頑張るロアン
9,頑張るロアン
その夜、ダンと別れてから寮で課題をやろうと早めに帰宅し机の上の教科書をぱらぱらと眺めていると、寮長から来客の連絡を受けた。
門限前であれば基本的に訪問は自由なので、私は寮内にある応接室へと足を運んだ。
こげ茶色の扉を開けたその先には、中央に置かれたソファには座らずその横で口を引き結び真っ直ぐに立つロアンの姿があった。
手に・・・・花束?ロアンあれからどこかに行って来たのね。あるいはこれからルイーゼさんと会うのかしら。
「どうしたの、寮まで来るなんて珍しいね。寮長から面会の知らせ聞いて驚いちゃったわ。急ぎの御用?」
ロアンの寮への訪問は、この5年間でも片手で数えられるくらいしかなかったのだ。顔だけをこちらに向けて無言のままの彼に話かけた私は、そのまま向い側になるソファに腰を掛けた。
しかしロアンは立ったままだ。
「ロアン座ったら?話しにくいんだけど・・・・・」
「・・・・・・・話が、したい」
言いながら、緊張した面持ちで彼はようやく腰を下ろす。
「うん、そうなんでしょ?なあに?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「なに、ロアン。どうしたの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
先ほどの茶館での話の続きだろうか、人前ではいちゃつくなっていう・・・・・。
表情が強張っているのを見ると良い話ではなさそうだ。
暫くの沈黙の後、意を決した表情でロアンの口がようやく開いた。
「・・・・・・・・・・・・・・バロックさんと、別れてほしい」
「え?」
「バロックさんと別れてほしいんだ」
「え・・・、・・・・・・・え・・・・・・?」
なんで・・・・・・。誰かに何かを言われたのだろうか。
「俺が悪い。全部、俺が悪いんだ。すまない」
「なんで・・・・・?私たちのしていることがコンラート家に分かってしまった・・・・?」
「違う、俺が悪い」
「い、意味が分からない、どういうこと?なんでロアンが悪いの?なんで私とダンが別れなくちゃいけないの?」
「俺が嫌なんだ。お前がバロックさんといるのが」
「・・・・・・・・え??なに、俺が・・・・いやって、どういう・・・・・」
「俺が、お前たちが一緒にいるのが、耐えられない」
徐々に言われた意味を理解してゆく。
「な、なんで・・・・・何を勝手な・・・!あなた・・・、あなたが言ったんじゃないっ、ダンと付き合っていいって・・・・っっ!」
「・・・・・・・・・・すまない」
「なんで!?いやよ、せっかくダンと一緒にいられるのに!ロアンにはルイーゼさんがいるじゃない!」
「ルイーゼとはもう関わらない、一緒にいることもない。全部俺が悪い。クリステ・・・・本当にすまない、バロックさんとの関係を解消してくれ・・・・・」
絞り出すような彼の言葉は、まさに懇願だった。
「ど、どうして・・・・、意味が分からないよ・・・・・・。なんでそんな勝手なこと言えるの・・・・・・」
だって、ダンと付き合えることになったのだ。私は今、幸せな毎日を送っている。例えそれが一時的なものであっても、私はダンといることでこんなにも救われているのに・・・・。
この前は付き合えと言った。今日は別れろと言う。
そんな勝手が通ると思っている、その彼の感覚が信じられなかった。
「ー----あなた、最低だわ・・・・・。私のこと、なんだと思っているの?私には何をしても、どう扱ってもいいと思っているの?ー-ー-私にも、感情があるんだよ・・・・」
「違うっ、そんなこと思っていない!!」
「わ、私にもっ、苦しいって、辛い、って・・・・気持ちがあるんだよ!!!」
だめだ、耐えられない・・・・・・。
怒りと混乱で、そして何故だか分からない悲しみで涙が溢れ出る。
次から次へ頬から顎へと伝い、着ているブラウスに沁みを作った。
彼の気分次第で都合よく扱われ思うように動かされている悔しさに、嗚咽を堪え声を絞り出した。
「・・・・・・きらい・・・・。ロアン、きらいっ・・・・・・・」
「クリステっっ・・・!!」
「あなたの気分で振り回せれるのはごめんだわ、私のことを馬鹿にするのもいい加減にして。言いなりになんてなるつもりないから。ダンとは別れない。あなたがルイーゼさんと上手くいかなかったからって、私の幸せまで壊さないでよっ・・・・・!」
「違うクリステ!ルイーゼと上手くいかなかったからじゃない!俺は」
「帰ってロアン」
これ以上、ロアンに泣き顔を晒すのはごめんだ。
「一年後までに戻ればいいんでしょ、あなたが最初に言ったように。どんなに、ダンが好きでも・・・・戻らなくちゃいけないんでしょ?ちゃんと分かってるから、もう帰って!」
「・・・・・・・・・・・・」
「帰ってっっ!!」
「・・・・・・・・・・・・」
無言で立ち上がったロアンは、尚も何か言いたげにしていたが、私はその視線を無視し横を向く。
彼はぽつりと呟いた。
「・・・・・・・・・俺は・・・俺が好きなのはお前だけだ」
-------ー--は??なんですって?
