婚約者には相思相愛の人がいるようです
1,私の婚約者
大陸の北に位置するルバツク王国の子爵家令嬢クリステ・モーガン18歳には、想い人がいた。
二つ年上の友人、男爵家嫡男のダニエル・バロックだ。
落ち着いたこげ茶の柔らかな癖のある髪に森林の深緑の瞳、すっと高い鼻梁にいつも優しく弧を描く唇の、すらりとした体躯の見目麗しい青年だ。
バロック男爵家は貴族でありながら薬事に特化した商家でもあり、王都に大きな屋敷を構える資産家だ。いずれその家門を継ぐことになる彼は、早いうちから父親のバロック男爵とともに商談に同席をしていたためか、クリステの知る同年代の異性の中で断トツに落ち着いていて大人びていたし頭も良く、何よりも優しかった。
私の中で彼は完璧だった、ー-----ただ一つの問題を除けば。
彼は、彼の幼馴染でありそして私の親友でもあるジュリア・オーウェン伯爵令嬢に長年の片思いしているのだ。ジュリアには相思相愛の婚約者がいるというのに。
不毛な恋だよダニエル。もう諦めて楽になったらどう?
不毛な恋だよ私。決して彼と結ばれることはないのだから。
だって私にもいるのだ、昔からの婚約者ー----。
貴族の政略的な婚姻で、互いに好意を持てる、あるいは嫌いでないということは幸運なことだ。
そしてその幸運を婚姻前の段階で既に私は諦めていた。
「おい、よそ見してないで真っ直ぐ歩けよ」
「・・・・・・はい」
「何を考えているのか知らないが、先ほどからぼんやりして・・・・」
苛ついた声音でため息とともに吐き出されたその言葉に、私もそっと小さな息を漏らした。
ー----どうしてこんな言葉使いの嫌味な男が私の婚約者なのだ。ほんときつい。
令嬢クリステは、ふわふわと癖のある麦色の髪を風になびかせ、柔らかな色合いの水色の瞳を隣にいる男へと向けた。寒さのために、彼女の真っ白な頬とちょこんとした小さな鼻の先が赤く染まっている。
クリステより頭ひとつぶん高い身長にさらさらの漆黒の髪、すっと切れ長の濃い青色の鋭い瞳を持つこの美貌の男、ロアン・コンラート伯爵令息との婚約は、お互いが10歳の時になされている。
両家の曾々祖父の代の時に、モーガン子爵家とコンラート伯爵家の領地を横切る山稜地帯で鉱石が発見された。
当時各々の家でなされていた鉱石発掘は曾祖父の代で共同事業となり、それ以降は家同士の結びつきを確固なものとするべく親族の誰かがお互いの家へと嫁いだり養子に入ったりが常だった。
同じ歳に生まれたモーガン子爵家息女であるクリステとコンラート伯爵家嫡男ロアンの婚約がなされたのも必然だ。
今日は毎月一回の義務である、王都コンラート家の庭園での「お茶会」という名の苦行の日だ。
ちょうど見頃だということで、コンラート家の執事に促されミモザの木まで散歩をすることになった。
弾む会話のないまま庭園を歩くも、先ほどのおよそ婚約者をエスコートしていると思えない発言に、もう一刻も早く帰りたいという思いを強くする。
ロアンは私と二人でいる時と他の人といる時の態度は、まるで別人だ。
精悍で涼やかな見た目に人当たりの良さ、優秀な頭脳で外部からの評判はすこぶる良いが、私といる時の彼が素であろう。
見た目も頭脳も平凡な私が余程気に食わないのか、あるいは他の女性のもとに行きたいのか・・・。
(しょうがないじゃない、私は私以外にはなれないのだから。気に入らないからといって裏表のある態度をとるなんて厭らしいわ・・・・・)
春の訪れを告げる可憐な黄色のミモザは、まるで太陽のような明るさを纏い大好きな花であるが、ロアンと見たいわけではない。誰が悪態をつかれながら花見などしたいものか。
まだまだ寒いし、もう帰りたい。
ああ~、帰りたい。帰りたいよ・・・・・。
「お、お前、失礼だろ・・・」
思わず心の声を口にしていたらしい。
「失礼しました。けどあなたの言い方のほうが失礼でしょ。やられたらやり返すのが家訓なの」
「嘘つけ」
お互いフンを横を向きながら、目的の木へとしぶしぶ足を進める。もうほんと義務だけで動いている。
今日は話があったのだ。彼ときちんと話そうと思っていたのに、こんな風では・・・・・。
いつから、どうして私とロアンはこんな関係になってしまったのだろう。もうよく分からない。
昔は違ったのだ、普通に仲良く過ごしていた。
両家は隣り合った領地だったので物心ついた時には隣にロアンがいて、婚約が決まる前にから共に育った仲だ。当時の彼は小柄で愛らしい顔をした少年だった。
そして婚約が決まると父親の仕事に便乗してどちらかの領地の屋敷や森で遊ぶことがが多くなり、それなりに仲良くやっていたのに・・・・・・。
☆☆☆☆
「ねえクリステ、宝石の原石って見たことある?」
10歳のロアンは可愛かった。私よりもうんと背が低く身体も華奢で、真っ直ぐと癖のない黒髪は肩のあたりで切りそろえられている。くりくりとした丸くて青い目はまるで人形のようだった。
「ぼくねえ、たくさん持っているんだよ。10歳の誕生日に父上からもらった宝物だよ。クリステ見たぁい?」
「うん、見たい!見せてくれるの?」
「いいよクリステなら。だって僕の婚約者だもんね。こっちだよ、ぼくの部屋にきて」
そう言うと、書類を見ながら何やら話し合っている父親たちを残し、ロアンは私の手を引いて応接室から抜け出した。
ロアンの部屋は既に子供部屋でないにも関わらず、所々に色鮮やかな絵や船の模型の飾ってある少年らしい部屋だった。
壁に備えつけられているこげ茶の重厚な本棚の一角に、その箱は鎮座していた。
臙脂色の箱型に黒い金物の縁取りと真ん中に鍵がついているそれは、いかにも宝箱だ。
ロアンは机の引き出しから鍵を取り出すと本棚のその箱を大事そうに抱えて小さなテーブルへとそっと置いて、いそいそと嬉しそうに彼の大切な箱を開けた。
「ほら見て、これ!」
「・・・・・・・・これ・・・・」
「きれいでしょ?」
「・・・・・・・・・この石、なあに?」
「これが原石だよ。ぜぇんぶ宝石の原石!きれいでしょ?」
ー--ーー-これが、原石?あのキラキラと光るきれいな宝石の元の姿・・・・・。
これ・・・・きれい・・・なの?
これなんて、ただの赤茶けた石ころだ。その辺の道端に落ちていたら素通りすること間違いなしで特別なものに見えないけれど、この茶色の石ころが宝石・・・・・?
