎すはずだった、多数の兵が倒れた姿。そこには動く兵の姿は一切ない。
「そ、そんな。バカな・・・。」
数万の兵がたった一人の魔法使いの放った魔法で、数秒で全滅させられるという、悪夢のような光景。
人知を超えた、神か悪魔の所業。
ジェラルドはありきたりな言葉が口から出るだけで、それ以外は何もできない。
村の者たちも、突撃し始めた足を止めてその光景を目の当たりにした自警団のメンバーも、みな呆然とその光景を見る。
信じられないような、その光景。
本来人の身では成しえない、異常な所業。
だがただひとつ、彼等もその名だけは知っている。そんなことを可能にする、人知を超えた天災が存在すると。
「これでもう、彼の国は何もできないでしょう。帰りますわよ。」
結局何もできなかった自警団と村の者たちが向ける視線を気にすることも無く、その場から立ち去ろうとするセラフィーナ。
常であれば目の前の所業に皆恐れをなし、触らぬものにたたりなしと言った風情で誰もセラフィーナと関わろうとはしない。
一瞬で数万の人間、その命を奪うような存在と関わりたいなどとまともな神経の持ち主であれば決して思わない。
だがこの時、この村だけはいつもと違った。
「お、お待ちください!この村を。いえ、この国を救われたお方に何の礼もしないわけには参りませんっ!」
目の前の者に恐怖し、避けるのが常なのに。
この男は、ジェラルドは。
セラフィーナを恐れることなく、最敬礼で頭を地に伏せた。
―― 少しの時が経ち、セラフィーナとシェルンはまだ残り。
「この名で呼んでよいかは分からないのですが、貴女がかの<災厄の魔女>なのでしょうか。」
ジェラルドに導かれ村の中に在る小さな宿屋、その一階にある食堂で、精一杯のもてなしを受けながら質問されるセラフィーナ。
今までその名で、直接人から呼ばれたことは無かった。誰もかれもあの所業を見れば恐怖して、名を呼ぶことも無く避けるだけ。
だがこの男は確かに怖れの感情は持っているが、決してセラフィーナをバケモノのように扱わず、それどころか災害指定されている名を口に出した。
周りで遠巻きに様子を見ている村人たちは、常にセラフィーナ達を見てきたもののように恐れの感情ばかりだが、それでも自警団の団長を信頼しているからか、変な吹聴をすることも無く静かに見守っている。
「今はそう呼ばれているようですわね。わたくしとしては、そのようなモノになるつもりは無かったのですが。」
セラフィーナは生気のない瞳のまま、問われたことに対して自身の感覚で答えを返す。
この男に悪意は感じられず、周りの者たちからも決して悪意は見えない。この時はまだ魂を視る力は得ていないが、それでも心の機微というか、どう捉えられているかはやんわり感じていた。
「そうですか。いや、あの魔法を見ればそれしかないとは思っていたのですが。ですが悪名のような名を確認したことは謝罪いたします。よろしければ、御名を頂きたいのですが。」
ジェラルドはまた真摯な表情で、セラフィーナに問う。
ここ数百年、名乗る事など無かったセラフィーナにとって、ほんとうに久しぶりに聞かれた名前。
それを答えてよいものかどうかとも逡巡していると、ジェラルドがまた切り出す。
「いえ、名乗れないのであれば無理にとは。ただ我々を救って下さった救世主を、災厄の魔女などと呼ぶのは些か失礼かと考え窺った次第です。それに貴女様は、おそらく何処かの姫君とお見受けいたします。一平民の出過ぎた行い、平にご容赦を。」
村の自警団員としては非常に丁寧な振舞でセラフィーナに対して礼を尽くす男に、見ていたシェルンも少し本来の心で。
「セラ様、こちらの方でしたら名乗っても決して悪いことにはならないのでは。私もセラ様の悪名ばかりが広まるのは嫌です。」
