ルイーゼの懇願
5,ルイーゼの懇願
ロアンとのお茶会もそろそろお開きだ。今が諸々を伝えるチャンスであろう。
コンラート家のあたり一面のミモザの黄色を見上げながら、私はいよいよロアンに話を切り出す決心をしていた。
来年は私たちももう卒業だ。18歳、この国の成人。
女性の結婚の適齢期が16歳から20歳とされるルバツク国では、学院を卒業と同時に結婚をする者も少なくない。
私たちのその日はまだ決まっていないが、両家からはそう遠からず結婚の具体的な話が出るだろう。
ーーーーーーー私は先週の放課後、ルイーゼさんから学舎の裏に呼び出された。
そして、おおよそ信じがたい耳を疑うようなお願いごとをされたが、よくよく悩んだ末、私はそれを受け入れるつもりでいる。
今日のお茶会では、それをロアンに伝えるつもりだったのだ。
ーーーーー彼女の願う『期間限定の恋人』の話を。
「あのね、ルイーゼさんからのご提案、受けてもいいわ私」
この距離ならばコンラート家の使用人には聞かれないだろうと、視線を満開のミモザからロアンへと移し、私は思い切って口にした。
「ん?ルイーゼの提案って、何」
「・・・・・・私たちが卒業するまでの間の一年間、あなたとルイーゼさんの恋人の関係を認めますって言ってるの。『期間限定の恋人』のご提案、受けます」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
ロアンは何を言われているのか分からないと言ったように、長く間をおいてからぽかんと口を開けた。
私がしたら間抜けになるであろうそんな顔も、彼がするとそれなりに見えるのはずるいな・・・・・。
ロアンからの言葉を待つが彼は何も発することなく、ただ瞠目し口を開けたまま私を凝視している。
まさか、私がそれを受け入れてくれるとは思っていなかったのだろう。
「ルイーゼさんに長いこと辛い思いさせてしまっていたみたいで・・・、結婚する前に、せめて好きな人と少しの間でも恋人として過ごしたいっていうあなたたちの気持ち、少しは理解できるから・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なに、を・・・・・・は??」
「だからいいよ、ロアン。もちろん大っぴらにされたら困るからコッソリになってしまうけど。それでいいなら、私はいいよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・お・・・・ま、・・・・・・・なに、言って・・・・・・・」
私にはずっとずっと、罪悪感があった。
基礎科にいた3年間、私は彼女に対し目を背けたくなるような、汚い感情を持ち続けていた。
彼女がいなければ私はロアンと今より仲良く幸せになれていたのかもしれないと、彼が変わってしまったのはルイーゼさんのせいだと何度も彼女を恨んだ。
学院からいなくなって、ロアンの前から消えて欲しいって、本気で思っていたのだ。
ルイーゼさんは私にとって眩しいような存在だ。
彼女の髪は明るいはちみつ色の金髪だ。私はぼやけた栗色だ。
彼女の瞳は明るく澄んだエメラルドだ。私の瞳は子供の頃は透き通った青色だったのに、成長とともに薄くくすんだ海の色になった。濁った私の心と同じだ。
ロアンは言っていた、ルイーゼさんは博学で知識量が凄いのだと。確かに彼女は成績優秀者の常連だ。私も負けじと勉強に励むが、どんなに頑張っても成績優秀者に名を連ねることは一度たりともなかった。
彼女と比較しては落ち込み、嫉妬した。
彼女の存在は私の劣等感を刺激し続けた。
自分の不出来は棚に上げ、ロアンと上手くいかない原因を全て彼女のせいにした。
婚約者は私だ、最後に結婚するのは私なんだから今だけ我慢しよう。
優位は私なんだと思うことで納得しようとし、そしてそのいやらしい感情に自己嫌悪が止まらず、自分の心の醜さに涙した。
彼女もきっとダニエルのように苦しんだだろう。婚約者のいる手に入らない人を諦めきれなくて、きっと幾度となく彼女も涙を流したはずだ。
それを分かっていても尚、ロアンの横で微笑う彼女のことを羨んだ。
過去を思い出す時に辛いのは、この醜い自分を見ざるを得ないからだ。
私の自己嫌悪はそのままルイーゼさんへの罪悪感となり、今に至るのだ。
今回ルイーゼさんの提案を受け入れることで、これまでの醜い感情からも罪悪感からも解放させてもらおう。贖罪だ。
「ロアンが私たちの婚約に不満があることは分かっていたしね。ルイーゼさんから聞いてるよ、二人はずっと想い合っていたんだよね。以前から噂あって知っていたのに何もできなくてごめん、婚約者として私も割り切れない所があってさ。でも卒業までの間は二人が思うようにしてくれて構わないから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なん・・・でっっ」
ロアンの精悍な顔が、ひどく、歪んだ。鋭いサファイアの瞳が不安げに揺れる。
ー-----ー--え?なに、その表情・・・・・・。
それはまるで怒っているかのような泣き出しそうな、あまりに苦し気な表情で・・・・・。
「どうしたの?ロアン?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・お前・・は・・・それで・・・・いいのか・・・」
彼の声は小さくて、掠れて聞き取りにくかった。
「え・・・いいよ、さっき言ったじゃない。大丈夫よ私のことは気にしないで。二人はモーガン家とコンラート家に気付かれないようにだけ気をつけてくれればいいわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ルイーゼさんにはロアンから伝えておいてもらえる?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お前は、どう、するんだ」
「私?どうするって?」
「ー---ー-バロックさんと・・・・付き合うのか」
「え?ダニエル?私が?」
なぜここでダニエルの話?え、ロアン、まさか私がダニエルに好意があること気づいているのかしら?