「・・・・・へ、へぇ!すごいね、かっこいい!」
女の子の方が成長が早いとはよく聞く話だ。一瞬の間の後、私は年少の者に接するように、彼を傷つけないようこの石ころたちを称えた。
「でしょ?原石でもこの大きさのものはなかなか見つからないんだって」
私の言う『すごいねかっこいい』を思惑通り褒め言葉と捉えた彼は、満面の笑みで意気揚々と話し出す。本当に嬉しそうだった。
「これは黒曜石、うちの領地で採れたものではないんだけど父上の友人が・・・・」
「このサファイアは不純物が少なくて黄味が強いから・・・・」
「クリステの瞳はアクアマリンだね。青い海って意味だよ。君の瞳はこの石より少し薄いかな・・・」
彼の口は止まらない。私の婚約者は誕生日に原石を手に入れた途端、すっかりその魅力に取り付かれたようだ。
私にはもう、彼の話の内容が理解できない。正直言って、そこまで夢中になれなかった。
途中からは殆ど話すら聞いておらず、適当な所で「へぇ!」とか「そうなんだ」とか「すごいね」とだけ相槌を打って会話を繋げた。
ー-ー--宝石の原石よりも。
私にはむしろ、原石を前に目をきらきらさせて、薄っすらと頬を赤くしながら身を乗り出して話すロアンを見る方が楽しかった。
2,出会い様々
私たちは揃って、翌年の春から王都にある王立貴族学院に入学が決まっていた。北国のルバツク王国では春の社交シーズン開始と同時に学校も始まるのだ。
国内貴族の多くの令息令嬢たちが13歳になる歳に入学をするそこは、寮生活か通いかを選べるようになっており、モーガン家のタウンハウスが学院から遠かった私は、迷うことなく寮を選んだ。
最初はその年齢で家を出ることを反対していたお母さまも、寮には学生用の洗濯メイドがいたり時間になれば出てくる食堂など、生活面では全く心配のいらない環境であったことでしぶしぶ納得した。
一方のロアンは、通いを選んだ。
王都中心地近くに建つ伯爵家のタウンハウスには、彼のお宝たちが専用の小部屋の棚に所狭しと並んでいて、まるで小さな博物館だ。10歳の誕生日で原石を手に入れて以来、その収集に余念がない。通いの理由は屋敷と学院が近いからというより、彼が宝物から離れることなどできないのだと私は思っていた。
「ねえ、クリステも通いにしなよ。ね?」
声変わりの始まる直前の、微かにかすれたような高い声で12歳のロアンは下から私を見上げた。
「ええ~、だってうちから学院まで遠いんだもの」
「ねぇ、俺が毎朝迎えに行くからさ。二人で馬車で行こうよ」
彼はいつの間にか、自分のことを僕ではなく俺と呼ぶようになっていた。背が低く声も高い彼が自分を格好よく見せようと頑張っているようで、そんな彼を可愛らしいと思う。
「えええ~、早起きするの面倒くさいもの。それに馬車で迎えにって言っても、コンラート家のタウンハウスからうちは学院と反対方向じゃない。流石に悪いわよ」
「そんなのは気にしなくっていいからさ、寮はやめて俺と一緒の馬車で通おうよ」
入学するまで何度も繰り返された会話だ。
「ロアンも寮にすればいいじゃない」
あまりにしつこいと、最後の切り札のこの言葉を使う。そうすると、ロアンは黙ってしまうのだ。やはり宝物を置いて家から離れられないのだと思った。
私と彼との関係で最初の変化があったのは、学院に入学してからすぐだ。
ロアンの願いは叶うことなく、入学と同時に私たち二人の新しい環境での生活が始まった。
寮は、狭いが一人一部屋が割り振られた。簡易ベットに勉強机、小さなソファに作り置きのタンスがこじんまりと並んでいる。学院には制服がある上、元来が必要以上の服や装飾物を持たない私にはちょうど良い広さだ。
隣の部屋のジュリア・オーウェンは同じクラスの伯爵家の令嬢で、私は彼女ととても気が合った。
ジュリアはまっすぐに伸びた黒髪碧眼のりりしい美少女で、私の親しい彼を彷彿させるその色味みに最初から好印象を覚え、私の方から話し掛けた。
凛とした佇まいに生真面目な性格、しかしどこか人の好い気弱な一面もあり、おおざっぱで適当な私とは逆だからこそ付き合いやすかったのかもしれない。私たちはすぐに打ち解けた。
彼女の生家のオーウェン家領地は王国随一の薬草の原産地で、貴族はもちろんのこと平民にも手に入れやすい薬を提供する評判のよい家柄だった。
学院に入学してひと月ほどが経ち、少しずつ生活にも慣れてきた。寮での自由時間には、私とジュリアは度々お互いの部屋を訪れて他愛のない話で盛り上がった。
「そっか、ジュリアにも婚約者いるんだね。この学院の人?」
「いいえ、私の婚約者は一つ下で来年から騎士訓練学校に通うことになっているの。騎士の訓練校って忙しいみたいで、大きな休みにならないとなかなか会えなくって寂しいわ」
「家の関係での婚約?」
「うん、まあそうだよね。でも、もともと幼馴染だし私の初恋の人だから政略婚ていう気はないのよ、気持ち的にはね」
「私も!私と同じだわ、私も幼馴染と10歳の時に婚約したの。お父様同士が一緒に仕事をしているのよ。私たちには恋愛的な感情はないけどずっと仲良しだよ」
「クリステの婚約者はこの学院に?」
「そう、同じ年で隣のクラスのロアン・コンラート伯爵家嫡男くんだよ。私が彼の家に入るの」
「コンラート伯爵家の!お家の名前は聞いたことあるわ。良かったら今度紹介してね」
そういって微笑む。
「うん、もちろん!彼は通いだから今度放課後にでも」
「ジュリア、領地の救児院に持っていく薬のことでいくつか確認があるんだけど」
その日私とジュリアは学院の敷地内の庭園で、わが婚約者ロアンと待ち合わせをしていた。ジュリアとロアンを互いに紹介するためだ。
さすが貴族ばかりの学校だけあり学院の敷地は広大で、学舎や食堂、運動のための施設の他、王都の中心地へ行かなくても簡単な買い物ができるよう小さな店まで備わっており、もう学院だけで一つの町のようだった。ちなみに学舎から寮までは徒歩で10分ほどの学院敷地内にあり、行き帰りは時間があえばジュリアと共にしている。
なかなか姿を現さないロアンをにしびれを切らし始めた時に「お話し中に失礼します」と声を掛けてきたのが彼だった。
「分かったわダン、明日までに一覧を作ったノートを用意しておくわ。・・・・えっと、紹介するね」
そういってジュリアはその青年へ向かっていた視線を私に移した。
「ジュリア、彼は私の友人のダニエル・バロック男爵令息よ。私たちより二つ年が上で、家同士で仕事のお付き合いがあるの。私も領地の救児院のことでダニエルに色々相談に乗ってもらっているのよ。で、こちらはクリステ・モーガン子爵令嬢。私の新しい友人でクラスメイト。寮でお隣さんなの」
ジュリアはまだ13歳ながら、自領の困窮している子供たちのための物資提供の管理の一部を任されていた。
「初めましてモーガン嬢、ダニエル・バロックです。お二人のお話し中に割って入ってしまい申し訳ありません」
「い、いいえ、大丈夫です!クリステ・モーガンと言います。はじめまして」
軽く腰を折り私に頭を下げた彼の一連の動きの優雅さに、13歳の小娘がまるで一人前の令嬢のように扱われた恥ずかしさで顔がかぁっと熱くなる。
率直に、素敵な男の子だなあと思った。背がすらりと高くきれいな顔立ちをしていて優しそう。
「ごめんねジュリア、今度領地に持っていくものを確認だけしたくって。ちょっとだけダニエルと話してもいい?」
「もちろん!」
そう言うと、バロック様は私に目じりの下がった優しい眼差しを向け「少しだけジュリアをお借りしますね。すいません」と再び頭を下げ礼をした。
「は、はいっ、いえっ!私のことはお気になさらず・・・・・」
ー----おとな。おとなっぽい。え、本当に15歳なの?15歳ってこんなになるの?