『好き』って言った?・・・・私を??
ー-------何をっ!何を言っているのだこの男は・・・・!!!!
「ー-ー-ー--帰れっっっっ!!!!!」
未だかつて、誰に対してもこんなに感情を爆発させた経験などなかった。
猛烈な怒りで呼吸がうまくできない。
馬鹿にっっ!してっっ!!!!!!
ぐっと口を噛みしめたまま部屋を後にするロアンを正視など出来るはずもなく、流れる涙をそのままに花束を手に去った彼をー----彼の去った後も扉を睨み続けた。
ロアンはまさに人が変わったかのようだった。
あの夜寮に来てからというもの、毎日毎日私の元へ通ってくるようになったのだ。
領地運営科と商経科は一階の回廊で繋がった別棟になっているので、授業だけを受けていると普段は顔を会わせることは殆どない。にも関わらず、お昼休みであったり放課後、空いた時間を見つけては私のいる教室へ顔を出す。俺が悪かった、きちんと話したいから時間を取ってくれという。
かつて、私がさんざん話をしたいと言っていた時には取り合わなかったその言葉を彼から願われるようになるとは皮肉なものだ。
その日学院で会えなければ放課後に寮にまでやって来ることもあった。
校内で来られてしまうと会わざるを得ないが、私は寮では決して会わなかった。個室に二人でなど冗談じゃない。ずっと放ってきた関係をこちらの心中考えず急速に縮めようとするその姿に、ただ不快感しかないのだ。
もしかしたらコンラート家から何か言われたのかと訝しく思っていたが追及はしなかった。もう家の事情にもロアンにも距離を置きたかった。今は冷静に話せないと分かっているので、自分の気持ちが落ち着くのを待った方が良いはずだ。
今日も授業が終わって彼が来る前にさっさと帰ろうと支度を急ぐが、教室を出た所で軽く息を切らした彼に捕まってしまった。
立ちふさがるロアンに対峙し、無言で顔を見上げる。またいつものあの会話になるのだろう。
「クリステ、話をしよう」
「あなたと話すことはないわ」
「話を聞いて欲しい」
「今は聞きたくない」
「お前が好きなんだ」
「こ、こんな所で!何を言っているの!」
学院の中で毎日のようにそんな会話がなされれば、新たな噂が広まるのも時間の問題だった。
どうして・・・・どうしたというのだ。私がダンといるのが、そんなに嫌なの?なんで?
ロアンとルイーゼさんが学生食堂や回廊で一緒にいるところをここ最近は見なくなった。
彼らに思いもよらない変化があったのは間違いなさそうだが、だからといって私とダンが一緒過ごすことにまで干渉してくるなんてー-----。
彼らからの提案を受けた所以の関係なのに、また彼らの都合でそれを解消しようなど、私に対してもダンに対してもあまりに勝手で失礼だ。
---ー--私のことを好きですって?よくもそんな言葉を吐けたものだ、もう笑うしかない。
そんな感情がないことは、この5年間で嫌というほど身に染みている。
自分の言うことを聞かせるためにその言葉を利用する・・・・・、そんなロアンに対して苛立ちが止まらない。
今日の放課後は久しぶりにジュリアと町に出て、早めの夕飯を共にする約束をしている。
先週ロアンが寮に来た翌日から、ジュリアは夜会への参加の関係でオーウェン家タウンハウスから学院に通っていたが、昨日ようやく寮へと戻ってきた。暫く詳しい話ができなかった彼女に最近の出来事を聞いてもらいたくて、私が外食をしようとお誘いしたのだ。
寮にいたら、またロアンが来るかもしれないし・・・・。
授業が終わるとすぐ寮に戻り、制服から簡易なワンピースに着替えると、二人で馬車を使い度々訪れている店へと繰り出した。
18歳の成人を迎えている私たちは、酒を嗜むことも可能だ。夜会で口にしたことがあるので、私は迷うことなく食前酒を頼んだ。
「ー---で、最近のロアン君は一体どういうことなのかしら」
そう、それを話したくて聞いて欲しくて、私は口を滑らかにするべく注文していた甘い果実酒を一気に煽り、小さなグラスは瞬く間に空になった。
「すいません、同じものもうひとつお願いします」
「ちょっと、クリステ大丈夫!?」
「大丈夫よ。あのね、あの人最低よ。ルイーゼさんとの関係が上手くいかなかったみたいで、私にもダニエルと別れろって言いだしたの」
「ー------嘘でしょ・・・・、しんっじられないくらいの身勝手ぶりね・・・・」
「一年の約束を待たずに別れて欲しいって、私にしつこくついて回っているのよ。自分は思うようにいかなかったのに私が楽しそうなのが悔しいのね」
「ロアン君が休憩時間になるとあなたの所に行ってるっていうのは噂になっているし知っていたけど、そういう事だったのね・・・・・・。で、別れるの?ダンと」
「いや。ぜっったいに、いやよ。いずれダニエルと別れるにしたって、彼らの言いなりになることが嫌なの」
「そうよね・・・、私も彼らの思い通りに進めるのは悔しいわ」