「・・・・・・バロックさんのこと、好き・・・・なんだろ」
「ロアン知って」
「クリステはバロックさんと『期間限定の恋人』ってのをやりたいのか」
「まさか、そんなことするはずないでしょ」
「恋人に・・・なりたいのか」
「・・・・まぁ、それは・・・・そうなれば、いいけど」
まず無理だ。彼は私のことなど悲しいほど眼中にない。
そもそもが、私はロアンとずっと婚約中だ。他の男性とのお付き合いなど想像したことがなかった。
「・・・・・・・・・・・・そう、なればいい・・・・か。ー----わかった」
「ん?」
「お前の気持ちは、よく分かった。お前・・・・初めてバロックさんのこと認めたな」
初めて認めたも何も今まで誰にも訊かれたことはないし、彼を異性として意識したのも本当につい最近のことだ。
「ー--ーーーー-お前も、付き合って、いいから」
「なに?ダニエルのこと?無理だよ、そんな気ないし」
「いいから、付き合って」
まるで能面のような、いえ、むしろ鬼を連想するような、何とも言えない不思議な表情をしてロアンは吐き捨てた。
「だからそんな気はないって」
「いち、ねん、だ」
「うん?」
「卒業までの、一年だけ、時間をやる」
「それ、私のセリフなんだけど」
「それ以降は俺の所に戻ってこい」
「・・・・・・・っっ!ロアン!!ちょっと、大丈夫!?顔色が凄く悪いけど・・・!」
白とも青とも言えない、これぞ蒼白・・・・という顔色をしたロアンに驚き、私は思わず彼の腕を掴んだ。倒れてしまうかと思ったのだ。
ロアンは、握った私の手の上に自分の手を重ね、そして苦し気に私の瞳を覗き込んだ。
背の高い彼が、腰をかがめて私を伺うように顔を寄せてくる。
真意を推し量ろうとするように・・・・まるで私にすがるような眼差しを向け、何かを言いかけたが、それは発せられることはなかった。
そして握っていた自らの手を私のそれからそっと離すと、ゆっくりと両手を私の頬に置き、震える冷たい指で優しくそこを撫で上げた。
ーーー---まるで触ることが禁じられているものに触れるような、羽が掠めるかのような柔らかさで私の輪郭をなぞる。
「・・・・っっ!!!」
どうしたのだ。ロアンどうしたの?
「っっどっ、何をっ・・・どうしたのロアンっ。大丈夫!?」
「・・・・・・・・大丈夫・・・・・・な、ものかっ・・・!」
絞り出すような声と共に、頬にある彼の手が離れる。
「え?」
「大丈夫だ。もう行け」
「え?」
「もう行け・・・・」
私に行けと言いながら、ロアンはふらふらとミモザから離れ、慌てて後を追う執事と共に庭園の奥へ姿を消した。
ロアン・・・・凄い顔色だったけど、大丈夫かしら。
私は、触れられた頬をそっと押えた。
ロアン、なんなの・・・どうしちゃったの・・・・・。
☆☆☆
晴天だ。今日もまた、憎まれ口からスタートを切った。
なんで俺はこんな言葉しか出てこないのだと落ち込むが、毎月楽しみにしているお茶会なのに席に着いた途端に上の空の婚約者に勝手に苛ついたのだ。
また他のことを考えている。のお前の気持ちは今どこにあるのだ、目の前の俺を見てくれと。
彼女が俺に気持ちが向かないのは、自分の態度のせいだという自覚は十分にある。
だから少しずつ、ほんの少しだけだが去年よりも優しい口調を心がけている。クリステは気が付いていないかもしれないが・・・・。このまま関係を改善させていって・・・・・。
コンラート家からの要請という形にして、お茶会の名目で月一回の逢瀬の機会を設けた。
彼女が嫌々このお茶会に来ているは承知だ。
だが無理にでも会わないと、自分たちの関係が益々離れていってしまうことも承知だ。
先月はまだ北風が厳しく、お茶会は室内で鬱々としたものになってしまった。
しかし今日は明るい日差しの下、外で・・・少し寒いが庭のミモザを見に行こう。クリステの好きな花だ。
以前にミモザ色のドレスを贈ったことを覚えているだろうか・・・・。あの時のクリステはまるで花の妖精のように可愛かったな・・・・。
そうだ、その時の話をしてみよう。可愛かったと、よく似合っていたと言ってみようか・・・?今さらか?しかし過去のことでも褒められて気分を害することはないはずだ。そうすれば、いつも自分の気持ちに反して棘が出てしまう会話も穏やかに出来るかもしれない。
一面の眩しい黄色を見上げて会話の糸口を探す俺に、このあとクリステからの衝撃の一矢が貫いた。
ー-----ー---ー----は?
