ジュリアとアリシェと恋敵
11,ジュリアとアリシェと恋敵
ダンと別れてモーガン家へと戻り簡単なワンピースへと着替えると、私は直ぐに寮へ帰った。両親から、今夜の観劇のお礼にと焼き菓子を預かってきていたので、箱を手に隣のジュリアの部屋へと向かう。休日の夜だ、きっと彼女はまだ起きているはず。
こげ茶の扉の前に立ち、控えめにトントンと二回ノックし声を掛けた。
「ジュリア、いる?」
暫く待ったが返答はなかった。
(もしかしたらまだオーウェン家のタウンハウスから帰って来ていないのかな・・・・・)
一呼吸置いたあと再び声を掛けてみる。
「・・・・ジュリア、いる・・・・・?」
中から人の動く気配があった。
「・・・・・・・いるわ、ちょっと待ってね」
少し鼻にかかった声で、彼女の返事がきた。
(もしかしてもう眠っていたのかな、起こしちゃったかしら・・・・・・)
暫くの間があり扉を開けた彼女を見て、私は一瞬で悟った。
化粧では誤魔化すことのできない、潤んで充血している目。鼻の先も頬も薄っすら赤らんでいる。
「ごめんねお待たせ。ちょっと休んでいたの。中に入って」
言われるがまま部屋に入った私は、小さなテーブルに菓子箱を置くと二人掛けのソファにジュリアと並んで腰かけてすぐ尋ねた。
「ジュリア・・・・・・どうしたの」
「ん?何が?」
「何があったの・・・・・泣いていたのね?」
どこまで踏み込んでよいのか一瞬迷ったが、こんな姿のジュリアを見て知らん振りができるはずもなかった。
彼女は困ったような泣きだしそうな顔で俯いた。
「・・・・・・・・ん・・・・」
「・・・・・・・・あなたが私を心配してくれるように、私もあなたが心配よ。言いにくいことなら無理には聞かないけど、でもそうじゃないなら・・・・、話を聞くことくらいはできるよ」
「・・・・・・そう、だよね。ありがとうクリステ。あなたも今大変だから、話すのを迷っていて・・・・・」
そう言って顔を上げたジュリアは、不安げで縋るような眼差しを私に向けた。
「・・・・でも、もう、ちょっと抱えきれないかも・・・・・。クリステー---聞いてくれる?」
「もちろだよ、ジュリア・・・!」
ああ、ごめんジュリア。ごめん!!ここのところずっと私がロアンやルイーゼさんとのことを相談していたから、思い悩む私に遠慮して、ジュリアは一人で抱え込んでいたに違いない。
「ー-----何から、言っていいのか・・・・ちょっとまだ気持ちの整理できてないのだけど・・・・。アリシェとのことなの。あなたと一緒よ、婚約者との関係で悩んでいるのよ」
そういうと、悲し気な笑みを浮かべた。
「アリシェとの関係・・・・?」
ジュリアはどう話そうか考えているようだった。再び俯いた彼女の視線が、硬く握られている手の上を彷徨う。
「・・・・・・・・・アリシェ、他に好きな人がいるみたい」
「ー---えっっ・・・!・・・・アリシェに好きな人って・・・・・、ええっっ・・・・!」
落ち着いた様子で話すジュリアに、私の方が動転して声を上げる。
ー----え・・・・だって、ついこの前まで二人は仲睦まじくしていた・・・・・ように見えた。
そんな素振りは全くなかったのに・・・・?
「騎士団の関係のご令嬢で・・・・・、彼の所属する第二騎士団の団長の妹さんよ・・・・・。とても可愛らしい方・・・・・・・」
え、ちょっと待って、その相手をジュリアは知っているの?なぜ?
騎士団長の妹・・・・・って、今日アリシェはその騎士団長の自宅のディナーに誘われて観劇に来なかった・・・のよね?
え、婚約者との約束を反故して、その相手の令嬢の家に行っていたってこと?用事って、断れないって・・・・言ってたのって、それ?