ずっと気にしていたことを、主人に進言する。あの時から、クリスティアラが滅亡するきっかけとなってからここまで、ずっと負い目を感じ続けながらもそれまでと変わらず優しく接してくれた、自分にとって唯一無二の主君。
本来はとても優しく慈悲深いセラフィーナが、恐怖の象徴として悪しざまに呼ばれる事は、シェルンにとっては耐えがたい現実であり、願わくば変えていきたい事。
小さな村であれ救世主として見てもらえるのであれば、本来の名を呼んでもらった方が良いと考えるが。
「ごめんなさい。わたくしは既に亡んだ国の亡霊のような者。人として名乗る名は、とうの昔に失ったと思っておりますの。」
「セラ様!?」
「シェルン、貴女にも感謝を。でも今のわたくしの所業を考えればお母様もお父様も、アルもエルも嬉しくはないでしょう。そんなわたくしが名乗っても、皆の顔に泥を塗るだけですわ。」
少し悲しそうにいうセラフィーナに、シェルンもそれ以上は何も言えず。そのやり取りを見ていたジェラルドも、
「申し訳ない。無理にうかがうつもりはございませんでした。お嬢さん、取り持ってくれてありがとう。」
セラフィーナの言葉に頷き、取り持とうとしたシェルンにも礼を言うジェラルドに、「そういえばあなたは?」とシェルンが思い出したように聞く。
「これは失礼しました。私はこの村の自警団で団長を務めておりますジェラルドと申します。」
一度一礼し、それから少し敬礼のようなポーズをとる。
「今は生まれ故郷のココで自警団を束ねておりますが、かつてはウェルフィールド王国軍第2軍軍団長を務めておりました。国王とも懇意にしております。貴女様に頂いたご恩は、必ず国王にも伝えさせていただきます。」
一国の姫君ともとれる人物にも、落ち着いた対応をとり続けたジェラルド。その理由はこれだった。
王国の中でもかなり中枢に近い位置にいた、人望も高く武勇に長けた、信頼の置ける人物。
本来であれば村人にも自警団員にも恐怖の対象でしかない災厄の魔女に対しても、落ち着いて対応するジェラルド。
その彼の人望故に村人たちも冷静に対応できて、結果としてこの村は全面的にセラフィーナに対し好意的な姿勢を取った。
そこからは少し当たり障りのない話をして、村人にはジェラルドが、この方は子供たちを護るという言葉を大切にしてお力を貸してくれたと説明し、徐々に他の者たちも距離を縮める。
あの瞬間は確かに恐怖しかなかったが、こうして話していれば美しい姫君と可愛らしい侍女。
セラフィーナの穏やかな物腰も、本来は人懐こいシェルンの口調も皆に安心感を与え、何時しか村中の者たちから感謝され。
「こういうのは、初めてですわね。」
「そうですねー。久しぶりに、人と触れ合った気がします。」
気が付けば村の者たちが皆集まってきて、子供たちはシェルンがそう呼んでいた為か、セラ様に助けてもらったと嬉しそうに笑顔を見せてくれる。
その姿に、自分が護れたものの眩しい笑顔に、セラフィーナは本当に久しぶりに、ずっと表情を喪っていたその顔に優しい笑顔を浮かべ、いつしか慈しむような表情で子供たちを眺め。
数百年繰り返した悪夢の中で初めて、人々の暖かさに触れて、人としての心を少しだけ思い出した。そんな気がした。
―― それからまた数十年後。
ウェルフィールドとギルウォルドの戦いが終わってからも数年から十数年に一回くらいの割合で、自分たちが気付くことのできた戦争を潰す、変わらぬ日々を送るセラフィーナとシェルン。
常にはシェルンに情報収集を任せ、セラフィーナは世界の力を使う研究と、引き継いだ記憶を理解することに注力していた。
その結果セラフィーナは、いつしかシェルンにお料理のお願いをし始めて、シェルンからすれば意味不明なレシピを多数伝え、それをひとつひとつシェルンが形にして。
おそらく食欲魔人セラフィーナが出来上がったのは、災厄の魔女時代にこうした形で時を過ごしたためと思われる。
