部としての文化祭 最終日
おっさんが来た。おばはんはあまり来なかった。
高校の文化祭に来る大人は、ほとんどが在校生の父兄。うちの高校は進学校でもないし、農業科や芸術科のような尖った専門科をもってるわけでもない。文化祭のレベルも内輪受けする程度だから、一般の方々がこぞって見てみようとはならないよう。まあ、仕方ないわねと思う。
でも、株式投資は高校であまりなじみのないものだし、それなりの反響はあるんじゃないかしら、とカレンは希望的観測を示していた。
最初に来たのは野球帽をかぶったおっさん二人。今年の野球部はうちの高校にしてはいいところまで行ったから、保護者会も盛り上がっていた。高校野球部のキャップをかぶったおっさんが目についた。
「株式投資。また難しいことやってんだね」
模造紙を一瞥してから、おっさんの一人はそう言った。
「株はなあ、儲からんよ」
「株やったことあるの?」
「若いときにはまったことありましてね。ビギナーズラックで50万ほど儲かったものだから、いい気になったんですけど、そっから先は。株なんかやってたら、身ぐるみはがされるよ、ほんとに」
「うまい話なんて、転がってるわけないよね」
「そうなんですよ。人間まじめに働くのが一番。あぶく銭にうつつ抜かしてる場合じゃないです」
おっさん二人はそう合点して出て行った。
その後もおっさんが幾人か入ってきたが、模造紙を一瞥して「難しいことやってるね」と出て行った。
「株式投資を実際にやってるの?」
と聞く人もいた。
「儲からないでしょ」
「とも限りません」
「へえ、でも気をつけたほうがいいよ。株って儲かっていると思ってるうちに、あっという間に大暴落するから」
確かにそういうことはある。あたしにも経験があった。
「セラちゃん、そろそろ劇の準備じゃない?」
ひろこが声をかけてくれた。そう、クラスの出し物に行かねばならない。
劇から戻ってくると、志帆子が一人、おっさんと話している。
小柄で物静かな志帆子に、おっさんはいささか興奮気味だった。
「PERは低い株が割安ってことだろ。PERの低い株が狙い目なんだよな」
とはかぎらない。
「なんで?」
PERの高低だけでは割安かどうかを判断できないから。いくらPERが一桁であったとしても、EPSが増える見込みのない株は、株価が上がる可能性が低い。万年低PER株はいくらでもあるが、これらの株価が上がるにはEPSの伸長が必要。よって、PERの数値だけ見て割安かどうかの判断はできない。
おっさんは「ほう」と言ってから、「でも、ここに書かれていることで、決定的に抜けてるものがある。なにかわかるか?」とにやりと笑った。
「それはな、チャート分析がないことだ。テクニカルについてどう考えてるの?」
「そこは見てません」とあたし。
「どうして? 株式投資の基本だろ」
基本? 基本だっけ?
志帆子が説明を始めた。
チャートの形に再現性があるかどうか確かなことは証明されていないと聞く。あまたの経済学者が様々なチャートを分析した結果、明確な法則を見出していないと聞いた。無論、だからと言って、テクニカルを頭ごなしに否定するつもりはない。あるいは、まだ見いだせていないなんらかの法則があるのかもしれない。また、人によっては天才的なカンが働いて、テクニカルで大儲けすることもあるだろう。しかし、大谷翔平が大リーグで二刀流を成功させている事例があるからといって、他の誰もが再現できないのと同様、天才的な目を誰もが持ちうるものではない以上、再現性のないチャート分析に時間をかけるより、より確実な方法に焦点を当てるべきだと考える。
「小理屈だな。不得手なところから逃げて投資などできるわけがない。もっとしっかり勉強するべきだ」
そのおっさんはそう言い残して去っていった。
次に入ってきたのは、仏のような顔をしたおじいさん。
「誰でもぜったい儲かる簡単投資法って、これ、本当かい?」
「長い目で見れば、過去の実績は株式投資が最も高いリターンをもたらしています」
「インデックスファンドってなに?」
「市場を丸々買うファンドです。例えば、日経平均採用銘柄を丸々買ったり、アメリカ市場を丸々買ったり、世界の株式市場全部を買うファンドもあります」
「へえ、そんなのがあるんだ。でも、市場丸々買うには、相当のお金を準備しないといけないんでしょ」