頭の中が疑問で一杯になり、私は動揺を隠せぬままジュリアに問う。
「ちょっと待って・・・・・、それ・・・・、アリシェがあなたに、他に好きな人がいるって言ったの?その令嬢が好きだって」
「ううん、言ってない。でも、分かるの、彼が私に気持ちがないこと・・・・・。彼女に心がいっていること・・・・・、分かるのよ」
本当にあのアリシェが・・・・・、そんなことがあるのだろうか。いったいいつからそんなことに?私が彼らと知り合ってからずっと、仲たがいを聞くこともなく仲睦まじいこの二人に限ってそんなこと・・・・・。
「アリシェ本人に確認は・・・・」
「ー-----確認・・・・・してどうするの?」
そういうと、ジュリアは豊かな睫毛で瞳に影を落とした。
「アリシェに、彼女のことを好きかって・・・・・聞くの?もし目の前で認められてしまったら、私はどうすればいいの?アリシェに彼女を好きって・・・・・・そんなこと・・・・言われたら、どうすれば・・・・・・」
ジュリアの伏せられた瞳にみるみる水の膜が張り、ポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。
ああ・・・・・・なんてこと・・・・!ジュリアまでこんな・・・・・・、こんな・・・・!!
ロアンとルイーゼの親し気な姿にー--ー-好きな人の心が自分にないことに苦しんだ日々が蘇る。
なぜジュリアまでこんな思いをしなくてはならないのか。
「聞けない・・・・・アリシェには、わたし、聞けない・・・・・。怖い・・・・・・・・・」
そう声を震わせるジュリアのー----いつも気丈で姉のようなジュリアの涙に濡れる横顔を見やった。
ー----聞くのが怖いー---当たり前だ。あんなに想い合っていた婚約者の、他の令嬢への恋心なんて怖くて確認など・・・・・。
つい先ほどまで、ジュリアを羨ましいと思っていた自分を恥じた。自分のことばかりでジュリアの我慢と苦しみに気づいてあげられなかったことが、ただただ申し訳なく、後悔のあまり目の前が暗くなる。
何を言ってもその場しのぎの慰めになる気がした。そんな言葉など彼女は欲しくないだろう。
嗚咽を堪えながら頬を濡らす彼女を私はそっと抱き寄せ、耳元に声掛けた。
「・・・・・こんなことまで、同じになるなんて、私たちって、本当に仲良しね・・・・・」
「そ・・・ね・・・、クリステ・・・・。あなたと同じよ・・・・。私も苦しいわ」
「そうね、苦しいねジュリア・・・・・・・・」
溢れる嫉妬の苦しみは、ジュリアが心を閉ざさない限りついて回るだろう。アリシェを諦める?彼から愛されることを諦める?
こんなにも大好きな人の心を諦めるなんて、できるのだろうか・・・・・。
かける言葉も見つからず、私は小刻みに震えるジュリアの背中を宥めるようにさすり続けた。私の胸をジュリアの涙が濡らす。
「苦しいね、クリステ・・・・・・苦しい・・・・・・・・」
解決することのない重たい日々が過ぎる。
あの日ジュリアから話を聞いた私は、普段滅多に行かないお茶会のいくつかに顔を出して、出来る限りの情報を拾い集めた。
そしてー----出るわ出るわ、アリシェの噂。
社交界に疎い私は知らなかったが、アリシェはあの美貌と実力、家柄の3拍子揃った騎士としてかなりの有名人だったらしい。だからなのか、件の令嬢と恋仲だという話はこちらが努力して集めるまでもなく耳に入ってきた。
アリシェがまだ騎士訓練学校在籍時のこと。団長に会いに来た令嬢と会ったことがあり、その存在は知っていたという。そしてこの春、令嬢の社交界デビューの夜会で久しぶりに再会しその時に恋に落ちた、というのが専らの噂の内容だ。中には根も葉もない完全なる捏造までありー----アリシェと令嬢の仲を嫉妬したジュリアが嫌がらせや二人の恋路を妨害しているというー----私は全力で否定した。
(春の夜会で再会ってことは、もう数か月前・・・・・・。私がルイーゼさんから『期間限定の恋人』の話をされた頃?私とダンが付き合い始めた時には、既にそういう状態だったのだろうか・・・・・・)