「いつかロアンと結婚しなくてはならないにしても、今の気持ちのままでは・・・・」
「・・・・そう、よね、結婚・・・・・いずれするのよね・・・・・」
そうジュリアは呟くと、真面目な面持ちを私に向けた。
「・・・・・・・・・クリステ、ロアン君に対して正直どう思っているの?今後も恋愛的な要素はまったく期待できない感じ?」
「恋愛的・・・・・要素か・・・・・」
私は、運ばれて来た2杯目の果実酒に口を付けた。
「・・・・・前にも言ったと思うけど、私最初はロアンのこと幼馴染の延長での好きだと思っていたのよね。でも彼が私から距離を置くようになって、初めて寂しいとか、もっと一緒にいたいって思うようになって・・・・。それまで領地でも王都でも当たり前のようにずっと一緒にいたから、それが恋だと気づかなかった。ロアンとルイーゼさんが相思相愛っていう噂を聞いてからは、ロアンが私に気持ちがないなら私も気持ちを寄せたくないっていう意固地な所もあったしね・・・・。それが良くなかったのね。恋愛感情どころか、これから先彼にどう接していけばいいのか分からないのよ・・・・」
私は、ジュリアにロアンへの正直な気持ちを打ち明けた。
「こんな風になる前は、ロアンほんと優しかったの。彼と上手くいかなくなった原因は私にもあると思うけど・・・・・」
「なぜ?あなた何もしてないじゃない。学院に入ってすぐ、ロアン君ルイーゼさんと懇意になって」
「ううん、なんていうか・・・・私が劣等感を拗らせちゃったのよ。ジュリアがオーウェン家の仕事に関わるように、ルイーゼさんがあらゆる本を網羅して知識を深めるように、ロアンが宝石に夢中になるように、そういう何かを持ってないことに焦っていたのね。自分なりに色々やってみたけど、趣味も学業も中途半端で自分に欠陥があるように感じてた。自分に自信がなくて勝手にルイーゼさんと比べて落ち込んで・・・。ロアンが彼女に惹かれるのも仕方ないって逃げたのよ。私のそういうところが余計にロアンを遠ざけたんだわ」
「・・・・・私はたまたま目の前にやりたいことがあっただけよ」
「目の前にあっても、やろうと行動しなければ手に入らないわ。考えているだけでは動かないのと一緒だもの。ジュリアはそれで成果も上げているでしょう?まあ・・・そういう訳で、ロアンが私に好意を持てなかったのも仕方ないかなって今は理解しているってこと。だからといって、今回の自分勝手な彼の要求をのむつもりないけど」
ジュリアは私の話を聞いて暫く思案していたが、ちょっと迷うように話し始めた。
「・・・・今さら、かもしれないけど・・・。私、ロアン君はあなたのことをすごく意識しているなと思うことが時々あったの、基礎科の時から。当時はそれがどういう事なのかよく分からなかったけど、今になってから考えると、もしかしてロアン君もあなたと同じ気持ちだったってことはないかしら・・・・?」
「それはないでしょ。ロアンの私に対する態度は恋愛感情のある相手にするようなものと思えないわ」
「そう、なのかな・・・。時間が経った今だから見えてくるというか・・・・。上手く言えないのだけど、あなたを意識しすぎて意地悪しているっていうか・・・・。子供が親に構ってもらいたくていたずらをする、みたいな?俺を見てくれ気にしてくれって」
「そんな可愛いものじゃないわ・・・・」
「まあ、そうなんだけど・・・・。ロアン君て学内では何でもそつなくこなして如才なく振舞っているけど、実は思っているより不器用なんじゃないかしら、特にあなたに対しては」
「・・・・・・・・・・・・・」
「昔からの馴染みって、多分難しいこともあるのよ。同級生だと力関係が対等で尚更そうなのかもしれないし。私とアリシェも幼馴染でしょ?だから、ちょっとだけど幼馴染の難しさって分からなくないの。まあ、ロアン君に腹が立つことに変わりはないけどね」
---ー幼馴染の難しさ・・・・・。
私は正面に座るジュリアの顔を真っ直ぐに見る。やや気が強そうに見えるきれいな形の眉を軽く寄せ、少し悲し気に見えた。
「-------ジュリアもアリシェと何かあったの?」
「ううん、私は大丈夫よ」
「なんか私ばかり話してしまっているけど、今、アリシェと上手くいってる?」
「うん、私は大丈夫。それより、ロアン君はあなたと話をしたがっているのでしょ?」
「・・・・・・ロアンは会うたびダニエルと別れろとしか言わないし私は今そんな気はない。だから彼と話をしても堂々巡りで・・・・・。すいません、同じのもう一杯お願いします~」
「・・・・・・また食前酒・・・・まあいいか明日休みだし。なんかずっとロアン君に悩まされるわね・・・。このまま結婚してもそうなのかと心配になるわ私・・・・・」
結婚しても、ずっとこんな状態・・・・・。
私はこの先ずっと、この胸が詰まるような感情から解放されない・・・・・・?