ー-----ー---ーー-----ルイーゼが、なんだって?
クリステの言葉が理解できなかった。まったく意味が分からない。
俺とルイーゼがずっと想い合っていると・・・・、ルイーゼはクリステに何をお願いしたと言った・・・・?
ー-----期間限定のー-----恋人・・・・?
どういうことだルイーゼっ!!
ああ、頭がくらくらする・・・・・。
訳が分からなかった。混乱し思考がまとまらない。
自分とルイーゼはそのような関係ではないと否定しようとしたが、クリステは・・・・・。
クリステは言った。
俺とルイーゼとの恋人関係を認める、と。
どうして・・・・クリステは本当にそんなことを認めるのか?俺が他の女と恋人になってもいいと、本当にそう思っているのか。『期間限定の恋人』なんて・・・・。
それほどまでに、俺に、気持ちがない、のか。
もはやルイーゼとの関係を否定したところで、クリステは「あ、そうなの?」くらいのどうでもよい事なのかもしれない・・・・・・。
そして何よりもショックだったのはー------。
クリステの口からバロックさんへの想いを聞いてしまった。今まで曖昧にしてきたが、決定打を放たれた。
ー--ー-ああ、なんであんなことを聞いてしまったのかと後悔する。
知らないふりをしていれば良かったのに。知ればバロックさんへの想いを認め了承していることになってしまう気がした。
クリステから、俺とルイーゼのこの馬鹿げた『期間限定の恋人』の話を聞いたらバロックさんはどう捉えるだろうか。
そんな不誠実な婚約者なんてやめておけと進言するだろうか。俺ならそうする。
ー-----クリステは、バロックさんと恋人になれればいいけど・・・・って、そう言った。
バロックさんと恋人になりたいとーーーーーーーーー。
その想いを口にされて、頭の中は真っ白に目の前が真っ黒になった。
『付き合っていい』
バロックさんに対する彼女の想いを聞き、俺に関心のないクリステへの意地と自棄で出た言葉だった。
馬鹿げた提案を受けていいと思うくらい俺に関心がないのかと、絶望と怒りに似た感情が言葉となって出たのだ。バロックさんと、付き合っていいなどと・・・・・。
口にした途端に猛烈に後悔した。しかし発してしまった言葉は取り消せない。
ー--ー-ああ、最悪だ・・・・・。
あと少しで約束の物が完成しそうだという今、なぜこんなことに・・・・。
いや、悪いのは俺だ。俺の幼さとこれまでの態度が、ここまで関係を悪化させたのは明白じゃないか。自分のプライドと意地を優先にした結果がこれ。
ー---ー-自業自得。
クリステは、子供じみた俺の犠牲者だ。今になって後悔しても、取り返しがつかない・・・・。
なぜルイーゼは、クリステにそんな嘘を・・・・・。
奥歯を噛みめ、なんとか言葉を絞り出した。
『一年だけ時間をやる。それ以降は俺の所に戻ってこい』
もし。もしバロックさんがクリステと付き合ってしまったら・・・・・。
クリステにとっての楽園は俺にとっての地獄だ。地獄の一年になる。
彼女から放たれた矢は心臓に刺さり、更に自分で深く差し込んだのだ。
愚かにもほどがある。こんな自己嫌悪は初めてだった。
ー----苦しい、クリステ。
クリステ・・・・・・・泣きそうだ・・・・・・。
☆☆☆
初めて彼を見た時の衝撃は言葉に言い表せない。当時私が熱中していた小説の主人公の少年像そのまんまの姿、声、そしてあの溌剌とした性格!