バロック様の声変わりの終えた低くて優し気な声が耳に心地よい。普段ロアン以外の男の子とは接する機会の少ないクリステは、彼の落ち着いた振る舞いや貴族令息らしい言葉使いに接するだけで恥ずかしくなってしまう。
話し掛けられて上手く返事ができない自分が子供っぽくて、それもまた恥ずかしかった。火照った頬に手を当てる。
私の周りには、ロアンを筆頭にこんな男の子ー--いいえ、もう男の子という感じではなく青年だったー--はいなかった。たった二つでこんなにも違うもの?
いつかロアンもこんな感じになるのかしら・・・。ううん、きっと違う。ロアンはこんな落ち着いた感じではなく、もっとはきはきした少年っぽくて元気な感じで・・・・。
この差は年齢というより資質なんだろうなと、ジュリアと向き合い穏やかな口調で話を続けるバロック様を2年後のロアンに重ねて、自然と柔らかな笑みを浮かべたその時。
「ー------おい」
突然ポンと肩に手が置かれ、不意を突かれた私は飛び上がる。
「・・・っっ!びっくりした!ロアン!」
思わず令嬢らしからぬ大きな声を上げてしまった。まったく令嬢二人を随分待たせてくれたものだ。
「遅かったじゃない。随分待ったのよ」
「・・・・・・ごめん」
待ち人の登場で、話の途中のジュリアとダニエル様もそれを中断し私たちに向かいあう。
そして、それぞれが自分の親しいもの同士を紹介しあったのだが・・・・・・・。
ー-ー----ど、どうして?
ロアンが不機嫌全開だった。
今までロアンが同年代の人たちと一緒にいる姿を見たことはほとんどなかったから、これが彼の外面なのかどうか分からないが・・・・・、もう人見知りとか奥手とかそういう感じではないと思う。
ぼく、機嫌悪いです。
言葉ではなく態度でそう言っていた。
えええ~、なんで・・・・?どうしたのロアン・・・・・。
ジュリアが少し困ったような表情でしどろもどろに話しを繋ごうとしているのと反対に、バロック様は一向に彼の不機嫌に気が付いていないかのような態度で接してくれている。
ロアンのムスっとした表情と続かない会話にいたたまれなくなった私は、また今度ゆっくり!と早々に二人と別れ、ロアンを庭園の南側に位置する東屋へと引っ張って行った。
「ちょっと、どういうつもり!?なんであんな態度を・・・・」
「なにが」
「なにがって、あなたのジュリアに対する態度よ。バロック様に対する態度!何があったか知らないけど失礼でしょう?返事もろくにせず相槌もしないし・・・」
「べつに」
どうしたのだろう、いつものロアンらしくなかった。彼は、意地悪でも気分屋でもない。
何かあったのだろうか?お昼休みに今日のジュリアの顔合わせを提案しに行った時には機嫌は悪くなかった。それから今までの間に何かがあったに違いない。
「どうしたの?クラスに嫌なやつでもいるの?先生にしかられた?」
「しかられたって・・・・、子ども扱いするなよ」
「だって・・・・」
ーー---だってあなたのさっきの振る舞いは、子供そのものじゃないの。
さすが大人なバロック様は気にしていない体にしてくれていたけど、ジュリアなんて目が泳いで口もとが引き攣っていた。せっかく私の婚約者に会いたいと言ってくれたのに、申し訳なかったわ。優しくて可愛い婚約者だよと言ってあったのに・・・・・・。
ふぅと私はため息をついた。
ー--まだ入学して間もないのだ。クラスにも授業にも慣れるのには時間を必要とするだろう。ロアンも緊張が続き精神的な疲れもあるのかもしれない。
友達に紹介したいなどと急な約束をしてしまったのは私だ。これ以上言ってもロアンを追い詰めてしまうかも・・・・。
今まで見たことのない婚約者の外での態度に驚きはしたが、まだ13歳の少年だ。そんな大袈裟にすることでもないだろう。
私は「これからは私の友人に対して少しだけでも愛想よくしてよね」とだけ言って話を切り上げた。
☆☆☆
昼休みにクリステが会いに来た。放課後、俺を友人に紹介したいのだと。
クラスの何人かで食堂に向かおうとしていたその時だったので、俺がもう少し早く出るかクリステが遅かったらすれ違い会えなかったのだ、危なかった。
ふうん、俺を紹介したい、ねえ・・・・・。
長い回廊を友人と歩く中、つい顔がにやけていたようだ。
「何をにやついてるんだい。さっきのあの子、君の何?婚約者?」
俺の横に張り付いたのは侯爵令息のエバン・ユジノールだ。学院に入学してすぐに隣の席にいる彼と親しくなった。エバンは堅苦しい関係は作りたくないと早々に敬語をやめた付き合いを望んだので、こちらもそれに従った。
「そうだよ。10歳の時からね」
「へえ、かわいいね君の婚約者。栗色のふわふわの髪に優しい水色の瞳で儚げで」
「・・・・・・・え?」
かわいい?儚げ?誰が?クリステが??
「そう・・・かな、俺にはよくわからないな。幼いころからずっと一緒にいるけど」
「長いこと一緒にいるから気づいてないのかな君は。彼女かわいいよ。守ってあげたくなるような雰囲気だよね」
エバンは何を言っているのか。
守ってあげたくなる?違う、クリステは守ってもらうのではなく守ってあげたい側だ。世話好きでいつもしたり顔でおせっかい焼いてくるし、およそ儚くなんてない。
少しだけ嫌な気持ちになった。かわいいと婚約者を褒められたというのに、なぜか不快感の方が勝る。さも分かったような事を言うエバンをクリステに近づけたくないなと思った。
「婚約してまあまあ経つってことは、君たち恋人っぽいことはしてないの?」
「・・・・・こいびと?」
「手を繋いだりキスしたり・・・・・それ以上とか」
「手はよく繋ぐよ。キスだって頻繁にするし」
そう、森で遊ぶ時にはいつだって転ばぬよう手を繋いであげたものだ。クリステは活発で、興味を引くものを見つけるとそれしか見えなくなり、足元の木の根に気が付かないで駆け出してしまうから。
挨拶のキスだって、まるで家族のようにお互い気兼ねなく頬を寄せている。長年の習慣だ。
「うう~ん、多分君の言うことと僕の聞きたいことは違うだろうな。君たちはまだ異性として意識してないのかな、あるいは無自覚か・・・・・」
そう言うと早熟気味らしいエバンは食堂までの道すがら「恋」について説明し始めた。
ー---恋?クリステと俺が?