私が酔いつぶれたあの日、店でジュリアが言った言葉を思い出す。
『昔馴染みって、難しいこともあるのよ』
きっとあの時には、もうアリシェへの不安要素があったに違いない。『私は大丈夫』というジュリアの言葉を鵜呑みにした自分の鈍感さが腹立たしかった。
分からないのはアリシェの態度だ。子供のころから時間を重ね心を通わせていた婚約者なのに、ジュリアの気持ちを知っているはずなのに、どうしてアリシェはジュリアをそのままにしているのだろうか。今までジュリアと共にいる時の彼を思い返してみても、そんな不誠実な男性に思えない。
(アリシェはもしかしたら、ジュリアが傷ついていることに気が付いていないのかもしれない・・・。だってロアンも、私がルイーゼさんとの噂を知っていることに気が付いてなかったもの)
そう思い当たると、動かないという選択は私にはなかった。
お節介、余計なお世話、でしゃばり、かえって拗らせる・・・・そんなことを思い悩みながら・・・・。それでも・・・・・・。
私はアリシェに会うことを決めた。
ー----知らなくては先に進めないということを私は経験から痛いほど学んでいた。
真実から目をそらすと妄想の世界は膨らみ、そこから抜け出せずに答えのない同じ思考を繰り返す。中途半端で不確かな情報ほど精神を消耗させるものはない。前に進むことが出来ずにもがき苦しむのだ。ジュリアにはそんな思いをして欲しくなかった。
それにー-----。
私とロアン、そしてジュリアとアリシェの関係で、決定的に違うのはその交流の質だ。
伝えたいことを伝えず距離を取り続けた私たちの関係と、信頼と愛情を確認してきた彼らの関係は、全く異なるのだ。
アリシェ本人に確認をしていないというのなら、それこそ何か誤解があるのかもしれない。誤解であって欲しい。誤解ならば、私が仲裁に入ることが可能かもしれないから・・・・・・・・。
アリシェの所属する王立騎士団の訓練場は、学院より馬車で一時間ほど西に行った場所にある。
訓練場は通常であれば親族や婚約者、仕事関係者以外の立ち入りは禁止されているが、月に一度だけ公開訓練日があり、その日は部外者も中に入れるはずだった。
(ー----アリシェに会えるかもしれない。会って正直に話してくれる可能性は少ないかもしれないけれど、でも、動かずにはいられない。勝手なことをしてごめん、ジュリア・・・・・)
私はその日、学院を欠席してジュリアに内緒で独り訓練場へと向かった。
---ー-ここが王立騎士団の訓練場か、さすが大きいのね・・・・。
ジュリアやダンから話は聞いていたが、私がここを訪れるのは初めてだ。
石造りの重厚な入口で自らのサインをし、そのまま咎められることなく門を抜ける。両端に立つ門兵も慣れたものなのか、特にこちらを見ることもなく直立し無言で正面を向いたままだ。
簡易な昼用ドレスを纏った私と同じような令嬢の姿がちらほら見えるのは、騎士団員の家族か婚約者か、あるいはお目当ての騎士がいるのだろうか・・・・・。
円形の訓練場は、騎士たちの発する気合の入った声と訓練用の模擬剣の当たる音が鳴り響き、そして土埃で靄がかかっている。本騎士たちが同じ団に所属する訓練生たちに稽古をつけているようで、手合わせをしているいくつかのグループがあった。
アリシェは来年から正式な団員となるが今年まで訓練生だ。この中のどこかにいるはずだ。
私は、中央で行われている訓練を取り囲むようなひな壇のちょうど真ん中の座席に腰を下ろして彼の人物を探すが、姿は見えなかった。
(ここにジュリアとダンは薬の納品に来ているのね。訓練中のアリシェに会ったりするのかしな・・・・・)
暫くぼんやりと訓練を眺めていると、私の少し前で顔を寄せ合い軽く興奮する令嬢たちの声に、顔を前方に向けた。
ようやく彼のお出ましだ。
「アリシェ・ランドール様よ!アリシェ様の番だわ・・・・素敵・・・・・」
「ほんと、いつ見ても麗しいわ・・・・・・」
ああ。ああああ、なんて目立つのだ彼は・・・・・・!