二人とも人とは違うため食事は本来必要ない、というか食べたものは世界に還元されてしまうため意味が無い。
だが味覚はしっかり残っていたので、いくらでも食事ができてしまう事をいいことに、気が付けば二人は異世界の記憶を受け継いだセラ様レシピを元に美味しいものを暴食して、普通の人とは違う量を娯楽として食べるようになってしまった。
そんなアレな感じの過去はおいておき、情報収集から帰ってきたシェルンは、いつもより更に暗い表情をしていた。
「セラ様、またこの地域で戦争になりそうです。ですが・・・」
「そうですか、ではまた、止めねばなりませんわね。」
シェルンの言葉に立ち上がり、今度はどちらですの?と今まで通りに聞いてくるセラフィーナに。
「セラ様、そろそろ戦争を止めるのは、やめませんか。」
この数百年で初めて、シェルンがセラフィーナに意見した。
シェルンの瞳に映るセラフィーナの姿。
かつての高貴で清楚な中に、常に慈愛の微笑を浮かべていた、とても優しいお姫様の表情はすでになく、全てに絶望した、悪夢を見続けているその表情。
大切なものを全て失っても自分を救い、ずっと傍に置いてくれている、どれだけ尽くしても決して償う事が出来ない主人。
その人がこんな表情をし続けるのを、仕方がないことと自分もあきらめたのは何時からだろう?
心をすり減らし、人々の為だけを想って今の所業を続け、結果として恐怖の象徴となってしまった。
セラフィーナには決して似合わないその名も、人々から恐れられる今の状況も、何もかもシェルンには悲しみしか感じない。
それに、今回は。
「どうしましたのシェルン。わたくしが動かなければ、また多くの力ない人々が傷つき、命を失いますわ。そんなことは」
「そうですけれど!セラ様が戦われる兵たちも、皆が皆増長した者たちではないじゃないですかっ!」
珍しく感情的になっているシェルンに、セラフィーナも驚きを隠せず、それでも尚、言葉を続ける。
「確かにそうかもしれません。ですが力なき者たちは護られるべきと、わたくしは今でもそう思っておりますわ。」
その想いで、これまでずっと悪名を背負ってきた。今更そんなことは気にもしない。自分が護るべきものは弱きもので、自分が倒さねばならぬのはその弱き者に刃を向ける・・・。
「それに今回の侵略国はウェルフィールドです!かつてセラ様が助けたジェラルドさんの居た、あの国ですっ!」
「え?」
「私も色々調べましたっ!兵の中にはあの時、セラ様が護った子供もいるんですっ!かつて護ったあの子達も、今は。」
徐々に涙声になって、セラフィーナにしがみつくようにシェルンは顔を胸にうずめ、肩を震わせる。
そのシェルンの言葉に、これから自分がしようとしていたことに色々と想いが交錯する。
力なく、抗う事が出来ない者たちを護り。
子供たちを、将来を担う者たちを護り。
その子達が、今は侵略を行う者となっている。
今回の争いについて、発端はまだ聞いていない。だがそれを聞いたところで、いつも通り自分が出れば、あの時セラ様と言いながらはしゃいでいた子達を、その命を奪う事になることは間違いない。
今まで悪名を背負ってまで、何のために戦ったのか。
自分は何のために、その力を揮ってきたのか。
心をすり減らし、命を奪う事に自分の中でずっと悲鳴をあげながら続けていたことは、なんだったのか。
「シェルン、わたくしは。」
言葉が続けられない。今まで自分という存在を構成していたアイデンティティが全て崩れ去っていくようで。
世界とひとつになり、全てを調停するものと考えて今までずっと動き続けたのに。
「セラ様、お願いです。これから何をしていくか、私も一緒に探しますから。だからもうこんなことは、やめてください。」
初めてシェルンから、お願いされた。