そんなのって、苦しいわジュリア。
疲れたわ、ジュリア・・・。ロアン・・・。
もう何も考えたくない・・・・・・・。
私はまた新たな一杯を煽った。
必然だ。私は・・・・酒に呑まれてしまった・・・・。
完全なる悪酔いだ。ロアンを肴にしたのが悪かったし、何より私は酒の飲み方を知らなかった。
店を出て一歩踏み踏み出すと、目の前がぐりゃりと歪み足元がおぼつかないのを自覚する。
遅い時間でないことが恥ずかしい。みなさんまだ仕事をしたりこれから夕飯の家も多いのではないか・・・・。こんな時間に酩酊状態で寮になど戻れるはずがない・・・・・。
ジュリアと共に広場中央にある公園の片隅でひっそりと休み酔いが落ち着くのを待つも、もうすぐ寮の門限の時間だった。夜会などで遅くなる時は夜間の特別外出申請をするが、今夜はこんなに遅くなるつもりも酔う予定はなかったので、普通の外出の申請しかしていないのだ。
休憩して少し良くなったからと馬車に乗れば、再び酔いが回ってしまった。寮の近くで馬車を降りる。
「ご・・・・ごえん、じゅいあ・・・・」
「いいからしゃべらないで、学院の人にこんな状態のあなた見つかったら大変だから。具合が悪いで押し通す!」
そう言ってジュリアは二人分の荷物を持ち私の腰を抱え汗ばみ息を切らしながら、ぜえぜえと学舎の脇を抜けて寮への道を真っ直ぐに進む。申し訳なさで一杯だが、今は彼女に頼ることしかできない。
目指す寮の入り口は間もなくだ。
そのときー----ーーーー
「おいっ、クリステ具合が悪いのか!?」
突然、女子寮の門横に立つ大木の影から慌てたように飛び出してきたロアンに、思わずジュリアと同時にぎゃ!!と叫ぶ。
彼は放課後、やはり寮に来たのだ。私が外出中だということで、諦めずにここで待ち伏せをしていたに違いない。
「ロアン君!・・・・嫌だわ、なによこの最悪のタイミング・・・・」
「クリステどうした、具合が悪いのか!?」
焦ったように詰め寄ってくるロアンに、私は手で牽制しながら否定する。酔いは醒めてきても口が思うように回らなかった。
「ち・・・ちあう・・・。らいじょおぶ、らから・・・・」
「!!!!!!お、お前っっ!!」
驚き見開かれるサファイアの瞳が二重に見えて綺麗だなとぼんやり思った。
「お前っ!ばか、何やってんだよ!!こんな・・・・っっ!!!」
「ちょっとロアン君、大きな声出さないでよ!全部あなたのせいなんだから!!」
「お、れのせい・・・・・?」
「そうよっ、クリステこんなになったの、全部あなたのせいだから!!」
「じゅ、いあ、声がおっきい・・・・」
「・・・・クリステ大丈夫か・・・?俺が運ぶ」
「結構よ!あなたにこんな状態のクリステを抱えて寮に入られたら、更におかしな噂が立つでしょ!!」
「・・・更に、おかしな、噂・・・?」
「また俺は知らないととぼけるかしら!?クリステ今、あなたがルイーゼさんに振られたから復縁を迫られている可哀想な令嬢として名高いから!」
「「え!!」」
そ、そうだったの??