教室ではいつも彼から目が離せなかった。
彼ともっとお話ししてみたい、彼のことをもっと知りたい・・・・・。
悩みに悩んで、勇気を振り絞り彼をお茶会に誘ってみれば、なんと来てくれるというではないか。
シャルマン家のお茶会には、彼とほか数名のクラスメイトに声を掛けた。
彼が来てくれたというあまりの嬉しさに気持ちが高揚し、話すのはほとんど初めてだというのに、私は思わず愛読書『冒険少年』の話を熱弁してしまった。その小説の少年がロアンに似ていて、そしていかに素敵で大好きかを。
お母さまには、女の子がこんな本を読むなんて!と呆れられていたのに・・・。夢中になり熱く語った後にしまった!と思ってももう遅い。
ー--ー-ああ、呆れられた、どうしよう・・・・・・。
「こ、こんな本を好むなんて、女の子らしくない、ですよね・・・・」
そう落ち込む私に、彼は好きなものに性別なんて関係ないと言ってくれた。
自分も男だが宝石が好きだと。宝石を扱っている時は無心になれるし将来への希望が見えるのだという。好きな気持ちは自由だし偽れないよと。
ー----こんなことを言ってくれた人は、今まで私の周りにはいなかった。
彼は凄い。私の欠点と思っていたことを次々に好転させてしまうような人だった。
私はもともと本の虫で、社交家でもなければ人付き合いも上手くない。でも彼は私を博学だと褒め、私のうんちくにも興味深そうに質問してくる。
女なのにと言われ否定され続けた私の自尊心は、彼によって肯定され満たされた。僅かばかりの自信を得た私は、人間関係が嘘のように上手くいくようになった。
(私、彼と一緒の時は自分らしく振るまえる・・・・・・・)
だから迷わず専門も領地経営科を選んだ。彼と離れるのは嫌だった。
最初の憧れにも似た彼への気持ちは、彼を知ることで恋へと変わった。
しかし残念なことに、彼にはすでに婚約者がいた。
『クリステ・モーガンです』
初めて婚約者を紹介された時、可愛らしい少女だがロアンとはちょっとタイプが違うなと分かった。そしてその思いは時を得て確信へー---。ロアンと彼女は合わない。
その証拠に、度々婚約者との不仲説が流れるもの。
ロアンと私は読書家だ。本の話題となると話が尽きない。
ロアンと私は、他の人には分かりにくいような精神的な共通点が多く、お互いが理解者なのだと断言できる。
ロアンは婚約者を気に掛けず、学院では私と一緒にいてくれる。
私の好意は最初のお茶会の時に伝えてある。『冒険少年』の主人公のようなあなたが好きですって。
ー---それなのに彼は私といてくれる。彼は婚約者といるよりも私といることを選んでいる。
ー----ということは・・・・・・・。
一見バラバラに見える細かなピースが、一つの事実を提示していることに気が付いた。期待しない方が不自然だ。
婚約者のクリステ・モーガンさん。彼女には本当に申し訳ないと思う。
学院内で何度も見かけすれ違う時に見せる、彼女の表情・・・・。
悲し気な彼女を見るたびに心の中で何度も謝った。
ー---ごめんなさい、あなたの気持ちは分かっていても、心が通じ合っている私たちの『好きな気持ちは偽れない』の。申し訳ない、ーー--けれどどうか理解して欲しい・・・・。
もし彼にクリステさんがいなかったら、お父様にお願いしてコンラート家との婚約を打診してもらえたかもしれない。だって、子爵家のクリステさんより伯爵家のシャルマンの方が彼の家格も合うもの。
なのに彼は、クリステ・モーガンさんとの婚約を解消する気はなさそうだ。忌々し気に『俺の婚約者』と未だ呼んでいるのに。
仕方がない、共同事業を行う家同士の都合があるのだ。責任感の強い彼が反故できるはずないのよね・・・・。
口にするのも罪な想い・・・・。
私たちはこんなにも惹かれ合っているのに、運命って残酷だわ・・・・・。
ほんの束の間、ひと時でも、これまでの苦しい恋心を実らせてあげたい・・・・・。
例えいつか別れが訪れようと、私たちの過ごした二人の輝く時間は消えることはない・・・・。
いっときだけでも恋人として・・・・・、二人の心の拠り所となる思い出を・・・・・。
ー----成長したルイーゼ・シャルマンの今の愛読書はー---
『ひとときの恋人たち~運命のいたずらに翻弄される愛~』だった。