彼女はとても大切な存在だ。誰よりも気兼ねなく、自分を安心してさらけ出せる相手。
ただこの感情がどういったものかなんて考えたことがなかった。
姉であり妹であり友人であり、婚約者だ。
当たり前のように隣にいる存在だったし、何よりいずれ結婚することが決まっているので、それが恋であろうがなかろうがどちらでも良い。誰よりも大切な子だってことに変わりはないんだから。
考えることを放棄したロアンは、授業が始まれば学業に集中し、そしてそのまま約束の放課後を迎えた。
さあ、クリステとの待ち合わせに向かおう。エバンが変なことを言うから、なんだか会うのにちょっと構えてしまう。
学生用の革鞄の中に教材とノートを急いで詰め込んでいるその時に、ふと横から影がさした。
影を作った原因の斜め後ろを振り返ると、クラスの令嬢の一人が緊張をした面持ちで俺を見て立ちすくんでいた。口を軽く開けて何かを言いたげだ。
なんだ?何の用だろう。
しかしその明るい金髪の少女は顔を赤らめるばかりで一向に話し掛けてくる様子もないので、予定のある俺はしびれを切らせ尋ねた。
「なに?なにか用?」
彼女・・・・なんだっけ名前。
「あ、あのっ、わたしっ、同じクラスのルイーゼ・シャルマンって言います。あのっ、もしっ、お時間があれば、来月のシャルマン家のお茶会に来ていただけたら・・・・って・・・そう思って・・・」
「・・・・・お茶会?はあ、まあ、もし時間があれば」
「・・・っっ!はいっありがとうございます!では招待状をお渡しさせていただきます!」
そう言うと彼女はこれ以上は無理だとい言わんばかりに顔を真っ赤にして、そのままパタパタと立ち去った。
今まで彼女と話した記憶がなかった。なぜ急に俺を誘ってきたのか。シャルマン家ってなんだっけ。
何が起きたかよく分からず、貴族令嬢が走り去るなど滅多にない光景にポカンとするも、クリステとの約束を思い出し急いで支度をしていると、一部始終も見ていたらしきエバンが口角を上げ近づいてくる。
「かわいそうなルイーゼ・シャルマン。あんな真っ赤になって勇気出したのに速攻で失恋だ」
「え?何が」
「あの子君に気があるんだよ。見ただろあの真っ赤になった顔と潤んだ瞳。あれがさっき言っていた恋する者の表情なんだ」
「君が何言ってんだかよく分からないけど、クリステ待たせているからもう行くよ。じゃあねまた明日ね!」
エバンはちょっとおかしいと思う。昼にクリステがクラスに来てから恋だなんだとあれこれ言っているが、もともと貴族の結婚に恋愛要素などないのが普通だ。エバンだって家柄、政略婚は免れないだろう。
ー-ー-俺とクリステは、気が合う者同士で本当に良かった。気が合うし、なんていうか、価値観が似ているのだ。
クリステは、出された食事を残さない。贅沢に慣れきった貴族では、気分次第で豪華な食事にさえ殆ど手をつけないことすらある中で、クリステはそんなもったいないことは出来ないと、子供用のコルセットで固定された腹パンパンにきちんと食事を摂るのだ。そんな生来の堅実さや真面目さも好きだった。
(結婚して生活する上では、そういうことって大事だよね・・・・)
さあ急がなくては、俺に紹介したいという友人を待たせていしまっているだろう。最初の印象は大切だ。
ほとんど小走り気味に待ち合わせの庭園に向かうと、すぐに見つけた。
婚約者と友人らしき令嬢と・・・・・おとこ?
ー--ー-誰だ?クリステの友人は、同じ寮の令嬢だけではなかったのかな・・・・・?
黒髪の令嬢とその男が何やら向かい合って話し込んでいる。そこから少し離れた場所に、クリステがちょこんと立っていた。
・・・・・・・クリステ・・・?
クリステは今まで自分が見たことのない表情をしていた。
頬を赤くしてうっとりしたような目でクリステが見つめるその先は、令嬢と話しこんでいる男だ。
ー-ー----え?
男を見て、染めた頬に手を添えているクリステ。
『真っ赤になった顔と潤んだ瞳』ーー---さっきエバンが言っていた。
・・・・・・あの表情はなんだ・・・・・?なんでクリステはあんな顔であの男を見ているのだ。
胸がざわつく。
不安と不快感が溢れ、それを漏れさせまいとするかのようにぎゅっと口を引き結んだ。
話し込む男女を少し離れた所から、頬を染めて気の抜けた間抜け面で見つめるクリステ。
彼女から視線を外さぬままゆっくりと歩を進める。
ー----あの男、背が高いな。
自分とクリステは、まだクリステの方が大きい。
-----話す声が低い。
自分はまだ、子供のような高い声をしている。
ふうん、なるほど。へえぇ・・・・。
「ー------おい」
ロアンはクリステの肩に手を置いた。
☆☆☆
庭園での顔合わせ以来、私とロアンとジュリア、時にはダニエルさんも混ざって交流する機会が度々あった。
反省したのか初対面の日よりは幾分マシな態度ではあったが、それでもロアンはジュリアにもダニエルさんにも一歩引いた姿勢を崩さず、気を許すような素振りを見せることはなかった。
入学して最初のテストの時には、成績優秀なダニエルさんに勉強を見てもらおうと4人で別館にある学習室にこもった。分からないところが多発のロアンに、せっかくだからダニエルさんにもっと教わればと言うと、それ以降ロアンは勉強会には参加しなくなってしまった。
お昼ごはんを4人で一緒に食べようと誘えば顔を出していたが、次第に付き合ってくれることが減り、今では共に食事をすることも無くなってしまった。
4人で仲良くなれれば、もっと一緒にいられるのにな・・・・・。
私と二人きりの時の態度も、あからさまな不機嫌ではないが入学前とは明らかに違い距離を取られているように感じていた。笑顔は少なく、逆に目を反らしたりつっけんどん返事をされることが増えた。
私の知るロアンは、特別明るくもないが決して無愛想ではない、感情表現が豊かな少年だったのに・・・・・。
学院内で彼が友人たちと楽しそうに声を上げて笑っているのを見るたび、心がキュッと萎む気がした。
何か怒らせることを私がしてしまったのかと聞いても、何もないと言う。
ゆっくり話をしたいから時間を作ってくれとお願いしても、忙しいからと素っ気ない返事ばかりだ。
彼がそうなってしまった理由が分からない。私は彼の変化についていけないでいた。
かつてのような気軽で打ち解けた付き合いをしにくくなったまま、夏が過ぎ秋が深まる。冬服の制服だけだと肌寒い日が続くようになった。
ジュリアとお昼を共にするため学生食堂に入ったら、その入口先の奥の席でロアンが男女交えた4人の友人たちと楽し気に食事をしているところを見かけた。
皿に盛られている茹でた野菜を指して、顔をしかめてみたり大きく目を見開いてみたりと、表情豊かに楽しそうに笑っていたロアン・・・。彼の横に座る金髪の可憐な伯爵令嬢ルイーゼ・シャルマン様は、そんな彼を見て口元を手で隠しながらクスクスと肩を揺らした。