「あなた自分勝手すぎるのよ!馬鹿はあなたよ!!」
「・・・・・・・・す、まない・・・」
「見ての通り、この子いま話せる状態じゃないからお引き取り下さい!」
いつも品行方正なジュリアのあまりの剣幕に、私もロアンもただただ圧倒され、一気に酔いも醒める勢いだ。こんな気圧されるロアンを見たことがなかった。
そして私は、じんわり暖かい気持ちに満たされた。
私の為にここまで怒ってくれる友人がいる、それだけでもう今までのやり切れなさや頑なな気持ちが溶解するようだった。
だから。私の代わりにここまで怒ってくれる友人がいるから。寮に戻れば、隣の部屋で心配しながら私の帰りを待っていてくれるであろう友人がいるから。
ー----ロアンと話してみようかな・・・・・。
ちらりとそう思い始めた。お酒が入り気持ちも大きくなっているのかもしれない。
今ロアンがルイーゼさんとの関係がどうなっているのか分からないが、彼の私への接し方は大きく変わった。
私を好きだと言う言葉を鵜吞みにはできないが、彼の変化に疑問と興味もある。こうもしつこくダンと別れさせたがっている理由が、何かあるのかもしれない。
私は腰を支えてくれているジュリアに向き直りそっと抱きしめて、そして顔を上げた。
「じゅいあ・・・、わたし、ロアンと、はなしてくる・・・・」
「無理する必要はないわクリステ」
「・・・・・・・・・・ありがと・・・れも、ロアンと、はなしてくる」
「・・・・・・・無理してない?大丈夫?・・・・こんな状態、だけど」
「だい、じょうぶ」
「・・・・・・私もどこかで待ってる?」
「ううん、だいじょうぶ・・・。はなし、おわったら、へやにいくね」
「・・・・・・分かった。寮長には門限時間延長の申請を出しておく。ー----ロアン君」
「ああ、分かってる。話をしたら寮に送るしクリステを傷つけるようなことはしない」
「これ以上クリステを傷つけたら、私あなたを許さないから」
「分かっている。もし話をするのが無理そうなら、そのまま寮まで送る。・・・・・ありがとうジュリア嬢」
「・・・・・・・じゃ私行くね。あまり遅くならないようにね」
「うん、ありがと、じゅいあ・・・・」
不安そうな顔をしながらもジュリアは私をロアンに預け、何度も後ろを振り返りながら寮へと戻って行った。
私は、両手で頬を抑えて心の中で気合を入れる。
(しっかりしなくちゃ・・・・、私とダンのことなんだから。ダンに迷惑、かけられない・・・)
そして軽く視線を落とし、私の肩を抱き寄せて支えるロアンの手を見た。夜会の時にも感じていたが、大きくて骨ばった大人の男性の手だ。くすんだ原石を一心不乱に磨く、12歳の頃のあの白くて柔らかな手を見ることはもう二度とない。
彼に支えられるのが嫌だった。ルイーゼさんに触れた手で触らないで欲しい。たとえロアンでもダン以外の男性に触れて欲しくない・・・・・・。
「ロアン、支えなくてだいじょうぶ・・・。はなして」
「だめだ危ない。酔いがもう少し醒めるまで」
「ごめんなさい・・・・、わたし、いま、あなたに触れられるの、いやなの・・・・ごめん」
そう言うとロアンはグッと苦し気な顔を見せるが、それでも私の肩からは手を離さなかった。
「クリステ・・・せめてどこかに座ろう。そうしたら触れないから・・・・・」
私のこの状態とロアンが共にいることを学院の者に見られるのは宜しくない。どこか人目につかない場所が良いだろう・・・・。
私たちは、寮と学舎の途中にある学習室の裏を目指した。そこには外に休憩用の木製ベンチがいくつかあるのだ。
よたつく私を軽々と支え、ロアンは私の足取りと歩調を合わせる。
たった、それだけのー----歩調を合わせることすら、この5年の間で初めてのことだった。
小さなころは手を取り合って一緒に歩いていたのに、ここ数年は気が付いたらいつも私を置いて先に行ってしまう・・・・。
共に歩むことを心からは望めなくなってから、今になってそうされることに軽い焦燥感を覚える。
「クリステ、そこに座れるか?」
そう言って私をベンチに誘導する。
ジュリアと離れたことでしっかりしなくてはと思ったからか、あるいは風の冷たさのせいか。
酔いも随分ましになってきた。火照った頬に冷たい風が心地よかった。
ふと、自分の居るこの人の滅多に訪れない場所を見渡せば。
ー----ここ、以前ロアンがルイーゼさんと一緒にいた場所じゃないの・・・・。
あの時、二人が向き合って顔を寄せて口づけを・・・・・・。よりにもよって、こんな場所に私と・・・・・・。
ロアン、最低ね・・・・・・・・。
もう笑ってしまった。彼に悪気も意図も無いのだろうが、結果としてはどこまでも最低だ。
ジュリアの先ほどの言葉を思い出す。ロアンが不器用?そんな言葉ではこのやり切れなさが解消される気はしなかった。
距離を取って座りながら、横のロアンが訝しげに私の様子を伺った。
「どうした?何が可笑しい?」
「いいえ、いいのよロアン」
「気分は?気持ち悪くないか?」
「だいじょうぶ、もう、落ち着いてきたわ。さあ、この前の話の続きを・・・?」
そう聞くと、ロアンは小さく肯いて私の目を見ながら静かに話し始めた。
「・・・・・最初、から、聞いて欲しいんだ。なんで俺が今までおかしな態度だったのか、俺とルイーゼとの関係が拗れたのか・・・・・」
「え・・・・あなたとルイーゼさんの関係は、私は聞きたくないし興味ないわ」
「ち、ちがう、そういう意味じゃない!そうじゃなくて・・・・・。とにかく、最初から俺が悪かったんだ。俺が今まで・・・・学院に入学してからお前に対してぎこちない態度になってしまっていたのは、バロックさんに嫉妬していて・・・・・」
「・・・・・・ダンに、嫉妬?」
「そう・・・、もうずっと前からー---最初ジュリア嬢から彼を紹介された時に、俺、お前が顔を赤くして彼のこと見つめてるのを見て・・・嫉妬したんだ。お前がバロックさんに惹かれてるんだと思った。出会った当初からずっと、今も尚、バロックさんには敵わないと嫉妬しているんだよ」
そう言ってロアンは自分を嘲笑うかのような笑みを浮かべた。
ロアンが、出会った当初から・・・・嫉妬・・・?
