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キスはできますか

10,キスはできますか



 その日はオーウェン家手配のチケットでジュリアとアリシェ、ダンと私での観劇の鑑賞予定だった。

 私もジュリアも放課後にそれぞれのタウンハウスで準正装に着替え、馬車で待ち合わせへと向かう。明日も学院の授業はあるので、観劇が終わり次第また着替えて寮に戻るつもりだった。

 王都の中心地に位置する豪華絢爛な劇場はその建物だけでも一つの建造物としての価値が高く、まるで背の低い城のようだ。ずっと楽しみにしていた4人での鑑賞であったが、急にアリシェの都合がつかなくなり、代わりにジュリアの6歳下の弟が一緒に行くことになった。

 弟のステイル・オーウェン君は12歳で、来年から私たちと入れ違いに同じ王立貴族学院に入学だ。名前だけは聞いていたが、顔を合わせるのは今夜が初めてだった。癖のある栗色の髪に琥珀色の瞳をもつ彼の顔立ちは姉とはあまり似ていないが、それでも生真面目な雰囲気はジュリアと同じで、まだまだ少年らしい口調や佇まいに思わず微笑みが漏れる。ステイル君はかつてのまだ可愛らしかった頃のロアンを彷彿させた。

 学院にいる限り、生徒の正装を見る機会は限られる。私は滅多に夜会に顔を出さないので、ジュリアのドレス姿を見るのは久しぶりだった。

 濃紺のシックなドレスを身に(まと)いアメジストの耳飾りとチョーカーを付けたジュリアは年齢よりも落ち着いた雰囲気で、凛としたその姿は目を見張るほど美しかった。アリシェに見せてあげたかったなと思うほどにー---。

 私はというと、水色の光沢のある生地に(すそ)と襟ぐりに同系色のレースをあしらったくるぶし丈のシンプルなドレスだ。レースは自分で編み込み、領地で採れた売り物にならないような小さな宝石を所々に縫い留めて華やかさを出したもの。レース編みは、この数年で得た私の唯一の趣味だった。

 劇場の上段にある個室へ誘導され着席すると、ダンが私たちに声を掛けた。

 「今夜アリシェ残念だったな、なかなか手に入らない個室席だったのに」

 「ほんとね、この綺麗なジュリアを見れないなんて損しちゃったわねアリシェ」

 「あらありがとう、そう言われると着飾ったかいがあるってものだわ。クリステもとっても綺麗よ。このレースも凄く素敵・・・・、これあなたの手作りよね?さすがだね。私にも今度作って欲しいわ」

 「こんなのいくらでも作るよ~。何ならアリシェとペアで作ってしまう?」 

 「アリシェにレースかぁ・・・・・。もったいない!」

 ジュリアがいたずらっぽく笑った。 

 「アリシェは今夜は騎士団関係で何か予定が入ったのか?」

 「そうね、騎士団の用事っていえばそうかな・・・。騎士団長さんのご自宅にディナーの招待されたから断れないって」

 「騎士団長って・・・・、第二騎士団のブラド団長?その自宅に?」

 「そうよ、最近懇意にしてもらっているみたいで」

 「・・・・・・ブラド団長の自宅か、そうか」

 そう言ってダンは何やら考えているようだったが、それも一瞬だった。

 「それだけ期待されているってことだな。さすがだ」

 「そうね、皆によろしくって言ってたわ」

 ブラド団長なる人を知らない私は口を挟まず、放っておかれているステイル君に話し掛ける。

 今は何を興味持っているのか、最近読んだ本はどんなものかと。

 「僕がいま一番興味があるのは薬学なんです」

 「薬学・・・・・そうか。オーウェン家は薬草の一大産地だものね。将来的に家を継ぐなら早くから薬学を学んでおいたら安心ね」

 「はい。本当はアリシェみたく騎士とか格好いいなって思うけど僕には向いてないし、家業をもっと発展させて婚約者のこと幸せにしてあげたいから、もっとたくさん勉強しなきゃ」