「いえ、一口数万円から買えるものがほとんどです」
「そうなんだ。でも、なんでこれが絶対儲かるって言えるの?」
「個別株は最悪倒産して株価がゼロになる恐れがあります。でも、市場全体なら、そんな心配はありません。資本主義社会は拡大再生産を前提に回っていますから、長い目で見れば経済成長に伴って、株価は上がります」
「まあねえ、あなたたち若い人なら長い目もあるだろうけど、わたしみたいな年寄りには長い目もないなあ」
「失礼ですけど、おいくつですか?」
「62だよ」
「なら、人生100年時代ですから、まだ40年近くありますよ。仮に20年間インデックスファンドに毎月1万円ずつ積立投資して、年平均10%で回したとすれば、240万円の元本が718万円になります」
「そんなに? なら、毎月3万円ならその3倍ってことかい?」
「ええ、今すぐ使わないお金を銀行に預けてるくらいなら、積立投資に回したほうがよっぽどいいと思います」
「積立にするのはどうして? いっときにそのインデックスファンドとやらを買ってしまってはまずいの?」
「インデックスファンドは分散投資といって、市場全体を買うことで個別株の減額リスクを補っています。でも、それだけでは分散になりません。株式市場はコロナウィルスショックで大暴落したこともあるように、変動が激しいからです。もし仮にいっときにファンドを買って、その次の日に大暴落すれば、途端に大きな含み損を抱えてしまうことになります。だから、買う時も分散して、大暴落した時に安くなったファンドをたくさん買えるようにするのです」
おじいさんは模造紙に書かれた「社会への提言」を見て、「これってどういうこと?」と尋ねた。
これにはひろこが答えた。
今、貧困に苦しむ子どもたちがたくさんいるって聞きます。7人に1人がそうらしいです。あたしの小学校でも、家にお金がなくって、着るものもまともに買えないような子がいました。
今、日本は少子化で、このままだと人手不足で大変なことになるって言われてるでしょ。なのに、大事に育ててゆかなきゃいけない子どもたちの多くが貧困に苦しめられてる。じゃあ、社会としてお金を回してあげないと。
で、田舎の市町村とかで、子どもが生まれたら一人当たり何十万円とか何百万円をお祝いで上げるなんてことやってるとこあるって聞きますけど、子どもたちが本当にお金を必要とするのは、高校を出てからだと思うのね。大学行くにせよ、家にお金がなかったら、行きたくても行けませんよね。
なら、子どもが高校卒業するときに、進路のための準備ができる環境を整えてあげられないかなって思って。
それで、積立投資を子ども一人一人に国でしてあげたらどう? っていうのが、あたしたち株式投資部からの、えーと、提言? です。
仮に子ども一人当たり、毎月2万円を18年間積立投資すれば、年平均10%で回したとして、1,100万円以上渡すことができる。それだけあれば、ほとんどの進路に対応できるでしょう。かかる原価は18年間で430万円ちょっと、年間で24万円だから、未来への投資として全然安いと思うんです。
どう思われますか?
おじいさんは「うーん」と唸った。
「この施策は他への波及効果も考えられると思います」と、今度はカレンが説明した。
波及効果はみっつあって、ひとつめが株式市場に刺激を与えること。18歳未満の子どもたち一人一人に毎月2万円の購入がされるってことは、買い需要が大幅に増えるってことですから、これは相場全体の下支えにつながります。
ふたつめが国民に株式投資の目が開かれること。毎月数万円でも、20年近く愚直に積立投資すれば、元本が大きく膨らむことがわかれば、銀行預金するより積立投資したほうがいいって思う人たちが増えると思います。政府は貯蓄から投資へと叫んでるけど、投資が身近なものでない限り、関心が湧くことないと思うのね。具体的に運用でこんなに膨らむんだよって見えるようになれば、みんな関心持つようになると思います。
みっつめが18歳でまとまったお金をもらうことになる子どもたちが、次にどういう社会を作ってゆこうとするのか、いろいろ前向きな方向が考えられると思うこと。例えば、天引き貯蓄をやっている会社があったりしますけど、あれも天引きの積立投資にすれば、個人の財産形成はもっと劇的なものに変わると思います。