「バロックさんに会う度に、彼が素晴らしい人だということが分かった。お前は彼と親しかったから・・・・彼より劣る俺に嫌気がさすんじゃないかとか、彼のもとに行ったらどうしようとか。そういうどうしようもない感情に支配されて、お前に対して上手く振舞うことが出来なくなっていったんだ。というか、俺、バロックさんを意識して初めてお前への恋愛感情を自覚したんだ・・・・・」
「ー----れん、あい感情・・・・?わたし、に・・・・?」
ではジュリアが言っていたように、ロアンが私に・・・・・、苦しかったあの時に、私を想ってくれていたことがあったの・・・・・?私を無視し見下して邪見に扱っていた、あの、ひどい態度で・・・・・・・?
にわかに信じがたいが・・・・・。
けれど、ダンと自分を比較して卑屈になっていくという感情は、痛い程よく分かった。
「バロックさんには負けたくなくて、でも敵わわないくらい彼は大人に見えて、彼を真似てみようとしたり・・・。でも上手く出来なかった。優しくするやり方も距離の縮め方も分からなくて、時間ばかりが過ぎてしまった。俺たちの関係はこのままじゃダメになると理解していても、どうしていいのか分からなかったんだ。せめてお前との接点だけは繋いでおきたくて、茶会で会おうと・・・・」
「・・・・・・コンラート家のお茶会・・・・・?」
「そう。あれは俺の家から言われたんじゃない。俺が、お前と一緒にいようと思って・・・・」
「・・・・・・・そうなの・・・」
婚約者として、少しは良好な関係を持とうとは思ってくれていたの・・・・?
歩み寄るつもりで、いてくれていたの・・・・?
「俺が好きなのはお前だけだ。ずっとそうだった、好きなのはずっと、クリステだけだ」
・・・・・・・そう・・・・・・ん?ずっと・・・・・・・?
ーーーーーーーずっと・・・・・???
「・・・・・それで、ルイーゼのこと、なんだが・・・・」
そう言うと、途端にばつの悪そうな顔になる。
「ルイーゼのことは、本当に誤解なんだ。相思相愛っていうあの噂も事実と違う。彼女、実は俺のこと異性として好きだったみたいで、俺はそれを友情の好きだと思っていたから・・・・。一緒にいることで彼女を誤解させてしまった。本当に、俺は彼女に恋愛感情はない。ルイーゼの言う『期間限定の恋人』は彼女が俺とのことを誤解したまま先走ってしまいお前に伝えたことなんだ」
しかし私はその言葉を聞いた時、少しずつ溶けかけていたロアンへの頑なな気持ちが、再び凍り付いた。
(え・・・・・・、ちょっとまってロアン。ちょっとまって)
私の頭の中で、突如あの日の光景が再現された。
なんですって・・・?
それは、違うでしょう・・・!?
「・・・・・・・・なんでよ、彼女のせいにしないでよ・・・・・。私、見たんだから・・・・」
「え?」
「あなた、キスしていたじゃない」
「・・・・・・・・・・・・・・・え?」
とぼけるつもりか。あるいは、よくあることで特定できないのか。
怒りが沸々と沸き起こる。
「キス!ここでっ!していたでしょっ!ルイーゼさんとっ!!放課後っっ!!!」
「え、えっ!?・・・・・・・・・あっっ!!」
あ、じゃない・・・、ロアンは、いつの間にこんなズルく育ったのだ。
「あなたはお友達ともキスをするの?恋愛感情がないって、キスしておいて誤解って・・・・信じられないこと言うのね」
怒りでまた酔いが回ってきそうだ。
百歩譲って当時私に恋愛的な感情を持ってくれていたとしても、それ以降のルイーゼさんとの関係まで否定するのは違うでしょう!それはいくら何でもルイーゼさんに失礼だ。
「ち、ちがう、あれはセーフだ、ギリギリ大丈夫だった!彼女がいきなり抱きついてきてキスされそうになったから、ちゃんとよけた!顎だ、顎に触れただけだから!!」
ー----何を言っているのだ・・・・・・・、顎に、触れただけ・・・・?