なぜ彼が騎士団にいるのかと不思議に思えるほどの、圧倒的な美貌。遠くから見るとどこか鋭利な彫刻のようだ・・・・。彫像が動いている・・・・・。
円柱の間から彼が登場すると、にわかにひな壇が騒がしくなった。
(・・・・・・ええ・・・・・これ、ジュリア凄いね・・・・・)
ジュリアやダンと少人数で会っているとあまり気にならなかったのだが、集団に入ったときのアリシェのなんと目立つことだろう・・・・・。桁違いの華やかさを纏い、騎士団の制服すら高貴な正装に見せてしまう。
(アリシェの婚約者って、ちょっと普通の人には荷が重いだろうな・・・・。ジュリアだからやっていられるのかも・・・・)
アリシェは騎士としてもかなり優秀だと聞いている。全てを兼ね備えた騎士として、訓練生の中では一番の注目株なのだ。幼い頃に結ばれている婚約があるとはいえ、隙あらばという令嬢あるいは家門は多いはずだ。
15分ほどの訓練ー----アリシェの剣技の披露ー----の後、他の何人かの騎士見習いが稽古をつけられると、休憩の時間に入ったようだった。
これ、私がアリシェの所に行って話なんてして大丈夫かな・・・・・、他の令嬢たちに注目されるでしょうね・・・・・。
それでも勇気を持ってアリシェの元に向かおうと重い腰をあげると、先ほどの令嬢たちの会話が耳に入った。
「ああ、またリリアナ様もいらっしゃっているのね」
「いつもの差し入れでしょう?羨ましいわ、団長さんの妹君だからあちらまで行って差し入れすることもできるのよね。私たちには入り込める隙がないのに・・・・。それにしてもあのお二人、悔しいけどお似合いね」
・・・・・リリアナ様・・・・?団長の妹・・・・・・!?
ー----もしかして、アリシェと向かい合っているあの方がジュリアの言っていた令嬢・・・・・に違いないわ・・・・あれー----。
あれ・・・・・・・・いやだ!!
私は心の中で叫んだ。
(ジュリア、これは・・・・・・・・・・・・ないわ!!!)
片方なのではない。お互いになのだ。目が・・・・、相手への眼差しが・・・・仕草が・・・・もう、ちょっとあからさま過ぎだー------。
件の令嬢リリアナ様は春に社交界デビューを終えたばかりというから、14,15歳くらいだろうか?令嬢というより少女といってもいいような、まだ幼さを残した愛らしい姿だった。
明るい金髪の巻き毛が華奢で小柄な身体を覆い、恥ずかし気にアリシェに差し入れらしき何かを渡して小首をかしげ、はにかんでいる。
そんな彼女に、普段笑う事が少なく冷徹な美貌の騎士と言われているアリシェが頬を染めて微笑みかけ、彼女の髪に愛おし気に触れた。
(ー---ー-なんで、そんなことを・・・・・っっ、アリシェ!!!ばかっっ!!!!)