それも、肩を震わせ泣きながら。
セラフィーナも、もう泣いていた。
自分の行いに心を擦り切らせて、感情なんてとうの昔に失っていたと思っていたのに、涙は止まらない。
理由は至極単純で、やっと気づいたから。
自分の心を殺し、世界の為を想って続けていたことが。
戦争を停めると、力を以て武力を潰していたことが。
ただの、間違った自己満足だったのだと。
―― 現在、メルヘン城ティールーム。
「結局、その時を以て災厄の魔女は歴史からその姿を消すことになりましたわ。わたくしがやっと、大切なものに気付いて。」
多大な罪を背負った、罪人のような気持ちで語るセラフィーナ。
確かに災厄の魔女が奪った命を考えれば、それは救いようのない大きな罪で、どう考えても非しかない。
だからこそ今のセラフィーナは、一人一人の命をとても大切に考えている。
過去は変えられないが、今生きる人たちの命、それはとても大切なもので。救いようのない者もいるが、それでもその者を断罪することすら今のセラフィーナは行わない。
「シェルンさんが、気付かせてくれたんですね。」
また沈んでしまった空気の中、ミリエラが明るい響きの声で言葉を発する。
何もいい事など無い、救いようのない話はずの話で。
それでもその中にひとつ、とても大切なことを見つけたから。
「そうですわね。シェルンがいたから、わたくしも気付く事が出来ましたわ。この子には本当に、感謝しかありませんわ。」
シェルンを、とても災厄の魔女という存在だったとは思えない程に、優しい眼差しで見つめる。
「んー、セラ様はポンコツですからね。きっと自分が間違えてる事にも全然気づけないのです。」
照れ隠しなのか、シェルンはそんな風に切り返し。
「ちょ、ちょっと。いくらなんでもそこでポンコツというのはありませんわ。わたくしだって世界の事を考えて」
「考えて、大幅に間違っちゃったポンコツさんですよね。」
「ぐ、ぐぬぬ・・・シェルン、そんなにポンコツと仰るのなら、わたくしのどこがポンコツか、しっかり相手して差し上げますわ。」
なんだか先ほどまで昏く沈んでいた空気が、急におかしな空気になってきた。
「あ、相手って、なんのですか?」
「もちろん、貴女がどれだけ強くなったか、全力で見て差し上げるという事ですわ。わたくしがポンコツなら勝てるでしょう。」
「げっ!?そ、それってセラ様の愛じゃ?」
「あら、おわかりではないですか。ふふ、今日は色々と披露してしまいそうですわ。シェルン、覚悟なさいね。」
「ちょ、ちょっとー!?なんでこうなるんですかっ!?」
やっと、いつもの感じになってきた。
考えればクリスティアラの滅亡から災厄の魔女の話、そしてそれが終わった時の話。
何一つ明るいことなど無かったのに、それでも今ここにいる二人からは、そんな悲壮感や罪悪感は決して感じられない。
「それでセラフィーナ様、そこからはどんなふうに生活されていたのですか?」
明るい雰囲気になってきて、言葉も発しやすくなる。
そこでアセリア姫が気にするのは災厄の魔女が表舞台から姿を消したその後。
今の二人は間違いなくそれからの日々で形成されていると、そう思われるくらいに昏い雰囲気はない。
「そうですわね。その後は暫く、二人で研究したり世界各地を何もせずにただただ巡ったりと、割とのんびりしてましたわ。」
「アレですよね。美味しい食べ物とかお茶とか巡って、世界中で色々なものを食べ歩きしてた時期です。」
それまでの陰鬱な話からはまるで想像がつかない、本当に何もしない、遊んでいるだけのような日々。
シェルンが提案して始めた、擦り切れて絶望していた心を癒し、本来の心を取り戻すための、そんな日々。
「前に確かメルシア茶のお話とか、お隣の今はもうなくなった国のお話もしましたが、それもこの頃まわってますね。」