楽しそうだねロアン。最近私といる時には見たことのない笑顔だよロアン。
寂しかった。私以外の友人といるロアンは、明るく生き生きとして見えた。
学内では最近このメンバーで一緒にいることを目にすることが多く、私はその中には入れてもらえない。
入学後暫くしてから、エバン・ユージノール侯爵令息と王立騎士団長の息子ジョシュ・ウォルター男爵令息、それにルイーゼ・シャルマン伯爵令嬢とソフィア・マクライン子爵令嬢を紹介してもらったが、それだけだ。
ロアンは彼の友人と私を交流させるつもりはなかったようだ。彼らと一緒に何かをすることを誘ってくれたことは、ただの一度もない。
かつて、思い切ってロアンに言ってみたことがある。彼らと私もお昼を共にして交流をしたいと。あなたの友人と私もお友達になりたいのだと。
必要ない。クリステは食い意地張っているからやめておくよと言われた。
その言葉に傷つき、以来、私から彼らと交流したいとお願いする勇気はなくなってしまった。私といるのが恥ずかしいのかもしれないと、悲しくなった。
(----昔は、残さず食べて偉いねって言ってくれていたのに・・・・・)
ロアンは変わってしまったのだ。
華やかなテーブルから思わず目を反らす私に、横に立つジュリアが気遣ってサンドイッチを買って中庭で食べようかと提案してくれたが、逃げるようでそれも悔しい。
が、彼らの楽しそうな姿を意識しながらの食事は身体に悪そうだ。
「・・・うん、ごめんねジュリア。今日は中庭で食べたいな」
気弱く笑う私に、ジュリアは珍しく怒りを滲ませた声で「ロアン君て無神経だよね」と吐き捨てた。
初対面の時の彼の幼い不機嫌さ、そして私たちと一緒にいる時と友人といる時の態度の違いを体感しているジュリアは、ロアンに厳しい目を向ける。
私たちは食堂を出てすぐ横にある売店でサンドイッチと飲み物を買うと、中庭の東屋へと向かった。
「っっ!ちょっと、寒いかな・・・」
「う・・うん!ちょっと寒いかも?」
私のために思わぬ外でのピクニックランチになってしまった。ここでジュリアに風邪をひかせてしまったら申し訳なさすぎる。
「ご、ごめんねジュリア、中に入る?教室で食べようか?」
「ううん大丈夫よ、日差しは暖かいから。さっさと食べてしまえばいいわ」
そう言って肩をすくめると、おもむろにパンの包みを開けた。
秋の晴天で、風さえ吹かなければ心地良い。
遠くに見える回廊を見知った顔が横切り、東屋にいる私たちに気が付いて向かってきた。
「この寒空でピクニックかい?君たちは変わっているね」
「「ダニエル~」」
知り合って間もなくで、お互いを名前で気軽に呼び合うくらい親しくなっていた。いつも安定していて穏やかなダニエルといることは、落ち着くし心地いい。
ダニエルはゆったりとした歩調で腕を組みながら近づいてきた。手にはやはり売店で買ったと思われる包を持っている。
「もうそろそろ外で食べるには寒くない?」
私とジュリアはそっと顔を見合わせて、そして私がダニエルに目を向けた。
「ジュリアは可哀想な私のお付き合いよ」
そう言って先ほどの食堂で見かけた婚約者とその愉快な仲間たちのことを教える。私に冷たくなったロアンが仲間と楽し気に談笑していたので、ジュリアが気を利かせてくれたのだと。
「・・・ああ。最近コンラート君よく彼らと一緒だよね。侯爵家と男爵家の騎士団の子息?それと伯爵家の令嬢たちだったっけ・・・・・。豪華で華やかな顔ぶれだよね」
「そうみたいね、どんな人たちかよく知らないけど。私は彼らと上手くやれないと思われているか、あるいは私と近づけたくない理由があるからか・・・」
理由・・・・。私と彼らを近づけたがらない・・・・・。
頭によぎるのはロアンの横に座っていた愛らしい令嬢の顔だ。
噂になっているらしいのだ、ロアンと伯爵家令嬢ルイーゼ様のことが。
ルイーゼ様が入学して早々ロアンに一目ぼれをしたらしいと聞いたのは、つい最近だ。
ロアンがシャルマン家のお茶会に参加して、それ以来二人は距離を縮めたのだという。
(距離を縮めるって、何よ・・・・、私との距離は開く一方だわ・・・・・)
この学院の約半数には既に婚約者がいる。本来であれば決まったパートナーのいる相手との親密な関係は忌避されるが、学生ということもあり複数人数の交流であれば社交の一環とされるのが常だった。
聞いてもいない婚約者の色恋事情を私の耳に入れるなど、それを教えてくれた学友が善意なのか悪意なのかは分からない。入学してからそれなりの時間が経って私が耳にしたということは、ジュリアはもっと早くから知っていたのかもしれない。
一目ぼれ・・・かぁ。
ロアンのどのようなところに一目で惹かれたのだろう。彼の良さは時間をかけてじわじわとくる類のものかと思っていたのに。ロアンが恋愛の対象になるような彼の良いところ・・・・・・。
確かに顔の作りは、幼さを残しながらも整っていると思う。
まず肌がきれいだ。あのつるりとした頬に、いつかお父様たちみたいな髭が生えるなどと想像ができない。
そして艶めく漆黒の髪も、さらさら具合を確かめるために触ってみたいと思わせるかもしれない。
濃い青の瞳は少し前までまん丸で愛らしかったが、ここ最近は何だかしゅっと横に伸びて鋭くなって、でも笑うと急に優し気で、人によってはそんなギャップにやられちゃうかもね。
それでも。私はあの髪じゃなくても瞳じゃなくてもロアンが好きだし、ロアンと一緒にいることを気に入っていたのだ。私の良いところも悪いところも知っているという存在は、私を安心させてくれていたのに、ここ最近はそうとも言えなくなってきていた。
ー----彼は私の婚約者なのだ、時期が来たら私たちは家族になる。ちょっと控えて欲しい、そういう噂になるような行動は。
ルイーゼ様には今まだ婚約者がいないらしいから、余計に面白がられてしまうのだろうな・・・・。
この関係がいつまで続くのか分からず、先の見えない苦しさに心は沈むばかりだった。
3,掛け違い
学院に入学してから既に2年近くが経ち、昨年ダニエルは学院の基礎科を卒業した。
この貴族学院は13歳からの3年間を基礎科で学び、その後の3年間はそれぞれの進路に合わせた専門的なコースへと進む。領地運営科であったり騎士科であったり、いずれ官僚になることを希望するのであれば国政策科などだ。そして貴族令嬢たちは教養科でダンスや乗馬、歴史や家政についてより深く学ぶものが多かった。
貴族の子どもとはいえ、受け継ぐべき爵位がないのであれば自身で身を立てなくてはならないので皆必死だ。
ダニエルは商家バロック男爵家の跡継ぎだ。彼は基礎科を卒業後に商業経営科へと進み、それと同時にバロック男爵の仕事を積極的に手伝い始めた。
学業と仕事の両立に身体を壊さないかと心配するジュリアに対し、早く仕事を覚えたいのだといつもの優しい微笑みを浮かべた。