アリシェに婚約者がいるのは周知だ。それなのに、よくもあんな顔と態度で公の場に・・・・。あるいはそれを気にする余裕がないくらい目の前の令嬢に夢中なのかー----。
誤解でも勘違いでもないだろう、これは・・・・・・もう・・・・・・。
そしてジュリアがなぜアリシェの想い人を知っているのかを深く理解した。
ジュリアは騎士団に来ている時に、この光景を目にしているのだ。こんな二人の様子を見たら誰でも分かる。噂を聞くまでもなく一目瞭然なのだ。
ー--ー--目の前を陣取る令嬢たちの話は続く。
「先日の夜会でも、あのお二人でダンスしていらっしゃる姿がまるで絵画のようでしたわ。みんな見とれてしまって」
「それはそうでしょうね。まるで対の人形のようだもの」
「ドレスも、リリアナ様はアリシェ様の瞳のような薄いアメジスト色を身に着けていらしてね。まるでお二人で合わせていらしたみたいだったわ」
「まあ、そうでしたの!?それは、ちょっと凄いわね・・・・・・・、アリシェ様のご婚約ってどうなっていましたっけ・・・・・」
さすがに、令嬢も声に若干の非難を滲ませていた。
ーー------最悪だ。正気と思えない。ダンスですって?ド、ドレスが何ですって!?
あまりの腹立たしさに、頬が熱くなった。
残念ながら、心変わりがあることは仕方がないと思う。心の束縛など出来ないのだから。
けれどそうなった時に、どういう行動をとるかは選択できるはずだ。
当事者だけのことではない。二人の親し気な光景を見た者たちが、ジュリアをどれだけ傷つけるのか想像していないのだ。ジュリアはアリシェからと社交界から、二重の意味で傷つけられる。
(アリシェの瞳と同じ色のドレスを着た令嬢と、ダンス・・・・。馬鹿にするにも程がある・・・・っっ!アリシェ、あなた何てことしてくれたの。ジュリアにどうしろっていうの・・・・・・)
以前にルイーゼさんから『期間限定の恋人』をお願いされたことをジュリアに伝えた時に、彼女が猛烈な怒りを見せていたことを思い出した。多分、今の私のこういう気持ちだったのだろう。あの時のジュリアは、私に他の道があるー----他の男性とお付き合いすることを提案していた。その気持ちがよく分かった。
(・・・・・・ダンも、この光景を見ているのよね・・・・・?)
だって彼もここに足を運んでいる。誰が見ても分かりやすいこの二人の様子を、人の機微に敏いダンが見て何も思わないはずがない・・・・・。
(ー------帰ろう。今日の目的であるアリシェとの話はもう意味がない。私のこれからすべきことは・・・・出来ることは・・・・・・・・・)
私はアリシェに会うことなく、訓練場を後にした。
ー------私の心は、決まった。
北国ルバツクの夏は過ごしやすい。
夏らしい日差しの過ごしやすいこの日、私はダンと約束をしていた。ここ最近、学科の勉強やら情報集めのためのお茶会やらで忙しくしていたので、会うのはあの観劇の日----ダンとキスをした夜以来だった。
待ち合わせは王宮庭園にある噴水前だ。春の付き合いたてのころにここで私たちとジュリア、アリシェでピクニックをしたのも記憶に新しい。
(あの時の私は、ダンと付き合ったばかりで浮かれてて・・・・。ジュリアもアリシェも楽し気にしていたのにー--、そう見えたのに---ー--)
ほんの数か月前の出来事が、ひどく遠くて空しい出来事に感じた。
過去に思いを馳せていると、ダンがいつもと変わらぬ優し気な笑顔でこちらに向かってくるのが見えた。私も軽く微笑んでベンチから立ち上がり迎える。
「ごめんリシィ、待たせたかな」
「大丈夫、来たばかりよ。お天気よくて気持ちいいね」
「だな。ここも春以来だね」
湿気の少ない心地良い風が髪を舞い上げた。
ダンの髪もふわふわと揺れている。不意に触れたくなり、思わず手を伸ばした。
精一杯手を伸ばして、ようやく彼の頭の先に届く。
「なに、どうしたリシィ?」
「ふわふわしてるから、触りたくなったの」