だからなんなのか。だから恋愛感情はなかったと言いたいのだろうか。
夕暮れ時に人気のないこんな場所で、相思相愛と噂になり続けた二人がくっついているのを見てだれが友達だと思うものか。私ではない誰かに見られている可能性だってあるのだ。
不用意、不用心、無配慮・・・・・・そして嘘やごまかし・・・・・。
ロアンにまとわりつく様々な単語が頭を駆け巡る。どう信じればいいというのか。
あの光景を私に見られているなんて思いもしなかったのだろう、面白いくらいに狼狽えて言い訳をするロアンのパクパクと動く唇を見た。そしてその下のつるりと整った顎を・・・・・・。
私は彼のそこに触れたことはなかった。お互いの額も頬も鼻にもキスしたことがある。しかし顎はなかった。
(ー----ここに、彼女の唇が・・・・・・・)
思わず目を閉じてルイーゼさんの小さな赤い唇を思い浮かべた。
だめだ、考えがまとまらない。お酒のせいだ。
ああ、もういやだ、疲れた。
嫉妬だとか、友情としての好意だとか、もうよく分からない。過去はもう変えられない。ならばこれから先の私たちの関係の挽回かと思っても、また訳の分からないことを言い出した。
いくら言い訳しても謝ってもらっても、誤解だと言う彼に不信感が一枚また一枚と、重なるばかりだ・・・・・・。
堪らず思わず声に出していた。
「もう、いい加減にしてほしい・・・・・・」
「クリステ・・・・・・」
「疲れた。キスが未遂でも本当でも、どちらでもいいよ・・・・。ロアンの言いたいことはもういいよね?とりあえず、今はダンと別れない。気持ちが整理できるまで待って」
思考が堂々巡りする中、伝えておかなくてはならないことだけは口にした。
私とダンの関係は、こちらが一方的に解消していいことじゃない。
この交際はジュリアへの気持ちを整理するための段階の一つだって、ダンは言っていた。ちゃんと役割を持っているのだ。
二人で始めると決めたことだ、関係を解消するかどうかも二人で決めなくては。ダンの事情をロアンに話す訳にはいかないから、曖昧な言い方しか出来ないけど・・・・・・・・。
もう寮に戻るからとロアンに告げようと顔を上げたその時。
ー---ー--え・・・!?
突如ぐいと横に引き寄せられた。
頭の後ろを片手でガシっと抑えられ、もう片方の手で頬を固定される。
え、え・・・・・?
勢いよくぶつかった唇が押しつぶされた。
ー-----私の唇が少し濡れ、暖かくて柔らかい・・・・・・
え・・・・・・・?
押し付けられたそれは、暫くしてゆっくり離れ・・・・・・・・・。
え・・・・・・・・・・・、なに、してるの・・・・・・・・・・
瞠目した私はすぐ前にある彼の潤んだ瞳を凝視し、そしてその下にある唇へと視線を移した。
なにしたの・・・・・・・・ちょっと・・・・・・・・・。
声を失う私の唇に再びそれが押し当てられる。先ほどのような勢いはなく、ゆっくりとその存在を確かめるように。
それはしっとりと柔らかで・・・・くっついては離れてを2回繰り返して・・・・・
驚きのあまり、目を瞑ることもできなかった。だから彼の瞑った目を縁取る長い睫毛がよく見えた。
なんてこと・・・・してるの、ロアン・・・・・。まさかこれで誤魔化そうと、思っているの・・・・・・・。
酒のせいか怒りのせいか、頭の中がぐるぐると回る・・・・・・・・
そして何とか声を絞り出す。
我慢、出来ないかも、しれない・・・・・。
「ー-ー----ー-気持ち、悪い」
「クリステ・・・・・」
ロアンの瞳が悲し気に揺れた。
彼から視線を逸らし強く目を閉じれば、頭の中でルイーゼさんと抱き合うロアンが回る・・・・。
-ー---誤解、セーフ、顎にキス・・・・・・
ぐるぐると・・・・・、二人の影が回った。
座った体制のまま、私は下を向きー-----。
胃がせり上がった。
「おえ」
「クリステ・・・・・」
「ぉおおおえええぇ・・・・っっ」
「・・・・・・・・・・・・・・・くり」
・・・・・・・・・っ、吐く・・・・・・・・・・っっ・・・・
ぷつり、そこからの記憶がなくなった。
翌朝の目覚めは、もちろん最低最悪だった。身体も心もぼろぼろだ。
あの夜。私をロアンに託して悶々とするジュリアの部屋に、寮長が助けを求めに向かったらしい。
ロアンは嘔吐した私を一通り介抱してから寮まで運び『具合が悪いところを自分が無理をさせてしまった、友人のジュリア・オーウェン嬢に看病をして欲しい』と願い出た、ようだ。その辺の記憶は私にはない。
私の部屋までは婚約者だからと特例でロアンが運んで、くれぐれもクリステを頼むと言い残して彼が去った後、ジュリアは私の汚れた服と靴を脱がせ部屋を後にし、そして今朝に至るという訳だ。
本当に・・・・申し訳なさと恥ずかしさで消えてしまいたい気分だ・・・・・・・。
外で飲んで泥酔する貴族令嬢など聞いたことがなかった。ましてや婚約者の前で嘔吐など・・・・・。