 「婚約者がもう決まっているのね」

 「はい。明るくて優しくて・・・・。幸せにしたいんです」

 「そう思えるって素敵だわ。婚約者さんはもう既に幸せね」

 涙が出そうだ。まだこの歳なのに、そんな決意を秘めているのかと。

 この年頃のロアンといえば、いつも宝石の話ばかりしていたような・・・・・。

 婚約者を幸せにしたいと思えて、そして思ってもらえる関係が懐かしい。学院に入学する前の私たちも、友達関係の延長だったにせよ多少はお互いの将来を大切に思っていたはずだ。

 ステイル君とその婚約者の関係を微笑ましく思いつつ過去に思いを()せていると、ブザーの音と共に照明が落ちて壇上に光があたる。高らかな歌い手の一声が物語の始まりを告げた。

 ー------その内容はよくある恋愛物だった。

 隣国に婚約者のいる公爵令嬢を幼い頃より恋慕し見守ってきた騎士が、彼女の婚礼の日が近づく中でどうしてもあきらめきれずに自分に振り向かせるために数々の困難を乗り越え、最終的に令嬢と結ばれるまでの道のりを騎士の視点で語られたものでー-----。

 多分ここにいる4人----ステイル君にはちょっと早いかな-----それぞれが、各々の立場でこれを解釈しただろう。

 視点が変われば話の見方も変わる。私が感情移入したのは、令嬢との決別を余儀なくされた隣国の婚約者様だ。

 仕方がないことだ。きっとあの婚約者はもっと努力をしなくてはならなかった。婚約者という位置に胡坐(あぐら)をかかず令嬢に好かれるための努力を怠った彼が悪い。だから始終身近で彼女を守る騎士にその座を奪われたのだ。気の毒だが当然の結果だと納得だ。

 ダニエルは騎士一択、だ。・・・・・ジュリアを奪いたいって、思ったりしないのかな。まあアリシェとの仲があれだけ良いと難しいか・・・・・。ジュリアが結婚を心待ちにしてるのを知ってるのだし。