ちょっと驚いた風で笑いながら問いかけるダンを見ながら、私も彼に笑いかけた。
ー----これが、最後の恋人らしい行為になる予定だ。
「あのね、ダン。私この前ね、第二騎士団に行って来た」
「アリシェの?なんで」
「行って来た。見て来た」
これで私が何を言わんとするか、ダンには分かるはずだ。
「------見て、来た、って・・・・・・」
「私、見て来たわ」
「・・・・・・・・・・・・・・そうか」
「ダン、本当はあなた、私の疑似恋愛にお付き合いしてくれている場合じゃないよね」
ー------楽しかったお付き合いは、今日でお終いにする。私は、ここのところ考え続けていたことを告げた。
アリシェがあの状態である以上、ダンが何を我慢する必要があろうか。
ジュリアの話を聞くに、オーウェン家とランドール家の婚約は釣り合いの取れる家同士の政略婚とされつつも、その実親同士が友人関係にあって、その延長での婚約だという。強固な事業の絡みや政治的な意図がある訳ではなく、家同士の親密さと当人たちの意思を尊重しての婚約なのだと。
ーー---つまりは、ジュリアとアリシェの気持ち次第では婚約の解消が可能ということ・・・・・。
ダンは裕福な男爵家の嫡男だ。アリシェと比べて劣るかもしれないが、あれだけ大きな商談を抱えるバロック家であれば大きな不利にならないはずだ。
ー----ダンが取りに動けば、手に入る可能性が、ある・・・・・?あの観劇の中の騎士のように、身近でずっと見守り大切に想ってきた人を・・・・・・。
それならば、私にこれ以上お付き合いいただく訳にはいかない。むしろこれまでの時間を無駄にさせてしまっていたのかもしれないと、申し訳なかった。
来年ジュリアが卒業しアリシェが正騎士になると婚礼話が進むー----以前そう聞いていた。ジュリアがあんな不誠実な男と結婚することで、幸せになれるとは、私には到底思えなかった。
「ジュリア、泣いてた。この前の観劇の日の夜に、一人で部屋で泣いてたの」
ダンの顔が苦し気に歪んだ。
「・・・・・・・何度かアリシェに忠告したんだ、ジュリアを泣かせるなと。他の女性に惹かれていても感情を隠せ、ジュリアにそれを見せるなと・・・・・・」
「感情を隠すどころか、周囲に駄々洩れだったわよ彼は」
「・・・・・・・・・・あいつはっ・・・・・・!」
私から視線を逸らせ、いつもの彼の温和な目が鋭さを纏った。
私は彼の正面に立ち、今日一番の目的の言葉を口にする。
「ダン、私たちのお付き合いは今日までにしましょう。ジュリアのことを最優先に考えよう」
ダンは驚きと伺うような視線で私を見た。
「・・・・・・・それは・・・・、いいのか君は。コンラート君のこと、いいの?」
「いい。もちろんいいに決まってる。呼び名も戻すわ。ダンのことダニエルに戻す。また友達に切り替えよう」
「・・・・・・・わかった。では俺もクリステに戻そう。実はコンラート君にも申し訳なかったし」
「なんでよ、いいのよ彼は」
吐き捨てるように言い放つ私に、ダンは苦笑する。
私は、まるで宣言をするかのようにダンの目を真っ直ぐに見て口を開いた。
「あのね、もしダニエルが少しでもジュリアの一番になりたいという気持ちがあるのなら、私はあなたの背を押すわ」
「・・・・・どういう、ことだ。ジュリアの、一番になりたいって・・・・・・」
「そういうことだよダニエル。あのアリシェと結婚してジュリアが幸せになれると思えない。私があなたたちの関係に踏み込んだり口出しする資格も権利ももちろんないのだけど・・・・・差し出がましいこともよく分かってるんだけど・・・・・」
ダニエルは私の言わんとすることを理解したようで、目を見開いた。
「欲しいものを欲しいっていうのは悪い事じゃないよ、ダニエル」
「ー-----いや、こんな状況で欲しいと言うのはどう考えても卑怯だろ」
「卑怯か卑怯じゃないかは、ジュリアが決めるよ。判断するのはジュリアだよ。他の令嬢に恋しているアリシェとこのまま結婚するのか、あるいは離れるかを決めるのはジュリアよ」