朝食を摂れなかった私のもとへ、ジュリアが果実水を持って現れた。
私はといえば起き上がることもままならず、ベットの上で身体を横たえ頭痛と吐き気を堪えていた。人生初の体験だ。
「ジュリア・・・・本当に・・・・なんと言っていいのか・・・。ごめんなさいオエ・・・」
「いいのよ気にしないで。けどロアン君が面白いくらい心配していたわ、あなたと同じくらい真っ青になって。後で手紙でも送ったら?」
「・・・・・・・・・」
「まあ、彼のせいであんな酔ってしまったから、心配させておけばいいか・・・・・・」
ジュリアがくすりと笑う。
「今日は一日ゆっくり休んでて。話は具合が良くなってから聞かせてもらうわ」
「うん・・・・、ありがとうジュリア・・・・・・」
彼女がそっと扉を閉めると、私は目を瞑り息を吐く。胸が圧迫するように苦しい。
ー---ロアン君が真っ青になって心配、ね・・・・・・。
途中から気分が悪くなり最後の方の記憶は曖昧になっているが、吐く直前にロアンにされたことだけは覚えている。
なんで私にあんなことを・・・・。
初めてのキスをあんな形で迎えるなんて、感動も感慨もない。もはや思い起こしたくもない苦い思い出となった。
一晩経って酔いの醒めた頭で昨夜のことを考えた。
(ロアン、ルイーゼさんとのことは誤解だと何度も繰り返していた。キスも彼女から突然のことだって・・・・)
今さら誤解と言われても、どうしても信じることが出来ない。ロアンたちの集団の楽し気な様子は私にとってつい先日までの日常で、彼の横に座り楽し気に笑い合うルイーゼさんを見てきたのだ。
自分の気持ちも整理がつかず、これから先どうしたいのか自分の気持ちが分からない。
ダンに会いたい。会って安心したかった。
「・・・・・・・ダン・・・・会いたいな。・・・・・・ダニエル・・・・どうしたらいいの?」
私はそっと目を瞑る。
昨夜のロアンの言葉の数々を頭の中から追い出し、ダンの優しい眼差しを思い浮かべた。そしてそのまま深い眠りに引きずりこまれ、再び目を覚ましたのはもう昼をとうに回っている時間だった。
眠りは凄い。回復のなによりの薬だ。
気分の悪さも頭痛もすっかり消えて動けるようになった私は、2通の手紙を書いた。
一通はロアンに。
『ロアン・コンラート様
昨日は、多大なるご迷惑をお掛けたことを深くお詫びいたします。
恥ずかしさのあまり合わせる顔がございません。
このままそっとしておいて頂けると幸いです。
クリステ・モーガン』
これ以上ないくらい簡潔な文章だ。これで会いたくないという私の気持ちは十分伝わるだろう。
もう一通はダンに・・・・。
助けを求めるかのように、あるいは恋人らしく、ただ『あなたに会いたい』とー------。
最近仕事が忙しいと言っていたからすぐに会えるとは思わないが、ただ会いたいという思いだけは伝えたかった。
翌日にダンから「俺も会いたい、いつにしようか」という内容の手紙が届き、疑似恋愛とは分かっていても彼のその返事に切なくなった。
私が酔いつぶれてから一週間ほどが経っていた。
この日、昼休みに久しぶりにロアンが私の教室にきた。会うのはあの日以来だ。
「クリステ、その後の体調はどうだ」
体調は翌日に戻っている。身体は元気に過ごしているが、心はまだ混乱の中にあった。
「その節は本当に迷惑かけてしまって・・・・ごめんなさい」
「いや、ジュリアに言われたようにあんなに酔った責任は俺にのあるだろうから・・・・」
ロアンはなぜか少し嬉しそうに見えて、癪に障った。
「いいえ、ロアンのせいじゃないから。あなたのことは全く関係ないから」
「・・・・・明日は休みだろ?もし体調が悪くないなら、町に出て一緒に食事しないか。昼でも夜でも・・・・」
「明日は予定あるの」
「・・・・バロッ・・・・・・いや、そ、うか・・・・・分かった。じゃあ、また日を改めよう」
「・・・・・・・ええ」
「あ、のさ、お前、記憶あるか?あの日の・・・・・ちゃんと覚えてる?くちづ」
「まぁほとんど」
愛想の無い口調で私はロアンの言葉を遮った。
最後の気分が悪くなってからは朧気だが、それまでの彼の発言と行動は明瞭に記憶されている。私は小さく呟いた。
「・・・・・・・顎だからセーフだって・・・・・・・」
「・・・・・・・・・っっ!」
ロアンは焦ったように私の腕を取ろうと手を伸ばすが、私はそれをそっと制した。
「ちょっ、それは・・・・・っ、そっちじゃなくて・・・・・っ」
「ごめん、次は移動教室なの、またねロアン」
「・・・・・・・・分かった、また来週にでも」
そう言って心もち肩を落として彼は去ってゆく。
明日・・・・。明日はジュリアとダンと約束をしているのだ。
もちろん楽しみだ。彼にとても会いたかったから。
そして。ロアンから交際の解消を求められていることも伝えなくてはならない。
楽しみの半面、心が重かった。