 好きな人と両想いになるなんて、ほんと奇跡だ。

 ジュリアが心底羨ましかった。恋愛と結婚を同じ人物と出来るなんて、それこそ奇跡に違いない。

 ダニエルは、私と恋愛ごっこしていていて少しはジュリアへの気持ちに変化はあったのかしら。私との関係で、少しでも気が紛れていたらいいのだけれど。

 そう遠くない未来に、私たちも関係の解消をしなくてはならないのなら、それまでの間にダンに出来る限りのことをしてあげたかった。

 私が彼にとってお役に立てるようなことがあるのか、あやしいけれど・・・・・。


 劇場を出てから、ジュリアは伯爵家の馬車でモーガン家まで送ると言ってくれたが、ダンと散歩してから帰るとその場に残った。

 オーウェン家姉弟を載せた馬車を見送り、私とダンは庭園へと夜の散歩へ向かう。

 「どうしたリシィ、さっきから考え事か?何かあった?」

 気がつくと足元にはスズランの群生があった。私はそこをぼおっと見つめたまま放心していたらしい。

 何かあった。あったにはあった。

 「ごめん、ちょっとぼんやりしちゃった。ロアンとね・・・・。ちょっと色々あったんだよ」

 「彼とどうかした?」

 気遣うように問いかけるダンの目を正面から見つめた。

 私はこの人のことが好きだ。でも、ここ最近頭の中の大半を占めるのはロアンのことばかり。思う存分ダンとの恋に浸れなくてそれが悔しい。

 ロアンの言うことも行動も、もう私の想像の範疇を超えていた。彼を理解できなすぎる。

 今日は、私のダンへの恋心は置いておいて・・・・・年長者で冷静で大人なダンに聞いてみたいことがあったのだ。

 「あ、のね。突然なんだけど・・・・変なことを聞くのだけど・・・・・」

 「うん?なに変なことって」

 「あのさ・・・・・男の人は、好きな人以外でも口づけとかそれ以外も出来るって、そう言うでしょ?」

 「はい?」

 「出来るって言うでしょ?それって、本当?」 

 「え、何、どうした・・・・・」

 「みんなさ、結構そんな感じなの?」

 「・・・・・まぁ、それは・・・・人によるんじゃないかと思うよ」

 「・・・・・・・ダンは?ダンはキスしたことある?」

 「え・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「経験ある?」

 「え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あるんだ・・・・」

 思わず低い不穏な声を出してしまったのは仕方ないと思う。

 ジュリアのこと好きなのに、ずっと、長いこと好きって言っていたのに。へえ、あるんだ・・・・・・・。

 私は、知り合って初めてダンに対して若干の苦々しい感情を持った。こちらから聞いておいて申し訳ないが、何だか裏切られた気分だ。

 「まあ・・・・・ジュリア以外にも好きになれるかなって、他の令嬢とも何人か会ったりしたことあるから・・・。その時にそんな雰囲気になって・・・・さ・・・?」

 ダンはバツの悪そうな顔で、そう言い訳をした。

 「そう・・・・・なるほど、ね・・・・」

 なるほど。やっぱり相手に対して恋愛感情がなくても出来るものなんだ。

 だからかロアン。だから私にもあの時に・・・・・。そっか、そんなものなのかも。

 時間が経って気持ちが落ち着いてきた時に、あの夜のロアンの唇を思い出しては身もだえするような羞恥が襲い、一人で彼の意図をヤキモキと悩み続けたけれど。

 (結局ロアンは話を誤魔化したいだけだったのかも・・・・。ジュリアに長年片思いしているダンですら、そんな雰囲気さえあれば心無くともできるのだ。私がコトを重く考えすぎなのかもしれない・・・・・)

 ロアンもダンも出来るなら。

 私にも出来るはず。

 私がすれば、お相子(あいこ)なんじゃない?ロアン。

 これは良い考えに思えた。

 「・・・・・・・・・・ねえダン、ちょっと私にしてみてくれない?」

 「えっ・・・・なに・・・!?」

 「してみて欲しいんだけど、キスを」

 「いやっ、それはまずいよ!君にはコンラート君がいるだろ!」

 「大丈夫、ロアンもルイーゼさんとしてたから」

 「えっっ!!」

 「ロアンがルイーゼさんとしてるところ・・・しようとしたの見たの私。もう結構前のことだけど、夕暮れ時に離れの学習室の裏で二人が会ってて・・・・。でもロアンはルイーゼさんに恋愛感情はないって言うの。キスもルイーゼさんが突然してきたから()けて、唇じゃなくて顎だから大丈夫だって・・・・・、ルイーゼさんとのことは誤解だって・・・・・」

 「・・・・・・それ、ほんとかよ・・・・・・」

 ダンは驚き目を見開きながら、ぽつりと(つぶや)いてから慌てて言いつくろう。

 「ー--っと----。それは・・・・・コンラート君は何を言いたいの?誤解だってのは、シャルマン伯爵令嬢とは別れて『期間限定の恋人』の期間は終わらせたってこと?」

 「なんか、それもよく分からないの。どうも上手くいってないみたいだけど、何がどうなっているのかさっぱり分からない。ルイーゼさんが勝手に私に恋人期間をくれと言いに行ったって、ロアン言ってる」

 「恋愛感情ないし誤解だから許してくれ、って?」

 「・・・・・うう・・・ん、そういうことなの?でもさ、二人は何年もさんざん噂になり続けてたのに、今さら好意はなかったと言われて、しかもそんな場面まで見ちゃうとそのまま信じることはできないよ。私、いろいろまた分からなくなってしまって・・・・・」

 「それは・・・・まあ、そうだろうな・・・・」 

 「ー----ロアンがそういうこと、したのなら・・・・・私もしてみたいの、そういう行為。これで相子(あいこ)にしたい」

 ー--ー----私はどうにも悔しかったのだ。

 私がまだ触れたことのないロアンの顎に、私よりも先に彼女の唇が触れことが腹立たしく悲しく、そしてそれをセーフだというロアンに言いようのない怒りを感じていた。ロアンが不意を突かれてされた行為が事実だとしても、私の感情的には、全くセーフだと思えなかった。