「・・・・・・・ジュリアが望んでいることは、アリシェとの婚姻だ。二人が上手くいくために動くことが俺の役割だと思っている」
「うん、私もそう思って・・・・彼女たちに誤解があるなら橋渡しをしたいって思って騎士団の訓練場に行ったから、ダニエルの言っていることは分かる。でも、あの日のアリシェを見たら私はそう思えなくなった」
「・・・・・それでも・・・・・・時間が経ってアリシェがまた気持ちが変わる可能性だってあるだろう」
「そうだね、その可能性もあると思う・・・・・でも・・・・」
私は言葉を切り、俯いた。
(でもー---傷ついた心は忘れないよ。アリシェにされたことは、許すことはできても忘れることはないんだよ。一度つけられた深い傷は、薄くはなれど消えることはない・・・・・)
ダニエルは暫く黙り込み、眉間に皺を寄せながら苦悩の表情を浮かべた。
これ以上私がとやかく言うのは、きっと出しゃばり過ぎになるだろう。私が伝えることができるのは、ギリギリここまでだ。
「ーー----もし、ダニエルがジュリアとの関係を壊して進む覚悟を決めるなら・・・・、私は全力であなたの味方をするわ。それだけ、覚えておいてね」
「・・・・・わ、かった。ありがとうクリステ、頼もしいね」
そう言ってダニエルは、ようやく頬を緩めた。
「うん」
「では、今後、お世話になるかもしれません」
ダニエルは恭しく頭をペコリと下げた。
「はい、その時は承りましょう」
私も倣って頭を下げる。
「あ、それとこれは言っておきたい」
ダニエルはいたずらっぽく笑いながら、私に目線を合わせた。もういつもの彼だ。
「なんだかんだ、コンラート君は君のことずっと気にしていたんじゃないかって思うよ。あの茶館での彼の態度なんか思い返してみると、口下手っていうか、気の毒なくらい不器用っていうか・・・・・。あれだけ噂になっていたのに結局あの伯爵令嬢と上手くいかなかったってことは、本当に彼には恋愛感情がなかったのかもよ」
ダニエルのその見方は、ロアンは昔から私を意識しているように思えるという、ジュリアの言葉と重なった。
私から見るロアンと、外から見るロアンとはまた異なるのかもしれない・・・・・。
「・・・うん・・・・ちょっと、今までの経緯からすると理解しがたいのだけど・・・、とりあえず、ここで私が考えても答えは分からないままだね。私もちょっと気持ちの整理がついたから、今度ロアンと話してみるわ」
「そうか、良かった。お互いが素直に話せるといいな」
「素直に・・・・・、そうだね・・・・・・」
ー----今なら。以前よりも、思っていることを話せるし聞いてみることも出来そうな気がした。
性格悪いことに、私は多分、かつてロアンが見せてきた態度やルイーゼさんとの『顎キス』の件の仕返ししたかったのだ。悔しくて悲しくて、私なりの小さな復讐がしたかった。
そしてダンとキスをしたことで、禁断の地ー----ロアンの言うところの『セーフ』ではない場所ー----へ足を踏み入れ、私のその復讐は叶った。
要は、気が済んだのだ。
ロアンが今、私たちのこの状況をどう思っているのかは、向き合って話してみないと分からない。
そして私が何を考えてきたのかも、同様だ。
「まあ、私のことはいいわ。もう私のことは大丈夫。今までありがとう。本当に・・・ダニエルには助けられた。本当に、本当に、実はあなたにすごく助けられたの。ありがとう」
私が辛くてしんどかった時に、あなたへの想いがどんなに救いになったか。誰にも明かすつもりはないけれどー------。
「感謝されるようなことは何もしてないよ。こちらこそ楽しかったよ、ありがとう」
「うん。じゃ、これからはまた友達として宜しくお願いします」
そう言って手を差し出した。ダンの右手が真っ直ぐに伸びてきて握手を交わす。
「君とコンラート君のこと、陰ながら応援してるから」
「・・・・ううううん、ありがとう。お互いにね」
握った彼の手は、大きくて硬くて温かかった。