「そうそう、シュタイムブルグにも赴きましたわね。あの時わたくしが行ったこと、今の国王様にも伝説として伝わっておりましたわ。とても義理堅く、しっかりと物事を伝えている立派な王族でしたわね。」
なんだかその時の思い出話が、割とつい最近聞いた話や大ごとになったシュタイムブルグでの話にもつながっていた。
「それで、そうですわね。今から500年くらい前に、ようやく何をすればよいかをおぼろげながら見つけられましたの。」
この時の表情は、もういつもの慈愛の微笑となり、今のセラフィーナがその頃から始まったのだと皆も感じ取る。
「それが、今されている人助けのような事。戦争の火種を消すという、セラフィーナ様の責務、なんですね。」
責務についてしっかりと聞いているミリエラが、とても嬉しそうに切り出す。それも当然で、ミリエラはその責務、セラフィーナの行いのお陰で窮地を助けてもらい、父を元に戻してもらい。
最終的に、母の死の真実と、その犯人の究明までしてもらった。
たとえどのような過去を持っていたとしても、ミリエラという現在を生きる一人の少女にとって、セラフィーナとシェルンは感謝と尊敬の念を向ける、素敵な二人という気持ちしかない。
そして一通り、セラフィーナの話も終わり。
「俺にとっては本当に身につまされる、大切な話だった。改めてこのような場を設けていただいた事、礼を言う。」
国王クラードは自分たちの遥か祖先にあたるエルフィリア、その姉君に対し心からの感謝を述べる。
国を統べる者として、聞いた話は全て自分にも当てはまる事。特に戦争の原理、発端。
人々が争わずにはいられないその性質を再認識し、どうやってフィルメリアの平和を護るか、維持するか。
戦争の原因など、過去も現在もそう変わらない。ならばそれを如何にして互いに損失無く回避できるか。
「わたくしも姉様も、決して過ちを犯さぬように、大切なものをしっかりと見極めなければなりませんわ。」
「そうだな。特に私は騎士団を束ねる者としても、より広い視野と観点を持たねばならん。」
アセリア姫とセティスもこの話で色々と思うところがあり、これからの自分を考える。
「私も同じですね。アセリア様よりは背負う者は小さいですが、それでもシェフィールドのみんなと、今まで以上にしっかりと対話していかないと。」
次期シェフィールド領当主も、争いの元となり得るものをしっかり見極めなければと心に刻み。
「私もお嬢様の御力になれるよう、微力ながらこれからもお手伝いいたします。市井との間は私も取り持ちます。」
最初は唯一この場にそぐわないと考えていたレアニールも、一通りの話を聞いたあとは主人を支える想いを新たにする。
総じてこの場に集ったものは皆この悲劇ばかりの話でも、前向きに捉えてこれからの糧としてくれた。
そのことにもまた、フィルメリアの、皆の気持ちを嬉しく感じ。
それなりの時間をもらったセラフィーナの話は、こうして皆に受け止められ。
「皆様、ありがとう。わたくしもやっと、自分一人でずっと背負っていたものをお話する事が出来ましたわ。」
聞いてもらったことに感謝の意を述べた後。
「ここからはちょっと、わたくしからのお願いがありますの。」
予定にはなかったが、今日話をしたことでひとつ、皆にお願いしたい事が出来てしまったから。
「今すぐ、という話ではございませんが、今度余裕が取れましたらアセリア様とセティス様、それと。」
とても嬉しそうに。
「今は保護頂いておりますファウスト君を、少しお借りしたいと思っておりますの。いかがでしょうか?」
休憩時間にシェルンから聞いた事を試すため。
ここからまた、皆にとっては驚きの、そして嬉しい話を始める。
これで一通り昔話は終わりですが、もう少しこの章に入れていきます。
昔話ではないですが、昔のお話が絡んできます。