---ー--ダニエル。
ここ最近のジュリアは救児院の援助に力を入れる傍ら、家業のひとつである王立騎士団への薬の提供業務も手伝っていたため、薬商家であるダニエルとも一緒にいる時間が長くなった。必然的にジュリアと共にいる私と3人で過ごすことも多くなる。
長く多く共にいれば、鈍い私でも気が付く。
ー-ー--ダニエルのジュリアへの思いは間違いない。
彼女が気が付かないのが不思議なほど、彼のジュリアへの眼差しは優しい。
ダニエルは万人に等しく優しかった。私にも彼の友人たちにも見知らぬ人にも親切だ。
けれど長い時間一緒に過ごさなければ分からないくらいの慎重さで、ダニエルはジュリアに特別な優しさを持っていた。ジュリアを気遣い見守るその視線を私は羨ましく思った。
ー----可哀想なダニエル。
ジュリアには長年の初恋の婚約者がいて、彼女はその婚約者を心から慕っていた。
ダニエルの気持ちが報われることは難しいだろうし、何より彼自身がそれをよく分かっているからこそ、気づかせないよう細心の注意を払っているのだ。
ジュリアの婚約者のアリシェ・ランドールとは何度か会った。
彼は代々武官系の要職につく伯爵家の子息だ。
王立騎士学校に通っているという銀髪にアメジストの瞳の信じられないくらいの美貌の持ち主に、これは・・・ダニエル見た目ではちょっと勝てないよね・・・・と申し訳なくも同情した。アリシェ・ランドールとダニエルも友人同士であるというので、ダニエルの心情を察すると切なくなる。
自分に気持ちがない人を想い続けるのは辛い。ジュリアは、いつか大好きな婚約者と結婚してしまうのだ。
私は、学院に入学して以来素っ気なくなってしまったロアンをーーーーールイーゼさんと楽し気に微笑みあう彼の顔を頭の中から無理やり追い出した。
トントンガチャッ
「ねえ、もう進路提出した?」」
ノックとほぼ同時に寮の私の部屋に入ってきたジュリアは、扉を開けるなり問いかけた。
二人掛けの小さなソファに身を預け、私はふるふると首を横に振った。
「う〜ん・・・、私まだ悩んでるんだよね・・・」
来年は私たちも専門科に進む。
ロアンは嫡男なので領地運営科だ。令嬢の多くは教養科だが、まれに領地運営科や商業経営科に進むものもいた。
いずれランドール伯爵夫人となり領地を受け継ぐ予定のジュリアは、アリシェの仕事を支えるためにも領地運営科に決めたという。
「だってアリシェが歳をとって騎士を引退したら彼が領地を見るけど、それまでは騎士と領主の仕事の両方を兼任しなくてはならないでしょ?彼が引退するまでの間は義父様に頼ってばかりじゃなくて私が出来ることをやっておきたいの」
さすがしっかりもののジュリアだ。
そして私は・・・・・・。
伯爵夫人であれば、基本的には家政に気を配ることが主だった仕事になるので教養科・・・。
でもロアンが領地運営を学ぶのであれば、そのパートナーである私は領地のこと以外の仕事に繋がる分野を学んでおいた方がゆくゆく良いのではないかと思っている。
ロアンは昔から器用な方ではない。一つのことに気を取られるとそちらに集中しすぎて他が見えなくなることが多々あったし思い込みも激しい。それならば私は違う視点を持ち、仕事や伯爵家を支えられる存在でありたい。
モーガン子爵家とコンラート伯爵家の行っている鉱石発掘業で得た原石は、商家を仲介し卸される。それならば私は、商いの仕組みを学べる商業経営科が良いのではないかと思っていた。
今まで触れたことのない分野の学問だ。決して頭の切れの良い私ではないが、全くやらないよりも真面目にコツコツ学ぶことで何かしらの役立つ知識が身につくはずだ。
これからモーガン家にその旨を伝え、そしてロアンに・・・・・・。
ー-----ロアンに相談するかどうかを迷っていた。
どうにも話をしにくい。ロアンのクラスに行って彼とその仲間が内輪で楽しそうにしている所に声を掛けるのは、勇気がいることだ。
二人の将来に関わることだから一緒に考えてくれる気もするし、自分のことなら自分で悩んで決めろと言われる気もする。
「一番良さそうなのは、商業経営科かなぁって思っているのだけどね私は」
「おい!」
もはやお馴染みの声掛けだ。彼がこの呼び方をする時は決まって機嫌がよくない。
放課後ひと気のなくなった中庭で、図書室へと向かう私を背後から呼び止めたのは我が婚約者だ。
私はそっとため息をついた。
力強く肩を捕らえられたまま、私は腰からぐるりと振り向く。
「・・・・・・・はい、なあに」
「なんでお前っ!商経科!!」
「なんでって」
やはり決める時に一声かけておけば良かっただろうか。
でも彼に言われたから進む道を変えるというのも何か違うと思い、自分が最善だと思う進路を選んだつもりだ。ちなみに商経科とは、商業経営科の略だ。
「お前、俺にはひと言の相談もなくっ」
「だって、そこが良いと思ったのだもの。私が勉強したい分野なのよ」
「ー--ー--あいつがいるから・・・・?」
「はい?」
「あいつがいるから、同じ商経科にしたのか・・・?」
「え?ジュリアは領地運営科だよ?」
ロアンが何を言いたいのか分からなくて、彼を見上げた。
見上げる・・・・。そう、彼はこの2、3年の間に恐ろしい程の変貌を遂げた。
彼と目を合わせるためには、私は首をカクンと折り曲げ真上近くまで見上げなければならない。
高かった声だって、彼の父親であるコンラート伯爵と聞き間違えそうになるくらいの低音となり、その声で「おい」と言われると「はい!」と恐縮するほどの迫力なのだ。
14歳の時に私は王室の夜会で社交界デビューをした。その時のダンスのパートナーは婚約者のロアンだ。肩に手を置き視線を合わせる。目線は同じ高さだった。
翌年15歳の夜会でも踊った。その時、正面を向くと私の目線は彼の肩の位置になっていた。
入学したばかりのころの華奢な身体は必要な筋肉をつけ、肩も相応に広くなった。かつての可愛らしい少年は姿を消し、代わりに精悍な顔立ちの見目麗しい口の悪い青年が出来上がった。
その美貌の青年は、美しい青い目を不機嫌そうな眼差しに変え私を見下ろした。
「ー----ーお前、バロックさんと一緒に通うのか」
「ああダニエル?そうだよね、ダニエルは今度が最終学年だから、最後の一年は一緒になるね」
「・・・・・・・・っく・・・っそ」
「はい?」
「・・・・・・へえぇぇぇ良かったな、親しい男が商経科にいてさ」
「そうだね、何かと安心」
「・・・・・・・・・・・・・」
「ロアンは?あなたのお仲間たちはみんな領地運営科?ウォルターくんは騎士科だよね。彼はソフィアさんと婚約したんだっけ」
「・・・・・ああ、ソフィアは教養。あとルイーゼも領地だ。」
ルイーゼ。ルイーゼ。ルイーゼ。
ルイーゼ!!!
「・・・・・・・・・そうなんだ」
へえ、そうなんだ。なんで?伯爵家のご令嬢がなんで領地運営科?