 だから、私もしてみたい。そうしたら少しは悔しくなくなる気がするのだ。

 唇以外をセーフと言うのなら、私も同じことをしていいはずだ。

 そしてその相手となるのは、ダン以外が考えられなかった。

 「ね?ちゅって、ちゅっ!ってするだけだから」

 「まずいって!」

 「ロアンとも、もうしたことあるから私!大丈夫だから!軽くでいいから!」 

 「いや・・・・でも」

 「ロアンともしてるしロアンも他の人としてるし!ダンも他の女性としたことあるし!みんな経験者ということで・・・・・どう?・・・・ダンが嫌なら諦めるけど・・・・・」

 ダメで元々でお願いしてみたが、さすがに性的な事を強要は出来ないし・・・。

 ダンは眉間に軽く皺を寄せちょっと思案していたが、私の必死な様子に覚悟を決めたようだった。

 「よし、分かった」

 「してくれるの?」

 「君の気持ちも分からないでもない。よし!軽いやつなら」

 「ありがとう、助かる!」

 ダン、ありがとう!よろしくお願いします!!と彼に向けて胸元で手を合わせる。

 都合の良いことに、ここは暗闇の庭園だ。やるなら今がチャンスであろう。

 ダンとの若干の緊張感の漂う空気は、およそこれからキスをする男女のものとは思えない。

 さてどこにキスしてもらおうかと考える。

 ロアンとまだしていないところに、初めてのキスをダンとしたかった。

 額も頬も鼻も唇も、もうロアンとはしてしまった。

 顎はもっとだめだ。顎は私にとってキスしたい場所ではない。

 それ以外・・・・首?あるいは耳とか?

 などと思い巡らせていると、少し冷たくかさついた指先が頬に触れ、不意に顎がクイと持ち上げられた。

 ん?と思った間にー----

 ふにっ

 唇に柔らかく湿った感触が訪れ、それはすぐに離れた。

 そしてダンとキスをしたことを知った。

 あら?もう?

 あらら、唇にしちゃった?ー-----これは・・・・・・・・・アウト、だろうか・・・・・・・・。

 驚いてダンを見上げると、彼は(まなじり)を軽く朱に染め、変わらず困ったような顔をして私を見下ろしていた。

 彼の美しい緑色の瞳が少しばかり不安げに泳いでいる。

 「・・・・・・・どう?」

 実験の答えを確認するかのようにダンが尋ねる。おかしな質問だ。キスをしてどう?とは。何と答えればいいのか分からないではないの。

 「う・・・・ん?ごめん!もう一回いい?今度は首にしてもらえる?」

 「く、くびっ!?」

 「そう、お願いします」

 そう言って肩にかかる髪をかき上げ、キスをしやすいように首筋を(あらわ)にした。

 「ここ、このへん」

 「いい・・・・のかなぁ、これまずくないのかな・・・」

 「大丈夫、やっちゃってちょうだい!ロアンと同じ土俵に立ちたいから。ダンが大丈夫ならこちらは大丈夫だから!」

 「・・・・・もういいか。本人がいいんだもんな。じゃいくよ」

 そう言ってダンは、今度は私の肩に手を置いて身をかがめる。

 首筋に生暖かい息がかかって少し緊張した。ダンの、森林のような香りが鼻をかすめる。

 そして再び彼の柔らかく暖かい唇がそこに押し付けられた。

 ー----ふにぃ

 ダンの柔らかな茶色のくせ毛が首に触れ、くすぐったかった。

 彼の離れる気配に、軽く張り詰めていた息が解放される。

 先ほどの唇よりも少しだけ長い時間だったと思う。唇の感触を肌がしっかりと覚えている。

 ・・・・・・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?

 「もう、いい?これ以上はやばいよ。もうやめとこう」

 「そう、だね・・・・・。なんかごめんね、ありがとう。何ていうか・・・・ちょっと、分かった気がするわ」

 「なに、分かったって」

 「なんか、上手く言えないんだけど・・・・・。ありがとうダン」

 「いやいや、ひと時の恋人としての役得だな」

 「得だなんて思ってないくせに」

 そう言うとニヤリと笑って

 「可憐なるクリステ嬢とのこのような接触は、永遠の思い出として心の中にしまわせて頂きますのでご安心を」

 と茶化すように礼をした。

 いいえダニエル、役得なのは私の方なのです・・・・・。

 

 

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