彼女の婚約の話は未だ聞かない。今後を考えての進路なのかそうでないのか・・・・。
私とルイーゼさんとは目が合えば挨拶をするくらいの間柄だ。最初の頃にロアンを通して紹介されたが、お互い積極的に関わろうとしたことはなかった。かろうじて名前を『様』から『さん』へ変えたくらいの距離感だ。
ロアンたちのグループと一緒にいる時に私とすれ違ったりすると、ロアンは「・・・ん」という素っ気ない挨拶をしエバン君は「こんにちはクリステ嬢」とにっこり愛想笑い。そしてルイーゼさんは・・・・・困ったような申し訳なさそうな顔で「こんにちは」と頭を軽く下げる。
彼女のロアンへの熱を帯びた視線と態度をみれば、好意は明らかだった。
ロアンが彼女をどう思っているのかは私にはよく分からないが、周りからは、ロアンとルイーゼさんが相思相愛だという噂は今や憶測というよりも隠された事実として認識されている。
申し訳なく思うなら、少し距離を置いて欲しいというのが本音だ。けれどロアンの交友関係にまで口を出すような要求をできるはずもなく・・・・・。
ルイーゼさんはどんな気持ちでロアンと一緒にいるのだろう、辛くないのだろうか。私の存在をどう感じているのだろう・・・。
多分・・・もう気持ちって勝手に動いてしまうのだ。
ダニエルを見ていたらよく分かる、頭で分かっていても惹かれる思いを抑えることは難しいのだと。
ダニエルもルイーゼさんも婚約者のいる人を好きになってしまって苦しい。
私は自分に好意を持ってもらえない人と結婚が決まっていて、やはり苦しい。
ー-----そう、私は苦しかった。ずっと。入学してから今までずっと。
素っ気ない態度やルイーゼさんの存在に、寂しさだけでない感情があり、傷ついていたのだとようやく理解したのは最近だ。
私は、ロアンを・・・昔から好きだった。多分、彼が初恋だったのだ。
当たり前のように一緒にいたし、色恋の経験値のない自分に恋と情の線引きが出来るはずもなく、ぐちゃぐちゃとした重い感情に翻弄されてきた。
ロアンは私に気持ちがない・・・・それどころか、嫌われているのではないかとすら思える態度だ。そんな状態で自分だけが彼を好きでい続けることは、まさに苦しみだ。
ー-----これが、こんな状態が結婚後もずっと続くのだろうか?ずっと・・・・?
自分たちの、どうしても明るく思えない将来にぞっとした。
それって、ロアンも私も辛くない・・・・?
「・・・・・・政略結婚、って・・・しんどいね・・・・」
ルイーゼさんのことを考えながら唐突に、ぽろりと思わず口にする。
ロアンは大きく目を見開き、驚きの表情で私を暫く見つめ問いかけた。
「・・・・・何を・・・・突然・・・・・。なに、を今さら・・・・・」
あまりに急に話が変わったことに驚いたロアンが、呆然とした面持ちで呟くように声を出す。
「ーーーーーーーなんで?クリステ・・・・・・結婚・・・・・いやなの?」
「・・・・ううん、そうじゃなくて・・・。政略結婚って、他に想う人がいたり相手に好意がなかった時に苦しいよね、貴族としては仕方ないっていうのは分かるんだけど・・・・・」
怒り満面だったロアンは、今度は戸惑いの表情を見せた。
「他に、想う人って・・・・。仕方、ない・・・・・・・って・・・・・・・」
「ロアンは、好きな人が、いる、の?」
ーーーーーーこれを聞いたらどうなるか、もうそこまでは考えていなかった。
まさに考えるより先に声にだしてしまったのだ。
長い間私を苦しめてきた曖昧で宙ぶらりんな状態からもう解放されたいという思いが、どこか無意識にあったのかもしれない。
(ルイーゼさんに、惹かれているから?だから私に関心がなくなってしまったの?私が嫌になってしまったの?)
心の中で問いかける。
彼がルイーゼさんを好きだと私に言うのなら、もうその覚悟で私は割り切って、ロアンへの期待を棄ててしまいたかった。
結婚に愛情はなし!家の契約のみ!
ーーーーーーーーそのほうがどんなにか楽か・・・・。
伯爵家同士の相思相愛と言われているロアンとルイーゼさん。しかも片方には婚約者がいるという悲劇。こんな楽しい話はないだろう。
今や私は学院内で「婚約者から蔑ろにされている令嬢」として通っており、他人からの同情的な視線も気遣いも苦痛だった。
互いに無言のまま、風が私のスカートのすそを揺らした。
ロアンの口が何かを言いたげにパクっと開いたが、声に出せずにいるようだ。
「・・・・・・・・・・・・お・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・いるの?」
これを最後の問いかけにしようと思いながら、私は再びロアンを促した。
「お、おれは、おまっ、お、前っ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・ルイーゼさんが、好きなの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」
間の抜けたようなロアンの声に、私は話を続けた。
「ずっと噂されているものね・・・・・・」
「はい?なに、噂?誰が?」
「あなたとルイーゼさん」
「はい!?え?俺とルイーゼが噂!?」
「え?」
「なんだよそれ」
驚くロアンに、むしろ私が驚いた。
噂が本人に届くのは、かなり遅れてもしくはそのまま耳に入らないことも多いが、いくらなんでもルイーゼさんとのことを知らないはずはないと思っていたのだ。
「知らなかったの!?随分前からあなたたちは相思相愛って噂になっているのよ。いつも一緒にいるし」
「そ、それは!二人でいることはない、いつも他の誰かと一緒だ!エバンやジョシュやソフィアも一緒だし二人きりでいる訳では・・・・・!俺にそんな気はない!!」
俺にそんな気はない・・・?じゃあ・・・・・・
「ー---じゃあ、ルイーゼさんがロアンに気があるっていう話も知らなかった?」
「っっそっ、それはっっ!!それは昔でっっ、昔の・・・・・・違う、ルイーゼは友人だ!」
あ、やっぱり知っていたんだルイーゼさんからの好意は。
え、それなのに一緒に行動しているの?
ええ、彼女の気持ち、知ってて・・・・・・?
えええ、ほんとにロアン彼女に気がないの?気持ちがないのに一緒にいられるもの?
ー----そんなことってある・・・?
ー----ロアンってそうなんだ。友人って・・・・え・・・・、なんかずるくない?
彼女の気持ちを知っていて、でもロアンは私という婚約者がいてそれに答えられないのに、それなのに友人という建て前で一緒にいるの?
それならきちんと距離を取るとかできないの?だって・・・・。
だって、ロアンはいずれ私と結婚しなきゃいけないんだよ?
ルイーゼさんだって、私がいるの知っていてロアンと一緒にい続けて・・・・・。
あなたたちが一緒にいるのを見て、私がどう感じているかなんて関係ないの?
私が傷ついても、関係ない、のよね・・・。
ーーーーーーーーーーーーーー何だかもう、やり切れないな・・・・・。
「ずるいね」
「・・・・・・っっ!!」
「ロアンってずるいんだね、知らなかった」
「違う!!なんで」
「なんか、私にはあなたたちのやっていることがよく分からないわ。誰かを傷つけているって自覚がないのかな、残酷だよ・・・・・」
「ー----な・・・んだよ、残酷なのはお前だろ?お前こそ他に気があるのに・・・・・」
「なによそれ。私が他に気があるってどういうこと?」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・?」
「お前こそ、好きなやつ、いる・・・・・・んだろ・・・?」
「はい?どうしてロアンがそんなこと思ってるのか、ほんと、分からないんだけど・・・・・」
まさか、好きな相手は自分だとでも言ってもらいたいのだろうか?
「・・・・・・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・??」
お互い次の言葉が出ない。
なんだかロアンは怒っているように見えるし、彼の言う意味が分からない。
ー----私たち、どうしてこんなに距離ができてしまったのだろう。
今までは・・・学院に入るまではお互いに思ったことを言って感じたことを共有していたのに、今は彼が何を考えているのかさっぱり分からない。お互いが思っていることに違いがあるように思えてならない。
ー-----噛み合わない。彼と、ずっと噛み合ってない。
(このままでは、だめだーー-----)
「だめだよ、ロアン・・・・、わたしたち・・・・・」
「・・・・・だめ・・・・?」
私たちはここのところずっと、会話をすれども肝心のことは触れぬまま時が過ぎてきた。
圧倒的に言葉が足りていない。
関係が破綻する前に、話をするのは今しかないように思った。
「ロアン。私たち、きちんと話をした方が良いと思う。これからのこと・・・これからの私たちのことをちゃんと考えないと」
きっと誤解がある。いいえ、誤解があると思いたい。
これから先ずっとこんな関係でいたくないなら、傷つきたくないなどと怖がらずに、今きちんと話をしなくては。お互い向き合わなくては。
なのに・・・・。
私のその提案にロアンは切れ長の鋭い目をいっぱいに見開き、まるで見てはならないものを見つけてしまったかのような恐怖の表情を表した。
「お・・・・・お前と話すことなんかないっ!!」
そう言って踵を返し・・・・・・。
彼は逃げ出した。
---ー--話すことなどない・・・・・。私とは話したくない・・・・・・。
私に、ルイーゼさんとのことを責められると思ったの・・・・?
もう話をすることも出来ないほど、私たちは気持ちが離れてしまったの・・・・?
ー----身体から力が抜けていくようだ。私はただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
悲しかったが、涙は出なかった。
入学した当初、ルイーゼは俺に気があるといわれた。エバンにだ。
初めて訪れたシャルマン家のお茶会で、何もかも理想なんです!と顔を真っ赤にしてルイーゼからの告白に、まさかどうしてと驚くも・・・・。
彼女の愛読している小説に出てくる『冒険少年』と俺がまさにそっくりな風貌なのだという。真っ直ぐな黒髪に濃い青の瞳、背も高くなく細身のやんちゃな少年。
エバン、君の思い違いも甚だしい。何が恋する顔だ、ルイーゼは小説の少年に恋しているぞ。似ているという俺を重ねて見て喜んでいるだけじゃないか。よくいる夢見がちな少女だ。
ルイーゼの友人のソフィアは、騎士団長息子のジョシュの婚約者候補だった。ジョシュは彼女の人となりを知りたがったから、ジョシュとソフィアを一緒にいる機会を増やした。
俺とエバン、ジョシュの中に婚約者候補のソフィアが加わることが増え、そうなるとソフィアと親しいルイーゼも行動を共にすることが多くなった。
話をする機会が増えて気が付いたのは、彼女が大変な読書家ということだ。
詩や物語といった令嬢が好む類のものから専門書や論文までとその幅は多岐に渡り、同じ読書好きの俺としては性別を超えて刺激しあえる友人の一人だった。彼女は家人から過度の本好きな所を否定されているため、本について思う存分語れる俺が貴重なだけだ。
ただ、それだけだ。
エバンの言うところのルイーゼの好意は勘違いだということを自分たちが一番知っていたし、自分にはクリステがいるから関係ない話だと思っていた。
まさか周りから相思相愛と見られていたとは・・・・。そしてその噂をクリステに指摘されるなんて最悪だ・・・・。
ー----もう3年近くになる、自分の気持ちに気づいて。
エバンに最初の頃に指摘された通りクリステは可愛いのだと気が付いたのは、皮肉にもバロックさんとの出会いがきっかけだ。
クリステは優しいし、真面目だし、面倒見がいいし、頑固だし、負けず嫌いだし、そして以外と気が弱い。今まで気に留めていなかったそれらの性格の全てが、好きなんだと思った。
彼女は自分のことを平凡で取柄がないと言うが、平凡の何が悪いのか。それを言うなら俺こそ平凡だ。
エバンのように生まれながらの優秀な頭脳があるわけでもなく、貴族のお手本のような洗練された立ち振る舞いも出来ない。ジョシュのように剣術に優れている訳でもない。
鉱石に絡むことや読書以外、これといった趣味もなければ特技もない。
自分を卑下するつもりはないが、平凡な自分が努力して努力してようやく、今の学院での立ち位置についているのだ。
それでもいいじゃないか、皆が非凡だったらそれは平凡と同じことなのだ。俺とクリステ、似たもの同士で夫婦になればいい。
クリステが俺意外の誰かを好きになったら困る。俺を好きになってもらいそして結婚したいのだ。
クリステに対する恋心。
バロックさんに対しての嫉妬。
そして幼い自分に対しての劣等感。
それらに気が付いてからは、繰り返し何度もクリステとの関わり方を変えよう、挽回しようと試みた。しかし全て失敗した。
バロックさんとの交流の機会の度に、自分の至らなさを思い知らされ苦しんだ。彼は思っていた以上に良い人だったのだ。
どこか嫌味なところがあれば良かったのに。裏表が激しいとか、ずるいところとか。
クリステが彼に惹かれるのはしょうがない。しかし、そんなことは我慢ならない。
矛盾する気持ちを処理できずに、ほとんど八つ当たりのようにクリステへの態度に荒々しさが生まれた。彼女を傷付けたくなかったのに、どうしても自分の感情を制御できずにいた。
俺が幼いから悪いのだ。感情的にならずにバロックさんのように余裕ある振る舞いをしようと思うと、今度は途端に素っ気なくなってしまう。
結果、クリステとの距離は広がるばかりになった。
悪いのは自分だと分かっていても、もうどうしていいのか分からなくなっていた。何をしても上手くいかないのだ。
分かりやすく自分に出来る事と言えば、成績を上げる事だった。バロックさんのように学年の上位10人に入るために努力した。苦手な科目も、自宅で家庭教師をつけてもらい食らいついた。必死だった。
そして人付き合いも、彼を見習い友人たちには意識して優しく朗らかに接した。だから俺の友人からの評価は、概ね人付き合いの良い親切な人として捉えられているはずだ。
しかし今までしてきたクリステに好かれるための努力は、どうしても彼女にだけには上手く伝わらない。伝えられていない。
彼女に優しくしたいのに、俺を見て欲しいのに・・・・。
『ロアンてずるいんだね』
呆れたように呟いたクリステの声が頭の中にこだまする。
嫌われたくない。軽蔑されたくない。好きなんだ本当に。
『だめだよロアン、私たち。きちんと話した方が良いと思う、これからの私たちのこと』
だめ?これからの、私たち・・・・?
今までの自分の態度とルイーゼとの噂を鑑みて、どう考えても良い話とは思えなかった。
先日ルイーゼから聞いたばかりの流行りの小説が頭をよぎったー----突然に婚約破棄される貴族の恋愛物語だ。
まさか、俺たちの婚約を・・・。まさか、婚約を解消したい・・・・・・・。
いやだいやだいやだいやだ絶対にいやだ!
聞きたくない、話し合うことなどない、結婚するんだ俺たちは!
その場から逃げ出すように・・・・・いや、まさに俺は逃げだした。
絶対に、どうしても、何が何でも彼女と結婚したいのだ。
あと3年・・・・・。あと3年で成人だ。そうしたら・・・・・。
ー----18歳になれば卒業し。そして結婚だ。
卒業の時に指輪を渡すのだ。心を込めて伝えるのだ俺の想いを。君を一生大切にすると。
あともう少し。彼女との未来のためにもう少し学べば・・・・。そのために俺は寮を諦め自宅から通うことにしたのだから。
ー-----気が続かぬまま、釦の掛け違いは続いて行く。




